小説家・霞蓮二
霞蓮二、数年前にデビューした期待の新鋭だ。ペンネームから性別は男性と予想できるが、その他のプロフィールは一切不明。メディアへの露出が極端に少ないミステリアスな作家だ。著作はサスペンスや推理物が多く、丁寧な心理描写が特長。……描写するのは男性の心理だけだが。
彼の作品の短所は、男性は実在しそうなくらいリアリティがあるのに、逆に女性は薄っぺらいところ。正に『キャラクター』なのだ。新刊の後書きには自虐的に「男ばっかり丁寧に書いてますが他意はありません」とあった。
「えっと、ホントに霞蓮二?」
「信用できなくても当たり前だよな。顔出したことないし」
私の胡乱げな視線に応え、男はさらさらと髪を揺らして笑った。
「いやさぁ、流石にネットでホモ疑惑出てたから、女性の心理描写を取材したいんだよ」
「……ホモ、ですか」
「べつに風評なんざ、どーでもいいけどさ。そんな噂出るくらい俺の筆が拙いわけだ。物書きとしちゃあ創作の幅も広げていかないとな」
男の言うことが嘘か真か、私は考えた。初対面同然の私に嘘を吐いて意味があるのか。いや有名人を騙って満足感を得るタイプか。本当だった場合、昨日会ったばかりの私にばらすか?今まで頑なにメディアへの露出を避けていたというのに。
しばらく考えて、私は男が「霞蓮二」だということで納得する。信じているわけではないが、騙されていても特に不利益がないからだ。下手に反抗して逆上されるよりマシだ。
男改め、霞先生の顔をまじまじと観察する。眼鏡越しだから気づきにくいが、顔立ち自体は華やかだ。だがあまり似合わない黒縁眼鏡が明るい印象をぶち壊している。単純に、もったいない。
「あんたにとっても悪い話じゃない。愚痴を吐き出せて飲み代が浮くんだ。聞いた話の内容も、書くときは個人が特定されないよう多少改変する」
「……正直、好条件すぎて不気味です」
「ぷっ……、だよなぁ。脳みそお花畑じゃないトコロ、気に入った」
霞先生は首を傾げてにやにやしている。何か企んでいそうなあくどい笑みである。本当に悪巧みしているのか単に地顔なのか、私には判別できない。窓から日が差し、髪と瞳が照らされる。……黒い色味に違和感。黒染めだろうか。虹彩は黒や茶ではなく、複雑な色をしていた。
私が霞先生を見上げると、男性にしてはいささか細い肩を竦める。
「信用を得る手段は時間しかないと思う。安心しろよ、やましいことはない。次から会うのは居酒屋、連絡先もメアドだけにしよう。あんたは自分の利が大きいのが引っ掛かってるみたいだけど、それは単に価値観の差。俺には飲み代だけで資料提供してくれるあんたのほうが驚きだ。……物書きってのは作品のためなら何だってするんだよ」
「そう、ですか……」
「嘘だったとしても、ただのナンパじゃね?話聞いて酒奢って。手出すなら昨日のうちにしてる。な?」
私は頭を抱える。正論のような暴論だが、下手に正論染みているため反論しにくい。
「……昨日手を出されなかったとして、次出されないとは限りませんよね?」
「それは極論だと思うけどな。昨日手を出さず、次の機会に先送る理由はない」
「行動を起こす理由がなくても、行動しないとは限りませんよね?」
霞先生と私は、見つめ合う。それは一瞬だったけれど、何かを得るには十分すぎる時間だ。
「……あはははははっっ!!やっぱりあんた、面白い!」
霞先生は今度こそ、肩を震わせて爆笑した。
「俺は資料のためなら苦労は厭わない。これが唯一最大の、あんたに手を出さない理由と根拠だ。……信用するか?」
頷く私に、彼はにやりと笑みを深めた。