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有希

【有】ゆう:存在すること。持っていること。


【希う】こいねがう:希望する。切望する。

「そういやさ、あんたの名前なんていうの?」

 霞先生がそう尋ねるものだから、私は自己紹介もしていない異性の部屋で一夜明かしたことを再認識し、愕然とした。何もなかったとはいえ、一般的に褒められた行動ではない。その事実を忘れようと目を閉じて細く息を吐く。


 再度瞼を開けた私は、事実を無理やり頭の隅に押しやって答えた。

「……佐久間有希です」

 私が名乗ると、霞先生はほんの少し、目を見開いた。

「ゆうき?」

「特有のゆう、希望のき、で有希です。佐久間はにんべんに左、久しい、(あいだ)と書きます」

「そ、佐久間は今日仕事は?」

 霞先生は先ほどの動揺を微塵も感じさせず、上機嫌な様子でにやにやしている。

「休みなら飯奢るから話聞かせろよ」

「昼出勤なんで今から帰ります」

「残念」


 昨日は数日前からのデスマーチがやっと終了したばかりで、幸いにも私は12時からの出勤を許されていた。着けっぱなしの安物の腕時計は6時を指している。家から職場までは自転車で片道15分。霞先生の家が余程離れていない限り、朝食とシャワーに時間を割いても間に合うだろう。


「霞先生、ここって最寄駅どこですか?」

「南城線紀式駅の南側、徒歩10分。昨日の居酒屋からは12分だな」

「あ、近い」

 皺だらけの服にぐしゃぐしゃの髪で電車に乗らずに済み、安心した。早朝であれば人通りも少ないだろう。


「メアド交換します?」

「あ、俺スマフォじゃないから。赤外線もないし手打ちで頼む」

「どれだけ古い機種なんですか?」

「10年くらい?」


 霞先生は外装が傷だらけの携帯をポケットから出した。カメラはレンズが罅割れているし、ストラップを通すべき穴は割れ、特に角の部分は外装が完全に削れていた。辛うじて折り畳み式ではあるが、正直私であれば検討するまでもなく買い替える古さだ。



「ちょっと待ってください。今メアド書きますね」

 私はバッグから手帳とボールペンを取り出した。使用して3年目のメアドは何も見ずに書ける。さらさらと走り書きしたページを千切って霞先生に手渡した。

「どうぞ」

「じゃあ今から送るな。仕事とか私生活で何かあったら連絡くれよ」

「はい」

 その場で空メールの受信を確認する。ドメインから、随分長く使っているメアドと推測できる。私は霞先生の物持ちの良さに素直に感心した。
















 玄関まで見送りをしてくれた霞先生への挨拶もそこそこにドアを閉める。余裕があるとはいえ、時間の流れの早い朝は戦場だ。道はスマートフォンでわかるのだから、さっさと帰ろう。この年齢で迷子はいただけない。


 玄関脇に目を遣ると、「有栖川」と表札が掛かっていた。「霞」はペンネームか。正体不明と名高いくらいだから本名ではないと予想はしていたけれど。しかし私は「霞先生」と呼び続けて問題ないのか。……否定されなかったのだから良しとしよう。

 自分で勝手に納得して、霞先生のアパートを後にする。次会うのはいつだろう。私はいつ、休みを取れるんだろうか。







 家に戻り身支度を整えてから出社する。オフィス内は昨日の名残か疲れた雰囲気だったけれど、業務自体は落ち着いていた。私はまだ日にちに余裕のある仕様書を作成しつつ、頭を巡らす。この調子なら、珍しく定時で帰れそうだ。



 午後4時で丁度後もう少し、と区切りがつき、背伸びをした。背骨がぽきりと小気味よい音を鳴らす。そろそろ若くないなと自嘲。いつまでも無理はできない。男女で能力に差はないと私は思っているが、体力に差があるのは事実なのだ。いざというときには男より女のほうが、なんて根拠のない過信はしない。その分根性で食らい付くのが私のやり方だ。長時間勤務に身体が耐えられないから、集中的に処理して効率を上げる。それでも間に合わないから、休みが全くないのだけれど。



 上機嫌でキーボードを打っていると、



「佐久間さーん」



 ……嫌な予感。



「……ごめん、私まだ終わらないから他の人に、」

「すいませんー。井東商事さんへの資料終わらないから手伝って下さい」

「私の話聞いてた?」



 へらへらと寄ってきたのは後輩の千浦、―――私が一から教育して、しかしまだ半人前のくせにリーダーに出世した奴だ。

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