第21話 「惰弱を断つ」
女王殿下です。と、男は付け加えた。
俺はパンパカーナが言っていた言葉を思い出す。
勇者たちが各国の王に成り代わっているということを。
エレボス・サンダーホースと十二単牡丹は常軌を逸した強さだった。おそらく、王女も彼らに負けるとも劣らない力量であることは容易に想像がつく。
しかし——
「治癒能力に蘇生魔法? どう考えても戦闘に向いてねえし、隙を突けばなんとか倒せるんじゃないのか」
俺は冷んやりとした床に頬を押し付けながら言う。
男は力を抜いたのか、突然俺の腕は自由を取り戻し、重力に従って床に裏拳を叩き込む。
まとわりついたホコリを払うように、男は自身の手をパンパンと叩いた。
「確かに王女様の能力は戦闘に不向きです。しかし勝てません。倒せません。一蹴されるでしょう」
「なんでだよ」
両腕に力を込め、俺は凍りついた頬を解放してやる。
そのままくるりと転がると仰向けになり、そこから上半身を起こして胡座をかく。
すると腰に手を当てて立っている男が見えた。
こうしてみると、なかなかスラッとしてスタイルが良いことがわかる。
黒いスーツがよく似合っている。
「んんっ! いいですか。王女様の強さとは、彼女を警護する圧倒的兵の数と質です。宮殿の周囲には屈強な門番が何十と構えており、内部には何百人もの召使いや手練れの兵士が所狭しとうろついています。不審な行動をしようものなら即牢獄行きか、もしくはその場で処刑されるでしょう。ええ」
男は男性にしては少々高い音、しかし耳障りではない独特の声で言う。
「でもよ、怪しくなければいいんだろ? 客人を装って女王の前で奇襲すりゃあいくらチート勇者とはいえ、さすがにキツイだろ」
「素性の知れない、他国からの紹介状もない不審な人物を誰が、どうして王女様に引き合わせることが出来ましょうか。んんっ! まず門兵に必ず身分情報の開示を求められます。その時、一度でも疑わしいと判断されれば、二度と宮殿に近づくことは出来ません。ええ」
「なら......。ならどうしてあんたは宮殿に入れたんだよ。パンパカーナを連れて行ったんだろ? それに、直接断られたってことは王女と会えたんだろう?」
「いえ。我々が許されたのは門前までです。声を聞いたわけでも顔を合わせたわけでもなく、それは葉書にて伝えられました。『パンパカーナ・パスティヤージュ・パンナコッタは本日付で、我が領家の使用人として半永続的に就労する』と。まあいいんじゃないんでしょうか、命を助けて頂いたわけですし。ええ」
俺は沸騰しそうな脳で様々な策を考えては消し、考えては消しを繰り返している。
そして、今までたいして頭を使っていなかったことを非常に悔しんだ。
あれもダメだ、これでは勝てない、何か有効な手段があるはずだ......考えろ——
権謀術数、一騎当千。針の穴をすり抜ける——1%の閃きを。
そんな俺に追い討ちをかけるように、男は非情という名の刃を突きつける。
「言っておきますが、例え妙策を思いついたとしてもあなたの弱さが成功率を著しく下げます。ええ。確実に」
穴から差し込む光が徐々に消えていく。
闇だ。限りなく深い闇が俺を飲み込もうと必死だ。
その中に浮かび上がるパンパカーナの姿。
キャンパスに描かれた絵に水滴を垂らしたように滲んで歪みはじめる。
それを見て、俺の中でふつふつと、何かが湧き上がってくる。
ふざけるな。また借りを作るのか
ふざけるな。また負けるのか。
ふざけるな。また仲間を傷つけるのか。
俺は男の目線に合わせようと膝を伸ばし、立ち上がる。
少し見上げる形になり、思考の読めない頬の痩けた細い顔がそこにはあった。
男は諭すように、
「諦めがつきましたか?」
と言った。
俺は両腕を体の側面にピタリとくっつけると、目路は再びフローリングとなる。
遅れて黒い髪が垂れ下がり、額を軽く撫でた。
「お願いします。仲間を、パンパカーナを助けたいんです。どうか、俺に力を貸してください」
すると男は困ったような声で言う。
「うーん。ですから、実際問題不可能です。国一つを敵に回すことになるでしょうし、我々にも生活があります。安請け合いはできません。それに——」
「お願いします。あんたたちには手出しさせません。咎められるのは俺だけです」
「んんっ! さっきも言ったように、ワタクシに負けるようでは到底、女王様に勝つことはできません。時には諦めることも肝心です」
俺は姿勢を崩すことなく懇願し続ける。
例え何を言われようと一歩も引くつもりはなかった。
絶対に助ける。そのことだけが俺を動かしていた。
「お願いだ! どうか......どうか!」
膝を曲げ、両手のひらと額を床に擦り付ける。
今度は何も感じなかった。冷たさなど、感じるに値しなかった。
男はさらに困ったように、
「参りましたねぇ。しかし無理なものは無理です。さあ、もう荷物を持って帰りなさい。あなたをお得意様にしようと考えておりましたが、やめましょう。ええ。そうだ、確か従業員があの机の上にあなたの荷物があると言っていましたね......」
と言って、ベッドの横にある小さな机に足を運ぶ。
俺の荷物といえばアレしかない。
「ああ、これですか。んんっ! ええと......赤い肢のスコップにロープと銀色の紙。変わった荷物ですねぇ。失礼ですが、なぜこのようなものを?」
俺はそのままの状態で答えた。
「それは俺の大切な仲間と魂の神器だ。ロープはこの国へ来た時に河川敷で拾った」
すると男の声色が変わり、若干低い音になる。
「今、なんとおっしゃいましたか? 聞き違いでしょうか、魂がどうとか......」
しまった。
こいつも『ワケあり』か。
俺はまたもや迂闊に口走ってしまう。本当に情けない。
仕方ない。この際、覚悟を決めて包み隠すことなく正直に言おう。そう思い、口を開く。
「魂の神器だ。嘘じゃない、それが俺の唯一の武器だ」
「本当に、魂の神器ですか?」
「ああ、本当に本当だ。嘘は言わない」
そう言ってすぐ、コツコツと素早い足音が俺に近づいてくる。
その音は俺のすぐ目の前で止まると、直後、俺の両肩にズシリとした感触を受ける。
ゆっくり顔を持ち上げていくと、そこには口許を緩めた男が興奮した面持ちで待っていた。
「お客様、お名前は?」
「え。トガ、戸賀勇希だけど」
「戸賀勇希さんですね。申し遅れました。ワタクシ、『ボールド・クラインハート』といいます」
「は、はあ。どうしたんすかボールドさンッ!?」
再び両肩にのしかかる重圧。
ボールドはそのまま肩を強く握ると、細い目をさらに細くしてこう言った。
「戸賀勇希さん。突破口が、開きました」




