第67話 「終わりの始まり」
下界ではミニチュアのジオラマ博覧会が催されている。
林の間隙を縫うように舗装された土道の上を、馬車やバックパックを背負った人などがポツポツと点在している。
手をひさし代わりにしてこちらを見上げ、手を振る人もいた。
それはすぐに置き去りにされた。また緑がはじまる。
落ち着かない。
嵐を閉じ込めた冷蔵庫のような状況なのに、ちっとも不安の熱は冷めなかった。
戸賀勇気が気がかりで仕方がないのだ。
エニシの情報と、あの翼の生えた物体の背姿。
それに、ちらりとあの人の面影を感じた。
考えたくないけれど、考えてしまう。あれは、戸賀勇気ではないのだろうかと。
いけない、深みに嵌りそうだ——是正せねば、改めなければ。
それに、エニシは女性だといっていたじゃあないか。
少し疲れているんだろう。
けれど、いまの私に休息はいらない。パンパカーナは深く息を吸い込んで、顔を上げた。
遥か前方にドーム状の魔術結界が見えた。
細長の背の高い黒い塔が乱立した『魔法都市マギアラ』のぐるりに、
薄い黄色がかった、六角形のパネルが隙間なく貼り付けられている。
その一部が食い破られたようになっているのを見つけるのに、さほど時間を要さなかった。
黒煙が逃げるようにモクモクと吹いている。
今にも人々の悲鳴が聞こえてきそうだった。
「急いでくれ! きっと、あいつだ」
パンパカーナの声は風にほとんどかき消されてしまったが、運転手は肩越しに彼女を見やると、黙って頷いた。
速度が上がる。
パンパカーナたちは、黒煙の中へ飛び込んだ。
黒煙が晴れると、地に屈している、腰まで長い髪をした男がいた。
男は魔法都市マギアラの支配者『カイザリウス・メリリティウス』。八人の勇者の一人だ。
彼の揺れる視界には、天使と悪魔のハーフが立っている。
両手に銀と黒の剣を持っている。
「何者なんだ、キミは」
額から流れる血で左目を塞がれているカイザリウスは彼女に問う。
この国で一番高い塔の最上階にある部屋で、カイザリウスは書類を整理していた。
しかし、お茶を持ってきた腹心がドアを開いた時、彼らは襲われた。
まずは腹心が殺された。剣でひと突き——壊れたシャワーのように血が噴き出した。一瞬だった。
次の標的のカイザリウスは炎の魔法を詠唱したが、発射口である手のひらを剣で突き刺されたため、その場で爆発したのだ。
だから現在、彼の右腕は使い物にならない。
「ナ......ジュッユジュ......ナニモ......ロロ......ナニモノ......」
彼女はチューニングを合わせているラジオのような、ノイズ混じりの声で喋る。
徐々に調子を合わせていくと、男声と女声が混じった、混声三部合唱のようになった。
「ワオシは、ラミシエルラ・ラルエシミラ。イタダキマス、この、世界をなあ!」
ソプラノ、アルト、バス。
それらが奏でる不協和音。
カイザリウスは不快な気分になり、舌打ちをした。
「私が訊ねたのは、キミの名前や酔狂な目的なんかじゃあない。そんなことはどうだっていい——答えなさい、どこの差し金だ」
「オワシは、壊しまする者。年齢不詳、無所属。いいデスか?」
彼女は首をかしげていう。カイザリウスはため息をひとつ吐くと、顔をしかめていった。
「もうよい。死ね」
左掌を前に出す。氷の魔法を詠唱し、巨大な氷塊が彼女の頭上に出現し——降った。
アフリカゾウが二千頭くらい同時に落ちてきたときのような地響きが鳴り、耐えきれなくなった床は崩れた。
巨大な穴が空いている。そこから氷山の一角が飛び出している。
「アデュー」
そういうカイザリウスは踵を返し、軽く手を振った。
たわいのない。私に勝てるとでも思ったのだろうか? 雑魚め。と彼は思った。
目を開けると、目の前に彼女がいた。喜悦の笑顔だった。
「アデュ!」
混声三部合唱が聞こえた。
カイザリウスの視界は次々に切り替わる。まるでVHS-Cで撮った、シーン同士を繋ぐときのように、ぽっかりと空いた天井になったあと、女性の足元からゆっくりと顔へ——
目線を合わせてこんにちは。
満足そうに微笑する彼女は、カイザリウスの首を放り捨てると、天井の穴から飛び立った。
「おい、あれ!」
黒煙を抜けると、開口一番にエニシが指をさしていった。
見やると、塔の頂上付近に目的がいた。
ここからでは遠すぎてはっきりと見えないが、特徴的なシルエットでなんとなくわかった。
「魔女!」
パンパカーナが叫んだ。運転手は何もいわず、それに接近しようと全速力で向かう。
しかし、目的は北へ向かって、我々の倍位以上のスピードで飛び去った。
ややあって、塔が崩れた。ドミノ倒しのように、ほかの塔を巻き込みながら——
一歩遅かった。
パンパカーナの拳は膝を打つ。悔しげに表情をゆがませている。
彼奴の目的はなんだ? 彼奴はなにをした? 城を破壊し、今度は最も高い塔を破壊した。
共通することは、それが権力者の象徴だということ。
(明日は巳の刻あたりにウチの城に来いや)
十二単牡丹はそういった。ならば、あのとき、彼女は城にいたのではないか。
もしいたのならば、なぜ彼奴を放っておいたのだ。
彼女ほどの実力があれば、御することは造作もないように思えるが、しかし——
できなかった。
身が震えた。おそらく、彼奴はとんでもなく恐ろしいことを考えている。
「おい、パンパカーナ! おい!」
エニシが呼びかける。パンパカーナはハッとし、顔を上げる。
「なに?」
「ど、どうしたんじゃ、唇が紫だぞ」
エニシが心配そうにいう。
指を唇に当ててみるが、確認しようがないのでわからなかった。
「そうだ、早く追いかけないと......。魔女、頼む」
「......たぶん、ダメ。同じことの繰り返し」
「ああ、じゃろうな」
エニシが運転手に同意した。
「先回りせんといかん」
「彼奴がどこへ行くのか予測できるのか?」
「だいたいはな。ここから北は『炎都・フィアーマ』。そして、そこから最も近い国は『鋼の国・アシエ』」
「わかった。はやく行こう。危機を知らせるんだ、そうすれば——」
結果は、変わるかもしれない。
彼奴と意思疎通を図ることができるかもしれない。
ここで立ち止まっていても、何も変わらない。行動しなければ——
「たしかに、奴さんのスピードは伊達じゃねえ。グズグズしちゃおれん」
エニシがそういうと、パンパカーナと運転手は一様に頷いた。




