裏話、ネタバラシ
「有希、こっちこっち!」
千浦の突撃を受けた翌日、私は会社近くのカフェで待ち合わせをしていた。特にコーヒーが絶品で、徹夜明けの気力回復とカフェイン摂取によく来ていた。
「恵理、待った?」
「ううん。今来たとこ」
まるでデートのような会話を交わす友人は、同期入社の恵理だ。ただし、私はシステム部開発課、恵理は総務部総務課に所属している。年度末以外は基本的に定時帰宅の、非常に羨ましい部署である。
恵理が注文した紅茶とケーキは、既にテーブルにちょこんと載っていた。勿体ないことに、彼女はコーヒーの美味さがわからない人種なのだ。恵理からすれば、私こそ「紅茶の美味さがわからないなんて可哀相」らしいけど。
可愛らしいクラシカルな制服の店員に、コーヒーと季節限定のケーキを注文する。この「季節限定」というのは厄介で、食べた後にやっぱり定番のメニューのほうが美味しいかも、と後悔する。ケーキ自体も美味しいことには美味しいけど、一番の調味料は、舌では味わえない「限定感」だ。
何だかんだで、繰り返してしまうのだけれど。
「退職したねー」
いきなり結論から切り込んだ恵理に、苦笑。彼女の婉曲させないサバサバした物言いは、付き合いやすい。
「したよ。今就活中」
「ふぅん」
恵理はさく、とミルフィーユにフォークを刺した。ミルフィーユを上手に食べるのはテクニックが必要だ。最後まで形を崩さずクリームと生地をバランスよく調整し、最後にどちらかのみ余ってしまう悲劇を防ぐのは、至難の技だと思う。
私はその技術を習得できないので、ミルフィーユは人目を気にしなくていい自宅でしか食べない。
恵理は会得済みのため、実に綺麗に食べる。
フォーク一本でミルフィーユを胃に収める恵理からすれば、包丁まで持ち出す私は信じられない不器用だろう。
「社内で噂になってるよ。有希の株大暴落?」
「私の中でも、会社の人は殆ど皆底値だから」
ケーキはまだかと周囲を見回したが、店員の姿はない。仕方なく視線を恵理に戻す。
「有希ってば冷たーい」
「私が冷たかったら、全人類の半分は冷血漢でしょ」
残業代もなく、オフィスで一人キーボードを叩いていた孤独感は、恵理には分からないだろう。それが自らの失敗だったり不手際によるものならまだしも、誰かの過失の補填や通常業務の肩代わり。給料にも評価にも反映されず、感謝すらされないこと。
それを続けた私は、相当親切な部類の人種ではないだろうか。
「だってさぁ、千浦くんに土下座までさせたんでしょ?」
「勝手にしたの。じゃあさ、恵理は半年給料なし、休みなしで働いてくれって言われたする?土下座って、それくらい価値ある?」
もし土下座にそれくらい価値があるなら、私はいくらでも這いつくばる。それで半年の間私の代わりに働かせて、給料だけ私の口座に振り込ませるのだ。
高等遊民の生活は、働き蟻が夢見る永遠の理想。……現代の高等遊民は、家族の財産を食い潰して生活しているらしいが。
「ないわー」
「でしょ?土下座一回が半年の月給になるわけないし」
「そうじゃなくて。有希が」
「は?」
私は恵理の顔を凝視した。もし今土下座したら、半年分の給料をぽんっと渡してくれるのだろうか。
逡巡する私に、恵理は「千浦くんも有り得ないけどさぁ」と前置きした。
「あの子の現状考えたら、残業くらい許せない?それを今のタイミングで辞めちゃうとか」
「残業くらいって……、私の残業だいたい誰かの尻拭いなんだけど。千浦とか課長とか」
「開発課の課長?その二人だったら尚更じゃない」
「はぁ?あの二人だから尚更許せないんじゃない」
千浦は私を差し置いて出世したし、課長は上司の癖に私に何でも押し付けて定時帰宅。千浦に関しては逆恨みに近いが、課長は役職者に相応しい態度ではない。
「つか半年って何よ。半年かけて全身全霊千浦に尽くせって?笑えない」
「彼女のための半年でしょ」
「誕生日か何か?コケにするにも限度があるっての」
いい加減コーヒーの遅さに業を煮やし、眼球だけではなく首まで動かし出した私に、恵理は髪に合わせた色の眉をひそめた。
「千浦くんの彼女の余命じゃなかったっけ」
「……何それ」
「だから、千浦くんの彼女、癌じゃん。余命少ないってんで、今は勿論、昇進しても残業ナシって言われてなかった?死ぬ、あー、鬼籍に入る?旅立つ?までだけど」
「嘘、」
癌、余命、日常生活でおおよそ、テレビならともかく友達との会話の中で出るとは予想できなかった単語。ドラマじゃあるまいし。
「有名じゃない。……もしかして開発の課長の話も知らないの?」
「……課長も癌?」
「違うって。奥さんが若い男と逃げちゃったらしくてさ。今子育てしてるんだって。総務課に残業免除の申請と給料の調整に来てたよ。知らなかったの?」
知るわけない。
知ってたら仕事を押し付けられても怨まなかった、なんて言えないけれど。
知らなかったのは、事実。
「知ってたから一人で残業してるんだと思ってた」
「……開発課の他の人も知ってる?」
「当然知ってるでしょ。有希、協調性ないもんねー。ハブられてたんじゃない?」
恵理はティーカップを口許へ運ぶ。
同僚たちから浮いている自覚はあったが、必要な情報すら通知されなかったとは。
「……ハブられてた」
「だよねー。有希、仕事関係だと思いっきり人、見下してるから」
「恵理のこと、見下してた?」
私自身、恵理のことは友人として尊敬しているつもりなのだけれど。
「いや、仕事に関してだけ。開発スケジュール組むときも、全部自分だったら、で組むんでしょ。で、すぐ却下される」
頷く。恵理は開発課の会議に出ないはずなのだが。
「自覚ないみたいだけど、有希、仕事自体は優秀だって有名だよ。開発課の人が皆無能なんじゃなくて、有希が優秀なだけ」
「そんなわけないじゃん」
有能なら、ブラック企業に入らない。平凡な能力しかなかったからこそ、ストレスフルな職場でIT土方をせざるを得ないのに。
「有希、自己評価低すぎるよ。だから自分よりできない人間を見下しちゃうんだね」
いつの間にか、コーヒーはテーブルの上で湯気を立てていた。




