1話目・その6
12時58分。ギリギリではあるものの、コンビニへ到着した。
エルは辺りを見回すが、茉莉らしき少年の姿は発見出来なかった。
未だ到着していないのだろうが、とはいえ、それほど待たされることもないだろう。
夜こそ寒さが残っているが、陽の高い時間帯は程よい暖かさもあり、外で待つのに別段煩わしさを感じることもない。
コンビニの出入り口から少し距離を取り、エルは腕を組みながら待った。
それから5分が経過しようとした頃、息を切らせながら駆けて来る少女が、エルの視界の隅に入った。
少女の存在には気付いたが、待ち人は少年なのだから、特に目を向けることはしなかったが。
しかし、少女はコンビニの出入り口に向かおうとはせず、それどころか、エルの立つ場所に、段々と近付いてくる。
何か用なのか、と思い、エルが其方に顔を向けた時には少女は目の前にいて、
「魔王くんごめん、お待たせ!」
と、息を切らせながら言い放った。
よくよく見れば、この人物は少女ではなかった。
尤も、外見のみで判断すれば、女性であると誰もが疑わないのだろうが。
少女のように見えたのは茉莉だった。
というか、声を聞き、顔を見るまでは、エルにも分からなかった。
何故なら、茉莉が女性の装いをしていたからだ。
少女にしか見えない少年は、淡い水色を基調とした半袖のワンピースを何の違和感もなく身に纏う。
茉莉と面識がなければ、今の彼を男性だと認識出来る者は、恐らくこの世に存在しないだろう。
否、たとえ面識があっても、自然体でワンピースを着こなす少女を、夏川 茉莉と重ねられる者は、殆ど居ないのだろう。
エルにしても“魔王くん”という呼称で呼ばれなければ、もしかしたら茉莉であるとは気付かなかったかもしれない。
それ程までに、見た目は完璧に少女だった。
それでもエルが驚いたのは一瞬のことで、直ぐに落ち着きを取り戻すと、茉莉の言葉に反応する。
「大して待ってはおらぬ。気にするでない。」
「…あ、うん…ありが、とう。」
「それでは場所を変えよう。我の家に来て貰いたいが、構わぬか?」
「…え?う、うん………えぇ!?」
何故か茉莉の方が、驚愕の声を上げた。
エルは状況が理解出来なかったが、取り敢えず話を進めることにした。
「ん?どうした?互いに話があるのだ、立ち話という訳にはいくまい。それに、茉莉には家に来て貰わねば困る。」
「ど、どういうこと!?」
「我の家に、茉莉に話しをして貰いたい者がおる。そ奴と会ってはくれぬか?」
「うぅ…そ、そういうことなら、先に言っといて欲しかったな…。さ、流石にこんな格好で、家にお邪魔する訳には…。」
「別に良いのではないか?どこもおかしくはないぞ。」
「えぇっ!?」
茉莉とエルとでは、根本的な部分から考えにズレがあった。
人間と魔人であることから生じるズレなのだが、それを互いに不思議に思った。
魔界では女性になりたい男性、男性になりたい女性、というのは実は少なくない。
それは、魔法という超能力的な力で、性別すらも簡単に超越することが出来る為、である。
勿論、身体の構造を変化させる魔法であるから、それ相応のリスクも当然あり、体に悪影響を及ぼしたり、身体機能の一部が正常に働かなくなったりする例も割合多く見られる。
そういう者達の存在を知識としてだが知っているエルにとっては、人間は魔法を持たない故に、女性になりたい欲求を、女性の格好をすることで発散しているのだろう、くらいに考えるのが自然だった。
そういった魔人の事情を知りはしないのだから、人間の茉莉が驚くのも当然であったが。
次第に茉莉は落ち着きを取り戻し、エルにこんなことを言った。
「ボク…やっぱり、魔王くんと話せて良かった。」
そして、こう続ける。
「この格好を見て、気持ち悪いって、思ったりしないんだよね…?」
エルの反応を見れば聞くまでもなく答えは出ていた。
しかし茉莉は期待と不安が混じった表情で問いかけた。
安心させる為にも、エルは自分に偽りなく答えを述べる。
「当然ではないか。…まぁ、少し面倒な奴だと思ったことはあるが。」
が、最後に余計な一言を付け加える。
「ひどいっ…!魔王くんひどい!!」
そう言って抗議する茉莉の表情から、不安の色は一切消えていた。
「ひどくて構わぬ。それと、いつまでも立ち話をする気はない。案内するから付いて来るのだぞ、茉莉。」
エルはさらっと受け流し、歩き始める。
まだ言い足りないのに、と言いたげに頬を膨らませながらも、茉莉はエルの後を追っていった。
傍から見ると恋人同士がイチャついているようにも見えた二人のやり取りは、確実にコンビニ前の空気を悪くする原因になっていた。
尤も、歩き出した二人が、それに気付くことはない。
二人は、マンションの部屋へと歩く間、少し話をした。
エルは部屋に着いてから話せば良いだろうと思っていたが、何か言いたげな顔をしていた茉莉に気付き、自分から話題を振った。
「茉莉、その格好だが…。」
と、エルが口を開いた途端、茉莉は瞬間的に、怯えたように、びくっと身を震わせた。
その反応を見るに、やはり触れられたくない話題なのだな、とエルは理解する。
しかし、一度振ってしまった賽を振りなおすことが出来ないように、一度口に出してしまった言葉を引っ込めることも出来ない。
茉莉が触れられたくないというのを承知で、敢えて続けた。
「怯えるな。多分、お前の想像している事とは違う。」
そう言ったからといって、気休めにもならないとは分かっていた。
踏み込まれたくないだろう領域に踏み込んでいるのだから。
だが、恐らくこれは聞いておかなければならない事だ。
そうでないと後々、茉莉を今以上に傷付けることになりかねない。だから、それを確認しない訳にはいかない。
「その格好のこと、他人に知られても平気か?」
茉莉は答えに詰まる。ただ、エルが冗談などではなく、真剣に問うていることだけは理解する。
長い間を置いて、茉莉はようやく決心したように、答えを口にした。
「………平気じゃないよ。魔王くんだから、…ボクを、友達だって思ってくれてる魔王くんだから…知っておいて欲しいと思ったんだよ…。」
「ああ。」
「ボクの秘密を打ち明けても、魔王くんがボクのことをそれでもまだ友達だと思ってくれるなら、これからも友達でいたいって…わがままだけど、誰にも言わないでおいて欲しいこと、だよ。」
「そうか、ではその様にしよう。」
覚悟を持って打ち明けたというのに、エルの返答は淡白なものだった。
「あっさりしてるんだね…魔王くん。」
反応の薄さに拍子抜けしてしまったような、微妙な気分だった。
「我がどんな秘密を打ち明けたとて、茉莉がそれを口外せぬのは分かっておる。故に我もその茉莉の誠実さに応えようと思っただけのことだ。」
茉莉には、エルがそう言い切るだけの、絶対的な確信を持っているのではないか、とすら感じられた。
何故、自分が猜疑心を抱いてしまう事柄に、こうも自信を持って答えられるのだろうか…。
自分が不安に思うことなど、この人にとっては些細なことなのだろうか…。
そういう思いが、茉莉の中に生まれる。
だからそのエルが、何を考えているのかを知りたかったのだろう、質問は、勝手に口から出たものだった。
「な、何でそんなこと、簡単に言い切れるの…?」
決してエルは楽観で先程の言葉を口にしたのではない。
「茉莉が他人の秘密を軽々しく話すような者でないことは、見ていれば分かる。それに我は信じておる。茉莉と友でありたいと思った自身の判断を。友と呼ぶに相応しいと感じたお前のことも、な。」
「やっぱりすごいね、魔王くんは。心配も不安も、これっぽっちもないみたいに、そんなこと言えちゃうなんて…。」
「友の秘密の一つや二つ守れぬような器の小さき者が、魔王を目指すなどとおこがましい事は言えぬであろう。」
冗談めかしくエルは言った。
エルの台詞に、何故か茉莉は吹き出してしまった。
勿論、魔王という単語が今更おかしかった訳ではない。
自分でもよく分からなかった。言えることは、胸のつかえが取れたように、気分がすっきりしていたことくらいだ。
「あ、ご、ごめんね、魔王くん!笑うつもりなんか、全然なかったんだよ!?」
「分かっておる。…ああ、こっちだ茉莉。」
エルが茉莉に応えたところで、マンションの前へと到着した。
それから間髪入れず声をかけたのは、通り過ぎようとした茉莉を呼び止め、エレベーターへと先導する為だ。
「うん。」
茉莉は短い返事をすると、エルの入っていくマンションの中へと続く。
入り口を潜り、正面のエレベーターに辿り着いて上昇ボタンを押すと、直ぐに扉は開いた。
室内には二人だけで、途中の階で止まることもなく、エルの部屋がある20階へと直上した。
その二人だけの密室の中で、茉莉はエルに、笑顔を向けた。
「ボクも魔王くんの秘密、ちゃんと守るからね。」
と、心からの言葉を口にした。
「我に守って欲しい秘密など、ないがな。」
そう応えるエルに、茉莉は口を開こうとしたが、そこでエレベーターのドアが開き、茉莉は言うタイミングを逃した。
エルは茉莉が何か言いかけたのに気付いてはいたが、続きは中で話せば良いだろう…と、エレベーターから降りると自分の生活し始めたばかりの一室へと足を向けていた。
そうしてカードキーでドアのロックを手早く外し、無遠慮に扉を開けると、中にはずっとそこで待っていたかのような、執事の姿があった。
「おかえりなさいませ、エ………ル様ぁ!?」
執事グラゼルは、エルが帰宅すると同時に彼を出迎え、そして場違いな驚声を張り上げた。
驚いたのは当然エルにではなく、エルの後ろに居る少女に対してだった。
正確には少女ではなく、少年であるのだが、それを知らないグラゼルが茉莉のことを男性だと思うのには些か無理がある。
故に、まさかエルが女性を連れてくるとはこれっぽっちも想定していなかったグラゼルは、そのように素っ頓狂な声を発してしまうことに相成ったのだ。
「どうしたのだ、グラゼル?」
「い、いえ…何でもございません。そ、それでは、リビングへ、ご案内致します。」
言いながら90度ターンすると、グラゼルは玄関にいる二人を置いて、勝手に一人でリビングに歩いて行ってしまった。
動揺していることが、はっきり見て取れた。
他人に動揺する姿を見せるグラゼルなど珍しく、それが面白くて、エルは密かに笑っていた。
「案内するほど広い家でもなかろう。」
そして、いなくなった執事に対して、今更なツッコミを入れた。
茉莉は玄関に立ったまま、不思議そうな顔をしていた為、一応エルはフォローを入れておこうと思い、声をかける。
「茉莉に驚いたようだったが、直ぐに落ち着くだろう。気にするな。」
エルは茉莉にそう言うと、靴を脱いで玄関から廊下のフローリングへと上がった。
「う、うん。あ…お、おじゃましまーす。」
戸惑いながらも言うことを言ってから、茉莉もエルに倣う。
しかし直ぐに首を傾げて、エルに質問をした。
「今のって…お父さん?」
「否、我の父はここにはおらぬ。あれは我の身の回りの世話をしてくれている、執事のような者だ。」
「そっか。………って、なんかさらっととんでもないことを聞いた気がするよ!?」
冷静に答えるエルと茉莉とでは、間逆の温度差である。
しかしながら、それは至って普通の反応であると言えよう。
「大して問題があるとは思えぬが。」
「い、いいですか、魔王くん!普通のお家には、身の回りの世話をしてくれる人なんて、いないんですよ!」
「何故敬語なのだ。」
「と、とにかく…!学校とかでは、執事さんがいるだなんて言わない方が身の為だよ、魔王くん!」
「そ、そうか…忠告感謝する。」
身の為だ、と…別にそこまで言う程のことでもないが、単に茉莉が平静ではいられなかった為、言葉を選んでいる余裕がないだけだった。
茉莉の様子に何やら鬼気迫るものを感じたエルは、とりあえず頷いておくことにした。
「取り敢えずだな、茉莉…。リビングに入る前に、一度深呼吸すると良いと思うぞ。」
落ち着きを取り戻させるために、彼は慎重に言葉を選んだ。
「う、うん。じゃあ、そうするよ。」
すーっと息を吸い込んで、はーっと吐き出す。
三度長い呼吸を繰り返した後は、すっかり茉莉の表情は、元の和やかなものに戻っていた。
「よし、もう大丈夫。ご心配をおかけしました、魔王くん。」
「まあ、気にするでない。」
リビングへのドアはエルによって開かれた。
ドアの向こうで待ち受ける事態が、この先の運命を大きく左右することになろうとは、想像もしないままに。