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楽土  作者: 雨咲はな
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 アルは昔から、鍵師と盗人を生業としている。

 どちらかといえば、本業は盗人のほうだ。十代のはじめくらいからその道に入り、途中から表向きの仕事として鍵師をはじめた。アルの取り柄は身軽さと手先の器用さなので、大体どちらの職業でも、それなりに堅実に稼いでいる。

 といっても、アルの場合、無闇やたらとそこらの家に忍び込んでは金を盗んでいく、というタイプの盗人ではない。元締めであるイーガルという男からの依頼を請け負い、それを遂行するという、いわば雇われ者の立場にある。

 イーガルから伝えられた情報と調査結果を基に、指定された目的のものだけを盗み出す。それがアルのやり方だ。盗むものは大体宝石や美術品であることが多いので、それをイーガルに渡して、報酬として幾ばくかの金を得るのである。

 手許に来るのは、盗んだものの金額に比べれば、かなり些少と言っていい。しかし、アルはもともと、金に対する執着はほとんどないほうなので、それでまったく問題なかった。危険はアルのほうが多いが、かける手間と労力はイーガルのほうが多いわけだし。大体、宝石や美術品など、売りさばく手立てもルートも知らないアルが持っていたって、なんの意味もない。

 そんなわけで、今回もイーガルの依頼により、血のように真っ赤な宝石を頂戴すべく、とある貴族の大きな屋敷に忍び込んだまではいいのだが──




「こんなことになるとはなあ」

 闇から闇へ、影のようにひっそりと移動しながら、アルはぼやくように呟いた。

 イーガルも、たまにはヘマをする。いや、イーガル自身が情報収集や下調べをするわけではなくて、そちらはそちらでアルのような「専門家」がいるらしいから、そいつがヘマをしたということなのだろうが、とにかく宝石は、アルに伝えられた保管場所にはなかった。他の宝石はいくらでもあったのに。

 今夜に限って持ち出されたか。あるいは情報の手抜かりで、すでに他人の手に渡ってしまったか。

 しかし、ただ単に保管場所を変えたとか、今日たまたま別のところに置いておくことにした、ということもあり得る。そう思い、アルは少しだけ屋敷内を探してみることにした。こういう時、目的の宝石がなかったからと、他の宝石をいくつか盗んでいく、という選択肢はアルの頭には浮かばない。それはルールに反する行為だし、目利きではない彼には、どの宝石にどれくらい価値があるかなんて、さっぱり判らないからだ。


 ……そういう次第で、屋敷内を探索中に見つけたのが、あの部屋だった。


 イーガルから渡された屋敷の見取り図のどこにも、載っていない。

 人の目には触れないよう作られた、地下に通じる階段。その先にぽつんと一つだけある扉。しかもおまけに、その扉にはおそろしいほど精密で厳重そうな錠がついている、ときた。

 誰だって、この中にはよほど大事なものが隠されているんだな、と思う。

 アルは、むずむずするのが抑えがたかった。いくら豪華絢爛な金銀財宝が保管されていても、そこに目的の赤い宝石がなければ意味がないわけだが、その錠を見た途端、鍵師としてのアルが黙っていられなかった。

 だって見てコレ。今まで見たことのない形なんですけど。知り合いの錠前師の連中に見せたら、やっぱり大喜びで弄り回すだろう。鍵を差し込む穴が二つもあるし。二本の鍵が要るってこと? それとも鍵の先端が二つに割れてるってこと? うわどんな鍵なんだすげえ見てみたい!

 と、ついつい浮かれてまじまじと観察した挙句、どうしても開けたくなってしまって道具に手が伸びた。正直、部屋の中に何があるかなんてことは、この時点で八割方どうでもよくなっていたかもしれない。まだ二十になったばかりのアルは、たまにこういう子供っぽいところが顔を覗かせる。理屈よりも感情を優先させてしまい、そのたびあとでイーガルにどやされたり、悔やむ羽目になるのだ。

 もちろん、この時も例外ではなかった。冷静になって考えてみれば、もっと警戒してしかるべきだったのである。

 錠に触れたその瞬間、自分から厄介ごとに首を突っ込んだのも同然だと、気づくべきだったのだ。

 簡単なものなら数秒もかからず解錠してしまえるアルでさえ、その錠にはかなりの時間と労力が必要だった。ようやく、カチンという気持ちのいい音がした時には、達成感で思わず握り拳をしてしまったほどだ。

 そうして開いた、扉の中。

 ──そこには、宝石でも、美術品でも、金貨の山でもなく、小さな女の子がいただけだった。




 アホである。つくづく、自分の軽率さが恨めしい。どう考えても、あの場所と厳重すぎる錠の性質からして、そこにあるのは後ろ暗い品物であるに決まっていた。面倒なことにならないよう、見て見ぬふりをしてそっと踵を返し、イーガルに目的のものはなかったと報告すればそれで済んでいたことだったのに。

 しかし扉を開けてしまった以上、何事もなかったかのようにまた扉を閉めて、それっきり忘れてしまうことはアルには出来なかった。見境なくふりまく慈悲の心なぞは持ち合わせてはいないが、そこまで割り切れてしまえるほど、非情にもなりきれない。

 アルは女の子を担ぎ上げ、一緒に屋敷から脱出した。

 どういう理由かは知らないが、とにかく監禁されていた子供を救出したのである。それでいいだろう、とアルは自分の心を納得させることにした。目立った傷こそなかったが、どう見ても、大事に育てられているという環境ではなかったし、あの部屋から外に出られただけで雲泥の差のはずだ。

 その先は、知ったこっちゃない。

 子供は林道の入口に置いた。その道は、明るくなれば、一気に人通りが多くなる。放置された子供を誰かが見つけて、声くらいかけてくれるだろう。

 親切な人間に当たれば、きっといろいろ面倒をみてもらえる。飯も食わせてくれるだろうし、あれこれ事情を尋ねて、その後のこともそいつが考えてくれるだろう。名のある貴族が「それはうちで監禁していた子供です」と名乗り出てくるはずもないから、結果的に孤児院に入れられることになると思うが、それでもあんな暗い部屋の中一人きりでいるよりはずっとマシに決まっている。


 決まってる。

 うん、そうだ。

 決まってる……よな?


 月に照らされる暗い道を小走りに駆けていた足取りは、最初のうちこそ迷いなく一定の速度を保っていたが、次第にペースが落ちて、今では歩いているのか止まっているのかよく判らない、というくらい頼りないものになりつつあった。

 何も考えずにひたすら足を動かしていればいいのに、ともすると余計な雑念ばかりが頭に浮かんでくる。

 進めば進むほど、というか、林から遠ざかれば遠ざかるほど、それは嵩を増して膨らんでいった。

 あの子供を最初に見つけるのはどんな人間なんだろう。別にとりたてて親切でなくとも、普通の一般的で常識的な人間でありさえすればいいんだが。

 この世の中には善人ばかりではない、ということはアルもよく知っている。真っ当な仕事に就いている者ばかりでもない、ということも自分を顧みるまでもなく知っている。そしてそういう真っ当ではない仕事に就いているような人間が行動するのは主に夜間である、ということも。ここにいるアルがいい例だ。

 たとえば、たとえばだけど、夜が明ける前、人攫いとか、通り魔とか、そういうタチの悪いのがあの道を通って、真っ先にあの子供を見つけるケースだって、あり得なくはないわけだ。あるいは、幼い女の子に邪な気持ちを抱いてしまうという嗜好の偏ったヤツとか。

 その場合、あの子供の人生は、部屋の中に閉じ込められているよりもずっと悪い方向に転がり落ちていくことになる。アルが余計なお節介をしたばっかりに。その後で、無責任にもすべてを放り出してしまったために。

 見ず知らずの子供がどうなろうがアルには関係ない。これからどうなるかはあの子供の運次第。それ以上のことはアルの手に余る。面倒事は抱え込まずに、いつだって身軽に生きていきたい。

 そういう気持ちも間違いなくアルの中にはある。間違いなく、あるのだけど。

「…………」

 完全に足が止まった。

 しばらくその場で逡巡していたアルは、結局、くるりと身を翻すと、来た道を戻って走りはじめた。



          ***



 黒の人に、「ここでじっと座ってろ」と言われたディーは、その言葉のとおりに、木の根っこの上に腰を下ろしてじっとしていた。

 建設的な方向に思考を組み立てる、ということが、ディーにはほとんど出来ないのである。物心ついた時にはもう地下の部屋の中で、人と会話することもなく、情報を取り入れることもない環境に置かれて育ったディーにとって、考えることといえば、お腹が空いた、寒い、暑い、眠い、くらいだったからだ。

 なので、今のディーが考えているのも、眠い、ということだった。もともと寝ていたところを起こされて、あれよあれよという間に外にまで来てしまったが、思考がそこから先に進まないのだから、戻るしかなかった、とも言える。

 黒の人は、声を立てるな、とは言ったが、寝るな、とは言っていない。

 ……だったらいいかなあ。

 木の幹にもたれて、こっくりこっくりしはじめた頃、再び黒の人が現れた。

 瞼をこすりながら顔を上げると、黒の人はぜいぜいと息を乱しながら、腰を屈めてこちらを覗き込んできた。「……この状況で寝てんのかよ、図太いやつだな」と呆れたように呟く。

「あのさあ、おまえさあ」

 ディーからまっすぐ視線を向けられて、黒の人は言いにくそうに言葉を濁した。

「とりあえず、今夜は俺のところに来るか? それからのことはまた改めて考えるとしてさ。やっぱり今後どこかで、子供の死体が捨てられてるのが見つかった、なんて話を聞かされたら俺も後味悪いし。大したもんはないけど、メシくらい食わせてやるから」

「…………」

「言っておくが、今夜だけだぞ。大体俺、子供の面倒なんて見られねえし」

「…………」

「親切心とかじゃないんだからな? 安心はするなよ? 信頼もするなよ? 明日になったら気が変わって、こんなの売り飛ばしちゃえって思うかもしれないんだからな?」

「…………」

 やけにしつこく念を押す黒の人は、何を言ってもディーからの返事がないことに焦れてきたらしい。少しムッとしたように、眉を寄せて、顔をしかめた。

「なんだよ、何か言えよ。ここに捨てていこうとしたことに腹を立ててるのか? ああもう、だから子供なんて面倒くせえ──」

 ぶつぶつと文句を言う黒の人を見返し、ディーは首を傾けた。何か言えよ、ってことは、言ってもいいのかな?

「もう、声を出してもいい?」

「あ?」

 ディーが問いかけると、黒の人は目を瞬いた。

「ディー、もうお喋りしてもいい?」

「…………」

 その言葉に、黒の人が一瞬、虚を突かれたように言葉に詰まる。暗い中で、目を凝らすようにしてまじまじとディーの顔を見つめた。

「──もしかしておまえ、あの屋敷を出る時に、黙ってろって俺が言ったのを律儀に守って、今までずっと口をきかなかったのか?」

「うん」

「…………」

 黒の人は唖然とし、それから頭を抱えてしまった。

「なんかこれ、思った以上に面倒なことになりそうな気がする……」

 と、もごもご呟く。

「まあいいや、考えるのは、とにかく明るくなってからにしよう。うん、もういいや、帰ったら一杯飲んで寝よう。起きるまでは絶対に何も考えないぞ俺は」

 一人で言って、一人でうんうんと頷いている。屈めていた腰をまっすぐにし、ディーを見下ろした。

「じゃあ立ちな。まだ歩けるか?」

「うん」

 ディーはこっくり頷いて立ち上がった。

 が、二、三歩進んだところで、すぐに足がもつれてしまった。疲れる、ということに慣れていないディーは、肉体の疲労すら自覚できない。思うように動かない自分の足を不思議に思い、きょとんとするだけである。

 その様子を見ていた黒の人がひとつため息を落として、手を伸ばした。

 ふわりと身体が宙に浮く。今度は、荷物を運ぶように肩に乗せるのではなく、抱き上げて腕に乗せられた。この格好だと、頭が逆さまにならず、黒の人の仏頂面がよく見える。


 そして、広い胸板から熱が伝わって、とても温かい。


「黒の人」

「変な名前で呼ぶな」

 イヤな顔をされた。

「えーと……黒の……黒……」

「おまえ、俺に対する印象がそれしかないのかよ」

 やれやれとまた息を吐きだす。

「──アルだ」

「アル。アル、アル」

「何度も呼ぶな」

 怒られた。

 でも、ディーにとって、はじめて知った他人の名前だ。何度も舌に乗せていないと、すぐに忘れてしまいそうで、それはなんだかものすごくイヤだった。

「アル」

「だから何度も呼ぶなと……」

「アル、なにか来るよ」

 ディーの視線が、自分の肩越しに、林の中へと向かっていることに気づいて、黒の人──アルの顔つきがさっと引き締まった。

 ぱっと後ろを振り返り、目を眇める。

 そちらの方向から聞こえた、草を踏むようなガサッという音に、ぴくりと肩が揺れた。ディーを抱いたまま、じりっと後ずさる。

「……人、じゃないな」

「よくないものが、来るよ」

「よくないって」

 言いかけた言葉を途中で呑み込む。林立する木々の向こうから、のっそりと姿を現したものに気づいたのだ。


 獣の黄色い眼が、闇の中で爛々と輝いていた。


 アルが舌打ちした。

「──ちくしょう、野犬だ。こんな街の近くにまで来ることはなかったのに、群れからはぐれたやつが食い物を探してきやがったな」

 こんな時に、と苦い調子で呟く。

「ディー、しっかり掴まってろ。逃げるぞ」

「うん」

 ディーの小さな手がぎゅっとアルの衣服を握る。野犬は威嚇の唸り声を上げながら、身を低くして襲いかかる機会を窺っていた。空腹で気が立っているのか、全身から放出される凶暴そうな空気が目に見えるようだった。

 アルが素早く態勢を整えたのを、敏感に感じ取ったらしい。野犬は逃げる隙を与えてはくれなかった。

 牙を剥いたかと思うと、身構える暇もあらばこそ、俊敏な動作で後ろ脚で地を蹴り、飛びかかってきた。

「っ!」

 避けるのは不可能だ、と咄嗟に判断したのか、アルがディーを庇うように両腕で抱え込み、野犬に背中を向ける。鋭い牙がそこに食い込もうとするのを、ディーはアルの肩越しに見た。

「──だめ!」


 その叫び声が響いた瞬間、ギャンという悲鳴が、林の中にこだました。


「……?」

 予想していた痛みがなかなか来ないことを不審に思ったアルが、そろそろと目を開けて顔を向けてみると、今しがたこちらに躍りかかってきたはずの野犬は、自分たちよりも離れた後方で、横向きになって倒れていた。

 立ち上がることも出来ないのか、哀れっぽい鳴き声を上げている。

「な……なんだこれ」

 アルが茫然としながら、野犬を見て、子供を見る。

 そしてようやく、得心がいったように、目を瞠った。

「……おまえ、魔力持ちか」

 その腕の中で、疲れきったディーは、穏やかな寝息を立てて眠り込んでいた。





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