第18話 「矢主」
俺はだんだんと早くなる呼吸に体が追いつかず、家壁に背中を預けると、そのままゆっくりと石畳に腰を下ろした。
目の前を走っていたパンパカーナは肩越しにこちらへ視線をやると一旦その場で立ち止まり、肩をゆっくりと上下させながら歩いて来た。
「ふう...... 。戸賀勇希、お前の瞬発力は優秀に見えたが、どうやら持久力はてんでダメらしいね」
多少汗を見せつつも、涼しげな表情で言うパンパカーナ。
まだまだ余裕だという言葉が、今にも口から飛び出しそうな感じである。
「や、やかましい! 力出ねえんだよ、もう......エネルギー不足って、やつよ......」
俺は息遣いの合間にそう言ってやる。
とにかく食えるものなら何でもいいから欲しい。
そして、美味しい水をたっぷり飲みたい、そんな気分だった。
パンパカーナは辺りを二周ほど見回すと、肩にかけてある杖と言って良いのか、ライフルと言って良いのかわからないそれを手に持ち俺の左隣で膝を曲げた。
どうやら、尻を落としてまで休むつもりはないらしい。
まだ油断するな、ということだろうか。
パンパカーナは自身の指同士を絡ませて腕をまっすぐ伸ばし、
「まあ、あの胡散臭い男は撒けただろう。それにしても危なかったぞ? 私がいなければ、あれを口にしていたところだ」
と、からかうように言った。
俺は涎を垂らしながら料理に手をつけようとしたパンパカーナを知っていたので、
「お前も薬キメたような顔して飯食おうとしていただろうが! あの弓矢? のおかげだろ」
と言うとパンパカーナは、「な」と言葉を詰まらせてすぐに、考えるように手を顎に当てて見せた。
「しかしあの『秘術の矢』は誰が打ち込んだのだろう......」
「なあ、その『秘術の矢』ってなんだ? 魂の神器か何かか」
俺は気になったので、たまらずに聞いてみる。
「ん、ああいや。あれも簡易的な魔法を封じ込めたもので、武器商へ行けば誰でも買えるぞ。他にも色々な種類が売ってあるし」
「へ〜。さすが傭兵、詳しいな」
「ま、まあな! 他にも何かあったらなんでも聞いてちょうだい、答えられる範囲ならなんでもいいぞ」
褒められて調子に乗っているのだろうか、パンパカーナは得意そうにふんぞり返って言う。
ほう、そうかい。なんでもいいのかい。
そんじゃあ聞いちゃおっかな〜。
そう思った俺は真剣な眼差しで、
「パンツの色、教えて」
と言った。
パンパカーナの顔はみるみるうちに耳まで赤くなり、その気になれば茶でも沸かせそうに思えた。
そんな怒っているのか、恥ずかしがっているのかどっちつかずのパンパカーナの言葉は早口だ。
「あ、ああああほ! 教えるわけないでしょ! っていうか今聞くことじゃないし! 確かになんでもいいって言ったのは私だけど、でもしかしだけどええっと......」
ちょっとパンツの色を訊ねただけで大慌てのパンパカーナ。
なんだかブツブツと独り言を唱え始めた。
こわっ。
なんとなくだけれど、ちょっと離れよ——
俺が立ち上がったちょうどその時、頭上からよく通る声が聞こえた。
「ちょいと! 彼女を置いてどこへ行くんだい、お兄さん」
声のする方向を見やると、太ももくらいまで伸びた艶やかな黒髪で背は高そうにみえる女が屋根にいた。
片手には、糸を張った弓のようなものを携えている。
先ほどまで羞恥に身をくねらせていたパンパカーナは、いつの間にやら杖を構えて戦闘体制に入っていた。
「誰だ、お前は!」
と俺は言う。
すると屋根上の女は肩をすくめて、
「なんだい、せっかく助けてやったってのに。もっと優しく聞いておくれよ」
と言った。
もしやあの弓矢を料理に叩き込んだ女かと思い、俺は一言物申す。
「こっちは腹減ってたんだ! もったいないことしてんじゃねえよ!」
「おいこら。そうじゃないでしょ」
俺はパンパカーナに杖で軽く頭を叩かれた。
女は「そうかい」と一言呟くと、屋根瓦を手で掴み、それを瞬時に矢へと変えてしまった。
そのまま弦に引っ掛けて弓を大きく湾曲させる。
そして限界に達した弓矢から飛び出した矢は、空気をかき分けて一直線に俺に飛んでくる。
「火銃!!」
軽い、銃から弾丸が放たれる音。
炎の弾丸は矢に絡みつき、失速してそのまま地面に叩きつけられた。
それが着地した時、陶器が割れるような、そんな音がした。
「おっ! いい武器持ってるわねえ、彼女」
嬉々としたような声色で女は言う。
「彼女ではない、『パンパカーナ・パスティージュ・パンナコッタ』だ」
「ほう。パンパカーナ......ね」
女は妖艶に舌なめずりをした。
俺は驚いた気持ちで、
「え、名前教えちゃっていいの?」
と言った。
それに対しパンパカーナは、
「いいの。一応助けられたわけだし、お礼に教えておいてあげたのよ」
「いいわね。気に入ったよ、パンパカーナ」
女は二階の屋根から飛び降りると、羽のように着地した。
そしてパンパカーナを長い指で差すと、不敵な笑みを浮かべてこう言った。
「一番に殺してあげるわ」




