3話目・その2
遊園地…それは人間界における巨大娯楽施設である。
バラエティ豊かな数多くのアトラクションを有し、大人も子供も楽しめる遊び場。
アニマルランドは、そんな遊園地の一つなのだ。
エルとリアが電車で疲弊し切ってしまう、という問題は発生したが、彼らはほぼ予定通りの時間に到着することが出来ていた。
休日の為、人の姿は多い。
同じ駅で電車を降りた人の中にも、この遊園地が目当てのグループが多かった事は容易に想像が付く。
本日、エル達がアニマルランドを目的地としたのは、エルの悩みを解決する為である。
悩みとは、人間界に飽きてしまったのではないか、という漠然としたものだった。
エルは茉莉との話し合いで、人間界の生活に新鮮さを感じなくなった所為で、人間界に求めていたものと現実とのギャップに悩まされているのではないか、という結論には達していた。
どうすれば解決出来るかは難しいところだが、取り敢えずの方針は、こうだ。
生活範囲が限られている現状を改善することで、エルが未だ知らない知識や体験をさせてしまえば良い。
少々安直かもしれないが、考え方としては間違っていないだろう。
未知の知識や体験を自ら認識させ、それによって人間界を知ることに対する意欲を取り戻させる。
日本でずっと生活している茉莉からすれば、エルは人間界は疎か日本のことすら全然知らないのだ。
だというのに、彼は人間界のすべてを知ってしまったかのような思い込みをしてしまっている。
先ず根本的な部分から、意識の改善が必要なのだ。
その為には、別に目的地が遊園地である必要はない。
ただ、どうせなら楽しい方が良いだろうし、茉莉が個人的に行ってみたかった、という理由から、アニマルランドに決まっただけなのだ。
そうして茉莉の念願叶って、今日この場所へとやって来た。
三人は入り口で入場券とアトラクションのフリーパスを購入し、受付員からパンフレットを手渡された後、すぐに入場する。
「ボク一度来てみたかったんだよねー、アニマルランド。」
まるでエルの悩みのことなど綺麗さっぱり忘れているかのように、茉莉ははしゃいでいた。
「どこから回る?ね、魔王くん、リアちゃん、どこが良いと思う?」
「我はこのような場所とは無縁だったのでな…茉莉に任せる。」
エルとリアの故郷である魔界には遊園地というものがなかった。
そもそも娯楽施設と呼べるもの自体が皆無だった。
仮に、魔界に遊園地があったとしても、魔王城の外へは殆ど出たことがないエルには、知る由もないのだが。
リアも物珍し気にキョロキョロと辺りを見回すばかりで、エルが茉莉の問いかけを魔人語に訳しても、どこに行きたい、と言い出す様子はなかった。
日本語を読めるエルですら、アトラクションの説明が書かれているパンフレットを見ても、それぞれがどういうものなのか把握出来なかったのだから、日本語が読めないリアには皆目見当が付かないだろう。
二人の著しくない反応を見て茉莉は、
「うーん…それじゃあ、最初は………。」
と言って、パッと頭に浮かんだアトラクションに足を向けるのだ。
遊園地という遊び場を知らない兄妹は、どこに向かっているかも分からず付いて行くしかない。
向かった先は絶叫マシン。その典型ともいうべき、ジェットコースター。
遊園地から連想し、茉莉が最初にイメージしたのがこれだっただけの話だが。
並ぶ人の数はそれなりに多く、20分強は待たされるようだった。
順番待ちの間に、茉莉は一般的に遊園地がどういうものか、大まかに説明した。
説明が終わるとそのまま雑談に花を咲かせていたのだが、
『…ところでさぁ、茉莉姉ぇ…これほんとに面白いの?』
と、リアが訝しげに疑問を口にしたのは、並び始めて10分は経過した頃だった。
待ち時間の内に際限なく、甲高い悲鳴が聞こえ続けるのだから、疑わしく思うのも仕方がないだろう。
勿論これだけ長蛇の列を作っているのだ。人気のアトラクションの一つだという事は、リアにも十二分に理解は出来るのだが。
実際に絶叫マシンを体感したことがない者からすると、全然楽しそうには見えないのである。
言葉にこそしていないが、エルも大体同じ印象を受けていた。
「これはね、スリルを楽しむものなんだよ、リアちゃん。」
『え、えーと…?』
茉莉とリアは、エルを介して自然に話を進める。
この会話方式にも、ここ数日で、すっかり馴染んでいた。
「爽快感とか浮遊感みたいな、日常じゃ味わえないスリルを味わえるものなんだけど。安全が保障された上での恐怖を楽しむ…みたいな感じかな?」
改めて聞かれると、的確にジェットコースターの面白さを表現するのは困難である。
リアも、その説明では納得出来ない、といった風に、質問を続けた。
『いまいち分かんないよ。乗ってる間はすごいスピードで飛んでるって認識で良いの?私達は魔法で空飛べるから、もしかしたら楽しさは伝わらないかもだけど。』
魔法の有無による、意識の差。人間と魔人の価値観の違い。そういうものをリアは言いたいのである。
しかし、今のリアの台詞が茉莉に伝えられることはなかった。訳す前にエルが口を挟んだからだ。
『おい、リア…他の人間達も居る前で、平然と魔法などと言うでない。』
彼の指摘は尤もだった。
そのまま翻訳する訳にはいかない台詞を、茉莉に伝えることなど出来ない。
『…あぁ、ごめんごめん。』
罪悪感などは微塵もないリアだが、一応謝罪する。
この場で兄貴の機嫌を損ねて、追い返されでもしたら堪ったものではない…そう考えたからだ。
『じゃあ茉莉姉ぇにはこれだけ伝えといてよ。私には面白さは分からないかもしれないけど、茉莉姉ぇが楽しいと思うものなら、私も同じように楽しいと思えれば良いな。ってね。』
エルは快諾すると、それを茉莉に伝えた。
すると茉莉は柔和な笑みを見せた。
「ボクもほんと言うと、ジェットコースターって得意な訳じゃないんだけどね。あ、リアちゃんには言わないでね、魔王くん。」
「うむ、分かった。」
微笑を浮かべ、エルは了承する。
すぐに茉莉は、うんうん、と頷いて満足気な表情になった。
そんな2人の短いやり取りの間に、リアの姿は、いつの間にか、ふらっと列から抜け出していた。
少し開けた踊り場の、ジェットコースターに乗るために上へと向かう通路ではなく、境界のロープを越えた先…ジェットコースターから降りた後、下へ向かう為の通り道に、彼女は佇んでいた。
何をしているかというと、手すりから身を乗り出すようにして、そこから雑踏を見下ろしていたのだ。
エルも茉莉に一言断りを入れ、列を抜けると、リアの隣に立つ。
『兄貴、人間ってどのくらいいるんだろうね?』
来ると予想していたのか、リアは隣に現れた人物を確認もせず切り出した。
『さぁ…どうであろうな。このアニマルランド内だけでも、魔人の数より多いのかもしれぬ。』
眼下には数千にも及ぶであろう数の人間達が、遊園地の中を闊歩しているが、エルは同規模の魔人達が一堂に会する所を見たことがない。
『私さ、思ったんだけど…盟約って、魔人を守る為のものなんじゃないかなって。』
発せられた盟約という言葉は、魔人が人間界に来るにあたってのルール。
人間に魔法の存在を知られてはいけない、というものに他ならない。
『もし人間と魔人が戦ったら、魔人に勝ち目はないんじゃないかってこと、考えちゃったんだよね。』
リアはいつになく真面目な表情で、視線を揺らすことなく語る。
『何故そう思う?』
別に人間を劣等種だと見下している訳ではない。ただ、人間と魔人が本気で戦い合った場合、魔人が負ける未来は想像出来ない。
と、エルは思うが、どうやら妹はそうは思っていないらしいのだ。
リアはエルに一瞥をくれると、問われるまま、自身の考えを述べ始めた。
『人間と魔人って、数が全然違うよ。確かに個々の能力を比べたら、魔法ってアドバンテージがある分、人間に負けることないとは思う。でも、相手が10人ならどう?100人なら?1000人だったら?兄貴はどうだか知らないけど、私なんかは、きっと勝てないよ。』
絶対数において勝ち目がない。だから、人間界で孤立した魔人を守る為に、盟約が設けられているのではないか…と、リアは言いたいらしい。
『考えたこともなかったな。まぁ、我も魔王の考えを理解しておる訳ではない。魔界に帰ってクソ親父にでも聞くが良い。』
全く…遅くとも三日でリアに迎えを寄越すと思っておったのに、いつまで経っても迎えを送らぬクソ親父め。あれで魔界の王を名乗っておるのだから困る。
思い出したように、心の中でエルは悪態をつく。
それを察したのかは分からないが、
『はいはい、迎えが来たらね。』
言いながら、リアは面倒そうに肩を竦めた。
ところで、ジェットコースターへと続く人の列は、2人が話している間にも順々と進んでいた。
そのことに気付かないのか、茉莉はそろそろ発車地点に到達してしまいそうなのに、2人は一向に戻ってくる気配がない。
「2人共ー、早く戻って来てー!」
茉莉まで列を離れる訳にもいかない為、兄妹に向け、控えめに声を飛ばす方法しか取れなかった。
声をかけられたことに反応を示すと、取り急ぎ二人は茉莉の並ぶ位置まで戻り、謝罪する。
程なく3人は、ジェットコースターに乗せられた。
アニマルランドのジェットコースターは、ハヤブサを模したものである。
ただ残念なことに、デザインがデフォルメされている所為もあるのか、これを初見でハヤブサだと見破れる者は少ない。
世界最速の動物を模しているだけあって、最高速度は150kmを超える。
尤も、アニマルランドにあるジェットコースターが世界最速な訳で何でもなく、ハヤブサの最高速度の半分にも達してはいない為、インターネット上では完全にネタ扱いされている。
そんな残念感漂うエピソードはあるにせよ、その実、ちゃんとした恐怖を味わわせるに相応しい乗り物なのだ。
高所から急速落下する様は、まさにハヤブサが獲物を狙って急降下する時のそれに近い。
乗る前は、ジェットコースターというにはミスマッチな、微妙に可愛らしい外見に恐怖が多少和らぐのだが、実態は人間を恐怖のどん底へと突き落とす為に作り出された、悪魔のマシンなのだ…と、体験者は語る。
その心変わりの間、わずか2分足らず。
それは魔人であっても例外ではなく、三人は終着までの時間に、ジェットコースターのスリルを余すことなく体感させられるのだった。
落差の激しいコースに、茉莉は、本当に男なのかと疑いたくなるような、黄色い悲鳴を上げていた。
リアは最初の急速な降下に怖がった様子を見せたが、途中から感覚が麻痺してきたのか、この恐怖を楽しいと感じる気持ちも同時に芽生え始める。
エルはというと、只管落下を繰り返す、という今まで味わった経験のない恐怖に加え、少しだけ乗り物酔いのような気持ち悪さを感じていた。
魔法で空を飛ぶ場合、これほど無茶をすることはなく、感覚が違いすぎたのだろう。
ジェットコースターから離れ、平静を取り戻した頃、彼の脳内では、そういった結論が成されていた。