第31話 「女王の力」
アロウザールは遠い目をして、顎を撫でながら、顔をほころばせている。
「けっこう、壮絶な過去だな」
俺はアロウザールの蒼白な足に目を落としていう。
「そうだろう、そうだろう。『母殺しのアロウザール』ってな。村の連中にそう呼ばれていたもんだ」
「それで」
再び、俺はアロウザールの目にピントを合わせて、
「それで、森の奥へ行って、どうなったんだ?」
という。
「長いのでな。続きは後日、話してやる。ほれ、はようラルエシミラと対話せい」
アロウザールは片方の眉を吊り上げて、俺の頭頂部あたりを人差し指で差した。
足を組み直す。意識を頭の天辺、銀色の短冊に集中させる。
時間が過ぎていく。
聞こえるのは風が窓の隙間に入り込んでくるような、人の叫ぶ声に似た音と、アロウザールの息遣いだけである。
そして、頭の中から聞こえてくる、ノイズ——
「だあ—っ! ムリ! ぜんっぜんできねぇ。ラルエシミラ、どこにいるんだよ」
俺は体勢をくずし、両足を放りだした。
「根性ないのう。厳しいかもしれんが、今は仲間のことを考えず、ラルエシミラのことだけを考えろ」
「そんなこと言われても」
実際、俺の脳内はパンパカーナを一刻も早く助けだしたいという焦燥感と、
自身の力不足により、パンパカーナを死の淵へ追いやってしまったという罪悪感に支配されていた。
普段より、必要以上に力の入っていた全身は、倍以上の疲労感をもたらし、体力、集中力を欠乏させる。
ラルエシミラのことを考えている余裕は、正直なところ、ない。
「やれやれだの。仕方ない。コツを教えてやるから、よ〜く聞くように」
「——っ! お願いします」
アロウザールはスコップを持ち出し、ナイフを用いる曲芸師のように振り回す。
ああ。そういえば渡したままだったな、と俺は鮮やかなナイフさばき、もとい、スコップさばきを眺めながら思った。
「魂の神器を使う感覚で臨め」
スコップの柄を逆手に受け止め、アロウザールはいう。
「と、いうと......」
「お主は無意識だろうが、魂の神器を使う際には、自らの魂から力を引いてくるのだ。心の臓から脈を伝い、手にした神器に力を宿す。そのイメージでやれ」
「ああ。なんとなく、わかった。やってみる」
俺はまた、あぐらをかいて集中し、
思い出す。突き立て、引き抜く。
地の底から溢れ出る液体、噴出す魔傑の血液。
胸の中心が暖かくなり、熱いなにかが首にある太い血管を伝い、登ってくる。
やがて、双眸にたどり着く。
目玉を丸ごと取り外し、感覚を保ったまま、炭酸水に浸したようだ。
しかし、痛くはない。むしろ、心地よいとさえ思った。
頭頂部に熱が集約されていく。
銀色の短冊が輝き、なびくようなイメージをする。
俺は幻想の中でスコップを振りかざし、力の限り振り下ろす。
すると地面に亀裂が入り、ヒビは全方位に広がる。
大地は形を保てなくなり、崩れ落ち、濃い闇が顔をのぞかせた。
俺はその闇の中へ飛び込んでいく。深く深く。潜り込むように。深く、深く——
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気がつくと、淡い光のライトスタンドと、四本足のついた小さな机が見えた。
丸椅子に座り、本を読んでいる、ひとりの女性。
それは銀髪で、毛先を軽くウウェーブさせたショートボブのラルエシミラ。
背後にはラルエシミラを取り囲むように、山積みになった本が乱雑に置いてある。
銀色の短冊をしおりにして、本に挟み、閉じた。
目が合う。
ラルエシミラは微笑し、
「ようこそ、私へ。ゆっくり、おはなしでもしましょうか、トガさん」
と、いった。
俺は空席の丸椅子に腰掛け、ラルエシミラと向き合った。
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「助けに来た、だと?」
レベッカは怒りに震えた声でいった。
使用人、使用人長、衛兵、衰弱したパンパカーナ。
それらの視線が一つに集まっている。
俺はベルトに引っ掛けてあるロープを取り出すと、
カウボーイがロープで獲物を捕らえるように、パンパカーナの胴体に巻きつけ、引き寄せた。
引き寄せたパンパカーナを片腕で抱きかかえ、
「ごめん、パンパカーナ」
という。
パンパカーナは驚いたような顔をして固まっていたが、すぐに、
「謝るな......謝らなくていい......ありがとう」
そういって、涙をこぼして笑った。
「おい」
声のする方を見やる。
レベッカの顔は、怒りにより、さらに険しくなっていた。
「我の供物になにをしている、賊。貴様が触れて良い代物ではないぞ、よこせ」
レベッカの片手が差し伸べられる。
その手には、触れると掴まれ、そのまま握りつぶされそうな迫力があった。
俺は臆することなくいう。
「俺の親友だ。手を、出すな!」
レベッカの青筋がぶち切れた。
「衛兵!」と叫ぶと、二十人ほどのペリドット色の鎧をした戦士がレベッカを取り囲む。
槍、剣、ハンマー、銃。
それらの矛先が俺に対して向けられていた。
「殺れ」
静かな号令。
それを合図に、衛兵たちが一斉に襲いかかってきた。
斜め右から剣が三つ。真ん中から槍が三つ。斜め左からハンマーが二つ。
奥には銃が六つ、こちらに狙いを定めている。
「力を貸せ、ラルエシミラ」
(はい)
刀身が輝き、目下にある地面に向けて剣を振り下ろす。
削り取るように、斬撃は弧を描いて地面に傷をつけた。
そこから噴出する鋭利な白く輝く結晶の塊。
クリスタルのようなそれは、衛兵の硬い鎧を貫いた。
また、細く伸びた岩はパンパカーナの手枷を砕く。
遅れて放たれる銃弾は、巨大な白い結晶に阻まれ、こちらに届かない。
即死したようだ。
八人の衛兵はみな、心臓付近に大穴をあけ、手足はたれ下がり、ピクピクと痙攣している。
(この床は、『白亜結晶質石灰岩』製です。トガさん、覚えておいてくださいね)
俺の中でラルエシミラが人さし指を立てていう。
『白亜結晶質石灰岩』とは、
石灰岩がこの世界、『モンドモルト』の地底深くで生成されたマグマによって再結晶化したものであり、その美しさと希少価値から、グラム約一万エウロで取引されている。
成分にカルシウムを含み、また、
稀に魔法石を内包していることがあり、その場合、価値は十〜五十倍に跳ね上がる。
「やっぱ、まだ覚えきれてねえな」
レベッカを取り囲んでいる残された衛兵たちは狼狽し、後ずさる。
「うろたえるな! 同胞よ、臆せず進め! 我行く道に屍はあらず!」
レベッカはそういうと、藍色をしたペンを取り出し、空中に筆を走らせた。
尋常でない速度で紋様が出来上がり、その紋様に手を添えて唱える。
『枯 骨 廻 天』
碧色の輝きがほとばしる。
クリスタルは割れて、息絶えたはずの衛兵が次々と立ち上がり、武器を構えた。
「馬鹿な」
パンパカーナは目を見開き、レベッカの持つ奇跡の力に対し、驚きを隠せずにいた。
俺は長剣を構え、今度はレベッカの上半身に狙いを定めた。足の筋肉に力を込める。
このまま一気に突撃し、血液を根こそぎ『掘り起こす』
さあ、行くぞ。
と、体を動かそうとしたが、微動だにしない。
まるで石に変えられてしまったかのように、ピクリとも動かせなかった。
「なんだ、これは......」
(トガさん、これは......魂の神器の力です。あの、奥。あそこにいる女性が......)
ラルエシミラの呼びかけに従い、視線をその方へもっていくと、舌根まで見えるほど舌を出している女性が見えた。
その舌には大きな目玉があり、こちらを睨んでいる。
「——っ! 戸賀勇希! そいつの能力は——」
パンパカーナの声は途切れた。どうやら、パンパカーナも動きを封じられたようだ。
すると、舌に目のある女性の舌先が割れ、口ができあがる。
俺に対し、その口は男とも女ともわからぬ声で言葉を話した。
「女王陛下の御前です。控えなさい」
と。
このとき、俺の脳内ではアロウザールの言葉が反響していた。




