第51話 「はじめてのキャッチ」
目の前を馬車や、背中に多くの荷物を背負った旅人がひっきりなしに通っている。
正確には荷を引いいているのは『馬』ではないらしいのだが、体貌はユニコーンもかくやと思われる立派な角、二本の尻尾以外は現実世界で我々が認識している『馬』となんら変わりなく、モンドモルトでは偶然にも『ウマ』と呼称されているため、正式には『バシャ』ではなく『ウマシャ』なのだが、
この際、どちらでも良いと思ったので、言い慣れた方を称呼したいけれど、業者に「いい馬車ですね」などと言おうものなら「え。馬車? ウマ車だろ」と返されるのがオチであるため、面倒だが、この世界の住民の前では『ウマ車』と呼ぶ心がけをしている。
それはさておき。旅人たちは、昨日までただの更地だったはずの場所に、突如として現れた見慣れぬ、湯気立ち昇る誠に奇怪な建物を訝しげにちらちらと横目で見ては、そそくさと立ち去っていく。
その様子を、昨晩ボールドさんから貸してもらったワインレッド色のエプロンを身につけたパンパカーナが親指の爪を噛みながら、客足のなさに苛立ちを募らせているのか、睨むように見ていたので、憚られる原因は彼女にもあるのかもしれない。
「おいおい。もうちょい愛想よくしてくれ」
さすがに看過できず、俺は小声で咎めるようにいった。
「ほら、お客さんが怖がって全然来ないから」
「お腹すいたお腹すいたお腹すいたお腹すいた......」
呪文のように反復している、獲物を狩る虎が如き目をしたパンパカーナは、結局、昨夜は例の料理をひとくちだけ食べた途端に気絶してしまったため、彼女の空腹は極致に達していた。また、そのまま大満腹食堂に一宿し、朝、目が覚めたパンパカーナが食卓にその料理が並んでいるのを見るや否や、泣きながら店を飛び出してしまったのだ。
後を追いかけてみると、なんと河川の水に手をつけようとしていたため、慌てて制止し、スコップで飲用可能な水を掘り起こしてやった。目は虚ろだった。空腹により精神が磨耗しているようだった。限界だな。そう思った俺は、次の段階に移ることにした。
「よっしゃ。ちょっとモニター探してくるからさ、待っててくれよ」
「なにそれ、美味しいの」
食べ物じゃないのよというと、パンパカーナは絶望の淵に立たされたような顔をして俯いたので、これはいかんと思い、土道へ走った。消費者モニターを捕まえなくては。俺はやってくる人々の中から協力してもらえそうな者を探す。
この世界は携帯電話に近しい物はあるが、未だ灯りに松明やランタンなどを用いているところをみると、おそらくインターネットインフラは整備されていないと考えられる。よって、SNSなどがない現在、情報の伝達は口コミが頼りだ。とりあえず、わずかでもこちらに興味がありそうな人物を見繕う。
(トガさん。あの人なんかどうでしょうか)
ラルエシミラが想像の中で指をさす。その方を見やると、なるほど隠しきれない疲労感が顔に表れている、つぎはぎだらけの栗皮茶色のローブを身にまとった、髭を生やした男性がちょうどこちらに向かって歩いて来るところだった。俺はさりげなく近くと、男性と肩を並べて歩いた。
「な、なんでしょうか」
ぎょっとした男性は、不安げに眉根を寄せていった。それはそうだ。見ず知らずの銀髪でスーツを着た男が急に隣に現れたのだ。警戒して当然である。なんだかキャッチや女衒の仕事をしているようで気が引けたが、これも生きるためなのだ。悪く思うなよ。
(あら。警戒されていますね)
ラルエシミラがいった。では、警戒心を解くところからはじめなければ。俺はこっそりと耳打ちするように男性にいった。
「お兄さん。最近、なんだか疲れてませんか」
「そ、そりゃ、まあ。そうですけど。あの、用がないのならそろそろ」
男性が身を寄せ、視線をそらしてそそくさと立ち去ろうとする。だが、逃がさない。
「今だけ......先着......限定......なんですが」
「限定?」
尖った耳をぴくりと動かし、ぴたりと歩みを止めた。上目遣いで目が上下に動いている。良い兆候だ。
「はい。あちらに見えます日帰り温泉施設にて、お一人様四エウロのところ、なんと、先着限定で、今回、無料」
「無料! た、タダってことかい!?」
「ええ。お代は結構です」
「さ、詐欺じゃあないですよね」
「もちろんでございます。まあ、しかし」
俺はわざとらしく辺りを見まわし、
「こんな道の真ん中で立ち話もなんですから、当温泉の効能についてお話しでもしながら......ささ、どうぞ、参りましょう」
といって、いやあ得したなあと後ろ頭をかきながら頬を緩めている男性を誘導してやる。途中、簡単なアンケートに協力してもらう旨をそれとなく伝えると、男性は二つ返事で快諾した。
ご新規一名様ご案内。ほら、パンパカーナ。ちゃんと笑って。お客様を脱衣所までご案内して。そう、にっこりいい笑顔。目が笑ってないけど。ごめんなさいね、うちの従業員、新人なんですよ。ええ、申し訳ありません。支配人の私がしっかりと指導鞭撻してまいりますので、どうか、ご容赦ください。はい。では、行ってらっしゃいませ。どうぞ、極楽を。
しばらくして、色艶のよくなった男性が満足そうな表情で現れた。彼曰く、天にも昇る心地で、身体中のあらゆる毒気が染み出していったそうだ。なんだか、先ほどよりも快活になったような感じだ。
簡単な感想をもらい、サービスでチケットを手渡した。チケットには『一品無料・大満腹食堂』と書いてあった。それを見たパンパカーナが鬼畜の所業だと呟いた。
「じゃあ引き続き客引きやってくるから」
そういって、俺はシーボ国の住人一人と三人の男女のグループを捕まえ、案内したあと、モニター作戦はそこで打ち止めにした。あとは呼び込みをひたすら続ける。まだ午前中ということもあり、なかなか客はつかなかったが、四人ほど捕まえることができた。取り急ぎ、稼いだ十六エウロのうち八エウロを握りしめて、弁当を買いに走った。帰って、パンパカーナに見せるや否や、奪い取り、嗚咽まじりに食べはじめた。案の定、喉に詰まらせそうになっていたので、木製の筒に入った水を手渡してやる。
「はあ。生き返った」
元の気色のいい顔色になったパンパカーナがほっと一息つく。
「左様ですか」
「最初はあの店のご飯かと思ったけど、ちゃんとしたものでよかったわ」
「いや、大満腹食堂は美味いだろう」
憮然としたような面持ちでこちらを見るパンパカーナ。
「味覚が壊れてる」
「ひどい」
「酷いといえばあのチケット。目を疑ったのだけど」
「ギブアンドテイクだ。ボールドさんが宣伝してくれるらしいから」
「逆効果じゃないの。ねえ、やめない」
「そうかなあ」
「そうよ。あれは料理の本懐を崩壊させる、あってはならないモノでしょ」
「ひどい」
そのとき、俺は絶対にもう一度食わせてやると心に誓ったのだ。
かくして、昼食を交代で済ませたあと、俺たちは日が落ちるまで働いた。客足は予想していたよりも上々で、夕方あたりは特に人が増えた。この日、モニターを除いた来店人数は八十四人。三百二十エウロを稼いだ。慣れない労働はなかなかに堪えたが、敵と戦うよりは楽に思えた。
浴場と施設の掃除を済ませ、門の錠を下ろし、すっかり暗くなった道を歩き、適当な居酒屋で祝杯をあげたあと、お互い千鳥足で木賃宿へ赴き、ベッドへ倒れ込むと、死んだように眠った。




