第八話 期末テスト間近、ファンニちゃんのスパルタ学習指導
六月下旬のある日の夕方、鵙松寮ロビー。
「ただいまー」
惇平が学校から帰宅した時、
「もうすぐだよぅ、科目数多すぎるよぅ。範囲広過ぎだよぅ。いきなり数学と化学からだよ。最終日にしてくれた方が勉強時間いっぱい取れるのにぃ」
愛紗実はソファーの上で寝転がり、足をバタバタさせながら嘆いていた。
今日学校で、期末テストの日程・範囲表が配布されたのだ。
「わたしは一番楽しみなイベントだけどね」
ファンニはいつも以上に機嫌良さそうだった。
「中学生はいいなあ。科目数少なくて」
愛紗実はファンニと陽佳の日程・範囲表を眺めながら羨む。
「高等部は音楽と美術と体育が無いから楽じゃない。主要五教科もただ単に細分化されてるだけだし、中学部より楽に思うな」
ファンニは微笑み顔で主張する。
「そうかなぁ？」
愛紗実はむすっとした表情を浮かべた。
期末テストは、中学部は七月一日木曜から土日を挟んで三日間。高等部は四日間に渡って行われる。
「俺の高校と同じ日程だね。俺んとこも今日、配布されたよ。俺も、何か力になれることがあったらお助けするよ。社会と理科と数学限定で」
惇平は寮生三人にこう伝えた。
「惇平くん、もちろんお願いするね」
愛紗実はすぐに頼ろうとしてくる。ファンニの冷ややかな視線もお構いなしに。
☆
その日の夜、十一時半過ぎ。
「惇平お兄さん、そろそろ寝ませんか？」
ファンニは、惇平のお部屋に足を踏み入れた。
「もう少しだけ待ってて」
惇平は申し訳なさそうに返答する。彼はパソコン画面に文字を打ち込んでいた。
「何をされているのでしょうか？」
「一幡さんに、何とか数学と化学の点数を上げてもらおうと思って、試験範囲の要点をまとめた演習プリントを作ってて」
「心優しいですね、惇平お兄さん」
「いやいや、これくらいのことは、管理人ボランティアとして当然かなっと」
ファンニに尊敬され、惇平は少し照れる。
「わたしもお手伝いしますよ。惇平お兄さん、もう少し詰めていただけないでしょうか？」
「いっ、いいけど」
「どうもありがとうございます」
ファンニは礼を言って、惇平の椅子の少し空いている部分にちょこんと座る。
「……」
惇平は少しドキッとなった。
「愛紗実さんは怠け癖がついちゃってるから、学習スケジュールを立ててやらせた方がいいと思うの。スケジュール表も作りましょう」
「それは、いい考えだね。あの、俺、分かりやすい解説も付けてあげようと思う。理数科目はビジュアルでイメージしながら学ぶのが最適だろうし。原子や分子の構造とか。俺もなるべくイラストや図を描いて学ぼうとしてるし。こんな風に」
「惇平お兄さんの化学と生物のノートですね……おう、カラフルで見やすくて非常に分かりやすいです。原子や分子をかわいく擬人化してるのは柚希もやってたけど、あの子のは分かりやすさは軽視してるわ。わたしもここまで丁寧にはまとめられませんよ。下手な参考書よりも良い出来だと思います。さすが鈴高生なだけはありますね」
「そっ、そうかな？」
このあとも二人は、日付変わって深夜二時頃まで作業をしていた。
※
夜が明けて、日が暮れて同じ日の夜八時五十分頃。鵙松寮ロビー。
「愛紗実さん、今夜からは試験勉強しっかり頑張ってもらうよ！」
ファンニは、風呂上がりにソファーでテレビ番組を見ながらくつろいでいた愛紗実に忠告した。
「えー」
「これを見て！」
ファンニは二枚のＡ４用紙を、嫌そうな表情を浮かべた愛紗実に見せ付ける。
「何これ？」
「愛紗実さんが期末試験でいい点を取るための学習スケジュール表よ。惇平お兄さんと相談しながら作ったの」
スケジュール表には今夜九時から日付が変わる深夜０時までの三時間。
次の日からは一日当たり、夕方五時から七時までと、夜八時半から深夜０時まで、計五時間半の学習スケジュールを組ませてあった。
愛紗実の苦手科目である数学ⅡＢと化学を中心に、全科目満遍なく。
「こっ、こんなの、絶対無理だよ。夕方五時って、私まだ帰ってないよ」
愛紗実はそのスケジュール表を眺め、顔を引き攣らせた。
「寄り道せずにまっすぐ帰ればじゅうぶん間に合うでしょ」
ファンニはきりっとした表情で指摘する。
「でも、夕飯とお菓子のお買い物が……」
愛紗実はしょんぼりとした表情でぶつぶつ呟く。
「それなら、おらに任せな」
光子さんは愛紗実に向かってウィンクをした。
「そんなぁー」
愛紗実はさらにしょげてしまう。
「惇平お兄さんもテスト勉強に付き添ってくれるよ」
ファンニはそう伝えて、惇平の方をちらりと見る。
「一幡さんに勉強を教えるのは、俺の任務だから」
惇平は責任を強く感じていた。
「惇平くんといっしょにお勉強出来るのはすごく嬉しいんだけど、でもぉ……」
「さあ、もうすぐ九時よ。しっかりお勉強してもらわないと」
ファンニはにこっと笑って、気の進まない愛紗実の腕をガシッと掴んだ。
「愛紗実ちゃん、学生の本分は勉強だから、頑張りな」
「愛紗実お姉ちゃん、今回は惇平お兄ちゃんが付いてるからきっと勉強が楽しくなるよ」
光子さんも陽佳も、
ミャーォ。
文治郎も温かくエールを送ってくれた。
「さあ愛紗実さん、わたしのお部屋へ」
ファンニは愛紗実の腕をがっちり掴み、ズズズッと引っ張っていく。
「あぁーん」
愛紗実は抵抗するも敵わなかった。
一幡さん、今一生懸命頑張れば、きっと報われるはずだから。
惇平は愛紗実に憐憫の情を抱きながら、あとをついていく。
「さあ、気合入れていくよーっ！」
２０２号室に辿り着くとファンニは、小さなローテーブルに学習用具を並べていく。
「ファンニちゃんは、テストが近づくといつも以上にわたしに厳しくなるんだよ」
愛紗実は惇平に向かって不満を言う。正座姿勢で座らされていた。
「あのう、よく考えると、このスケジュールはさすがにきついんじゃ。俺も受験勉強ですらここまで詰めてやったことないよ」
恐る恐るこう意見した惇平に、
「惇平お兄さんは、愛紗実さんに対してかなり甘過ぎるのではないかとわたしは思います。いつも宿題やってあげていますし」
ファンニはやや険しい表情で指摘する。
「……」
惇平は何も言い返せなかった。思わず俯いてしまう。
「愛紗実さん、この問題からやりなさい！」
ファンニは数学ⅡＢの問題集を開いて、該当箇所をパシーンと叩く。
「ひぃっ、惇平くぅん、助けてぇーっ」
愛紗実はびくびくしながら助けを求めた。
「ごめんね。俺には、どうすることも……」
惇平は気まずそうにする。
「あのう、ファンニちゃん、自分の勉強を、した方が、いいんじゃない」
「つべこべ言わずにやりなさい！ 正座で」
ファンニはそう命令し、テーブルをパシンッと叩く。
「ひぃぃぃっ」
愛紗実は従うしかなかった。ファンニは普段から学校でもきちんと勉強しているので、今さら焦らなくとも余裕なのだ。
オコシュさん、厳しい一面も持ってるんだな。将来俺の母さん以上の教育ママになりそうだ。
採点係を任された惇平は、心の中でこんなことを思った。
「ひどいよファンニちゃん。鬼だ。陽佳ちゃんにはすごく優しいのに」
愛紗実は唇を尖らせながら、不平を呟く。
「陽佳さんは注意しなくてもしっかりお勉強してくれるから」
ファンニはにこやかな表情で言う。
陽佳もあれからすぐに自分のお部屋へ向かい、テスト勉強を始めたのだ。
それから一時間ほどのち、
「ファンニちゃん、私、おしっこぉー」
引き続き強制勉強させられ中の愛紗実は、もじもじしながら照れくさそうに伝えた。
「分かりました」
ファンニはすぐに許可を出す。
「あっ、足が痺れて……」
愛紗実はゆっくりと立ち上がろうとしたが、転びそうになった。
「大丈夫？ わたしにつかまって」
ファンニは手を貸してあげた。
「ありがとうファンニちゃん」
やっぱり優しい子だな。
惇平は改めて見直す。
「惇平お兄さん、少しお待ち下さい」
ファンニもついていった。愛紗実のすぐ後ろにぴたりと引っ付くようにして歩く。
「ファンニちゃん、恥ずかしいよぅ。出て行って」
「わたしも愛紗実さんが用を足してる所なんて見たくないよ。でも、見てないと愛紗実さん窓から逃げるでしょ」
ファンニは頬を少し赤らめながら呟く。トイレも愛紗実といっしょに入ったのだ。
「バレたかぁ♪」
愛紗実は舌をぺろりと出し、てへっと笑った。
「予想は出来てたよ。さあ、早く済ませて。時間が勿体ないよ。わたし、扉の方向いてるから」
ファンニが言った通りにすると、
「はーぃ。でも出来れば、外へ出て欲しかったな」
愛紗実は照れくさそうに、ショーツとパジャマのズボンをいっしょに脱ぎ下ろした。
「んっしょ」
便座にちょこんと腰掛けて、ほんのり頬を赤らめながらチョロチョロ用を足し始める。
その音は、ファンニの耳にもしっかり届いていた。
※
「さあ、お部屋に戻ってお勉強の続き、続き」
ファンニは愛紗実が用を足し終えすぐ横の洗面所で手も洗ったのを確認すると、
「あーん、もう少しだけ休憩したぁい」
嫌がる愛紗実の手をしっかり握り、ズズズッと引っ張っていく。
お部屋に戻ると、有無を言わせずすぐに勉強を再開させた。
午前０時過ぎ。
「はい、今日はここまでよ」
「やっと終わったぁー」
愛紗実は疲れ切った様子で腕を上に伸ばし、小さくあくびをする。
「期末テストが終わるまで毎晩続けるから、明日からも頑張ってね」
「えー」
ファンニから爽やかな表情でされた伝言に、愛紗実は愕然とする。
この地獄の学習プランは、予定通りそれから毎晩続けられた。
愛紗実は嫌だとは思っていたのだが、惇平といっしょに勉強出来るので、楽しさもちょっぴり感じていたのだ。
※
あっという間に期末テスト前日の夕方がやって来た。
「ただいまー」
「おかえり愛紗実さん、今夜は最終仕上げよ。本番を想定して作った数学ⅡＢと化学の予想問題、制限時間内に解いてもらうから」
ロビーで愛紗実が帰ってくるのを仁王立ちで待機していたファンニは、きりっとした表情でいきなり指示を出す。
「はーぃ」
愛紗実はやる気なさそうに返事をした。
「あの、一幡さん、顔が赤いよ」
惇平は心配そうに指摘する。
「なんか私、今すごくしんどくって。お熱があるみたい。ケホッ、ケホッ」
愛紗実はふらふら歩きながら伝えた。
「あっ、愛紗実さん、風邪引いたの！？」
ファンニは慌て気味に愛紗実のおでこに手を当てた。
「すごく熱い、大変」
そしてとても心配そうにする。
「お医者さん呼ぼうかね」
光子さんはすぐさま受話器を取り、知り合いの女医さんに電話をした。
ここ鵙松寮ほか橙摂の提携生徒寮には、緊急時いつでも連絡の取れる担当医師がついているのだ。
「愛紗実お姉ちゃん、大丈夫？」
「一幡さん、大丈夫か？」
陽佳と惇平も心配そうに問いかけた。
「うん、まあ……なんとか」
そう答えるも、愛紗実はぐったりしていた。
ミャォ～。
文治郎も普段と様子が違う愛紗実を眺め、心配しているみたいだった。
「愛紗実さん、早く休んだ方がいいよ。わたし、お布団敷いてくるね」
ファンニは階段を駆け上がり、愛紗実のお部屋２０１号室へ。
「あの、一幡さん。俺の、肩に掴まってね」
「ありがとう、惇平くん。助かるよ」
惇平は愛紗実をおんぶすると、落とさないように慎重に、ゆっくりとした歩みで２０１号室へ連れて行く。辿り着くと、愛紗実をファンニの敷いたお布団の上にそーっと下ろしてあげた。華奢な体格の惇平だが、愛紗実の方が小柄なため難なくこなすことが出来た。
「一幡さん、今日はじっくり休んだ方がいいと思う」
「もちろん、そうするよ」
「うわっ！」
惇平はとっさに目を覆い、慌てて２０１号室から逃げていく。
愛紗実がいきなり制服のスカートを脱ぎ下ろしたのだ。
「愛紗実さん、惇平お兄さんの前ではいきなり脱いじゃダメよ」
ファンニは優しく注意。
「ごめん、ごめん」
愛紗実は照れ笑いしながら謝る。パジャマに着替えると、すぐに寝転がって自分で夏蒲団を掛けた。
「愛紗実さん、お熱計ろうね」
ファンニは体温計を手渡す。
「うん」
愛紗実は上体をゆっくり起こすとパジャマの胸ボタンを外し、わきに挟んだ。
一分ほどして体温計がピピピっと鳴ると愛紗実はそっと取り出し、自分で体温を確認した。
「３８．６分かぁ。明日のテスト、受けれそうにないかも。一番大事な数学と化学があるんだけど……」
愛紗実はしんどそうに、不安そうに呟く。
「愛紗実さん、そんなにあるの！？ ごめんなさい。無理な学習スケジュールを強行しちゃって、体調崩させてしまって」
「ファンニちゃんは、全然悪くないよ。私が風邪引いたのは、今日、一日中雨降ってて肌寒かったのが原因だから」
罪悪感に強く駆られ今にも泣き出しそうな表情で謝って来たファンニの頭を、愛紗実は優しくなでてあげた。
そんな時、ピンポーン♪ と玄関チャイムが聞こえてくる。
お医者さんが来てくれたのだ。
☆
「先生、愛紗実さんの容態は？」
ファンニは心配そうに、愛紗実の診察を終え帰ろうとした女医さんに尋ねる。
「心配しないで。普通の風邪だから、今晩しっかり休ませれば明日の朝には治ってるわ」
「よかったぁー」
爽やか笑顔で伝えられると、ファンニはホッと胸をなでおろした。
四人は愛紗実のお部屋へと向かう。
「座薬打ってもらったから、だいぶ楽になったよ。ちょっと恥ずかしかったけど」
愛紗実は少し上体を起こし、照れ笑いして嬉しそうに伝える。
「あっ、一幡さん、鼻水が垂れてるよ」
惇平はお布団のすぐ横に置かれてあったボックスティッシュから何枚か取り出し、愛紗実のお鼻の下にそっと押し当ててあげた。
「ありがとう、惇平くん」
愛紗実はしゅんっと鼻をかむ。
「お夕飯は、食べられそうかい？」
光子さんは問いかけた。
「ううん、食欲全然湧かない。でも、あれは食べたいな。前に私が風邪引いた時に、作ってくれたやつ」
愛紗実はゆっくりとした口調で希望を伝える。
「あれだね。おらが丹精込めて作ってあげるさ」
「ありがとう、お婆ちゃん」
こうして光子さんは台所へ向かっていった。
それから十数分後。
「愛紗実お姉ちゃん、光子お婆ちゃんの手料理持って来たよ」
陽佳が運んで来てくれたそれは、ワカメやお豆腐などが入った生姜スープだった。
「陽佳ちゃん、ありがとう」
「あたしが食べさせてあげる。あーんして」
陽佳は小さじですくい取り、ふぅふぅして少し冷ましてから愛紗実のお口に近づける。
「あー」
愛紗実は口を小さく開けて、幸せそうに頬張っていく。
風邪引いた一幡さん、黒岡さん以上に幼く見える。
惇平はそう思いながら眺めていた。
愛紗実は全部平らげて、
「すごく美味しかった♪ ごちそうさま」
満面の笑みを浮かべる。食べ終えた頃には全身から汗が大量に流れていた。
「汗べとべとだけど、お風呂入ってますます拗らせちゃうと大変だから、タオルでお体拭いてあげるね」
「ありがとう、ファンニちゃん」
「どういたしまして。ちょっと待っててね」
ファンニは機嫌良さそうにそう告げて、お部屋から出て行った。
数分のち、
「遅くなってごめんね」
ファンニはお湯を張った洗面器と、二枚のバスタオルを手に持って戻って来た。それらを愛紗実の枕元にそっと置く。
「待ってましたぁー」
愛紗実は寝転がったまま、小さく拍手した。
「それじゃ、俺は、これで」
惇平は慌ててこのお部屋から出て行った。
「あっ、惇平くん、いなくなっちゃった。そばについてて欲しかったのに」
愛紗実は残念そうに、小さな声で呟いた。
「惇平お兄さん、愛紗実さんの裸を見るのに罪悪感に駆られたんですね。紳士です。愛紗実さん、お体拭くからパジャマ脱いでね」
「うん」
ファンニに頼まれると、愛紗実はゆっくりと上体を起こす。パジャマのボタンを外して上着を脱ぎ、次にシャツも脱いで、真っ白なブラジャーも外した。きれいなピンク色をした乳房が露になる。
「愛紗実さん、お腹は痛くない？」
「うん、大丈夫。下痢はしてない」
「よかった。それじゃ、拭くね」
ファンニはお湯で絞ったタオルで愛紗実のお顔、のどくび、うなじ、背中、腕、わき、お腹の順に丁寧に拭いていく。そのあとに乾いたタオルで二度拭きしてあげた。
「ありがとうファンニちゃん。汗が引いてすごく気持ちいい♪」
愛紗実は恍惚の表情を浮かべた。
「どういたしまして。愛紗実さん、パジャマ着せるからバンザーイしてね」
ファンニは嬉しそうに微笑む。
「はーい」
愛紗実は素直に返事し、両腕をピッと上に伸ばした。ファンニはブラジャーを留めてあげ、シャツとパジャマの袖も通してあげ、ボタンも留めて着衣完了。
「次は下を拭くね」
続いてファンニは愛紗実のズボンと、水玉模様のショーツをいっしょに脱がし、下半身も拭いてあげる。
「んっ」
おへその下からおしりにかけてなでるように拭かれた時、愛紗実はぴくんっと反応し思わず甘い声を漏らす。
「きゃははっ」
足の裏を拭いてあげた時には、くすぐったがってかわいい笑い声を出した。
「はい、拭き終わったよ」
ファンニは同じように乾いたタオルで二度拭きし、ズボンとショーツを穿かせてあげた。
「ファンニお姉ちゃん、すごく手際良いね」
陽佳はとても感心する。
「わたしも一年生の時に風邪引いた時、愛紗実さんに体拭いてもらったことがあるからね。あの時のお礼なの」
ファンニは照れくさそうに打ち明けた。
「あったね、そんなこと。風邪引いた時のファンニちゃん、より幼くてかわいかったよ」
愛紗実はゆったりとした口調で、楽しそうに伝える。
「そんなに幼く見えた？」
ファンニはにこっと笑ってますます照れくさがった。
それからほどなくして、
「あのう、一幡さんの体は、もう拭き終わった？」
惇平はお部屋の外から問いかけた。
「うん、もう大丈夫ですよ」
ファンニが答えると、
「失礼します」
惇平は安心しながらも恐る恐る、お部屋へ足を踏み入れた。
「おかえり惇平くん。私、もうおねんねするよ。あのう、風邪うつしちゃうといけないから、今夜はみんな他のお部屋で寝てね。おやすみ。ケホンッ」
愛紗実は申し訳なさそうにこう告げて、夏蒲団にしっかり包まった。
「おやすみ、一幡さん」
「おやすみーっ。愛紗実お姉ちゃん、明日の朝までに絶対治してね」
「おやすみなさい愛紗実さん、お大事に」
三人は優しく話しかけ、各自お布団を持ってお部屋から出て行った。
「愛紗実ちゃん、氷枕を使いな」
「ありがとう、お婆ちゃん。気持ち良くぐっすり眠れそう」
入れ替わるように光子さんがやって来て、愛紗実に優しく声を掛けてあげた。
「今日は惇平お兄ちゃんのお部屋で寝よう！」
「賛成！」
陽佳の提案にファンニは快く乗る。
「えっ、俺の部屋？」
惇平はちょっとだけ焦った。
「惇平お兄さんのお部屋を勝手に拝見したことがあるのですが、少年期の男の人のお部屋に高確率であるという、エッチな本が一冊も無いのは素晴らしいです。柚希さんはデッサン用とかで何冊か持ってるみたいですけど」
ファンニは嬉しそうに微笑む。
「普通、無いと思うけど……」
惇平は気まずそうな苦笑いだ。
いたいけな少女キャラの全裸描写があるラノベとマンガ置いてるんだけど、オコシュさんはそれはエロ本と判断しなかったみたいだね。
こんな理由で。
ともあれ、お布団は三枚とも惇平の部屋に運ばれることに。
☆
夜十時半頃。川の字に並べられたお布団にファンニと陽佳が包まると、惇平が電気を消して自身もお蒲団に包まった。惇平が真ん中で、両隣にファンニと陽佳という配置だ。
それからほどなくして、外からポツポツと水が滴り落ちる音が聞こえて来た。
雨が降り始めたのだ。
「天気予報、今夜は晴れって言ってたはずなのになぁ」
陽佳はそう呟き、立ち上がると窓に近寄りカーテンを開け、外の様子を眺める。
次の瞬間、ピカピカッと稲光が走り、ズダーン、バリバリバリビッシャーンと耳を劈くような音が聞こえて来た。雷がかなり近づいて来たらしい。
「じゅ、惇平お兄ちゃぁぁぁん、怖いよぉぉぉ～。あっ、あたし、雷さんは大の苦手なのぉぉぉ～」
陽佳はとっさに惇平にしがみ付く。彼女の顔は強張り、体はプルプル震えていた。
「そっ、そうなのか？」
惇平は心配そうに問う。
「わっ、わたしもです。怖いです」
ファンニも抱きついて来た。
「あっ、あの……」
惇平はやや焦る。彼の右腕に陽佳、左腕にファンニが抱き付いている。惇平は自由に身動きがとれない状態になっていた。
「わたしと陽佳さんと惇平お兄さんで、ＣＯ２ね」
「どういうこと？」
陽佳は今にも泣き出しそうな声で問う。
「分子構造よ。惇平お兄さんがＣで、わたしと陽佳さんがＯよ」
「よく分かんないや」
ファンニは楽しい会話を弾ませて、気を紛らわそうとしていた。
ドォォォンッ！ ゴロゴロゴロッ！
と大きな雷鳴が轟くたび、ファンニと陽佳が惇平の体に強く密着してくる。
「あっ、あの。痛いからあまりきつくしめないでね」
惇平は少し苦しがっていた。
☆
それから三〇分もすると、雨は小康状態になって来た。
「惇平お兄さん、ありがとうございました。男らしさを感じました。もう大丈夫です」
「惇平お兄ちゃんの腕、すごく柔らかかったよ」
雷もほとんど聞こえなくなり、ファンニと陽佳はようやく惇平の体から離れてくれた。
「べつに、たいしたことはしてないよ。それより一幡さん、一人で寝てて大丈夫かな？」
惇平は照れ隠しするように別の話題へ振る。
「わたしもすごく心配。ちょっと様子見てくるね」
ファンニはそう言い、愛紗実のお部屋へ向かった。十秒ほどして戻ってくると、
「愛紗実さん、ぐっすりと眠っていました」
笑みを浮かべて嬉しそうに報告した。
惇平達三人は安心して眠りに付く。
☆
翌朝、午前七時過ぎ。
「惇平くん、お婆ちゃん、文ちゃん、おっはよう！」
愛紗実は制服姿でロビーに現れると元気に挨拶し、テーブルの椅子に座る。
「愛紗実さん、３６．７分まで下がってたよ」
「愛紗実お姉ちゃん、お咳も止まったみたい」
ファンニと陽佳はホッとした様子で伝えた。
「それは良かったね」
「愛紗実ちゃん、すっかり元気になったみたいだね」
惇平と光子さんもホッと一安心した。
「これもみんなが看病してくれたおかげだよ、ありがとう、みんな。でも、期末テスト……昨日帰ってから一秒も勉強出来なかったから、不安だなぁ」
「追試があるでしょ」
ファンニはすかさず突っ込む。
「期末テストで頑張らないと、夏休み入ってからも補習授業受けさせられるもん」
愛紗実が不機嫌そうに主張した。
その矢先、思わぬ事態が――。
テレビからアラーム音が鳴り響き、気象速報という字幕が流れたのだ。
続いてテレビ画面上に兵庫県阪神地区に大雨・洪水警報という字幕が表示される。
「警報……警報ってことは、今日は休校ってことだよね？」
愛紗実の表情が次第に綻んで来た。
「警報が出た場合、期末テストは一日延期って言ってたよ」
「よかったぁー。テスト勉強出来るよ。今日はいっぱい頑張るぞぉーっ！」
ファンニからの伝言に、愛紗実は満面の笑みを浮かべて大歓喜する。
「俺の高校も同じく一日遅れになるよ」
「あたしも英語と音楽、余分に勉強出来そうだ♪」
陽佳にとっても、都合が良かったらしい。
すっかり風邪の治った愛紗実は、今日は食事と入浴時間以外のほとんどを勉強時間に費やした。夜は惇平とファンニが共同で作った数学ⅡＢと化学の予想問題を解いていく。
「数Ⅱ５７点、数Ｂ５１点、化学４８点か。もう少し取って欲しかったけど、これなら赤点は回避出来そうね。頑張ってね、愛紗実さん」
各々本番と同じ五〇分の制限時間内にこれだけ取れ、ファンニはまずまず安心した様子だった。
「もちろん頑張るよ！」
愛紗実は自信満々に宣言する。
☆
翌日、当初の予定より一日遅れの期末テスト初日。
「惇平くぅん、私、今日のテスト、ばっちりだったよーっ！」
お昼前、愛紗実は鵙松寮へ帰ってくるなり、とても嬉しそうに惇平に伝えた。
「おめでとう。俺の方もけっこう手ごたえあったよ。今回は総合でも学年上位三十位以内に入れそうだ」
数分前に帰っていた惇平は笑顔で褒めてあげ、自分の期待も伝える。
「わたしのスパルタ教育も効果あったでしょ？」
「うん、かなりあったよ。ありがとうファンニちゃん。惇平くん、ファンニちゃんと惇平くんが作ってくれた予想問題プリントから、たくさん出たの」
先に帰っていたファンニからの問いかけに、愛紗実はにっこり笑顔で嬉しそうに答える。
「それはよかったね」
惇平も嬉しい気持ちと達成感が芽生えた。
俺の行いでこんなに喜んでもらえるなんて、感無量だよ。
思わず嬉し泣きしそうにもなる。
「明日からの分も頑張るぞーっ！ ファンニちゃん、惇平くん、ご指導よろしくね」
「うん。でも、あまり無理はさせないようにするね」
ファンニは愛紗実の学習スケジュールを、午後十一時までに短縮してあげようと考えた。
「あたしも今日の国、理、美ばっちりだったよ。どれも九〇点くらいは取れそう」
陽佳は自信たっぷりに伝える。今回も前回の中間テストの時と同様、保健室でテストを受けさせてもらったのだ。
期末テスト残りの日程も、あっという間に過ぎていく。
