第57話 「交換条件」
「この国では奇妙な事件が相次いどる」
人々が行き交う広い砂道を歩きながら、十二単牡丹は深刻そうにいった。彼女の場合、『歩く』というよりも、正しくは『滑る』と表現すべきなのだろう。まるでムービングサイドウォークが彼女の足元にあるかのように、すーっと音もなく、足を動かすことなく進んでいた。俺たちは彼女を左右から挟むような位置で歩いていた。
「事件?」
俺はEラインがはっきりとした横顔を見て訊ねた。現実世界ならば、モデルとして十分通用するだろうと俺は思った。
「せや。住民が次々と原因不明の昏睡状態になっとる。えらいこっちゃや」
牡丹は眉根を寄せてそういった。俺は剣呑な声音から、その通り魔のような事件に関して手を焼いているのだという、彼女の心理の機微に触れた。
「手がかりはないのか」
「奉行に調査をさせとる。けど、何も収穫はあらへんよ」
牡丹は手を小さく振った。着物を着た若い女性の二人組みが会釈している。
「それだけやない。アホなことにな、ミイラ取りがミイラになるっちゅうの? ウチの奉行の何人かがやられてしもうたんや」
「昏睡状態」
俺は反芻するようにいった。昏迷状態と深昏睡状態の間にある状態。意識がなくなり、目覚めないことを想像すると、あまりぞっとしない。
「うん。ウチは民のために、一刻も早くこの件を解決せなあかんと思う。それでな、物は相談なんやけど」
牡丹は正面を向いたまま、ちらと目だけをこちらに寄越した。
「ああ。俺たちの要求を飲む代わりに、その事件の主犯格を捕まえて来いというわけか」
「せやねん、せやねん。兄ちゃんは話が早くて助かるわぁ。もし生け捕りにしてくれるんなら、おまけもつけたるわ」
牡丹はそういうと、にやりと笑って、親指と人差し指で輪っかを作って見せた。
金か。なくて困ることはあっても、あって困るものではない。金はあればあるほど良いのだ。
「助かる」
まっすぐ前を見つめて、俺は殊更にいった。
「かまへんよ。けど、なんであんなことをウチに要求したん? たぶん、あんた死ぬで」
「......」
俺は数分前の甘味処での出来事を頭の中に思い浮かべた。
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「どないしたん。けったいな顔して。忌憚なんかせんでええよ。はよそこ座りや」
俺は不思議そうにこちらを見る十二単牡丹を目で捉えたまま、彼女と対面する席へゆっくりと腰を下ろした。
隣へ眠っている運転手を、テーブルに突っ伏せる形で座らせた。
パンパカーナが遅れてその隣に座る。全員が席に着いたことを見計らい、店員が伝票と筆を脇に挟んだ状態で、お盆に湯飲みを三つ載せてやってきた。
「は〜い。前、ごめんなさいね。はい、どうぞ。お熱いのでお気をつけくださいねえ」
熱いお茶の入った湯飲みが、それぞれの目の前に置かれる。毛茸が埃のようにたくさん浮いている。質の良いお茶の証拠だ。
「ご注文はお決まりでしょうか」
今度はお盆を脇に挟んで、伝票と筆を構えて訊ねてきた。
俺は店員を見ることなく、即座に「いりません」という。
店員は困惑したような声で「あの、その」と慌てふためいていたが、俺は構わず、もう一度「いりません」といった。
悠長に茶を嗜む気はない。眼前に標的が無防備かつ無警戒で呑気に団子を食っているという、千載一遇のチャンスが転がっているのだ。
探す手間が省けた。俺は気取られないよう、右手をゆっくりと腰横に差してある、黒石目塗の鞘に納まったスコップの柄に手をかけた。
「お兄ちゃん達、何も食べへんの? ほんなら、何でここに来たん?」
と牡丹がいった。かけた手を離した。
まさか、気づいていないのだろうか。いや、故意にそうした態度をとっていることも考えられる。だが、俺が戸賀勇希であると知っている様子は感じられない。
かつて彼女に抱いた震駭と慴伏の情感。そして心の奥底から湧き上がる『殺せ』と慫慂する声によって、俺は間歇的に焦慮に駆られそうになる。
「甘味を食べに来たわけとちゃう、か。ほんで、わざわざウチとの相席。と、いうことは......」
言う牡丹の目が妖しく光った。
気取られた——。
仕掛けて来る予兆。俺は再び柄を掴んだ。
「ナンパやろ」
牡丹は左肘をテーブルに置いて、掌を顎に乗せていった。
当惑した。
予想外の返しだった。俺は思わず鼻白んだ。
「熱い眼で見つめていたのはそういうわけやな」
「違う!」
俺はテーブルを拳で叩き、突発的にいった。騒がしい話声が波を打ったように止むと、多くの視線を背に感じはじめた。
喫驚し、目を丸くしていた牡丹は咳払いをひとつすると、俺に真意を訊ねた。
「ほなら、目的はなんやの」
「お前に——十二単牡丹に、一対一の決闘を申し込みたい」
言葉を選んでいったつもりだ。ここで殺すなどと言おうものなら、牡丹は大瞋恚を起こし、無関係の人々を巻き込む戦闘に発展することは不可避だ。
周囲がざわつきはじめる。
「決闘?」「どうして」「あの異国の人は何を考えているのだ」「勝てるわけがない」「大丈夫か」
パンパカーナが何か言おうと立ち上がろうとしたが、また長椅子に座ったのを視界の端に見た。
「......ふう。ちょっと、外に出て話そうや。散歩でもしながらな」
お姉ちゃん、お勘定ここに置いとくわ。といった。そして、張り付けた短冊をひらひらと揺らしながら席を立つと、
「ほな、行こか」
といった。
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俺はずり下がってきた運転手背負い直すと、決意するようにいった。
「死なないさ。あんたの思うようにはいかない」
「めっちゃ自信満々やな。仮にウチに勝ったとして、どないすんの。言いふらすとか?」
くすくすと笑っていう。牡丹は俺が勝つとは微塵にも思っていないらしい。
驕慢——。
その傲慢不遜の心が、自らを危殆にさらす要因になり得ることを、知らぬわけではなかろうに。
俺はその事件について、さらなる情報の開示を求めた。
「他に何か知らないのか。その、事件の犯人について」
「うーん。そうやなあ......」
考えるように天を仰ぎ見る牡丹。
「実力や能力が未知数の敵といきなり戦うことは、なるべく避けたい。勝率や生存率を上げるための情報が欲しい」
「......これは憶測なんやけど」
青い空を見つめたまま、牡丹は呟いた。
「それでいい。教えてくれ」
「うん。ウチはなあ。おそらく、勇者落ち共の仕業やと睨んどるんや」
「勇者落ち」
俺はまた反芻するようにいった。
勇者落ち。願いを叶えることができなかった——英雄になり損ねた——本懐を失った——憐憫な魂。
「せやから、彼奴らは魂の神器を......。ああ、ごめんな。魂の神器というのは」
魂の神器について説明をしようとする牡丹を、俺は制止した。
「大丈夫。知ってるから」
「な。なんや、知っとったんか。はよ言わんかい」
羞恥により、牡丹は一瞬だけ頬を赤く染めた。
「すまん」
と俺は謝った。
牡丹は軽く咳払いをすると、改めて話しはじめた。
「......そ、それより! ウチが言いたいのは、怪しいと思うとるそいつの能力についてや」
「その能力とは」
「蜂や」
「ハチ?」
「あのデッカい巣を作る黄色と黒の毒針を持った昆虫の蜂や。スズメバチやらアシナガバチやらミツバチやらおるやろ。それや」
「姿が蜂なのか」
牡丹は俺の見当違いの推測にかぶりを振った。
「ちゃうちゃう。毒や。そいつは強力な毒を持っとる。刺された者は数時間と経たずに死ぬんや」
「なぜ、そいつの能力を知っている」
「途中までパーティを組んでいた。けど、最初の方だけや。たしか魔人に毒が効かないことがわかったとき、自ずとパーティから抜けていった」
微量の毒気をはらんだ言葉。
役立たず。無能。劣等者。
鼻にツンとくる、刺激的な香辛料のような匂いを感じさせる言い方だった。




