第69話 「魔の手」
ガス爆発のような音を聞きつけ、一同は慌てて外へ飛び出した。
パンパカーナは煙が立ち昇る建物の方を見た。それはここから三軒隣だった。
剣呑な雰囲気に包まれる。急激に上昇した心拍音が鼓膜を殴打している。
いったい、何が起きたのだろうか。まさか、もう彼奴が——
と、煙の中から咳き込みながら、小さな白ひげの老人が転がり出てきた。
「オッホ! オッホ! ああ、スマン。ちと機械がいかれちまって」
老人は凝然と見ているパンパカーナたちにいった。
「しっかりしておくれよ、じいちゃん。怪我はないかい?」
困った顔で、マキナが老人の安否を気遣う。
「大丈夫、大丈夫。おっと、迷惑をかけたな、お客人方!」
「あはは......」
パンパカーナは乾いた愛想笑いをすると、溜飲がちょっと下がったように感じた。
よかった。てっきり、彼奴が攻撃を仕掛けてきたのかと思ったが、
どうやら、それは杞憂だったようだ。
しかし、安堵に浸っている場合ではない。
こうしている間にも、刻一刻と破滅のタイムリミットは近づいてきているのだ。
戸賀勇気はどこで何をしているのだろうか。
この世界的規模のクーデターが、たった一人によって行なわれているという未曾有の人災の渦中に、彼が何もせず、バジコーレで呑気に逗留しているはずがない。
——既に殺されているのでは?
なきにしもあらず。いや、可能性は大いにあるだろう。
考えたくはないが、それも視野に含めて、今からどう彼奴と闘うのか、
また、どう活路を見出すかを思案しなければならない。
——八人の勇者と共に——
そう。我々は本来ならば敵対する者どうしだが、緊急を要する事態故、
一時的な同盟関係を結ぶことは至極当然の成り行きであり、不承不承などと戯言をのたまう遑などないのだ。
さしあたっては、勇者達に現状を把握してもらい、被害を最小限に抑えることが能事ではなかろうか。
民の安全が第一だ。——私なら、そうする。
パンパカーナはマキナに自身の草案を伝えようと口をひらきかけたが、
眼前に現れた黒い影にあっけにとられたため、吐き出しかけた言葉を飲み込んだ。
「おい、マキナ! お前んとこは無事か」
黒いボロのマント。パールホワイトの瞳に無精髭、白髪でアシンメトリーの髪型の男——エレボス。
あのとき以来だ。『バンダ』で圧倒的な力の差を思い知らされ、『シーボ』へ強制的に転移させられた、あの......。
傍らには、青いコートに身を包んだレベッカが神妙なる面持ちで立っていた。
エレボスは必死の形相でマキナにそういった。マキナは答える。
「エレボスにレベッカじゃないか! ああ、こっちはまだなんとも......」
「手を貸してくれ。あれは魔王の比じゃねえ。既に牡丹とカイザリウス、ヴォイスが殺られた」
「——ッ」
マキナは絶句した。ややあって、力なく地面にへたり込むと「ああ、そんな」と嘆息するように呟いた。
死んだ? あの嘘みたいに強い彼女たちが、死んだ——
エレボスは膝まずき、やおら彼女の肩を抱くと、
「大丈夫だ。これからレベッカを連れて蘇生しに向かう。今ならまだレベッカの魔法が効く。だから、大丈夫だ」
「......」
その言葉を反芻するように、何度も頷くマキナ。
エレボスは彼女の手を取り、こちらに目もくれずに去ろうとする。
「ま、待って!」
パンパカーナはとっさに呼び止める。
彼は私が言わんとしていたことを全て知っていた。
だが、このまま趨勢を座視しているわけにはいかないのだ。
「すまねえ。いま、お前らに構ってやれる暇がねえんだわ」
エレボスは知悉したような目でパンパカーナを見る。
その憂い顔には、焦慮と自己に対する呵責の念が混在している風に思えた。
引き下がるわけにはいかない。真実を確かめるまでは——退けない。
「私たちも協力させて欲しい」
パンパカーナは毅然としていった。
「なんだと」
「私たちだって、戦える。倒すなんていわない
——けれど、隙を作ることはできるかもしれない。お願いだ、同行させてくれ」
「あの牡丹やカイザリウスが殺られたんだぞ。かつて、パーティの戦力の要だったあいつらが」
「それを承知のうえで頼む」
「やめろ。わざわざ殺されに行くようなものだ。俺たちが束になって勝てるかどうかさえわからない相手なんだ」
「それでも、頼む」
「おい、お前ら仲間だろ? 誰かこいつを止めてやってくれ」
エレボスがエニシとアーミラに水を向ける。
二人は互いに顔を見合わせると、エニシは脂下がった顔でパンパカーナのそばへ寄り、
「ワシはパンパカーナに賭けるぜ。こいつ、こう見えて結構強いんだ。それに、運がいい」
彼は「のお、お前さん」と屈託のない笑顔でパンパカーナにいった。
「エニシ......」
「......私も行く。アレは世界ほ滅ぼす。だから、倒す」
今度はアーミラがパンパカーナの左側へ並んだ。
三人は諦観した瞳でエレボスを見ている。
絶対に諦めないと、目で訴えている。
「......ッ」
エレボスは面喰らった。
そして塾考するように顔を下にやると、少しして、息を吐き出しながら上を向いた。
「いいか、くれぐれも俺たちの足だけは引っ張るなよ」
不承不承にエレボスはいうと、黒いマントを空へ放り投げた。
マントは六メートルくらいに拡張され、それはあたかも小さな夜が落ちてくるようであった。
「恩にきるよ、エレボス」
パンパカーナがいう。
「着なくていいよ、面倒くさい。いいから早く、こっちに来いよ」
エレボスが手をヒラヒラと振って催促する。
パンパカーナは彼の方へ駆け寄る。遅れて、エニシとアーミラも走りだす。
闇に足を踏み入れる寸前、パンパカーナは違和感を覚えた。
レベッカがいない。
先ほどまでエレボスの傍に佇んでいたはずだ。
なのに、そこには彼とマキナの二人だけしかいない。
彼らは気づいていないのか? レベッカが忽然と姿を消したことに!
「おい、レベッカはどこへ行ったんだ」
パンパカーナがいうと、エレボスの顔は一瞬にして青ざめた。
あたりを見回し、レベッカの姿を探す。
そして、夜がパンパカーナたちを包む三秒前、ようやく彼女を見つけた。
目を大きく見開いている、苦悶に満ちた表情のレベッカの首を——
「レベッカ!!」
エレボスの叫びに呼応するように、混声三部合唱の哄笑が鳴り響いた。




