第58話 「亀裂」
俺は疑問に思う点があったので、質問をした。
「毒によって死んでしまうのなら、昏睡状態になるのはおかしくないか」
「まあ、ウチが知ってるのは当時のことだけや。彼奴の能力が進歩し、派生した結果、人を昏睡状態に至らしめるという力を得たのかもしれん」
それもあくまで憶測や。と牡丹は付け加えた。
「そうか。一応、頭に入れておく」
と俺は牡丹だけでなく、ラルエシミラにも伝わるように、意識の底に向けていった。ラルエシミラは書庫で手帳を開くと、羽ペンと万年筆が一つになったようなペンを取り出し、軽やかに筆を走らせた。
「うん。お兄ちゃんのことはなんとなく分かったわ。お次は——」
牡丹は俺から視線を外すと、彼女の左隣を歩いているパンパカーナへ顔を向けた。
不意に水を向けられたパンパカーナは緊張の表情を見せた。生唾を飲んだのか、ゴクリと飲む音がした。
「その肩に引っ掛けている木製の......」
「杖です。私、魔法使いなので」
欺瞞だ。パンパカーナは嘘をついた。それが魂の神器だと知られた場合、準じて彼女も勇者落ちであるとわかるため、自身に嫌疑がかけられることを予期したのだろう。
問題は、手練れの牡丹に対して完璧に瞞着できるかどうかだ。今は明敏な仲間の裁量に任せるしかない。
俺は右手を腰元に添えた。少しでも牡丹が奇妙な動きを見せようものなら、この場で斬り捨てる。
「魔法使い! ふーん。そっかそっかあ」
牡丹はいいながら、何度か頷いた。
「な、何か......」
そういうパンパカーナは内情を表に出さぬよう努めているようだ。
牡丹は悪戯っぽく、口許に笑みを浮かべて答えた。
「なんもあらへんよ。納得しただけやし。ただ、ちょっと形がおもろいなと思うただけ」
「よく言われます」
「そうやろな。そんで、キミはこのお兄ちゃんのお仲間なんやろ?」
牡丹の人差し指のみが俺に向けられる。
「はい。私の母を探すため、ともに旅をしてくれています」
「あら。それはえらいなあ。お兄ちゃんのこと、ちょっとだけ見直したわ」
今度は流し目でこちらを見る牡丹。俺は「どうも」とだけいった。
「あとはそこの気持ちええ顔して寝よる姉ちゃんやけど......。まあ、どうせ慣れない旅路に疲れて眠った。ってところやろ。それに——」
そういうと、牡丹は足を止めた。合わせて俺たちも立ち止まる。
「ちょうど着いたし、今日はここに泊まるとええよ」
牡丹が指をさす。見ると、大旅籠が右手にあった。提灯に『大旅籠』と書いてあった。東海道五十三次の三十六番目の宿場である赤坂宿に酷似していた。
「旅籠か」
と俺は独り言のようにいった。
「ここは飯盛旅籠とちゃうから、女性も安心して泊まれるで。せやから、お兄ちゃんには少し残念かもしれんねえ」
含みのある言い方だった。ハナからそんな期待はしていない。俺は取り合わず、今後の予定について相談を持ち掛けた。
「どうすればいい」
「そうやねえ。夜中にこっそり遊郭にでも行けばええんやない」
「違う。明日のことだ」
「わかっとる。冗談じょうだん。明日は巳の刻あたりにウチの城に来いや」
巳の刻は夏場、冬場で変わるが、だいたい九時二十分から十時のことらしい。
敵の城に招待されるというのはいささか気が引けたが、以前は城の窓を叩き割って突入したので、それに比べたら、幾分マシに思えた。
俺とパンパカーナは了承すると、木でできた玄関扉を横にスライドさせ、上がり框を踏んだ。振り向くと、牡丹がにっこりと笑いながら小さく手を振っていた。
瞬きを一度すると、彼女の姿は消えていた。
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俺たちは少し早めに旅籠を出た。
運転手は目を覚ます気配がなかったので、手足に枷をしたまま置いてきた。城で用事を済ませた後、一旦戻り、回収する算段だ。
少し歩くと、読売が威勢良く瓦版を売り歩いていた。記事を読み上げ、それに興味を惹かれた人が買っていく。
聞こえてくる内容は、専ら巷を騒がせている例の事件についてだった。飛ぶように売れている。
釣られて俺もひとつ買った。誌面を読む。
「増える犠牲者! 魔傑の仕業か......」
ページをめくっていくと、ふと目が止まった。
そこには『シーボ国女王が失踪! 囚われの少女たち、無事戻る』とあった。
幸いにも、俺たちのことについて書かれていなかったので、ほっと胸をなでおろした。
「見せて」
とパンパカーナがいう。手が差し出されている。渡してやると、やはり同じページで動きが止まった。
ややあって、眉根を寄せて何度か頷くと、瓦版をこちらに返してきた。
「行こう。詳報が伝わる前にケリをつけないと」
と俺はいった。
「うん。昨日旅籠でも話したことだけど」
パンパカーナがいうので、俺は踏み出した足を止めたが、
「歩きながら」
と彼女に背中を押された。その勢いに乗って、俺たちは歩きだす。
いつの間にやら人が集まってきていた。人混みの間隙を縫うように脱すると、俺は口を開いた。
「十二単牡丹のことか」
「うん。なんだか、漠とした不安が心の底で燻っているような」
「そうだな。俺もそんな感じだ」
「実際問題、勝算はあるの?」
「ある......。といいたいところだが」
「はっきりとはいえない」
「ああ。高く見積もって、三割くらいだな」
「さんッ!」
パンパカーナが憮然として立ち止まり、丸くなった目でこちらを見るので、俺は彼女の背中を押した。
「歩きながら」
と今度は俺がいった。
「だって......。あまりに低すぎるじゃない」
「あくまで目算。当てにはならんよ」
「なら、私も戦う」
「ダメだ。一対一の約束だ」
「その前にっ!」
パンパカーナが俺の前に立ちはだかった。柳眉は吊りあがり、蒼眼は新品のコンタクトレンズのように濡れていた。
そして、必死に懇願するような声でいう。
「私との約束、忘れてないよね」
「ああ」
「戸賀勇希。お前は、三つ目の約束を破ろうとしている」
パンパカーナの声に鋭さが加わった。
義憤——。
それでも、俺はやらなくてはならない。ラルエシミラをこんな目に遭わせた彼奴を、殺さなければならない。
昨日彼奴と会話をしている最中、何度剣を抜きそうになったことか。
業腹だ。はらわたが煮えくり返る。向かっ腹が立って仕様がない。
ラルエシミラは何もいわないが、きっと、怨嗟の炎に身を焦がしているに相違ない。
意識の奥にある暗い裡から聞こえるのだ——殺れ。破れ。姦れ。
「勝算は低い。だが、必ず勝つ」
「根拠は、なんだ」
「根拠なんてない。けれど、絶対に勝つから。信じてくれ」
「仲間の自殺を看過するほど、私は愚かではないよ」
「なぜだ! 俺の力を信用していないのかっ」
「信じてないわけじゃないっ!」
「それなら!」
「今回の相手は、ラルエシミラを倒すような相手でしょう! 曖昧な算段では返り討ちに遭うだけだ!」
「なめるなっ!」
俺は激昂した。パンパカーナは一瞬怯んだ表情を見せたが、退こうとはしなかった。
「おかしいよ......。十二単牡丹の姿を見た途端、人が変わったようになって。旅籠でもずっと思いつめたような顔して黙り込んで、何を言っても心ここに在らずって感じで」
「当たり前だ。必死に勝ち筋を考えていたんだ。パンパカーナに構っている暇はない」
「そんな。ねえ、お願い。あなたに死んでほしくないの。事件を解決したら次の国へ行こうよ、お願いだから」
パンパカーナは哀訴するようにいった。
だが、今の俺にはその縋るような声は、神経を逆なでする要因でしかなかった。
「それで、どうなるんだ」
俺は静かにいった。
「え」
「問題を先送りにしてどうなるってんだ。ラルエシミラのために、あいつを倒さないと。ラルエシミラのためにあいつを殺さないと。ラルエシミラのために俺は」
「違う! 違うよ、戸賀勇希」
パンパカーナは強くかぶりを振っていった。
「何が違う!」
「戸賀勇希はラルエシミラの仇を討つためを免罪符にして、自分の過去を払拭しようとしているだけの愚か者だ!」
「なにを馬鹿な! それは違う!」
「負けて悔しいのはわかる。あの時より遥かに強くなった。でも、あなたは未熟だ」
「未熟だと」
「ああ、未熟さ! 己に酔っているだけだ! 強大な力にいいように使われている、あまつさえ相手との力量を図り違えて、わざわざ死の淵に身を投じようと猛進している哀れな男だ」
俺は言ったパンパカーナの胸元を掴んだ。
「てめえ、それ以上いうと」
「どうする。私を殺すのか。いいだろう。私は一度誓ったことも守れないような、情けない男に着いていくつもりはない。殺せ」
口許をふっと緩めていうパンパカーナ。それに反して、声は微かに震えていた。下げた両拳を握りしめていた。
俺は握り締めた赤い布地を離した。
「——っ! くそ、知るか! もういい。俺は一人で全部やってやる。お前は自分の弱さを呪いながら、どこへなりと消え失せろ!」
その言葉にパンパカーナは絶望した——いや、失望したような顔をして、フードを深く被ると、俯いたまま背を向けた。
「......貴様がそんな奴だとは思わなかった。揺るぎない信念と覚悟を持った、芯のある奴だと思っていたのに......」
「悪かったな。ご期待に添えず申し訳ない。けど、俺はやり通すからな」
「いい。貴様は自由だ。好きに生き。好きに願いを叶えればいい。付き合わせて悪かった。もう顔を見せ合うことはないだろう。さようなら」
そういうと、パンパカーナは来た道を引き返しはじめた。こちらを一度も振り返ることなく、俯いたままで。
「おい! パンパカーナ——くそっ、聞いちゃいねえ」
俺は吐き捨てるようにいうと、胸中に重苦しい塊があることに気がつく。胸を押さえる。痛みと痒みの中間のような歯がゆい感覚に吐き気がした。
掻き毟って、中の塊を掃いて出したかった。
胸に爪を立てながら、俺は城を目指して、パンパカーナとは反対方向へ歩く。




