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【 第1章 : 勲章の男 】 1-3

~祥太の姿が見えない。

父と母は無事なのか?

止まらぬ揺れ。続く緊張。

【 第一章 : 勲章の男 】

 《1-3》


 

 ※ ※ ※


 夕刻に発生し、今尚揺れは止まらない地震。

母屋が崩壊した。

祥太にいさんの居場所を問いかけた僕の問い掛けに、

混乱して天を仰いでいた伯父は思い出したように少し安堵の顔になった。

「祥太か?あれは今日は家に居らん。用で和田山へ行っとる。今日は戻らん。」

そう言いながら伯父はすぐに不安そうな表情に戻る。

出掛けているから安全とは言えないのだから。それで言うならば・・

「おまえらの、おやじ、おふくろは?どこに居るんか?」

伯父が、僕の両親の不在を案じた。

そんな時でも、伯父は実弟と義妹の名前は口にしなかった。

(そういうものなのかな・・)と思いながら僕は聞いていた。

「母ちゃんの工場から帰りが遅いので、父ちゃんが途中まで様子見に---」

そう言うと、

「そうか、峠は無事かのお・・?」と伯父は言った。


両親の名を、父のことを 泰輔タイスケ と、

母のことを 克乃カツノ とは呼ばなかったが、

伯父が僕らを、僕らの両親を心配してくれたことを、

又、僕らが伯父達のことを心配し無事を安堵し合ったことが、

僕には何となく心安らぐことであった。

勿論、母屋の屋敷が崩れ、僕達が暮らす納屋が崩れ、僕の両親の顔も、

祥太にいさん(何故かその時は胸の中でも、にいさん、との親しい気持ちはあった)の顔も、

見る前であったが・・・。

とんでもない地震ではあるが、家族親族であることの根底にある温かさを感じさせてくれた、

その小さな満足。


長い長い横揺れがやっと収まろうとしていた。そこに崩れ去ってしまったものが

目の前に埃を舞わせている。

町のあちこちから火災の煙が上がっている。

それでなくとも日本は深い深い不況の淵に居た。

年末に年越しを諦めて都を落ちたのは僕たち鈴井一家だけではない筈だ。国家自体が困窮の最中に居る。

この地震は、兵庫の田舎町で経験する災害。その全貌は判らない。言い知れぬ不安。

混乱の中ですっかり暮れてしまった空を見上げた。あんなに恐ろしい揺れの後なのに、大地は知らぬ顔で持ち上げた夕空に、星を湛えている。皮肉な星空。焦げ臭い町---。

「おーい。」山道の向こうから激しい息遣いと共に、声がした。

「みんなぁ。元気かぁ?」父の声。見れば、母を背負いふらふらと山道を下りて来る。

---「うわぁん、父ちゃん、母ちゃん!」

誰よりもその姿を待っていた忠篤が泣きながら駆け出す。僕もその場で泣いてしまった。

「ううっ。」押し殺すような伯父の呻き声。人に見られまいと向こうを向いて泣いている様子。

父と母の無事を、伯父が涙で迎え入れていた。また少し温かい心の感覚。

巨大な絶望の中のほんの小さな光。

昭和2年3月7日。僕は13歳だった。


時間の経過と共にその日の被害の甚大さが徐々に伝播し始めた。

近所の機械工具職人が持つラジオが僕たちの唯一の情報源だった。新聞が来なくなって久しい。


 昭和2年3月7日 午後6時27分。

京都府丹後半島北部を震源とする大地震。後に通称、北丹後地震と呼ばれるこの震災は、

マグニチュード7.3。最大震度6という悪魔の如き規模で、京都府北部を中心に京都・兵庫の中北部・日本海側の市部を襲い、殊に京丹後市を全滅せしめた。

死者2,900人超。負傷者7,800人超。この被害は、昭和に元号改まり辛苦の経済状況に、それでも雄々しく立ち向かわんとした日本人の心に深く暗い影を落とした。

それは即ち、その丹後の悪夢から遡ること4年半前に日本の首都を直撃した関東震災の傷癒えぬ間の出来事であり、必死に立ち上がらんとする弱き人々を再び打ちつける惨事であった。

東京の焼け野原で力尽きていた人の亡骸に祈りを捧げていた牧師の姿。

あの時僕は母と手を繋いでその光景をみていた。その記憶が蘇る。

僕たちの東京の住居と工場は奇跡的に無事だった。父は数カ月も休みなく瓦礫を片付け傷ついた人を介抱した。悪魔の所業の如き関東大震災の真ん中で、僕は、父、鈴井泰輔を誇りに思い尊敬した。そしてそのことを母、鈴井克乃に語った。母は嬉しそうに聞いていた。

---そして四年後、兵庫で遭遇したこの震災でも、父は、本家のために、そして香寺の町の復興のために昼夜を忘れて働いた。僕は何もできなかったけれど、弟の忠篤は父を手伝い、役に立った。町の人に感謝されることの喜びを弟は語った。母と僕はそれを聞きながら、苦難の中で父を手本として成長する弟を眩しく見つめていた。


 唯一の懸念は、あれ以来連絡の取れないままの本家の跡取り、祥太のことであった。

僕たち家族に罵声を浴びせた無情の人ではなく、今となれば大切な従兄、親戚である。

伯父の話では、あの地震の日、祥太は午後から播但線に乗り和田山へ出掛けたらしい。

かつての学友が和田山で木工職人をしており、それを宮津、舞鶴の港町で商うとの企てを抱いていたという。農業従事者でありながらそういう思いを持っていた息子の思いを伯父は良しとしていたと言った。

その相談、商談の足掛かり。そしてその日はその企てを共にする友らと峰山町で宿を取り散財のつもりであった。

---峰山町は今般震災最大の被災地であり、あの日から半月経った今も圧倒的に不明者の多い地域であった。拙い情報の中からも本家の伯父は覚悟はしていたようである。


 僕たちの住まいは、焼け残った木とシート、プレハブで父が急拵えしたバラック小屋だった。

本家は、まだ被害の少なかった隠居建屋を、これも父と八郎さんが突貫で補修した仮住居だった。

只一人の跡取り、祥太の無事を半ば諦めた伯父は日を追うにつれて弱り、伯母はただ泣き暮らしであった。

ある夜、父が僕たちに尋ねた。

「祥太さんが、いつも身につけとったもん、覚えてないか?」

父が彼を探しに行く気だと知った。僕は少し驚いたが、父らしいと納得した。父はそういう人だ。

僕は一所懸命、祥太の姿を思い出した。皮肉にも、尊大で横柄な、僕らを馬鹿にした姿ばかり浮かんだ。

次の朝、僕は父に、一つ記憶にあった祥太の持ち物を伝えた。

「それだっ!偉いぞ、直樹!」

父は僕の手を引き、仮住居の本家へ向かった。

「兄さん、兄さん、お邪魔しますよ!」興奮気味に父は本家の戸を開けた。

ここへ来て初めてそんな風に父は、自分の兄に呼びかけた。

それまでは、呼びかけたことすらなかった。

皆苦しい。苦しい中で東京で失敗し、ここに救いを求めるしかなかった自分。皆苦しい。日本中が苦しい。

息さえ潜めてその納屋で暮らした。父の思い。兄に何を話すことができたか?話す資格などない。父の背中はいつも震えていた。

とてもとても不幸な震災に遭い、物言わぬ兄と、弟の距離は少しだけ近づいた。

被災の中心地から戻らぬ兄の息子。本家の跡取り息子。それは不幸な偶然。口にはせねど、だれもが思っている諦めの念。祥太はもう生きていない。伯父も思っている。床に伏せたままの伯父が望むことは何か?

(せめて、ここへ連れ帰り弔ってやりたい。)親の心。口にせぬ願い。

父は、だからこそ起ち上がった。これまでがどう?ではない。

今、兄のために何ができるか?

驚いて見つめる伯父に向かって父が土下座する。

「勝手を言います。祥太さんを探しに峰山へ行かせて下さい。手掛かりは、この子が、直樹が一晩かけて

思い至りました。ワシの留守は、家内とこの子で、兄さんを手伝います。ワシは何としても、祥太さんを探して・・・見つけて・・ここへ連れて帰ります。お願いします。」

震えながら父は、覚悟を伝えていた。

呆然と聞いていた伯父が、そして傍の伯母が、ボロボロと涙をこぼした。

僕は、どうしていいかわからず、父の真似をして頭を下げていた。

 ---「泰輔・・・。」

伯父が父に呼びかけた。兄が、弟に語りかけた。

父が頭を下げたまま泣いている。

兄が続ける。

「なあ、泰輔。ワシの名前は、なんやったか?」

何故か僕も涙が止まらない。

「ワシの、あんちゃんの名前、呼んでくれんかい?」

皆泣いている。父が顔を上げる。

「弘輔あんちゃ・・」

弘輔コウスケ。伯父の名前。

布団から這い出て、伯父が、

「恩に切る。泰輔。」と言いながら、土下座をした。

汚れた畳みの上で、弱りきった伯父が、父に土下座をした。

「祥太を、連れた帰ってくれ。頼む。」

僕は見ていた。

二人の兄弟の、『心の邂逅』の時だった。


 ※ ※ ※





祥太を連れて帰る。

父は起ち上がった~

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