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スコップ1つで異世界征服  作者: 葦元狐雪
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第59話 「欲」

 パンパカーナは肩をすくめて、街中の喧騒を赤いフードで隔離し、歪んだテレビの箱みたいに狭まった視界で、乾ききった丁子色の地面を見つめながら歩いていた。

興奮で火照った体と心は徐々に冷ややかになり、やがて冷静の支配に取って代わる。凄然たる彼のもたらした恩寵は手にあまるほどの反省悔悟の情であった。


それが口へと差し出されている。人の顔の形をしていた。よく知った人だった。忌憚なく食べ、咀嚼し、溢れ出す苦汁に喉は痛めつけられた。


 どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。取り返しのつかないことをしてしまったかもしれない。戸賀勇希の自尊心をズタズタに切り裂いてしまったかもしれない。

もう、二度度と会えないかもしれない。喉元に停滞する溜飲は、しばらく経っても下がる気配はなかった。


 右肩に衝撃があった。後ろから舌打ちが聞こえた。どうやら誰かにぶつかってしまったようだ。いけない。気をつけて歩いて行かないと。


どこへ——。


 いったい、私はどこを目指せばいいのだろう。道がプツリと途切れてしまったようだ。暗澹としている。戸賀勇希といた時はあんなに輝いて見えた道が、今は闇に溶けてなくなっていた。彼は私を救ってくれたのに。身を案じたつもりが、結局、彼を突き放す形になってしまった。


失って初めて気づく。


パンパカーナは身を寄せて震えた。母が死んだ時と似たような感覚だ。勝手に笑みがこぼれた。おそらく私はこれから先、何度も同じことを繰り返すのだろう。


「あ。お金、どうしよう」


 パンパカーナは立ち止まり、頭を抱えてしゃがみ込んだ。金銭の管理はパンパカーナが請け負っていた。戸賀勇希に任されていたのだ。


彼には小遣い程度の金額しか預けていない。宿を三回も利用すれば、手元に残るのはほんの雀の涙だろう。持っていかないと——。

立ち上がり、半歩踏み出す。すぐ立ち止まると、またしゃがみ込んだ。


「無理だ......。会わせる顔がない」


 かすれた声でいった。通行人が訝しげに視線を飛ばしている。パンパカーナは気にしてなどいなかった。否。気にしている場合ではなかった。


 肩をトントンと叩かれた。大きくて固い手だった。誰だろう。おもむろに手の持ち主の方を見やると、そこには長い黒髪を乱雑に纏めて、幾本のキセルをかんざし代わりにした、キセルを口に咥え、着物の胸元が大きくはだけている男がパンパカーナを見下ろしていた。


「嬢ちゃん。一人かい」


 そういうと、男は不敵に笑った。



 $$$



  ——バジコーレ・芍薬城しゃくやくじょう・天守閣にて——


「申し上げます」


 十二単牡丹の親衛を務める紫陽花あじさいが両膝をつき、頭を差し出していう。三本の髷が特徴的だ。


「戸賀勇希とパンパカーナ・パスティヤージュ・パンナコッタが割れました」


 天蓋付きの豪奢なベッドの上で爪を整えている牡丹は目だけを紫陽花にやると、


「そう。割れてしもうたんか」


 といった。


「存外。早かったなあ」


「磯菊から瓦版を購入してすぐのこと。戸賀勇希とパンパカーナは口論になり、互いに反撥するように、それぞれ別の道を行きました。戸賀勇希はこちらへ。パンパカーナは門の方向に」


「ふふ。ホンマかわええなあ、あの子らは」


 と口許を袖で隠しながらいった。


「バレてへんと思うとるんやろな。とっくにエレボスから情報は伝わっとるっちゅうねん。そうとも知らず、あのパンパカーナとかいう子はウチに嘘まで吐きよった」

 

 薬指から中指へ。ヤスリで爪を磨く。


「戸賀勇希は上手いこと誤魔化しとったほうや。でも臭った。ルサンチマンの臭いが漂ってきた」


 中指から人差し指へ。細く長い足を組み替える。


「顔にも声音にも滲み出とったなあ。ああ、ホンマにかわええ。愛おしくてたまらんわ。全然興味なんてあらへんかったのに、めちゃめちゃええ男になって帰ってきよった。それもわざわざ、ウチに殺されに来よるなんて」


 親指の爪にヤスリをかけはじめる。顔をほころばせている。


「哀れ。この一言に尽きるわ。ウチは既に戸賀勇希の首を膝下に置いて、形のいい頭をよしよしと撫でているようなもんやで。しかし、すぐに殺してしまうんは勿体無い。限界の限界までいたぶり尽くして、恥辱と怨嗟で穢れた顔を包み込んでやりながら口付けをしたいんや。ひとひらの短冊となった戸賀勇気はさぞ美しいやろなあ。ああ、はよ来てくれんかなあ」


 そういうと、爪を磨き終わった牡丹はステンレス製の爪ヤスリを指でなぞる。すると、鉛色の短冊に変わった。短冊を胸元にしまうと、子供のように足をバタバタと上下させた。


「失礼します」


 

 かみしもを着た長身の男が立っていた。肩幅は広く、いかにも武士といった風格だ。彼は牡丹の方へ寄ると、紫陽花の隣で両膝をついた。


「どないしたん。蝦夷紫えぞむらさき


 今度は爪に紅を塗りながら牡丹は訊ねた。


「戸賀勇気が来られました」


 蝦夷紫は他に比類しないほど低い声でいった。


「かまへんよ。はよ通しや」


「御意」


 額を木でできた床に擦り付けるように頭を下げると、機敏な動作で立ち上がり、一礼した。


「では、これにて失礼します」


 背を向けて歩き始める。と、それを牡丹が呼び止めた。


「待ちや」


 蝦夷紫は振り返った。「なんでしょうか」と言おうとしたが、柔らかな唇が言葉を飲み込んでしまった。

凝然としている彼に対し、牡丹は微笑してみせた。


「ほれ。はよ行きや」


「......御意」


 言って蝦夷紫が去っていく。その巨大な背中を睨みつけている紫陽花は、顔を真っ赤にしながら、鼻を大きく膨らませていた。



 $$$



 胸が詰まる。呼吸し辛い。脳内にある会議室では、一つの議題について延々と議論をしている最中だった。それは白熱していた。


「いい加減決めてしまおうではないか」


 鼻の下に海苔のようなヒゲを蓄えた、白髪と黒髪の入り混じった初老の男性がいう。

数字のゼロのような机を取り囲んで話している。皆、黒いミーティングチェアーに腰を深く沈めていた。

観葉植物が部屋の隅に一つ。ホワイトボードが二つあった。部屋の灯りは夕日の光で十分だった。


「君が折れてくれさえすれば、この論議もまぁるく治まるのだがね」


 と小太りで糸目の男がいった。ブラインドの間から射す陽光に目をさらに細めたので、どうも目を閉じているようにしか見えない。


「なんだと。それはこちらの台詞だ。貴様が下りろ」


 初老の男は指をさしていった。小太りの男はフっと人を小馬鹿にするように息を吐いた。


「まあまあ。ここはね、喧嘩せずにね、柔らかくいきましょうね」


 瓶底メガネをした気の弱そうな男が額に汗をかきながらいう。ハンカチは多量の汗で湿っており、肌に当てるたびにビチャビチャと音をたてた。

 その様子を髪型がオールバックでパリッとしたスーツに身を包んだ若い男が横目で眺めている。時々、愉快そうにほくそ笑んでいた。


「ええい。貴様には聞いておらん。いいから早くパンパカーナ・パスティヤージュ・パンナコッタについての処遇を決めろ」


 初老が机を叩いていった。すると、机の一部が升の形に開き、乳房のような卓上ベルがせり上がってきた。

そこには『ラルエシミラにご用のある方はこちら』と書いてあるシールが貼ってあった。

初老は迷うことなくそれを押した。「チーン」という気の抜けた音がした。時間差で会議室の扉が勢い良く開け放たれた。


「......」


 赤いふちのメガネをして、婦人用スーツに身を包んだラルエシミラが現れた。

そこにいる人間を値踏みするように、一人一人をじっくりと見ている。

それを終えると、颯爽と若い男性に歩み寄り、シミひとつない額に指を食い込ませると、そのまま皮膚を剥ぎ取った。


「ひっ」


 怯えるように身を縮める男の白い顔には『驕り』と墨で書かれてあった。

やめてください! と対角線上に座っている赤茶髪の女性が立ち上がっていった。

睨むように女性を見据えながら近づくと、ラルエシミラは女性の髪をつかんで引っ張った。ゆで卵の殻が剥けるように露わになるのっぺらぼうの顔。

そこには『疑心』とあった。


「わあ」「逃げろ「お助け」


 狭い会議室を逃げ回る初老。小太り。瓶底眼鏡。

ラルエシミラは俊敏な動きで次々と捕まえると、顔の皮を剥がしにかかった。


『虚栄』『瞋恚』『忌避』


 それぞれが身を寄せ合って震えている。眼鏡を指でちょっと持ち上げると、ホワイトボードに視線をやった。

その影から覗き見るようにして、手入れのされていない伸び放題の黒髪をした戸賀勇気が、眉をひそめながらラルエシミラの様子を伺っていた。


「いひっ......いひっ......いい......いひいっ......」


 歯をカチカチと鳴らしている。にんまりと笑みを浮かべている。

ラルエシミラが動く。すると、彼は懇願するような表情になり、何度もかぶりを振って支離滅裂なことを口走っている。


「&%#$¥?←¢☆℃£%!」


 ラルエシミラは息を吸い込むと、戸賀勇希との距離を一気に詰めた。

彼は慌ててホワイトボードの後ろに隠れた。ぶつぶつと聞こえるうめき声。

ホワイトボードの下でクリーム色のカーゴパンツが踊っている。


 ボードの上縁を掴み、手前に倒す。しかし、そこには戸賀勇希の姿はなかった。ドアの方へ目を向ける。

案の定、そこから走り逃げようとしている戸賀勇希が見えた。

ラルエシミラは追跡を再開した。ヒールがタイルカーペットに突き刺さるが如く勢いで早歩きした。


「イヒヒヒヒイイイ」


 廊下の奥から声がした。右の角を前傾姿勢で曲がろうとしている戸賀勇希。

ラルエシミラは胸元からスコップを取り出すと、タイルカーペットに突き立てた。

すると、早回しのように時間が過ぎ去り、スーツを着た人々が行ったり来たりしているなか、書類を抱えた戸賀勇希が白髪の老人に腰を低くしながら愛想笑いをしていたのを見つけると、とっさに彼の腕を掴んだ。書類が床に散逸する。しかし白髪の老人とその横にいる蜂蜜色の髪をした女性は、気に留めることなく歩いていく。


「待って、待ってください! 置いていかないでください! 待って! お願いですから! 一人にしないでください!」


 書類をかき集めながら、社員証をぶら下げた戸賀勇気は哀訴するような声音でいった。

書類を見ると『前年度比百億万パーセント減! 万歳三唱パンティストッキング!』やら『歯が乾く! みなさんのボーナスは目くじら?』など、訳のわからないことが一面に書かれていた。


 ラルエシミラはため息をひとつ吐くと、戸賀勇希の耳たぶを掴んだ。

チーズを裂くように持ち上げると、甘皮が剥がれるみたく、簡単に皮膚が剥がれた。

頬を手で挟み込むと、顔をラルエシミラの方へ向けた。


『情愛』


顔にそう書いてあった。口を失った戸賀勇希は細かく何度も頭を下げている。

見ていられなかった。憐憫の情を抱くラルエシミラはスコップで顔の中心、情と愛の間に切っ先を突き刺すと、一息に引き抜いた。

 



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