身勝手、軽蔑
地鶏酒で飲んだ翌日は、丸一日動けなかった。一日ベッドで過ごせる幸福を二日酔いの頭に叩き込んだ私は、次の朝からパソコンで求人情報をチェックし始めた。
給料は高くなくても可、残業は少なめで、ホワイトな企業はないだろうか。
「……いやこれ嘘でしょ」
独り言で文句を付けながら、何十件もの募集条件を確認する。「実働8時間半※プロジェクトにより変動します」って、何だかんだ倍になったりするに違いない。「残業は月15時間程度です」ってゼロ抜けてるんじゃないだろうか。
ぽちぽちクリックしていると、
ピンポーン、
とインターホンが鳴る。
「はいはーい」
私はブラウザを開いたままで、部屋着のキャミソールの上にパーカーを羽織ってから玄関へ向かった。下はスポーツブランドのジャージで、買い物には行けないけれどゴミ出しや郵便の受け取りくらいには十分だ。
これでも独り身の女、それなりの警戒心はある。覗き穴へ近付くと、予想していなかった人間がいた。
「千浦……?」
『佐久間さーん!』
今ならセールスでも宗教でも歓迎できる。
ドアの外にいたのは、千浦だった。
思わず声に出してしまい、それが外まで漏れたらしい。居留守を使うわけにもいかず、私は見られたくないものをクローゼットに詰め込むだけの簡単な片付けの後、千浦を部屋に招き入れた。
女の一人暮らしには十分な広さだが、男が増えると途端に狭く感じる。
「コーヒーしかないけどいい?」
「あ、ありがとうございますー……」
いつもへらへらしている千浦には珍しく、元気がない。青菜に塩という体で、私が煎れたコーヒーを口にする。
私はミルクでカフェオレに、千浦にはミルクと砂糖を一緒に用意する。砂糖いくつ、と聞く程の仲ではないし、セルフでどうぞ。
「今日仕事は?」
「午後出勤ですー。……佐久間さん、あの、部長から辞めるって聞いて、」
「うん、辞めるから」
それを聞いた途端、千浦はローテーブルにコーヒーを戻して頭を下げた。
「え?」
「お願いしますー!辞めないで下さいー!」
姿勢は土下座のそれで、場所が場所ならば私は慌てふためいただろう。ただしここは私の自宅。フローリングの上に引いたカーペットで、しかもローテーブルを挟んだ私は正座をしている。
イマイチ決まらない状況のまま、私は千浦を見下ろした。
「何なのいきなり家まで来て。しかも住所どうやって調べたの」
「総務に社員名簿見せてもらいましたー」
「………」
システム系の企業として、あるまじき情報管理の杜撰さだ。私は、どうせもう辞める、と頭で唱えた。
「とにかく頭上げて。それから辞めないってのは無理」
「そんなぁ……。せめて、半年続けてくださいー!」
「半年?そんなプロジェクトないよね?」
進行中のプロジェクトは一段落していたし、役職もない私が抜けて難しくなる企画もなかったはず。
唸っている私に、火を点けた挙げ句油まで注ぐ人間がいた。
「佐久間さんが残業してくれないと、俺も課長も定時で帰れないじゃないですかー!!」
マグカップをその顔面に投げなかった私は、褒められるべきだ。
「……退職届っていうのはね、会社が受け取った瞬間撤回できなくなるの。だから無理」
「じゃあ会社辞めても来てくださいよー!今も有給ですよね?!休みだったら暇ですよねー?!」
「……とりあえず帰ってくれない?もう来ないでほしいんだけど」
私に無休・無給で働けと。自分たちが定時で帰りたいから残業しろと。
自分が何を言っているか理解できていない千浦に、軽蔑の視線を投げる。それすら千浦は気付かないらしく、益々頭を低くした。
「半年!半年過ぎたら何でもしますからー!」
「……そう、私に半年ただ働きさせたいの」
「え?!……あっ!!」
会社を辞めるということは給与も発生しないことにやっと思い至ったらしく、千浦が顔を上げた。
私は表情を消して、ローテーブル越しに千浦を見遣る。弁解の機会はあげない。
「違、そーいうワケじゃ、」
「帰ってくれる?警察呼ぶよ」
うなだれて部屋を後にする千浦の背中、その肩を落とした理由を知るのはもう少し後だ。




