2話目・その8
エルの自室には、現在三人の人物が居た。
魔王の息子エル、魔王の娘リア、そして、エルの初めての友人である茉莉。
エルはすっかりご機嫌斜めなリアを宥めようと頑張っているが、一向に機嫌は良くなりそうにない。
不機嫌になった原因はエルにあったので、当人がいくら宥めようとしても逆効果だろう。
リアは1人で無事に家に帰り着いたものの、オートロックでドアが開かず、数十分その場で立ち往生していた。
インターホンの存在も知らなかった為、チャイムを鳴らすことも出来なかった。
何度も扉を叩いて呼びかけたりはしたが、全員がリビングにいたので、誰も気付くことはなかったのだ。
その内にリアは、自分が忘れられていることを悟り、どんどん機嫌が悪くなっていった。
自分が鍵を持ってないのは知ってるだろうに、ドアを開けておくという気すら回さなかった…と、エルを恨むのも仕方ないだろう。
このままでは埒が明きそうにないので、二人の会話が途切れたらしいタイミングを見計らって、茉莉はエルに提案する。
「ね、魔王くん。少し妹さんと話させてくれないかな?」
「今はリアは機嫌が悪い。止めておいた方が良いだろう。」
「ボクの為に魔王くんは戻って来てくれたんだから、ボクも妹さんを怒らせちゃった原因の一人だよ。だから妹さんと話して、ちゃんと和解したいんだ。妹さんの機嫌が悪いまま家に帰るのも後味が悪いし…ね。」
原因というならそもそもの原因はグラゼルにあるのだが。
今それを言っても責任の擦り付けにしかならないというのは、エルにも分かっている。
「そこまで言うのなら…頼めるか?」
自分ではこれ以上どうにもならないだろうと感じていた為、エルは仕方なしに茉莉の提案を呑むことにした。
「うん。ボクは魔人語は分からないから、通訳は魔王くんがお願いね。」
「…ま、魔人語?」
「ま、魔界の言葉っ!」
魔人語というのはさっき茉莉が命名したのだが、通じないようだった。
茉莉は何だか恥ずかしくなって、すぐ訂正した。
「じゃ、じゃあお願いね、魔王くん!」
と、恥ずかしさを隠すように、両拳をぐっと握りながら、力強く口にした。
「う、うむ。」
頷いてから、エルは再度リアに話しかけた。
『リア、聞いてくれぬか?』
『何?茉莉の入れ知恵?兄貴が悪いのは変わらないでしょ?聞くだけなら聞いてあげるけど。』
不貞腐れながらも、何とか聞き入れる姿勢は見せた。
少しは宥めた甲斐があったのかもしれない。
確認を取った後、エルは目で茉莉に合図する。
茉莉も頷き、話し始めた。
「ね、リアちゃん…確かに魔王くんが悪いとは思うけど、ボクもリアちゃんの機嫌を悪くさせた原因だから、謝りたいんだ。ごめんね、リアちゃん。」
エルはそれを要約して、魔人語でリアに伝える。
リアは怪訝な顔をしたが、エルの仲介で茉莉が話をしようとしてることに気付くと、その言葉に対して返事を返す。
『私は兄貴に腹が立ってるだけで、茉莉には謝られても困るだけなんだけど。』
リアの返事を、エルが要約して、茉莉に伝える。
「ボクにも原因があるって言ったよね?魔王くんは、ボクがグラゼルさんに何かされそうだって思ったから、帰って来たんだよ。だから、魔王くんがリアちゃんを置いて帰って、忘れちゃってたのは、ボクにも責任があるんだよ。」
『まぁ、そう思うのは勝手だけど?それで何?兄貴の変わりに、自分を恨めとでも言うの?』
「それで魔王くんと仲直りしてくれるなら、ボクのことはいくらでも恨んでくれて良いけど。でも、そうじゃないよね?だから、リアちゃんが許してくれるかは別として…魔王くんがそこまでボクのことを心配した理由っていうのを、聞いて欲しいんだ。」
『理由ねぇ…私が納得出来るものなら、考えてあげる。』
茉莉は次の言葉は、エルに向けて放った。
「ごめんね、魔王くん。ボクはリアちゃんに、魔王くんとの秘密をバラそうと思うんだ。もし問題があると思ったら、リアちゃんには、適当に誤魔化しておいてくれないかな。」
「…否、構わぬ。だが茉莉…リアがグラゼルに告げ口せぬとは限らぬのだぞ。そうすればお前は…。」
エルの心配は、茉莉が魔法の存在を知っていると発覚し、茉莉の記憶を消さなければならなくなること。
「うん…だから、魔王くんがそう思うなら、止めておいて。グラゼルさんの耳に入ったら、魔王くんが魔界に帰らないといけなくなっちゃうんだもんね…。」
茉莉の心配は、エルが魔法の存在を人間に知られたと伝わり、エルが魔界に帰らなければならなくなること、だった。
リアは二人の表情を窺い見ながら、ただ事ではないと察した。
だから文句を言うこともなく、エルを介して伝えられる茉莉の言葉を待っていた。
「ボクは前に、目の前でグラゼルさんに魔法を使われそうになったことがあって…その時は魔王くんが止めてくれたんだけど。今回も魔法で何かされるんじゃないかって、多分すごく心配してくれたんだよ…。だから、他のことに全く気が回らなかったんだと思う。リアちゃんのことを蔑ろにしてた訳じゃないんだよ。」
茉莉は数日前に起こった出来事を話す。
それをエルが翻訳したのかは、返事が返ってくるまでは分からない。
だが、リアの様子を見ていれば、エルの言葉を聞いても、特に驚くこともなかった。
やっぱり、こんなこと伝えなかったんだろうな…と茉莉は思う。
そしてリアの言葉が返ってきた。
『あのグラゼルがそんなことするなんてね。ってか、そんなことバラしちゃって良いの?今聞いたことを私がグラゼルに言ったら、二人共、一緒に居られなくなるんじゃないの?』
茉莉は目を丸くした。
リアが話を聞いても特に動じなかったから、というのもあるが、エルが本当に言葉を伝えていたことにも、驚きを隠せなかった。
茉莉はエルに視線を向けるが、エルは何も言うつもりはないようだ。
「そうだね…ボクは記憶を消されて、魔王くんは魔界に戻ることになるみたいだね。でも、ボクが原因で、魔王くんとリアちゃんの仲が悪くなっちゃうのは、なんか嫌だったから…。」
『はぁ?馬鹿みたい。兄貴も馬鹿だね。これで魔界に帰るのは決定だよ。あーもう、怒ってるのも馬鹿らしくなっちゃうじゃん。』
「納得、してくれた?」
『良いよ、怒るのはやめる。でも2人の秘密は、守ってやる義理なんかないからね。』
「うん、ありがとう。」
こうなることは目に見えていた。
リアだって魔人であり、魔王の娘なのだ。
魔王の定めた盟約を破るような行為を黙認はしないだろう、と分かっていた。
でも、茉莉はこれで良いと思った。
本来ならエルは、もう人間界にはいない。それを自分のわがままで、ルール違反をさせてまで引き止めたのだ。
兄妹の仲を悪くさせてまで、エルを人間界に引き止めておくのは、茉莉の真意ではない。
二人が仲直り出来るならそれで良かった。
「魔王くん、ごめんね…。」
しかし、当のエルは、茉莉がどう思おうが、人間界に残りたかったかもしれない。
わがままで引き止めて、わがままで魔界に帰らせてしまうのだ。
茉莉は、自分の都合でエルの人生を弄んでしまったとさえ思う。罪悪感はいくらでも溢れてくる。
「気にするな。我は茉莉のしたいと思ったことを聞き入れただけだ。リアに伝えた時点で、覚悟は出来ている。」
エルは、一切気にした風もなく、優しく微笑んでいた。
彼らの遣り取りは、果たしてリアの目にどう映ったのか。
リアは何だかいたたまれない気持ちになって、つい言ってしまったのだろう。
『あーもう!兄貴と茉莉と私、三人の秘密にするっていうなら、私も何も言わないであげるよ!』
半ば自棄のように、言い切ったのだ。
『リア…お前、本気か?』
エルは、妹の台詞に耳を疑う。
『ほら、どうするの。気が変わらない内に決めてよね。』
そんなもの、聞かれるまでもなく、答えは決まっている。
『うむ。そうだな、茉莉が魔法の存在を知る人間だというのは、我と、茉莉と、リア…三人の秘密にして欲しい。』
だから、エルはハッキリと告げた。
『うん、そうこなくっちゃね。』
悪戯っぽい笑みで、リアは秘密を承諾した。
それから間を置かずにエルは、リアが今の話を秘密にしてくれることを茉莉に話す。
茉莉は驚きながら聞いていたが、エルが魔界に帰らなくて済んだことを喜んだ。
「ありがとう、リアちゃん。」
と、リアへ心から感謝も伝える。
『お礼なんて良いよ。なんかむず痒いし…。』
「ううん、本当にありがとう、リアちゃん…!」
『だーかーらー、むず痒いんだってば!!』
リアは自身に向けられる度重なる感謝に、照れてそっぽを向いた。
会話を交わしたことで、何だかリアは茉莉とも仲良くなったようだった。
秘密を共有する、といった行為が、打ち解けるきっかけを与えたのかもしれない。
「ボク、リアちゃんとも、もっと話したいんだけど…リアちゃんは、いつまでこっちに居られるの?」
「迎えが来るまでだ。」
「そっか…短い間かもしれないけど、人間界にいる間は、いっぱいお話しようね、リアちゃん。」
リアに向けられる言葉は、エルが仲介し、翻訳した。
これが暫くの間続くとなると忙しいことだが、これはこれで悪くない…と、エルは思う。
『うん。私も、茉莉には少しだけ興味あったから。』
リアはそう言ってから、一呼吸の間を置いた後、意を決して、それを言葉にした。
『…これから、よろしくね。…茉莉姉ぇ!』
「あ、あはは…こちらこそよろしく、リアちゃん。」
“茉莉姉ぇ”と呼ばれたことで、女装していることに若干後ろめたさを感じながらも、茉莉は努めて笑顔で返した。
それから茉莉が帰宅するまで、三人は談笑するのだった。
茉莉が帰る頃には、リアはすっかり茉莉と打ち解けていて、話し足りないと文句を言うくらい、茉莉とは本当に仲が良くなってしまっていたのだが、その理由はエルにはよく分からない。
しかし、仲が悪いよりは良いに越したことはないだろう。
エルには時々見せる悪意のある表情も、茉莉の前では見せていない。
リアが良い意味で変わるきっかけになるかもしれないな、とエルは思う。
茉莉が帰って一時間程が経過すると夕食になり、食卓には茉莉の作った料理が供された。
料理は茉莉が作ったのだから…と、持って帰って貰うことも考えたのだが、一人じゃそんなに食べられない、ということで、エルの家に残されたものだ。
せっかく作ってくれたのだから食べなければ勿体無い。食卓に上げることを、エルが全面的に勧めた。
今回は魔法の介在する余地もない人間らしい解決方法だった為、エルもそこまでグラゼルを責め立てたりはしていない。
無論、怒っていない訳ではないが。
グラゼルは黙って従ったが、彼の思惑はまた別のところにあった。
それは何かというと、エルとリアに料理の採点を託すことだった。
二人が揃って美味しいと答えれば、グラゼルは茉莉をエルの恋人として相応しいと認める。
もし、どちらか片方でも不味いと言えば、茉莉のことを認めない。
エルは茉莉が作った料理だと知っている為、例え口に合わなくとも、不味いなどとは決して言わないだろう。
分が悪いのは百も承知だが、それを今回の罪滅ぼしとして、グラゼルは結果を受け入れることに決めていたのだ。
現実問題としては、何の罪滅ぼしにもならないが。
しかし、グラゼル自身がそう答えを出したのだ。後は口を挟むことなく見届けると決めていた。
二人はグラゼルの見ている前で、料理を口に運ぶ。
勿論、わざと不味いと思わせるような細工などしていない。
きちんと温め直し、出来得る最高の状態で、主達に提供しているのだ。
エルは何も言わずに食べているが、見ている限りでは、口に合わないということはなさそうだった。
エルの食事ぶりを見て、グラゼルは諦めかけた。
しかし、リアの方に目を遣ると、意外にも手が進んでいない。
しばらく様子を見ていると、リアは完全に手を止めて、席を立った。
『気持ち悪い…。』
一言そう告げると、リビングから出て行くのだった。
グラゼルは確信する。
リアは茉莉の料理が不味いと感じたのだ…と。
実のところ、変な時間に苺パフェを食べてしまったせいで、お腹がいっぱいになっていただけなのだが、それを知らないグラゼルからは、口に合わなかったとしか思えなかったのである。
グラゼルが茉莉を認める日は、果たして来るのだろうか。
朝、リアはリビングで一人、昨日の夕食を片付けながら、ぼやいていた。
料理には殆ど手を付けていなかった為、サランラップで覆い、昨日の状態のまま保存してあったのだが、それがリアにとっては嫌がらせと感じる原因になっていた。
サランラップを破ってそのまま食べ始めたのだが、中央から破っていったので、丼の中に半分ほど落ちてしまったのだ。
破れた透明なフィルムが口の中に入って来るので、その都度吐き出さなければならない。
極めつけは、料理が完全に冷めきっていることだ。
単なる知識不足であるが、勝手にサランラップが保温効果でもあるものだと思ったらしい。
リアの結論は、グラゼルが意地悪でこんなものを付けたんだろう、以外になかった。
グラゼルの知らないところで、彼の評価はだだ下がりだった。
ただし、どう考えても冤罪である。
それと同時刻、久十里学園1-Dの教室では、エルの机をクラスの数名の男子が取り囲んでいた。
言うまでもなく、その中に茉莉の姿はない。
名前を知る人物はいた。
昨日の朝もやって来ていた神田 亮吾だ。
エルは同じような光景を、以前にも見たことがある。
故に、この後で何を言われるのかは、簡単に想像することが出来た。
「なぁ、お前昨日、校門のとこで、すっげー可愛い女の子を連れ去ったそうじゃねーか。」
「見てた奴は大勢いるみたいだな。」
「二股かよ!どっちか俺にも紹介しろよ!」
「あ、そういや今回は外人っぽかったってな。」
「まじか、元カノ?」
「いや、現在進行形じゃないか、ありゃ…。」
「二股とか許せねぇだろ!?おい、どうなんだ、ハッキリしろよ!?」
周囲の男子達の視線はエルに集まる。
軽く息を吐くと、エルは呆れながら、一言だけ放った。
「妹だ。」
と。
第2話・完