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第6話 ヒトとモノ

張りつめた空気。ゆったりと流れた仮初めの平和は、繰夜陽炎によって破られた。


「さあ、巣について話そう。レクラム、フェリッシュ。そして――高宮君」


「俺も?どうして」


「君には早くも役に立ってもらう。その眼は、役に立つ」


 冷淡に、声の抑揚もなく。寒気が駆け巡るほどの威圧感。

 ここに来て初めて、俺は繰夜の本質というものを知った気がした。

 統率者は的確な判断力と冷酷さ、強靭な精神力を必要とするらしい。ならば、彼はその見本となる人物だろう。

 仲間が裏切れば平気で殺してしまうような、機械の如く事務的な人間だ。


「さ、急ごう」


「ああ、わかった」


 速足で俺たちは繰夜について行った。

 気が滅入るモノクロの廊下。視界が捉えるのは白と黒。

永遠に続くかと思われたその色彩は唐突に終わりを迎えた。

繰夜が立ち止まったその場所は、例の消える扉のある行き止まりだった。そして扉は今、そのベージュの堂々たる姿を明示していた。

ためらいなく入っていく繰夜達に慌てて続くと、視界に入る色の数が急増する。別世界さながらなその空間は先ほど見たにもかかわらず、少しだけ心を動揺させる。

中央に置かれた用途不明の長机に向かい、それぞれ椅子に腰かける。


「そういえば、この前の巣は?」


「それはもう片が付いた。それよりも新しい方に集中しろ」


 あの、俺たちが苦戦した巣が……?

 この組織にはまだまだ実力者が大勢いるのだろうか。


「それで繰夜、今回の規模はどうなんだい?」


いかにもけだるそうに柴が問う。彼らしい態度だと心のどこかで思い、自然と表情が緩む。


「そうですね。前回のような広範囲にわたるものならしっかりと合流地点なども決めておいた方がいいでしょうし」


「その心配はない。前回よりも小規模……だが。狭い」


 繰夜は鬱陶しそうに自らの赤髪を掻き上げ、積み上げられた書類から無造作に紙を紙を引き抜き、何も書いていない面に何やら設計図らしきものを描き始めた。

 それはすらすらと形を表わし、やがて繰夜の手が止まる。その紙を俺たちに向けて繰夜は説明を進めた。


「これが今回の巣だ。廃ビルさ」


 細々とした部屋割に、階層は十階まである。黒く塗りつぶされている部分はどうやら、老朽化で崩れたりした場所らしい。

 それにしても、短時間とは思えないほどの綺麗な図だった。最初からこの状態だったのではないかと疑ってしまうほど。


「ここは‘見えない’というところが厄介になってくる。そこで、君にさっそく働いてもらいたい。きっと、その眼ならば索敵程度造作もないことだろう?」


「ああ、それくらいなら簡単だと思う」


「なら、彼の眼を中心に作戦を立てていきましょう」


「そうだねぇ。メンバーは結構いるし、余裕はあるね。安全とは言えないけど」


「無傷で帰ることを優先しろ。攻撃を受ける前に殲滅するんだ」


 しばらくの話し合いの末、俺たちは二班に分かれることになった。

 まず、先頭に立つ班(Aグループ)は俺、里香、柴の三人。そして後方から援護する班が里桜、リョウ子ちゃん、桐葉さんになった。姫島さんは情報担当でいつも通り別の場所からサポート。イレインは別の用事があるらしく、姿が見えない。


「さて、早速……そういえば桐人君。君に名前を与えていなかったね」


「ああ、あのコードネームみたいなやつか?でも、正直なんで使ってるのかわからないぞ。別に覚えられて困るような相手でもないだろう、死人って」


「違うのだよ少年。死人ではないのだ―――今は話すことは出来ないが、いずれ話そう。とにかく名前だ。今余っているのは…………」


 そういうと、繰夜は懐から古びたボロボロのメモのようなものを取りだして何やら確認した後、その紙を俺に向かって放り投げた。


「高宮君、それは君が言うコードネームの一覧だ。本名と一致させておくといい。そして、君はその空いているところに適当に名前を考えて書き入れてくれ。別に深く意味を考えなくてもいい」


 今にも崩れ落ちそうな一覧にはタイプライターの文字でこう書かれていた。


繰夜 陽炎 A アダム         石家 式夜 O オルダイナス

荒谷 綺羅 B バストール             P

合瀬 里香 C チェルシー       木島 リコ Q クエイム

時嶋 凉太 D ダイダロス       久楽持 柴 R レクラム

紫鏡 翡翠 E エリシッド       岸本 永佳 S シルヴィア

姫島 由利亜 F フェリッシュ      合瀬 里桜 T テリオル

リケイド=シュレイザー G ギリア               U

            H                   V

イレイン=トリステッド I イルデュラ       詩倉 桐葉 W ウェルティ

      毒島 信也 J ジャック  フェルディ=コルトロス Y ユー

風間 兜李 K キリシャ              X

篠月 楓  L リード               Z

山香 宗司 M メイデイ

リー・シェイフェイ N ネフェル


適当。俺が使われると一番困る言葉の一つだ。

空いている場所は六ヶ所。アルファベットという意外な法則性があったのは驚きだった。

 別にこだわるわけではなく、適当に空いているところを埋める。一番手前のHを。


(頭文字がH……適当って言われてもな)


 影、夜、死人、閻、そして、黒食。更に自分の戦い方を考える………。

 ふと一つの単語が浮かぶ。意味を考えてみても、まあまあだろう。

 

「決まったのかい?」


「ああ、本当に雑に決めたけどいいのか?」


「別に構いはしない。長すぎたりすると不便だがね。どれ―――ほう、hide(ハイド)か。‘隠れる者’だね。うん、センスは悪くない」


 繰夜は受け取った名簿を再び懐に戻すと、鋭い視線を俺たちへ投げる。

 柴は先ほどまでの温厚そうな顔を崩し、不敵に笑っている。姫島さんは相変わらず感情を読み取ることは困難な、完璧な無表情だ。

 

「失敗はするな。黒食は誰にでも使える訳ではないからな。消耗は抑えたい。それでは健闘を祈る」


 繰夜の言葉が終わる前に姫島さんは動き出した。

 柴を見る――すると目が合った。彼はにんまりと笑って俺の肩に手を置く。

 そして、声のトーンを落として、


「頑張ろうね。君の眼にかかってる(、、、、、)。そのこと、忘れちゃいけないよ」


 ぞくりと肩から悪寒が走る。これは、殺気だ。

 ここ最近、頻繁に感じるこの感覚。関わる人間は、皆これを持ち合わせている。生き残るためには必要な、恐怖という力。

 威圧する視線や、圧倒する力や、絶対不可侵の威厳。

 その思考を読み取ったかのように柴は柔らかい笑みを浮かべ、肩から手を離す。


「大丈夫、君が僕を怖がっているように、僕も、それにきっと皆も、君が――化物に見えるんだから」


「俺が、化物……?」


 俺は素直に疑問を漏らす。

 しかし、柴はその疑問に答えてはくれなかった。ただ一言「行くよ」とだけ声をかけ、その場を後にした。

 取り残された俺は、妙な緊張感を覚えていた。

 期待されている。命を預けられている。

 俺はその事実から目を背けるようにその場を後にした。


                     ■


 策を話し終え、俺たちはさっそく行動を始めた。

 モノクロの空間にある一つだけの黒塗りの鉄扉。どうやらそこが唯一外と内部を繋ぐ扉らしかった。

 そして、驚くべきことにその空間は我が愛すべき野々村アパートの近く、つまりは楓と出会ったあの場所の近くに存在していた。

袋小路を上手く利用して、入口は巧妙に隠されているものの、知覚してしまうとどうして気付かなかったのか、不思議なくらいの不自然さでその鉄扉は佇んでいた。

 外に出ると月明かりが俺たちを照らした――夜だ。見上げると雲の間から三日月よりも少しだけ満ちた月が覗いていた。

照らされた俺たちは皆一様に同じ格好をしていた。鴉の羽のような漆黒のコート。

俺が羽織るコートは膝辺りまで長さがあったが、重さはほとんどなく、不思議と動き難さは感じられなかった。

この道は元々人通りが少なく、通るのは俺くらいのものだが、この姿は客観的に見ればかなり怪しかった。人の用心は必要だ。

目的地、廃ビルの場所は沢神市から少し離れた所。フェンスに囲まれた、【山崎株式】という看板が未だ残っている、やはり人気はまるでない場所だった。

 廃ビルと言うだけはあり、それなりに広い敷地を有しているようだが、その大半は瓦礫やら廃車やらに埋もれていて、その意味を成していない。

 俺たちは勇んで進むチェルシーを先頭に、黒食の力を最大限に活用した速度で移動していた。                          


「チェルシー、焦っちゃダメだよ?今日は敵さんがわんさかだからね。多分」


「分かってるわよぅ、ほら、ハイド。お願い」


「……ああ、わかった」


 慣れない呼び方で違和を感じつつ、意識を左目だけに集中させる。まるで左目だけの生物になったような錯覚。もしかすると、事実その通りなのかもしれない。

 左目だけを開くと、世界の色がモノクロに包まれる。

 感覚は明晰夢を見ている感じに近い。ぼんやりとしながらもその光景を見ようとするとしっかり意思が反映される。

視点を動かすのは簡単で、進もうとすれば進むし、戻ろうと思えばいつだって戻れる。

今、俺には暗闇が見えない。建物も、周りの風景も皆真っ白だ。柴の「暗視ゴーグル」という例えも、中々に的を射ているかもしれない。

しかし、「暗視ゴーグル」と違うところは、人間。身体のラインをなぞるように黒い湯気のようなものが立ち昇っている。以前に使ったときに見えた閻の流れよりもよりはっきりと見えているように感じる。それだけ身体がこの眼に順応したということなんだろうか。

左目の試運転を終え、目的である廃ビルへと視線を這わせる。

本来ならば阻まれて見えないコンクリの壁が透け、中の様子が手に取るようにわかる。

ビルの中には………何もいなかった。


「あれ、いない……?」


「はあ?何言ってるわけ?陽炎がここにいるって言ってたんだから間違いないでしょ」


「そうだね、彼が間違うとは思えないし……ハイド、本当に何もいないのかい?」


「間違いないと思うけどな……いや、待て。一体だけ、六階あたりにいるぞ。随分小柄な影だけど」


それを聞いた途端、レクラムの右眉がぴくりと動く。

微妙な変化だったが、左目には明確にその動きが認識された。


「なるほどね。これは慎重に行かないとねぇ」


「どういうことだ?」


「君の眼はどうやら閻によって死人を探しているようだけど、中にはそれを封じる死人もいるってことさ。ま、危険だけど行けば分かるかな」


 そう言うと、レクラムは腰から愛用の鞭を取り出す。後ろの班にも合図を出し、突入の意を示す。

 そして、再び俺の方を向き、ぴっと人差し指を立てた。

 

「いいかい。ハイド、今は君の能力では索敵出来ない。だから、その小さな影を消すまで気を張ってくれ。武器は……ナイフみたいなものがあるといいかもね」


「わかった」


眼から意識を引くと、ナイフを作りにかかる。出来あがった姿を思い浮かべる。

武骨な黒い刃、真黒なグリップ、それを握り締める手の形、その重さ、質感。

 明確なイメージが脳内を駆け巡る。


(刃渡りは……十五センチくらい)


 しばらくすると、ぞくっとする感覚が右腕に走った。それと同時に手の中には冷たい感触が自らを誇示するように現れる。

 右手に視線を向けると、先ほどのイメージと寸分違わない、見ていると吸い込まれてしまいそうな黒があった。

 繰夜の威圧感や、イレインの暴力と同じ、殺気の塊が今、俺の手の中にある。


「………これでいいか」


「ああ、それで十分だ。イイ感じだね。全く便利だね、君は」


「俺は眼だけだ。こんなのお前らでも出来るだろう」


「……さあ、ね。それじゃ、行くよ。ハイド、チェルシー」


「了解、んじゃ、適当にハチの巣にしちゃってもいいんでしょ?」


 チェルシーは二丁の黒銃を交差して構える。

 素早くビルの入口に気配を探るようにゆっくりとにじり寄る。

 しばらく暗闇を見つめていたかと思うといきなりチェルシーが走り出す。


「見た感じではそんな大物はいなさそうだし、そいつの邪魔してるやつ、さっさと倒すわよ!」 


 どんどん見えなくなっていくチェルシーを俺たちも急いで追いかける。 

 レクラムは困ったような顔で彼女を見失わないようにいつものゆるい姿からはそうぞうもつかない素早さで俺たちの前を先行する。


「さて、計画は出鼻をくじかれたわけだけど、どうしたものかな」


前からレクラムのため息をつく気配。

 俺は悔しさに歯を噛み締め、それと連動させるように右手のナイフを握り締めた。

 左目を建物内部から巡らせる。

中は廃墟と言うにふさわしい、見事な荒廃ぶりだった。生物の気配はここにいる人間以外の者は感じられない。

 唯一、′動いている‘のは六階の謎の存在だが、どうやらそれが俺の眼から死人の存在を隠しているらしい。つまり、敵ということだろう。  

 警戒しているとは思えないスピードでチェルシーは突き進む。レクラムは見失いそうになりながらもそれを追いかける。後ろからも足音が聞こえる。離れ過ぎて見失っては前衛と後衛の関係が成り立たない。

 暴走しているように見えるチェルシーだが、よく見てみると視線を巡らせて、油断は何一つないようだ。

 レクラムが何も言わないのはそれがわかっているからなのだろうか。

 視覚に頼らず、空気の流れを。わずかな音を。獣のごとき野生の感覚。

 俺の左目は便利というだけ。つまり、ないと不便、なくても問題はない。

 そうやって、彼らは生きてきたのだろう。


「!………ストップ!」


 先頭を進んでいたチェルシーが唐突に小声で叫ぶ。俺たちに向かって手のひらを突き出して静止する体勢をとる。

 何事かと左目を通してチェルシーの視線を追う。


「どうしたんだ……何もないじゃないか」


「分かんないの?あれ、ほら、あの左奥のデスクの近く」


 チェルシーが指をさしている方――以前、仕事場として使われていたであろう部屋の中はそこらかしこに資料が散乱していた。そして、数々の錆ついたデスクが置いてある。

その中で、人の影らしきものが蠢めいていた。

 左目を使って見る。しかし、目はその姿を捉えることなく、ただ、白く映る壁だけが俺の視界を埋めていた。

 再び右目で見ると、不思議な事に、確かにそこに影は存在する。


「なんで………」


「見えないのかって?」


代弁するようにチェルシーが答える。そして、適当な口ぶりでつらつらと説明してきた。

どうやら、最初に使っていた妙な口調はもう使う気はないらしい。


「アンタがその眼で見てるのは閻なんでしょ?死人の中にはそれを吸収出来る奴がいるわけ。もちろん、吸収され尽くされてしまえば死人は消えてしまう。だから、微妙なラインで閻を残しつつ吸い取っているわけよ、そいつは」


「へぇ……でも、残す必要があるのか?」


「それでは満たされないから、さ」


 急にレクラムが横から割り込む。俺はその言葉に疑問をぶつける。


「満たされない?」


「楓ちゃんから聞いていないかな?死人は欲望のなれの果てなのさ。だったら、自分だけを見て欲しい、とか、他の人が見られるのが妬ましい、とか。そういうモノがあっても不思議ではないとは思わないかい?そして、それには他に比較対象がいなくてはならないわけだ」


 俺は少しだけ納得した。要するに、死人の能力は欲望の形によって変化するということだろう。

 その欲望が満たされる、夢のような力。


「ほら、ぼぅと突っ立ってないでいくわよ」


「この死人はいいのか?」


「そんなのいちいち相手してたら時間がいくらあっても足りない。アンタの眼を使えるようにして、その後改めて御退場願うわ」


 そう言うとチェルシーは走り出す。レクラムはそれを困ったように見て、後方を一瞥すると、同じように気配を消して走る。それにならって俺と後方を歩いていた班も走る。

 よく注意して周囲を見ると、ちらほらと死人の影が見え始めていた――急がなければ。

 途中から俺は無心になって走る、走る、走る…………。


                    ■


 「…………馬鹿チェル。落ち着きの欠片もない」


 「ホントよぉ。全く、落ち着いて見ていられない娘なんだから!」


 チェルシーが走り出した後、私たちは大急ぎでその後を追った。

 私たちの作戦の立ち位置は後方支援。ハイドの眼を使って内部を確認した後、外部からその位置を出来る限り打ち抜いて、その後に正確に内部を制圧するという手筈だったけれど、どうしたものか。


「なに、失敗したんだ?使えない。新入りなんて使わない方が早く終わるのに」


 知らぬうちにきつい口調になってしまう。悪い癖だとは思うけれど、今のは自分の本音なのかもしれなかった。


「ウェルティちゃん、そんなにきつく言わなくてもいいでしょう?まだ目覚めて日が浅いんだから。それに、経験することが成長して行く近道なのはあなたが一番よくわかっているんじゃない?」


「でも、いきなり巣なんて……」


「………ウェルティ、集中」


 相変わらずの無表情で私をたしなめるテリオル。

 私は彼女が笑ったところを見たことがない。皆の話では見た目ほど無感情ではないということだったが、実際はどうなのだろう?

 人間はともかく、戦闘の技術に関してはきっと私よりも特化している……と思うので一応、敬意は持っているつもりだ。

 一方、ダイダロスは、まあ、奇妙な性格をしているけれど嫌いではない。言動はともかく、見た目は優しいお兄さんと言う感じだ。

 組織の黒いコートを着ると、凄味が出て少し怖い。

 彼はブーメランを使う。それは恐ろしく巨大で、彼の腕力と相まって強大な力となる。

 遠距離から攻撃する私たちは接近戦に向かない。だから、遠距離、近距離両用の彼が傍にいると、かなり心強い。

 

「………速い。スピードを上げる。付いて来て」


 そう言うと、テリオルの速度が一段と上がる。

 私たちも後を追うように加速する。

 廃墟の中を漂う埃が顔に張り付いてきて気持ち悪い。地面は瓦礫が散乱していて気を肉と転んでしまいそうだ。

 しばらく走るとそれには慣れたが、如何せん喉の不快感はぬぐいきれない。

 私は小さく舌打ちして、やけになって粗い道を走り抜ける―――が。


「止まって」


 テリオルが珍しく鋭く発言する。

 私は何事かと足にブレーキをかける。ダイダロスも同じく。

 砂埃が舞い上がり、視界が遮られて、何が起こっているのか全く分からない。

 やがて、少しずつ沈んで行く埃の中、うっすらと何やら話し合っているチェルシー達の姿が見える。

 チェルシーはとある一室の中を指さして何かをハイドに説明しているようだった。

 しばらく見ていると、ハイドの顔色が変わった。何があったのだろう。

 レクラムが横から割り込んできた。何かを補足しているのだろう。彼の立ち位置から容易に想像できる。

 

「…………長い」


テリオルがしびれを切らしたように低い声で呟く。本当に小さな声だったので風の音と聞き間違えてしまいそうだった。

同じくそれを聞きとっていたのであろうダイダロスがくすりと笑った。


「テリオルちゃん、きっと大事な事なのよ。気長に待ってあげましょう」


「…………むぅ」


 私は少し、テリオルの違う一面を見たような気がして驚いた。

 無表情ながらも少しだけ頬を膨らませたような気がする―――可愛い


(…………はっ、私は命のかかった場でなんてことを……!)


 少しだけ顔が熱くなった。今鏡を見たらリンゴのように赤くなった自分の顔が写っていることだろう。血行の良さは自信がある。

 雑念にとらわれている間にチェルシー達の会議は終わったようで、前の班がすぐさま走り出す。

 私が気付いた時にはテリオルもダイダロスも走り出していた。慌てて後を追う――だったが私は急停止する。

 目の前を、何かが横切ったのだ。


「へ?………猫」


 こちらを見つめる小さな二つの光。目を凝らしてよくよく見てみると、そこには一匹の黒猫がじっと佇んでいた。

 暗闇に上手く溶け込んでいて、パッと見ただけでは見逃してしまいそうだった。

 何故か、猫を見ているだけだというのに緊張が走る。冷や汗が頬を伝い、乾いた廃ビルの地面を濡らした。 

しばらく見つめ合っていると、黒猫は踵を返して走り去って行った。

 その様子をぼぅと見つめていたが、不意にはっと我に帰る。

 テリオル達の姿は既に見えなくなっていた。


「……しまった、見失ってしまった」


 私はまた一つ、舌打ちをした。


                    ■ 

 

走ること数分。何度階段を上り、何度転びそうになり、どれだけ走ったのか。

 ビルは広大だった。まるで果てのない無限回路。

 黒食で強化されているはずの身体も少しずつ疲労を見せ始めていた。

 急にチェルシーは停止する。もしかすると疲れ果てたのかもしれない。

 しかし、そうではない。そもそも、彼女のような気の強い人間が疲れた程度で立ち止まるとは到底思えなかった。

 俺たちは辿り着いたのだ。

 俺の眼を封じる、元凶の元へ。


「なあ、あれが……」


「そう、アンタの眼にも見えるでしょ。むしろコイツしか見えないハズ」


 今までとなんら変わらない廊下。そこには、小さな女が立っていた。

 ただし、人ではない。断言できる。

 別に死人だと言われたからじゃない。俺自身が、そう感じたのだ。

 身長の大半を占める巨大な卵型の頭、それに不釣り合いな小さな身体、短い手足。顔のパーツはほとんどが豆のように小さく、ただ一つだけ、こぼれそうなほど大きな、憎しみをこめた双眼が、ぎょろりとこちらを見つめていた。


「ハイド、これが‘嫉妬’の死人だ。欲望はそれと見合うだけの姿を要求する。醜いね」


「嫉妬………」


 今にもはち切れそうな、血管の浮き出た死人の頭。

 俺は純粋に恐怖した。人間をここまで変える、それほどの何かに。

俺の眼に映し出されるのは黒いモノを全身に纏った死人。それは憎しみに比例するように膨れ上がっている。

 死人が呼吸をするたび、その口から同じように黒いモノが吹き出る。

 

「早く消してしまおう。この敗北者はかなり目ざわりだ」


「そうねぇ、一瞬で終わらせましょ」


そう言うと、チェルシーは銃口を死人に向ける。


「さあて、ジ・エンドよ。どブス」


 二丁のデザートイーグルから連続して弾丸が放たれる。

 死人は抵抗することもなく、ただ撃たれている。

 巨大な頭は銃弾を受けて血を噴き出し、衝撃で頭蓋は吹き飛び、小さな手足は宙を舞った。

 後に残ったのは、肉片と血溜まり。そして、最後に残った巨大な目玉。

 チェルシーはさも楽しそうに笑いながらそれを打ち抜いた。

 目玉はプチンと潰れ、謎の液体を吐き出しながらしぼんで、消えた。

 最後の銃声の残響が消えた時、俺の思考は先ほどの言葉までさかのぼっていた。


「おい……ちょっと待てよ」


 二人が驚いた顔で俺を見る。当然だ。俺は怒っていた。

 当然のように話をしていた彼らに、俺の思考が理解されるはずがない。

 敗北者。

たったそれだけの、何でもない言葉に激昂する、甘くて脆い、一人の人間の事など。

やはり、二人は俺の方をわけがわからないという顔で見ている。


「どうしたんだい、ハイド。いきなり怒りだして。カルシウム不足かい?」


「違う。お前ら、なんだよ‘敗北者’って。それ、言いすぎだろ」


「何言ってんの?コイツ等は自分の欲に負けたのよ。それを敗北者と言って何が悪いわけ?」


 俺の頭には小蔵がいた。

 死人になってしまった、ただ真実を知りたかった、俺を助けようとしていた、俺の一人だけの、親友の顔。

 それを敗北者だと?ふざけるな。

 俺はそんなことを言わせない。それがどんな死人であれ、それがどんな欲を持っていたとして。

 それでも、彼らは弱かったのかもしれないけれど、彼らは頑張ったはずなんだ。努力したはずなんだ。

 欲望を、望みを叶えるために。

 俺の親友が、そうだったように………!


「俺はお前らの思考を認めない………これだけは譲れない」


 「へぇ、上等じゃない?あたしたちに盾突くことがどういうことかわかってんでしょうね」


 チェルシーが底冷えさせるような笑みを浮かべる。目は闘志であふれており、今にも手元の銃で撃ち抜かれそうな気迫だ。

 負けるわけにはいかない。

 負けじと俺も睨み返す。左の眼を全開に見開いて―――気付く。


「………なんだこの数!!」


 嫉妬の死人が倒されたことによって死人たちに閻が戻ったのか、俺たちの周囲には大量の閻の光が迫っていた。

 右の手のナイフを握り締めて、胸の前に構える。


「ハイド、どうしたんだい?」


「……囲まれてる。建物全体が、黒く染まって………!」


「それは、少しマズイね………いがみ合っている場合じゃない。ひとまず建物から逃げるんだ!」


「………わかったわ」


 渋々了解したような声が聞こえる。それに頷いたレクラムは後ろに向かって号令をかける。


「走れ――――!」


                    ■


走れ

そう聞こえたような気がした。実際聞こえていた。

しかし、その声は遅すぎたのだ。

 この、大量の死人に囲まれた状態では、逃げることなんて到底不可能と言える。


「テリオルちゃん、どうしましょう!ウェルティちゃんもいないみたいだし……おらぁっ!!」


 一際野太い声と共に死人が大勢吹き飛ぶ。ダイダロスがブーメランを振り回したのだ。

 私たちはそれだけ、敵の接近を許してしまった。油断した。

 私はライフルを構える。落ち着いて狙撃出来る場所などない。恐らく、私は今、足手まといになっている。

巻き込まないようにと気を遣うダイダロスは本来の剛腕を出し切れていない。


「………ダイダロス、私の事は気にしないで。思い切り振り回して」


「そんなこと出来るわけないでしょう!あなたねぇ、そんな細っこい身体してんだから、風圧で吹っ飛んじゃうでしょ!!」


ダイダロスの言うことは大げさなようでいて事実だった。彼の巻き起こす風は凄まじい。私の身体など、そこいらの石ころと同じように吹き飛ばされてしまうだろう。 

優しい彼には、そんなことは出来ない。


「………じゃあ、守って」


「わかってるわよ、お姫様っ!………うおらぁあああああああ!!」


ダイダロスは私の身体を抱きしめ、思い切りブーメランを回した。彼を中心に突風が巻き起こり、死人たちをどんどん吹き飛ばしていく。

しかし、それはあくまで時間稼ぎ。吹き飛ばしたくらいで死人は消えない。

万事休す。

都合よく現れてくれるヒーローもいないようだ。

遠くからは私たちを呼びながら戦うチェルシー達の声。しかし、届かない。


「………せめてウェルティがいたら良かったけれど」


 目の前の死人を発砲して吹き飛ばす。後ろも巻き込んでドミノ倒しで倒れていく。

 支えのない状態からの発砲は予想以上に肩にダメージを与えた。これでは何発も打つのは難しい。

 

「もうっホントにウェルティちゃんったら……!!」


「―――呼んだ?」


 それは正にヒーローそのものだった。

 ダイダロスの言葉の直後に現れ、目の前の死人を黒い閃光が焼き尽くしていく。彼女の黒食だ。

 彼女の背後には黒い円が浮かび、その周りを暗い光が六つ回っていた。そして、何故か彼女の肩には見覚えのない黒い猫が一匹、鎮座していた。

 彼女は何か、猫に話しかけたかと思うと、死人に向かって光を放つ。


「ウェルティ、その猫は……?」


「これは、その、拾いました」


 慌てた様子で答えるウェルティ。彼女はそう言いながら、次の光を装填する。

 そして、次もやはり、猫に話しかけるような動作を見せ、閃光を放つ。

 死人は吹っ飛び、私たちから離れた所に倒れ、消滅する。的確な攻撃でどんどん死人は数を減らしていく。


「………次は?」


「…………に……つ撃て」


 ぼそぼそと声が聞こえるが、なんと言っているか、それは聞きとれない。

 ただ、確実に、何かと話しているような感じがする。


「ウェルティ、何と話して………」


「テリオル!」


 言葉を言い切る前に遮られる。そちらを向くとハイドが走って来るのが見えた。

 その後にチェルシーとレクラムが続いている。

 ナイフと銃。レクラムは多分、道の誘導くらいしかしていないだろう。私たちが長年行動を共にしてそうなのだから、予想は付く。

 それだけで切り抜けたのだから大したものだ。チェルシーの実力は知っているが、ハイドもかなりの活躍をしたに違いない。


「………………遅い」


「ああ、すまなかった。ほら、ひとまず逃げるぞ」


 ハイドが私の手を取る。ほっとする温かさが私の手を包んだ―――嫌じゃない。

 私は自分でも中々人見知りをする方だと自負しているが、どうにも彼には緊張や恐怖を感じない。

 そのままハイドは走り出す、と思いきや、ウェルティを見て急停止する。正確には、彼女の肩の上にふてぶてしく居座っている黒猫を見て。


「おい、ベルフェ。なんでここにいる?」


「……………にゃ~ん」


 それに答えるように猫が一鳴きすると、ハイドはちっと舌打ちをして、ウェルティを見つめる。

 すると、ウェルティは目に見えて狼狽した。彼女は私と同じで人見知りをするタイプだった。ただ、どうも私とは勝手が違って、何か理由があるようだったが。


「な、なんですか?」


「いや、どこでその猫を見つけたのか、気になってな」


「そんなの、どこでもいいでしょう。それより、速くここから逃げなくていいんですか?」


「そうだな…………」


 それをきっかけにしたようにハイドが私の手を引いて走り出す。

 ウェルティとのすれ違いざま、肩の猫が、ニヤリと人のように笑った気がした。


                     ■


 テリオル達とはぐれてしまった後、追いかけようと思った私だったが、何故か先ほど見た黒猫の事が気になり、思わず後を追いかけていた。

 

「どうしよう、いきなり死人とかが襲ってきたりしたら………はあ、私何やってるんだろう」


 自分の馬鹿さ加減に呆れつつ、黒猫の姿を探す―――見つからない。

 暗闇の中だ。黒い毛を持つ猫など見分けられるはずがない。先ほど目を凝らしてようやく見つけたというのに、ただ見渡した程度では………。


「早く見つからないかなぁ………っと!」


 手近なデスクに身を隠す。

 目の前を死人が通ったのだ。心臓がドキドキと速い脈を打つ。汗が頬を伝う。

 じゃり、じゃり、じゃり、ざ、じゃり、ざ、じゃり…………。

 徐々に足音が遠ざかって行き、安堵の息を漏らす。


「おい、お前」


「ひぃあああああ!!!?」


突如、足元から掛けられた声に驚いて叫んでしまった。マズイ。

案の定、今の声に気づいた死人が私を振り返る。緊張が一気に高まり――――


「あいつの右肩を狙った後、頭を打て。変容する前に片をつけられる」


 猫が喋ったことへ驚く間もなく、黒食を展開する。

 黒い光の円が背後に描かれ、その周囲を光の球が六つ回る。


「えっと、まずは右肩!!」


 右肩へ閃光が突き刺さる。死人は後ろへよろめく。


「そして頭ぁ!!」


 正に死人が左腕の変容を始めた時に、頭の位置に残り五発の閃光が放たれる。黒猫の言葉通り、変容は途中で止まり、死人は音もなく消滅して行った。


「ふう、危なっかしい娘だな、君は。誰かにとてもよく似ているよ」


「失敬な、私はそんな人間では………」


「君、名前は何と言う?」


「うっ………ウェルティ」


「違う、本名だ。君は東洋人だろう」


「し、詩倉桐葉」


「君……心拍数が上がっている。人見知りするタイプだな。しかし、いくらなんでも猫相手に緊張はないんじゃないか?」


「ぐぅっ…………失敬な!!」


 何故猫が喋っているのか、何故自分が動揺しているのか、何故猫は私の事を色々と見透かしてくるのか。いくら考えても答えは出そうになかった。

 息はどんどん粗くなっていく。猫ごときに翻弄されているのが堪らなく悔しかった。

 それを見透かしたように黒猫は鼻で笑うと、私の肩の上に飛び乗ってきた。


「え、ええ!うわっ、ちょっと、やめてよ!!」


「うお、お前、少し落ち着け!危ないだろうが!」


「は、はいっすいません!……ってなんで私が謝ってるの!」


「静かにせんか、このじゃじゃ馬が」


「じゃ………!?ふざけないで……痛っ、ちょっ噛まないでよ!」


 しばらくして黒猫は私の右肩に腰を下ろした。私は渋々ながらも、そこに留まる事を容認することにした。気にくわないのは変わりないけれど。


「で、猫さんは何者なの?」


「名はまだない」


「は?」


「いや、一度やり損ねたのでな。やっておこうと思ったのだ」


「何それ。猫さんも小説なんか読むのかしら?」


「まあ、少しはな――改めて名乗らせてもらおう。俺はベルフェゴール。可愛い可愛い黒猫ちゃんさ」


「悪魔の名前で可愛いなんて………まあ、ある意味可愛いけど」


「聞こえてるぞ、じゃじゃ馬」


「誰がじゃじゃ馬かっ!」


 どうにもそりが合わない。言葉を口にするたびに口論になってしまっている。これでは埒が明かない。


「それじゃあ、ベルフェゴール。何で喋れるの?」


「悪魔だからだ」


「…………なんでここにいるの?」


「相棒が困ったことになっているようなんでな」


「相棒?誰の事?」


「お前がよく知っている人物だよ」


 よく知っている人物?私はここに、組織に入ってから関わった人物………まあ、沢山いるけれど、よく知っているというと………。


「誰よ?」


「わからんのかわかろうとしてないのか、まあ、この際俺の相棒の事はどうでもいいだろう。それより、気付いたか。死人が動き出したぞ」


「………!?」


 一気に先ほどの緊張が再来する。黒食を今一度展開し、周囲を警戒する。

 確かに、先ほどに比べて音が増えてきたような気がする。足を引きずる音や、ぺたぺたと床を叩く素足の音。死人たちのうめき声。

 会話に集中しすぎていて気付かなかった。

おぞましい空気は私たちを既に飲みこんでいて、逃れることは出来ないように思えた。


「これ、いつから?」


「俺がお前に出会ったときからだよ」


「なんで早く言わないの!!」


「お前が突っかかって来るからだ。全く、困ったものだな。どうやら冷静なふりをして大人ぶっているようだが、それじゃあまだまだだ」


「な、なんでそれを………じゃなくて、こ、こういうときはどうしよう」


「相当慌てているな、君」


 黒猫は困ったように私をなだめる。猫に慰められる人間。なんと滑稽な風景であろうか。

 私は猫の手で頬をぺちぺちと叩かれながら………微妙に和んでいた。


「いやいやいや、違うでしょう私!ここはもっとシリアスであるべき!クールな私であるべき場所よ!!」


「その言動がクールではない、と言うところは黙っていておいてやろう。ほら行くぞ」


「結局口にしてる……ってどこに行くのよ?ちょ、ちょっと待ってぇ!」


 肩から飛び降りて走っていく猫を追いかける。まるで不思議の国のなんとやらだ。

 ここには夢も希望もなく、ただ広がる地獄の荒原というところが違うところだが。




 猫に追いつくと再び右肩は彼に占領された。口調からして、オスで間違いない、ハズ。

 猫はまるで死人の動きが全て見えているかのような的確な指示を出して、私を誘導して行く。たまに黒食で死人を蹴散らしながら、確実に前に進む。その動きに一切無駄はない。

 途中、死人が群がっている場所にあたった。


「ふむ、見た以上に多いな。先手を打たれたのかもしれん」


「先手?私たちの他にも誰かいるっていうの?」


「それはまだ知らなくていいことだ。それよりも、助けを呼びに行くぞ。仲間を助けに行こうじゃないか」


「仲間……テリオル達に合流しないと」


「また逆戻りなのが厄介だがな」


 来た道を急ぎ引き返す。先ほどよりも素早く、死人を蹴散らし、すり抜け、駆け抜ける。

 私たちはお互いを信頼して、とにかく行動を続けた。思えば、初対面とは思えないくらいのチームワークだったのではないか。

 少し引っかかるのは、それが猫だということだが……別に相棒が人でなければいけないなんてことはないだろう。この猫の本来の相棒も、私と同じなのだから。

 

「なんだ、随分嬉しそうな顔をしているじゃないか」


「そうね、飾らなくていい相手がいて楽しいのかも」


「なるほどな」

 

 黒猫は人間のように笑って、一つ欠伸を漏らした。

 私はまっすぐに道を見据え、ただひたすら走り続ける。

 彼と一緒なら、きっと怖くはない。恐れるものはないのだ。


「おい、止まれ」


 黒猫が低い声で耳元に囁く。

 注意して辺りを見回すと、その言葉の意味が理解できた。

 テリオル達が死人に囲まれていたのだ。どうやらダイダロスの力で何とか場を保っているようだったが、テリオルは遠距離が専門。それも限界が近いように思えた。


「どうやら苦戦しているようだな。助力してやらないのか?」


「言われなくてもっ」


 黒い光を装填する。狙いは………取り囲んでいる死人の頭部!


「そのつもりっ!」


一斉に閃光を放つ。的確に頭を貫かれた死人は消滅していく……が。


「なんで、次から次へと……!」


「落ち着け。こう数が多いのでは今までのように単体を攻撃するのでは効率が悪いのだ。一体につき、五体巻き込め。倒すことは考えなくていい」


 黒猫の助言通り、一体の死人の胸部に閃光を打ち込む。威力は先ほどより弱め、貫通しないように気をつける。

 打たれた衝撃で死人は押され、他の死人を何体か巻き込んで倒れていった。

 続けて他の死人にも同じことを繰り返す。

 すると、ようやくテリオル達の顔が見え、自分を呼ぶ声が聞こえたような気がした。

 それに答えるように、私は正義のヒーローさながらに颯爽と登場した。


「君、調子がいいんじゃないかね?」


「うるさい。そんなことより、戦いに集中しないと………!」


 私は黒猫からの指示を受けながら、徐々にテリオル達へ距離を近づけていく。

 一歩ずつ、しかし速足で距離は確実に詰まっていく。

 そして、その時。別の方向からも何者かが近づいて来ているのに気づく。肩に乗った黒猫がびくりと反応したような気がした。

 私は急ぎ、ようやくテリオル達の下へ辿り着く。

 すると、テリオルは不思議そうに首をかしげて肩の上に居座っている黒猫を見つめて私に問う。


「ウェルティ、その猫は……?」


 そう問われて、返答に困った。気になったから作戦をほったらかして猫を捕まえていた、なんて言えるはずがない。とっさに言い訳を考える………が、そんなに簡単に見つけられるほど私は器用ではなかった。


「これは、その、拾いました」


 苦しい言い訳に怪訝な顔をしたテリオルから顔を背け、近寄ってきた死人たちを蹴散らす。私が手を翳したところに閃光が降り注ぎ、死人たちを焼き尽くしていく。

 先ほどと同じように死人を吹き飛ばし、距離を離す。


「………次は?」


「後方二体に三発撃て」


 言われたとおりに背後に迫っていた死人二体に今まで通りに三発撃ちこむ。

 意識は完全に戦いに集中させる中、何かテリオルが呼びかけているような声が聞こえたような気がして私が振り返った、瞬間。


「テリオル!」


 一人の男性の声が乾いた空気に木霊した。染めた様子もない黒い髪に、無駄に正義感の強そうな目をした少年。

 後からチェルシーとレクラムが付いてきているようだったが、そんなことは頭の中には入ってこなかった。少年――ハイドが見えた瞬間。黒猫が肩の上で笑って、言った。


「くく、世話の焼ける相棒だよ」


「相棒………?」


 今までの高揚が嘘のように、私の心は急速なクールダウンを始めていた。

 興ざめ、とでも言えばいいのだろうか。とにかく、その瞬間。その時だ。

 そんな私に気づいていないのか、ハイドはテリオルの手を引き、走り出そうというところで私を見た。その目は驚きに見開かれ、気付けば彼は私の事を鋭い目つきで射抜いていた。

 正確には、私の右肩の上を………。


「おい、ベルフェ。なんでここにいる?」


 彼は責めるような口調で黒猫の名を呼んだ。しかし、黒猫の口からは予想外にも、人の言葉は出てこなかった。


「………………にゃ~ん」


 そう、一鳴きするだけだった。

 ハイドは一度舌打ちをしたかと思うと、次は私の方を見た。

 色素の薄い、彼の左の眼が私を捉える――怖い。

ただでさえ人見知りな私だというのに、その相手がよりによって彼だなんて、何たる不幸か。


「な、なんですか」


当然の如く、私は動揺した。自分では上手く振る舞ったつもりだったが、恐らく、ハイドから見ればなんとも奇怪な態度だったことだろう。

問答を繰り返したが、やがて、ハイドは思いだしたようにテリオルの手を引き、私の横を走り去って行った。


「くく………」


 右肩の黒猫は奇妙な笑いを漏らした。


                      ■


「アアアアァアアぁああァああァアア……!」


「邪魔だ、この……!」


 ナイフ先端で死人の首を抉る。しかし、確実に頸動脈を。

変容していない部位は普通の人間と急所が変わらないようだ。死人は一撃で消滅する。

俺は機械的にその行為を繰り返し、死人は次々と姿を消していく。無心になりながらも頭で反芻されるのは、あの言葉。


『敗北者』


「………っ!」


 また一体。テリオルの体温が伝わるもう片方の手は汗で滲んでいる。

 ちらりとテリオルを見ると、少しだけ心配そうな顔でこちらを覗き込んでいる。弱気になるなとテリオルの手を握り締め、更にスピードを上げる。


「グゥウぅゥウぅオオオ!」


「……な!?」


 不意打ち気味に天井から降ってきた死人に足止めを食らう。死人の長く、鋼のように堅い腕が俺の肩を掠めた。

 眼がなければ気付かずにやられていたかもしれない。

 死人が次の攻撃に移ろうと両腕を振り上げる―――しかし、そこにひも状のものが巻きつき、死人の動きを止めた。

 ひもの出ている方向を見ると、レクラムが鞭を引いている姿があった。


「ほら、油断したらダメだよ?」


「油断とか、してねぇよ!」


 レクラムの鞭を避け、死人に止めを刺す。

 鞭を引いたレクラムを一瞥すると、再びテリオルの手を取り、走る。

 心臓の鼓動は速い。

どくん、どくん、どくん。

血潮の流動が俺を急かす。胃液の味が少しずつ口に広がる。

黒食で身体を強化しても、長い間走っていれば息は切れる。走りながらいつ死ぬかの緊張感にさらされているのなら、尚更だ。

俺は以前、つい最近に見た巣での出来事を思い出していた。

今のように死人であふれかえり、楓は瀕死、風間先生は逃走。決定的な敗北。イレインが俺のわがままに付き合ってくれなければ、楓は死んでいたかもしれない。

しかし、今回は違う。人数が違う。まだ誰もやられていない。そして何より、俺に力がある――!


「…………ハイド、出口」


「ん?…………マズイ!」


 テリオルが示した先、出口は何体もの死人によって塞がれていた。運のないことに、その死人たちは全員変容が完了しており、それぞれ牙のある者や、鉤爪のある者など、見た事のある形状の死人たちがいくらか見受けられた。

 俺は立ち止まることなく、ナイフを別の得物に作り替える。そりの小さい、黒い刀身を禍々しく輝かせる刀。


「テリオル、ちょっと伏せてくれ」


「………?わかった」


 首を傾げ、走りながら身を低くしたテリオルを確認すると、俺は右手に握った刀を振り切った。


「ふっ―――!」


 ぞわっと何かが身体から抜け出るような感覚とともに刃に宿る黒い気の塊。一閃することでそれを放つ。

 途端、地響きとともに起こる風の斬撃。大量の死人が巻き込まれ、出口が手薄になる。


「行くぞ!」


「………待って、崩れる!」


「は?」


 声を発したのと、出口の崩壊はほぼ同時だった。瓦礫の塊が俺とテリオルの頭上に降り注ぐ。チェルシーの悲痛な悲鳴。ダイダロスの野太い叫び声。それらが全てスロウモーションに流れる。ウェルティが茫然と見つめている。その右肩で黒猫はつまらなさそうにその様子を見つめていた。

 全てが、停滞しようとしていたのだ。


「――――危ないな、全く」


 彼以外は。

 俺たちは瓦礫にあたることはなかった。サラサラと流れてくる砂に混じって、一滴、赤い雫がぽたりと乾いたに地面落ちる。それは俺の血ではない。テリオルを見るが、怪我をしている様子はない。

 顔を上げる。


「君は、急に怒りだしたり、急に走り出したり、急にでかい攻撃を放ったり。少し考えることを覚えようね?僕はナイフの方がいいって言ったろう…………っと」


 そこには、瓦礫をもろに受けたレクラムの姿があった。黒いコートは中々頑丈にできているようで傷は付かなかったが、肝心のレクラムは頭に切り傷を作っていた。

 彼は笑って俺をたしなめた後、けだるそうに瓦礫を退ける。


「レクラム………何やってんだよ!」


「あ~そう大きい声で叫ばないでくれるかい?強がってみたけど、やっぱ少しばかりこれは痛いねぇ」


「でも………」


「今は目の前の状況をどうするか考えるんだ。ハイド、これは前に繰夜が言ったかもしれないけれど、‘集団の勝手’ってやつさ。一人が足を引っ張ったら全て台無しになる。君の身勝手な行動も、そして僕の無謀なこの行為も、大して変わらない。だから、それをフォローしなきゃいけない。わかるかい?」


 つまり、レクラムは俺に助けてもらっただけの働きをしろと、そう言っているのだろう。

 俺はレクラムに向かって、一度だけ頷く。そして、左目を最大まで見開く。

 白黒の世界は俺を包む。俺はその中をただひたすら見る。現実から隔絶されたようなモノクロの世界に隠れるように。

 俺たちの周りにはどこからか湧いて出る無数の死人たち。黒い影達がゆらゆらと蠢く。しかし、俺が探しているものは違う。ここをもっとも安全に抜けるための、最短のルート。空気の流れを見る。大地の振動を見る。全てを、見る。崩れやすい廃墟、飴細工のように脆いガラス、錆ついたデスク。そして、窓ガラスのない窓。


「一か八かって感じだな。外にいないってこともないけど、しょうがない」


 今度は俺一人で窓へ駆け、確認する。ひと一人がぎりぎり通れる大きさの窓。俺が通ろうとすると中々きつい、がなんとか行ける。しかし、これではダイダロスはきついかもしれない――どうしたものか。

 そこで思い出す、先ほどの出口の崩壊。この建物はあちこちが脆くなっている。ならば………。

 ナイフに閻をのせ、軽く振り抜く。先ほどとは違う、小規模の衝撃波が窓枠へ向かい、それなりの音を立てながら窓枠が崩れる。

 思った以上に老朽化しているらしく、予想外に広く崩れてしまったが、目的は達成できた。


「こっちだ!」


「ふふ、それでチャラだね―――皆、走れっ!!」


 レクラムが号令をかけると、皆、死人たちを牽制しつつ窓側へ後退してくる。

 俺は刀を弓に変え、射撃するべく狙いを定める。閻をほんの少しだけのせて、射る。

 胸に矢を受けた死人はその衝撃で後ろへ吹き飛ぶ。次の矢を装填し、再び射る。次々と俺の横を通り過ぎていく中、一人だけ俺の横に座る者があった。


「テリオル?」


「…………あなたは私を舐め過ぎ。見せてあげる。遠距離なら――」


 ライフルの引き金を引く。ガァンという凄まじい銃声の後、死人が二体同時に消滅する。すると、テリオルは勝ち誇った顔で俺を見る。


「……私の方が上」


「はは、恐れ入った。それじゃ、そろそろ行くぞ」


「うん」


未だ死人を狙いつつ、背後の窓枠を超える。一階なので落ちて死ぬという心配はない。テリオルを先に通し、後から俺も続く。外は月明かりがまぶしく、左目に白い影を作った。                                                    

ビルの前で待つ仲間の元へ走る。暗い道の中、足元は崩れた瓦礫や伸びた雑草が敷き詰められていてかなり悪状況だった。

ようやくレクラムの銀の髪が見えてくる。彼は俺たちを見つけると大きく手を振った。


「ハイド!テリオル!急いでくれ、これから迎撃する!!」


「わかった!」


「…………了解」


 チェルシーが拳銃を手に死人を牽制し、ベルフェを肩にのせたウェルティが閃光を放ち、死人たちを焼き払う。近づいてきた死人たちはダイダロスのブーメランによる薙ぎ払いで一掃される。見事な連携。それらは隙を見せることなく、ただ一つの集団としてまとまっていた。

 知らず、俺の足は止まり、その光景を見つめていた。

 鳥肌が立つ。自分もあの中に入れたらと思う。弓を握り締める手は大量の汗で濡れている。左目が疼く。眼が疼く。大量の閻の流れを前にして、歓喜するように身体が震える。

―――ああ、この光景のなんと美しいことか。


「ハイド?」


 心配そうな顔が視界の端に映る。突然立ち止まって動かなくなってしまったのだから、当たり前だ。

 そうだ、今は動かなくては。


「何でもない」


そう言って走るのを再開する、とは言っても残り五十メートルがいいところ。あっという間にレクラムたちの下へ辿り着く。


「待たせた」


「ああ、じゃあ頼むよ。新人君。今度は建物全壊させるくらいの勢いで頼むよ?」


 レクラムはいつもの砕けた態度で悪戯っぽく言った。


「それなら、得意分野だ」


 弓はそのままに、先ほど作り出したイメージと全く同じものを作り出す。一メートル超の黒い刀身が月明かりにギラリと煌めく。刀は名誉を取り戻さんと閻を吸収する。

 ぞくり、と身体から脱力するような妙な感覚が俺を襲う。


「待ってろ、今暴れさせてやる――!」


 刀を月夜に掲げ、目の前の死人であふれかえる廃ビルを見つめる。黒い風が俺の周りを取り巻き、早く、早くと俺を急かす。


「でかいの行くよ。そこらへんに隠れといてね~」


「あんた、学習してないの!?テリオル、ここから離れて……」


「……………もう非難済み」


「学習してないのは私なの!?」


振り下ろす。

暴風が巻き起こり、周囲の木々や雑草を巻き込んで廃ビルを呑みこむ。その中心には閻の凝縮された斬撃。一面が黒一色に染め上げられ、月夜を暗く彩った。


「ァアア,ぁ、ぐぁ、アア」


 死人の断末魔が幾度となく聞こえる。不思議と罪悪感は湧かなかった。直後に思いだされる『敗北者』の言葉。

 ああ、確かに。この時、俺は死人を人としては見ていなかった。別の何か。

 それは、彼らと何も変わらない。俺に彼らを怒る資格なんて、なかったのか。

 ここに来てようやく納得がいったような気がした。あの言葉を聞いた時、俺が感じた憤りは小蔵を思っての事はもちろんあるかもしれないが―――甘えだ。

 自分は人を殺して、その責任を背負っているのだと、偽善をぶら下げて置きたかったのかもしれない。そうすれば自分は、自分だけは救われるのだという甘え。詰まるところ、後悔していたのだ。俺は。

 親友を消してしまったことを、ただひたすらに。

 光が消え、視界が鮮明になっていく。粉塵と、残留する閻。白と黒のそれらは複雑に混ざり合い、風に乗って消えた。

 後に残ったのは変わり果てた廃ビル。十階あった高さはもはや二階辺りまで落ち込んでいる―――終わった。

 肩の力が急激に抜け、その場にへたり込む。その様子をくすくすと笑いながらレクラムが見ている。


「君、今相当面白い顔をしているよ?」


「うるさい、初仕事で疲れてんだ」


「……君が怒った理由はなんとなくわかるよ。耐えられないよね、人の形をしたものを切ったり撃ったりするのは。辛いよね。特に身近な人を消した後は。だけど僕等は戦わなきゃいけない。その存在を消さなければいけない。だから、僕等は彼らの事を「人」とは呼ばないのさ。代わりに蔑む。虫とか、ゴミとか、敗北者とか。自分が傷つけやすいように相手を変換するんだよ。傲慢にならなくては、ダメなんだ」


 レクラムは思いだすように語る。黙ってそれに耳を傾ける。それは俺にとっての慰め、レクラムにとっての気晴らしなのかもしれなかった。

 彼は一切いつものけだるそうな表情を崩すことはなかったが、それでも、この話が彼にとって苦痛であることは言葉の端々から感じられた。


「割り切るんだよ、高宮桐人。ハイドと高宮桐人は別人だとでも考えてみるんだ。そうすれば、甘い考えなのかもしれないけれど、少しだけ楽になる」


「…………そうか」


 そう言うとレクラムは皆の下へ歩いて行った。チェルシーたちに何やら小突かれまくっているのが見える。

風がさわさわと俺の頬を撫でる。空を見上げると、相変わらず俺たちを見下すような月が光り輝いていた。

 何故か、それが腹立たしかった。


「くく、初仕事か」


気付くと傍らに黒猫が座っていた。皮肉な口調。俺もそれに合わせるように言う。


「そうだな、と言うか楓はどうした。見ていてくれないと困る」


「ああ、それは今から話すとして―――まだ終わっていないのは気付いているか?桐人よ」


「は?何言って…………」


 その時、確かに聞こえた。静寂の中に一つだけ風を切る音。いや、もう一つ。

 左の眼を見開く。モノクロの世界。白が一面に広がる中、空をかける二つの影。それらは確実にこちらへ向かって来ていた。


「おい、レクラム!」


「………ん、どうしたんだい?」


 チェルシーにボロボロにされたレクラムがこちらへ歩み寄る。


「まだ終わって――――――」


 ずんっ!

 地を揺るがす凄まじい衝撃。思わず俺は身をすくめる。

 土煙が舞い上がり、一気に視界は最悪になるが、俺の眼は確実にその姿を捉えていた。

 後ろで束ねられた銀色の髪。騎士の如く意思の強そうな瞳。そして、隙のない美貌。女性だった。そしてもう一人は………そこで俺の思考は止まる。


「なんで…………消えてないんだよ」


 そこには、いつも通り、馬鹿なくらい平凡な、親友の姿があった。


まずは読んで下さり、ありがとうございます。

過去に書いたモノを修正しながらの作業でして、中々に遅筆となっております。

話の内容ですが、

桐人の弱さを書いてみたつもりです。あとは数々の伏線を張り巡らせる意味でこの回はまあまあ重要なものになるのではと思います。


どうぞ意見・感想等よろしくお願いします。

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