帰り道
夕陽の中での続きです。
あれから一週間。告白してきたのが嘘であったかのように、彼とは目も合わない日が続いた。このまま何事も無く過ぎてくれるに越したことはない。そう思い始めてもいた。
けれど。今日、彼は声を掛けてきた。
「一緒に帰ろう」
授業が終わっていつものように友人と帰ろうとした私の手を引いて、勝手に友人に告げた。
今日は俺と帰るんだ。ごめんね。
彼が小首を傾げてはにかんだ様に笑うと、友人は顔を真っ赤にしてもじもじと俯いてしまった。
完全に固まってしまった周囲の人達を置いて、そのまま彼は私を連れ出した。
「一緒に帰る事を了承した覚えは無いよ」
溜め息と共にそう呟くと彼は困ったように笑って。
「だって君はこうでもしないと、きっとこの間の事、なかった事にしてしまうだろう」
その言い方が妙に確信に満ちていて、お前が私の何を知っているんだ、と言いたくなったが、図星だったので反論はしなかった。
「どうして私を選んだ?」
ずっと考えていた事を口にする。
一週間の観察から分かった事だが、意外にも彼はモテるようだ。何度か告白されているのを見かけた。まあ、それとなく彼の事を聞いた時の友人の、熱弁っぷりからも察せられるが。曰く、顔が整っているだけでなく勉強も運動も人より出来るし何より誰にでも優しい、そうだ。誰にでも優しいと言うことは誰にも興味が無いのではないか、と何となく思ったが口には出さなかった。
全くもってそんな男が自分に興味を持った理由が分からなくなった。
「君は人を好きになるのに理由が必要だと思うの?」
「質問を質問で返されるのは好きじゃない」
顔を背けると、彼がはぐらかす様に笑ったのがわかった。
「……好きって言葉だけじゃ俺の気持ち、信じてくれないの?」
「納得が行かない。接点なんか対してなかったでしょ」
この間一緒に資料を運んで貰ったぐらいだ。その時だってたまたま近くを通りかかった彼に、教師が手伝う様に言っただけで、私は何も言わなかった。
意外にも真剣な表情で返された言葉に、少しうろたえた。
「同じクラスだってだけで知らない人の事好きになれるものなの、普通」
「どうして好きになったか、なんて聞かれても答えられないよ。俺にも分からないんだから」
困ったように眉を下げて、だけどきっと彼は本気で困ったりなんてしていないだろう。だって目がなんの色も浮かべてないから。
「分からないなら何で好きなんて言える」
「強いて言うなら、君が君だから、かな」
「どういう意味」
「そのままの意味だよ」
謎掛けの様な答えに思わず眉をひそめる。だが彼がこれ以上この質問に答える気は無いようだ。諦めて別の質問をしてみる事にした。
「それで、私にどうしろと?」
「うーんとね、まあ最終的には君が俺を好きになってくれればいいなと思うけど、今はとりあえず俺を意識して、俺の事を見て欲しいかな」
「十分意識した。一週間、見られれば充分だろ」
「それだけじゃ足りないな。第一、君が見てたのは俺の周囲であって、俺自身じゃ無いからね」
やはり気づいていたようだ。しかも視線の理由まで。思わず舌打ちしたくなったが、眉をしかめる程度で止めて置いた。
「空っぽな人間の何を見ろと」
呆れたように半眼で見上げると、彼は驚いた様に目を丸くしていた。
今度はこっちが驚いた。こんな顔も出来るのか。初めて彼の人間らしい表情を見た、気がする。
「そっか。やっぱり君は分かるんだね」
彼は楽しそうに笑って、嬉しそうに言った。
人間らしい、表情だった。その笑顔は確かに綺麗で、ああ彼の顔は整っていたんだと初めて思った。
いつもそういう風に笑ってればいいのに。
小さな呟きは風にさらわれ、彼には届かない。
何か言った。
何も。
彼女と一緒に帰った。
一緒に帰ろうと言った時の彼女はとても驚いていて、その隙に手を引いて教室から連れ出した。
彼女はとても不満そうだったけど、ここで引いたら負けだと分かっていたから、正直に思っていた事を告げた。
彼女は諦めたのか、別の質問をしてきた。
何故私を選んだ?
どうしてそんな事を聞くのだろう。選んだわけじゃない。俺はただ、見つけただけだ。足りないピースを。そんな事を言ってもきっと彼女は分からないだろう。
君は恋愛に理由が必要だと思うの?
質問を質問で返されるのは好きじゃない。
不機嫌そうに言って彼女は顔を背けた。何となく、彼女ははぐらかした様に思う。だから、お相子だ。
接点なんかなかったと彼女は言った。
ああ、やっぱり彼女は忘れてる。
今はまだ、忘れていてもいい。これから、ゆっくりと思い出させる。
空っぽな心を満たしてくれるのは、空っぽな俺を見出してくれた彼女だけなのだから。
結局彼は家までついてきた。必要ないと言っても危ないから送るの一点張りで、玄関には上がらなかったが、門のところで別れた後も暫く視線を感じた。
自室に籠もり、雪崩れるようにベットに倒れこんだ。
思い出すのは、空っぽだと告げたときの彼の笑顔。普段の作り物めいた笑みではない、自然に零れただろうそれは、どこか懐かしさを感じさせた。あのとき重なった面影。
あれは、一体誰だったのだろうか――。