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スコップ1つで異世界征服  作者: 葦元狐雪
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第60話 「同衾」

 パンパカーナは男を訝しく睨みつけながら、おもむろに立ち上がった。

煙が空を泳ぐ龍もかくやという滑らかな動きで漂っている。刻みたばこの焼けた匂いが鼻につく。パンパカーナはたまらず顔をしかめた。


「何、でしょうか」


 自身の持ち得る、最も低い声音をイメージしていった。


「いやなあ。嬢ちゃんがあまりにもべっぴんさんじゃけえ、思わず声かけてしもうたわ」


 男は肩に手を置いたまま気後れなく、また、勝気な表情でいった。


「......」


 パンパカーナはそれを無視して一瞥をくれてやると、男に背を向けて歩き去ろうとする。しかし、男はもう一方の肩を掴んで引き止めた。


「ちょお待ちんさいや。あんた、この辺りの人間じゃないじゃろ? あんま一人でうろちょろしよると危ないで。ほいじゃけえさあ、ちょっとだけ! な? ちょっとだけ、ワシと茶でも飲まんか?」


「放せ! この女衒め」


 拒絶の意思を見せるパンパカーナ。そういうと、身をよじって、男の手を引き剝がしにかかる。通行人がチラチラと見ている。


「よせよせ。滅多なこというんじゃねえよ。ワシのどこが女衒に見えるんじゃ」


 浮浪者と遊び人を足して二で割ったような男が、憤りと困惑を五対五で割った風にいった。恥ずかしそうに後ろ頭をかきながら、道行く人たちに会釈をしている。


「ああ、もう......。ちょっと耳借りるわ」


 パンパカーナの耳元へ男が顔を寄せた。息がかかりそうなほど近い。


「いや!」


「ええから聞け。さっきからずっとあんたを見とる奴がおる。あの呉服屋の前じゃ。気取られんように目線だけ向けてみい」


 半信半疑の気持ちでちらと見やると、サングラスをかけている武士のような格好をした男が腕を組み、不自然に佇んでいた。

 全身から脂汗がどっと吹きでた気がした。


「あんま見んな。視線を戻せ」


 男にいわれた通り、ゆっくりと視線を戻す。続けて男は、


「今からあんたはワシに嫌々連れて行かれるけれど、まんざらでもない雰囲気で頬を赤らめながら、猫みたいに甘えた声で「え〜。ちょっとぉ、困りますぅ」とかいうケツの軽い女のフリをせえ」


「どうしてそんなに注文が細かいんだ!」


「ええから。ほんで、あの路地に入ったところでワシがあんたの背中を叩く。それを合図に走れ」


「なぜ」


「理由は後から話す。難しいかもしれんが、ワシを信じてくれ」


 信じてくれ。パンパカーナは無意識的にその言葉を反芻した。それに伴い、再び溜飲が起こった。飲み下そうと唾液を飲み込むが、やはり下がってはくれないようだ。

 仲間のことは信じないくせに、見知らぬ男のことは信用するのか。意識下にある自分になじられた。じゃあ、どうしたらいい。そう問いかけたけれど、返事はなかった。

 パンパカーナはもう一度視線を動かす。


あからさまに怪しいあのサングラスの男が気がかりだった。何故こちらを見ているのか。それとも、彼らはグルで、私を陥れようと画策しているのだろうか。

何のために? 

金品。あるいは身体か。そのどちらもか。現在、自身が危機的状況にあることは明白だった。


 何がなんでも生き残る——。

三つめの約束が頭の中で反響していた。

恐怖は何度もある。だが、死は一度だけだ。戸賀勇気に会い、詫びをするまで死ぬものか。

 パンパカーナは意を決した。


「あ、あのぉ。こ、困りますぅ」


 パンパカーナはプライドと羞恥心をかなぐり捨て、精一杯に演技をした。婀娜っぽい声を出し、身体をくねらせている。


「いいじゃんいいじゃん。なあ、あっち行こうや。ええ店があるんよ」


 男は感触をたしかめるようにいった。パンパカーナの背中をグイと押し、路地裏へ誘導する。

嫌がる素振りを見せてはいるが、案外まんざらでもなさそうだ。言葉通り、彼女はそれを体現していた。

いいぞ。男は呟いた。


「この先にあるけえ。心配せんでもええよ、ワシがちゃんと奢っちゃるけんの」


 男は磊落に笑っていう。パンパカーナの全身を路地の中へ押し込む。

もう一度サングラスの男の方を見やった。動いている。こちらに向かってきている。

少しして、背中を軽く叩かれた。

合図だ。

パンパカーナは踵で踏み出し、駆けた。



 $$$



 十二単牡丹は下見板張りの上で立ちつくしている戸賀勇希に手招きをしていう。


「なにをぼけっと突っ立っとんねん。はよこっちにきいや」


 戸賀は虚ろな眼で牡丹を見据えたまま、天蓋付きのキングサイズのベッドに向かっておもむろに歩みを進めた。

 靴は脱いでいたので、のしのしという足音がした。他に聞こえるのは鳥らしき鳴き声だけだった。

 紫陽花が正座をして戸賀の動きを目で追っていた。目の前をゆっくり通り過ぎていく。

やがて、ベッドの正面に立つと、歩みを止めた。


「おいで」


 牡丹は睦言のような声で誘う。戸賀はベッドへあがりこみ、彼女の隣へ腰掛けた。


「......」


 片膝を立て、右上腕部を膝小僧へ乗せている戸賀は黙っている。無意思に支配された痴呆の態度であった。

 と、牡丹はこちらを強張った表情で見ている紫陽花に目を向けると、席を外すようにという意味の目配せをした。

紫陽花はすぐに立ち上がると、一礼し、去っていった。


「さて。邪魔者はおらへんし、これで落ち着いて話せるなあ。ん?」


 牡丹は科をつくったように笑っていった。


「......」


 戸賀は黙ったまま、如意輪観音像のように動かない。


「そない緊張せんでもええがな。別にとって食おうなんて、思うてないで」


「......」


「ウチな。実はひとつ、お兄ちゃんに謝らなあかんことがあんねん」


「......」


「あのな——」


 戸賀は肩を抱かれて押し倒される。抵抗はしなかった。ベッドがギシギシと軋む音を立てた。

艶かしい脚で戸賀の胴を挟み込み、硬く引き締まった胸板を人差し指でなぞりながら、左手で頬をそっと優しく撫でた。牡丹は


「最初からな、相談なんてするつもりなかったんや」


 というと口許に笑みを浮かべた。首元のボタンに指をかける。ひとつひとつ、懇ろに取り外していく。


「全部、嘘やねん。全部。全部。全部」


「......」


「それに、お兄ちゃんのことも知っとってん。レベッカを倒す一歩手前までいったんやってなあ。まあ、実質倒したようなもんやろ」


 ボタンを全て外し終えると、はだけた胸板に頬ずりした。陶然たる面持ちで、透き通るようにきめ細やかな肌質を賞翫しょうがんしている。

 牡丹は必死に堪えていた。今すぐに彼を短冊に変えてしまいたい。そして引き裂いてしまいたいという、心の裡からとめどなく湧き、溢れだす三大欲求に匹敵するほどの欲を押さえ込んでいる。

この身が裂けてしまいそうだった。もう、我慢なんてできない。とうとう胸板に爪を立ててしまった。肉壁を穿ち、鮮血が滴る。爪は紅と血の色でさらに真っ赤になった。


「ふふ。可愛い心臓の音が聞こえるなあ。ドクドク。ドクドク。命を絶やすまいと、一所懸命に動いとる——」


 ふと、牡丹は違和感を感じた。心臓の音が重なって聞こえる。輪唱のように鼓動が鼓動を追いかけてくる。まるで、もう一つの命が戸賀勇希の中で息をしているようだ。

イメージが脳内に流れ込んでくる。膝を抱えて俯く女性の姿。それは裸体だった。銀髪だった。

女性は顔を少し上げた。猛禽類のように鋭い目がこっちを見ている。これは、ラルエシミラ——!


 ラルエシミラがイメージから飛び出す。はっとし、胸板から顔を離そうとした牡丹は、すでに蔓のように伸びた無数の繊維にとらわれ、天井へ磔にされた。

衝撃に目を眇めると、スコップをベッドに突き刺しているのが見えた。

いつの間に——。

戸賀は浮かぶように起き上がると、首の骨を鳴らして調子の確認をした。そして牡丹を仰ぎ見ると、凛とした女性の声でいった。


「お久しぶりですね。牡丹さん」


 

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