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宴もたけなわ

 二日連続で地鶏酒を訪れたのは初めてだったりする。今日もバイトだったらしい水神青年の、昨日よりは柔らかいがまだまだぎこちない営業スマイルに会釈で返す。


「とりあえず生中」

 とりあえずも、私はビールしか飲まないのだけれど。先にカウンターに座っていた霞先生は先にお通しを水で消費していた。

「俺も。花雪洞、それとささみの刺身と鶏わさび」

「かしこまりましたー」

「……先生、お通しのタイミング間違ってます」

 お通しとは、料理が出来るまでの繋ぎに、酒の肴として出されるもののはず。酒が出てくる前に食べ終わっては意味がない。


「ここ、お通しも美味いんだよ」

「なお勿体ないじゃないですか」

 霞先生は素知らぬふり、私は何度も目を通したメニューをめくる。定番メニューは見なくても注文できるけれど、たまに期間限定メニューがあったりするのだ。


「生中と花雪洞、おまたせしましたー」

「直也、お通しお代わり」

「は?」

「もう、霞先生。だからお通しの意味わかってます?」

 私はまだ箸を付けていない自分のお通しを、霞先生の前に置いた。


「ありがとな」

「どう致しまして」


 黙々とお通しを肴に酒を飲む姿を横目に、私はジョッキを傾けた。程よい苦味が喉に染み渡る。この美味さを知らない人間は人生の半分損している。


「佐久間、今日何で呼び出したんだ」

「ああ、仕事辞めたんで、報告しようと思って。現在絶賛無職です」

「……ICレコーダー持ってきてねーよ」

「残念」


 霞先生は眉根を寄せて吐き捨てた。そんなに、私という資料を記録できないのが悔しいのか。


「詳しく色々聞きたいんだが」

「大したことないですよ。普通に退職届出して、終わり。今有給中だからまだ社員ですけどね」

 既に自覚はないけれど。


「随分急だな」

「思い立ったが吉日ってやつですよ」


 どうせ、してもしなくても後悔するのなら、実行してみるのも悪くない。

 それに、憎たらしい課長や千浦、他の同僚たちへの復讐も兼ねて。


 後ろ向きな快感に口許を緩める。人間とは、自分勝手な生き物なのだ。他人の不幸は蜜の味、昔の人は上手いこと言う。


「再就職先は?」

「まだ、これから探します。何せ21日お休みありますからね。ゆっくり探せますし、私即戦力ですから」



 ぐい、とジョッキを乾かすと、水神青年が料理を出してくれた。


「おまたせしましたー」

「あ、生中お代わりー!あと唐揚げね」

「俺も、梅酒ロックで」

 芋焼酎もコンプリートした模様。私はアルコールの昂揚に身を任せ、霞先生の肩をばしばし叩いた。


「どんどん飲んじゃってください!今日は私の退職記念日です!」

「んー」

「さあ、乾杯は杯を乾かすって書くんですよ!!」


 こんなに気分良く酒を楽しめるのも久々だ。



 私はもうすぐ無職になる。彼氏もいない。友人の結婚式にも出ないくらい薄情だ。それなのに、こんなに幸福な気分でいる。



「ねえ霞先生、今日は私が先生の愚痴買いますよ!」

「何だよいきなり」

「私は人様の資料にならない愚痴を聞いてあげるほど、今日は気分がいいんです!」

「正気じゃない、の間違いじゃね?」


 霞先生がメニューを指で辿るのを横目に、私はからからと笑う。世界がふわふわしている。この酩酊感が堪らない。


「ムカつく友達とか、美味しくなかったご飯とか、太ったとか!何でもどうぞ!」

「じゃあ彼氏がいないこととか?」


 霞先生は少し首を傾げた。彼氏がいないなんて、私と同じだ。それだけで連帯感。


「そーなんですね!霞先生美人だから彼氏の二人や三人簡単にできますよ!」

「一人でいいって」


 会話の中に違和感があったけれど、私は無視して笑う。霞先生は装いこそ地味だけれど、顔立ち自体は華やかなのだし、特に瞳が美しい。

 瞳の色は神秘的で、似合わない眼鏡を外せば男だろうと女だろうと二、三人引っ掛けられそうだ。


「いくら酔ってるからって……」

「本当に悩んでるかもよ?」

「バイトくん、バイトくん!バイトくんは彼氏いるー?!」

「水神直也です、彼氏はいません」

「じゃあバイトくんもお揃いだぁ!」


 私は仲間が増えたことに単純に喜ぶ。

 酒は進み、私はビールを浴びるように飲み、霞先生のメニュー攻略は日本酒に突入した。


















 二日酔いに翌日丸一日を潰し、やっと復活した私の元に千浦がやってきたのは、退職届を出した二日後の朝だった。

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