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第4話後 ハジマリ

学校の屋上。

そこで対峙する、一人の教師と一人の生徒。

これだけならば、何もおかしなところはない。

ただ、違うところといえば、その状況、会話。そして、生徒の赤黒い、左目。


「さあ、先生。どんな処理法がお好みですか?圧死、溺死、失血死、即死?ちなみに痛みによるショック死なんていうのもありますが」


「力の発現には少々驚いたが、それだけのこと。よくもそこまで強気になる」


「くく、残念ながら、負ける気がしないんですよ」


生徒、高宮桐人は不敵に笑う。

教師、川崎考一は無表情に生徒を侮蔑する。

例えるなら、そう。

龍と虎、剣と盾、白と黒。

それらはわかり合うことのない、不動の関係。


「―――――始めますか、先生」


「…………………馬鹿が、図に乗るんじゃない」


その時、両者の間に、壁はなかった。


                     ■


左目に映る景色。

反転した色、鮮明に見える輪郭、狂おしいまでの命の胎動。

相手の動きがスロウに見える。

それだけではなく、急所の位置、筋肉の動き、息使い。

全て、見えている。


「はは、ほら、ガラ空きですよ」


「ん、ふっ、ちぃっ、面倒だな」


確実に川崎の急所を狙う。

眼球、鼻、人中、胸尖、水月、金的。

見つめるにつれ、より鮮明にその位置が絞られていき、あとはそこに拳を叩きこむ。

その動作は機械的に、速度は獣の如く。

それはまさしく悪魔の一撃。

しかし、それをかすりもせずにかわす、川崎もまた、化物だった。

当たらない、当たらない、当たらない、当たらない。

ああ、なんて、なんて楽しいんだろう。

この眼には川崎の次の行動が見えている。

しかし、当たらない。


「へえ、やるんですね、先生」


「勢いだけの攻撃など、当たらぬのが必定というものだ――――――次はこちらから行かせてもらおうか」


目の前から、彼の姿が消える。

けれど、甘い。彼はこの眼のことを何もわかっちゃいない。

自分には、全て見えている。

けれど、俺もわかっていなかった。

自身の眼に対する過剰な期待。

そんな奢りが、命取りだというのに。


「――――――だから、馬鹿だと言っている」


「え、ぐぅっゔぇっ」


振り向いた先には、拳が待ち構えていた。

ちょうど鳩尾にあたる部分にめり込む。


(っつう、なるほど、身体の反応スピードか。それはこれ以上底上げしようがない)


冷静に自己の身体を分析する。

骨に異常はなく、内臓も正常。しかし、これを何度もくらうわけにはいかない。

左目に集中。

そして、ようやく気付く。


「…………先生、随分と元気ですね。どういうことですか?」


「お前とは身体の構造が違う。力を使ってその程度では、そこが知れたな」


「ちっ………………どんな手を使っているんだか」


黒食で強化された身体についてくることが既に異常だというのに。

それに気付かなかった俺も少し、冷静さに欠いていたのか。


「さっきの威勢はどうした?そんなことでは、姫島と同じ末路をたどることになるぞ」

「――――――っ!!なめないでくれますかね、本番はこれからですよ」


                  ■


ずんっ

地鳴りのような音。いや、実際に音など聞こえていない。

殺気だ。

じっとりとした、濃厚な殺意が身体にまとわりつく。

それは昨日感じたモノと酷似していて、それはココではあり得ないモノだ。


「なんなんだよ、おいっ!高宮!高宮ぁ!!」


締め切られた屋上の鉄の扉を叩く。

嫌な予感がする。

なんで、親友の死に顔が思い浮かぶ?

俺はただ、香織ちゃんのことを調べて、

高宮はそれに巻き込まれていて困っていて、

それを助けるために先生に力を使えるようにしてもらって。

ただ、それだけだったのに。


「おい、開けてくれぇ!先生!高宮!!開けろぉぉおおおおお!!」


ガシャン、ガシャン

無情に、ただ、扉を叩く音だけが響く。

異常な殺気、先生と高宮の雰囲気、先ほどから聞こえる叫び声。

今、何が起こっているのか、それはわからない。

けれど、なんとなく、直感的に浮かぶ思考。

きっと先生が、川崎が、高宮を殺そうとしている。

ぞわり、と鳥肌が全身に廻る。

やめてくれ、やめてくれ、やめてくれ――――!!


(助けてくれるはずじゃなかったのか………くそっ)


俺は高宮を助けたかったのに、なんで、結果として死が残る?

高宮がこのことを知っているから?

だったら、仲間に引き入れてもいいはずだ。

俺は真実を知るために、これまで散々戦った。

例えば、

‘悪魔’とやらになりそうな人を殺そうとした人を、あの力で殺した。

先生の命令だと納得して、死体から目をそらした。

例えば、

俺たちを探ろうとしていた勢力を、死をもって壊滅させた。

ここでは沢山の命を奪った。

皆、最期は恐怖に歪んだ顔を見せた。

楓ちゃんを昨日、手に掛けた。

闘いの高揚、日常では味わえない緊張感、楓ちゃんの血を浴びた時の、充実感。

病みつきになりそうで、怖くなった。

人でなくなることが、怖くなった。

そこで、ようやく正気に戻る。

何故気付かなかった。

何故先生は気付かせてくれなかった。

人を傷つけたら、二度とそれを忘れられないってコト。

それを、忘れてくれないってコト。

それらはどう転んでも、高宮と対立する運命にあるというのに。

なら、せめて、


「くそっ、くそっ、くっそぉおおおおおおおおお!!!」


あいつを助けるくらいはしてやらないと、親友失格だ…………!!

絶望感が胸を埋める。

もう後戻りのできないところまで来ているのだ。

親友の言葉は、とても嬉しかった。

このまま、楽しく学生をして、卒業したら誰かと結婚して。

そう出来るのなら、どれだけ救われるだろう。今はもう、叶わない夢だ。

高宮は巻き込まれている。

先生の話は、今更信じることは出来ないかもしれない。

目の前の、決して開かない鉄の扉を見つめる。

この向こう側には届かない。

まるで、明りのない夜道のようだ。

手探りでしか進めない。

わからない、どうすればいい

扉は厚くて、今、蹴り破ることは不可能に近い。

針の折れたオルゴールのように、思考は断片的になって、やがて、止まる。

ああ、逃げるのか。

香織ちゃんが殺されるのを見て。

昨日、一瞬だけ戻った意識で、血にまみれた楓ちゃんを見て。

責めるような、高宮の、色素の薄い左目を見て。

その度に、俺は逃げている。

真実を知ろうとして、自分の意思で、無意識に遠ざかる。


それじゃあ――――――ダメだ。


熱い感触が頬を伝う。

かみしめた奥歯は、砕けそうな音で軋む。

そして、南原小蔵という少年は、ここで初めて、陰湿で、残酷なこの世界に立ち向かった。


                  ■


ちりん

何の音だろう。

鈴の音が、耳元で響く。

ちりん、ちりん

気のせいではないようで、その音は私の周りをまわっているようだ。

目が上手く開かない。

私の名前は―――――姫島由利亜。

胸を貫かれて、その後。

ならば、私は死んだのだろうか。

死というものは体験したことがないのでわからないが、


「―――――――――ゔぁ、あ、げほっごぼ」


血液が口のあたりからこぼれおちる。

温かい。

ならば、ココは現実。

胸に風穴を空けられて、無様に地べたに這いつくばっている、厭な現実。

腹が立つ。

こんな感情が湧いてくるというのは、生きている証拠でいいんだろうか。

目の前に自分のものと思われる血液が流れ出す。

このままでは死ぬ。

それは、魅力的だ。

こんな陰険な世界と離れられるなんて。

しかし、

そんな心と裏腹に、身体は生を求める。

何故?それは怖いからだ。

‘私’という存在が消えるのは、嫌だ。

‘私’という存在を認めてくれる人と離れるのは、嫌だ。

なにより、そんな陰険な世界でも、

笑いあえた日常を証明することのできる、唯一の‘記憶’を、

失いたく、ない。


「こひゅっ――――――かふっ、ふ、ふ、は」


呼吸ができない。

肺を潰されたようだ。

常人なら、死んでいる。

そう、常人なら。


『わた、しは神を、ひ、否定する。彼の理を、ねじ、ごほっ、曲げ、これを、成す』


現象の詠唱。

長文は、身体に応える。

最後の一文を読み終える。


Convert(変換)


大気が脈打つ。

地面にこぼれた血液が、再び元の入れ物に戻る。

ごぷっ、ごぽ

不快な音をさせて、身体の組織が、元のデータを忠実に復元していく。

最後に胸のキズがふさがり、起き上がる。

辺りには綺麗に並べられた机と椅子。

外を見ると、少々明るくはあるものの、うっすらと月が浮かんでいて、

あれから相当な時間が経っていることがわかる。


「月が昇っていなかったら死んでいましたね。さすがに今回は賭けでしたが」


胸をなでおろす。

しかし、運が良かった。

これだけの間、さっきの出血で生きていられたのだから。

――――――いや、それはおかしくないだろうか?

さすがに出来過ぎている。

だって、胸を貫かれていたのだ。

前から後ろにかけて、あいつの腕が――――――――!


「そうでした、桐人に合流しなくては」


ひとまず思考を止め、お節介な楓の助手のことを思い出す。

川崎が私を狙ったということは、桐人に何らかの接触がある可能性は大いにある。

こうしている場合ではない。

先ほど行ったばかりの詠唱を口ずさむ。


『Convert』



「ふ、―――――っちぃ、化物め」


「ほら、拳筋が乱れてきたんじゃないか?」


相変わらず、川崎先生の顔には疲れの色が見えない。

どうしてだ、力はあるのに、越えられない。


(使い方が悪いのか?この眼を上手く扱うには、どうすればいい?)


考える、考える、考える。思考を止めた時が俺の最期となる。

拳が俺の頬を掠める。

だんだん、押され始めている。

ふと、川崎の動きが止まる。


「高宮、気付いたか?」


「…………何がだ」


「空を見てみろ―――――――――夜だ」


「………………っ!!」


空にはうっすらとではあるが、月が俺たちを見下ろしていた。

それは、俺にとっての死亡宣告に等しい言葉だった。

この状況で押され気味だというのに、さらに相手に風が吹く。

絶望的。まさに絶体絶命。

振り払えない死のビジョンが脳内に浮かぶ。


「さあ、いよいよクライマックスといったところか。未熟な者にしては、良く粘った方だと思うぞ」


「くっそ、はは、詰んだかな」


『まったく、勝手に暴走しておいて死にかけるとはいい度胸をしている』


いつかのように、頭に反響する声。

どくん、と心臓が脈打つ。すうっと視界が暗くなる。


「ベルフェ!?なんで」


『話は後だな。まず、俺の言うとおりにしろ。そうしたら、今のお前でもヤツとまともにやり合えるかもしれない』


ヤツ

ベルフェゴールはそう言った。

そこにどんな意味があるのか、定かではないが、

彼の言い方から、目の前の男は中々の手だれだということがわかる。

もちろん、それは身を持って経験済みだ。

生き残る方法は、もはや、ベルフェゴールの助言にあると言っても過言ではない。

虚空を見つめて、一度頷く。


『桐人、ヤツの行動を見ていて、何か気付いたことはないか?』


「気付いたこと――――先生は黒食を使わずに今の俺とやり合っている、くらいしかわからないけど」


『そこではない。お前、何回ヤツの攻撃を受けた?致命傷になったものが一つでもあったか?』


「…………確かにない、けど、それがどうしたんだ」


『おいおい、ヤツはお前を殺しに来ている相手だぞ?そう何度も当たっていて、お前が無事なのは少しおかしい』


思い返す。

鳩尾、眉間に二回ずつ拳が入ったが、そのどれもが身体にさして影響のないものだった。

それは、確かにおかしい。

姫島さんは殺されているのに。

それとも、この状況を楽しんでいるということか。


『マイナスになるな。力に呑まれやすくなる』


「ああ、わかってるよ」


『とにかく、そこから導き出される結論だが、恐らく、ヤツは手を抜いている』


「あれで手を抜いてるっていうのか!?でも、なんで」


『さあな、そこまではわからん。黒食が使えるようになった今ではどうかわからんが、その油断をつけばいける』


自身に満ちた声は俺の頭を駆け巡る。

けど、どうすれば隙をつけるのか。

すると、再びベルフェゴールは囁く。


『ヤツの動きを見るんじゃない。全てを、この世界を見ろ。今のお前にはそれが可能だ』


ふ、と視界が明るくなる。

もうベルフェゴールの声は聞こえない。

世界を見ろ。

それはどういうことなのか。


「いくぞ、高宮」


川崎の手には鉈のような長剣が握られていた。

漆黒の武器、黒食の力。

その周辺は熱を放っているのか、陽炎が揺らめく。

しかし、俺はそれに気をとられてはいけない。


「それでは、腕の一本は貰っていくとしようか」


ふ、と川崎の姿が消える。

世界を、見る。

それは、大気。

それは、大地。

それは、空。

視界が全方位に広がる。

まるで、自分が世界と同化しているようだ。

大気の流れは、人の形を残していく。

大地は触れる者の音を波として響かせる。

空は、月はその者を鮮明に映し出す。


「くう、っらぁ!!」


「っつう!?」


体勢を落としてからのひじ打ち。

先生の腹にめり込み、わずかにのけぞらせる。

じゅっ

音のしたところを見てみると――――溶けている。

制服の袖が、焼けたにおいを放つ。

どうやら、あの剣は近寄るだけでも危ないようだ。

武器が必要だ。

この目に相応しい、目の前の‘悪魔’を打倒し得る、そんな、武器が欲しい―――!!


(遠距離、といえば弓か銃か。銃は使ったことがないし無理。弓はあるけど………遠距離武器は距離を詰められたら終わりだな。あまり得策とは言えない、か)


川崎が再び迫る。

カツ、カツ、カツ

決断は今。

黒い剣は空気を焼いているかのように火花を散らす。

この狭い屋上で、どれだけのことができるか。

距離は80メートル弱。使えそうなところは出入り口の上の小高い部分くらい。

しかし、今の位置ではほとんど真逆だ。


「少し驚いたが、次はないぞ」


「さて、わからないけど?まだ、チャンスはある、かもしれないしな」


苦笑気味に答える。

正直、まぐれだったのかもしれないし、気の強いことは言えない。

我ながら、余裕のないことこの上ない。


「次はないと、言ったはずだがな」


再び、その姿がかき消える。

先ほどと同じように姿を追う―――!!


「その必要はないわよ?」


「っが……………!!」


俺の背後で川崎の身体が吹っ飛ぶ。

それも、尋常な速度ではない。

自動車にでもはねられたかのように、俺の‘視界’から消え失せた。

代わりに現れたのは美しい金色の髪。


「―――イレイン、どうして」


「桐ちゃん、今は仕事中だからイルデュラでよろしくねっ…………まあ、そんなことはどうでもいいんだけど、これまた厄介ねぇ」


髪を鬱陶しそうにかきあげる姿は、今までの緊張感を消し飛ばすには十分すぎた。

安堵で全身の力が抜けそうになる。


「こら、まだ終わってないでしょう?まだ相手は動けるはずだし、ここで仕留めておかないと後が面倒。気を抜いちゃダメ」


イレインは眼光を鋭く、敵である川崎の方へ向ける。

見るとそこには、さしてダメージはないかのように立ち上がる、川島の姿があった。

服は破れ、口の端からは血がにじんでいる。

相変わらず、苦痛の色を見せないその表情は健在である。

これからは、彼らの戦いとなるだろう。


「お前は誰だ?普通の人間ではないようだが―――高宮の味方だというのなら、相手をしよう」


「そうね、じゃあ、遊んでもらおうかしら。時間が少ないから手短にお願いね?」


両者が構える。

――――これなら、いける。


「――イルデュラ。俺は今からあんたの‘助手’をする。だから、心おきなく戦ってくれ」


「助手?まあいいけど、邪魔はしないでよ。死にたくなかったらね」


そこで、会話は終了する。

ココからは、戦争だ。

川崎の黒い剣がより一層、熱を放つ。

イレインはそれに怖じることなく、川崎を見据える。

悪魔と鬼人。

そして、小人。

俺は素早く高台の上に登ると、虚空に手を翳す。

楓がいつもやっていたように、空間に作り出す。

無から有を作り出す、悪魔の所業。

イメージ。

闇を集めるように、一点に意識を集中させる。

自分でもほぼ無意識に、ただ淡々と黒をかき集める。

黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒

堅い感触。

俺の手には、何かが握られていて、

そこには確かに、黒く、美しい弓が、

月光に輝いて存在していた。

それを確認したのとほぼ同時に、下の二人は動き出す。

長剣で切りかかる川崎に対して、イレインはやはり、丸腰のスタイルで応戦する。

熱に苦戦するのでは、という心配もどうやら杞憂に終わったようで、

長剣をものともせず、圧倒的な手数で川崎を追い詰める。


「ほらほら、どうしたの?私を桐人と同じように考えているのなら、改めた方がいいわよ、その解釈」


「くっ――――確かに一筋縄ではいかないようだな」


イレインの猛攻を避けながら、川崎は呻く。

ここにきて初めて、彼は苦痛に顔を歪めた。

後ろに大きく飛び退き、イレインとの距離を広げる。

イレインは深追いはせずに、その場で出方を窺っているようだ。

弓を構える。

矢を作り出し、構えた弓の弦に添える。

川崎に照準を合わせ、胸を張って引き絞る―――――!!


「最初から、狙いはお前だけだよ、高宮」


「………………え?」


「桐人ぉ!そこから離れなさい!!」


いつの間にか現れた悪魔に、俺は反応できない。

弓を引いている俺は無防備で、その行為は速やかに実行される。

長剣は月の下に振りかぶられ、振り下ろされる。

その先には俺の姿。

絶望的な絵。イレインは悲痛な声で叫ぶ。


「――――どうだ?先生。生徒に出し抜かれた感想は」


「なんだとっ―――!?」


しかし、遅い。

その未来は遅い。

頭に見据えた未来を繰り返してやるほど、お人好しではない。

俺の‘偽物’に切りつけた刃は、その物体を溶かす。

氷。空気中の水分を黒食で結集させ、作り上げた俺の偽物。

単なる子供だまし。

それは時として盲点になり得る。

発生した霧に包まれ、視界は最悪だ。俺以外の人間には自分の手すら見えないだろう。

引き絞った矢を放つ。


「チェックメイトだ」


その矢は大気を纏わせ、川崎の脳へ吸い込まれるように向かう、はずだった。

途中で弾かれたように矢の軌道はあらぬ方向へ向き、俺の視界から姿を消した。

何が起こったのか、誰にもわからない。

唯一わかるとすれば、新たに立ちはだかった、矢を弾き飛ばしたのは一人の少年。そしてその少年は、



「………小蔵」


「ヴヴヴぅぅう………!!」


既に、人ではなくなっていたということだけだ。


                   ■


意識がある。

鉄の扉を叩いて、泣き叫んだ少年。

真実に向き合おうと懸命に努力してきた、少年。

そのどれもが、客観的に見れば、なんと情けない男だろうと思う。

同情など、誰もしてくれない。

少年もされたいなどと思わない。

そんな、強がりを抱えている少年は強かった。

力を与えられて、ためらいなくそれを使った。

命を代価にすることもいとわずに、ただ力を奮う。

人だって簡単に殺す。

少年の持つ斧はなんだって壊してしまう。

どんな物も、人も、心だって、壊してしまう。

最近は、少年自身も壊れてきている。

嫌だけどやめられない。

血を浴びるのがやめられない。

あの温もりが、脳髄を甘くとろけさせる。

恐れは興奮、罪悪感は快楽、絶望の声は何より心地いい。

異常だとは思わない。

異常だとは思えない。

悪魔の力はいともたやすく俺の心を掌握した。

だというのに、いつも浮かぶのは、あの日の思い出。

親友と呼ばれた、ちょうど今時期の、夏の日のつまらない思い出。



「早く出て行ってくれないかしら」


母のそんな声を聞いた。

無論、それは当時12歳になったばかりの少年に向けられたものだ。

酷いもので、当の本人の目の前で、そんなことを言うのだ。

それに父は何も言わない。

夫婦の仲は、少年が見てもわかるほどに冷めきっていた。

それでも母は、少年がいなくなれば夫婦仲を回復できると思ったようで、

執拗な嫌がらせを続ける。

出て行け、デテイケ、デテイケ、デテイケ

頭をループする、憎しみの言葉。

少年の成績は悪くなかった。

どちらかと言えば、優秀ですらあった。

周りからの人望は厚く、それなりに慕われる性格であった。

しかし、実の親から出る言葉は一つ一つ一々少年を傷つけた。

それから少しの時間が流れる。

母からの言葉はいつしか聞き流せるようになり、家にいることは少なくなっていった。

時期的に反抗期というやつだったのかもしれない。

とにかく、友人との時間をとにかく多く持とうとした。

しかし、やがて気付いたのは、

俺の周りには同情があふれているということ。

周りにいた友人たちは、少年の暮らす環境を知っていたのだ。

その瞬間、世界は一変する。

人望は憐れみに。

友人は偽善者に。

今までいた世界は、簡単に崩れてしまった。

そんな中、一人だけ、少年が話したことのない、少年以上に孤独な存在がいた。

いつも一人で本を読んでいて、顔にはいつも何故か絆創膏を張っている。

ムスッとした顔は、いかにも気難しそうな雰囲気を醸し出していて、誰も話しかけようとしない。

何を思ったのか、少年は、彼に話しかけた。


「なあ、誰とも話したりしないで、寂しくねえの?」


「…………別に。話さないで困ることもないし」


「でも、つまんないだろ」


「俺は何も感じない。興味もないし、何より面倒だ」


そんな無気力な返事を返し、彼は再び本へ視線を落とす。

少年のことなど、まるで眼中にない。

同情なんてしない。憎みもしない。

初めて、少年は気付いた。

これが―――――普通なんだ。

赤の他人にされた同情なんて、独りよがりな妄想もいいところ。

当の本人以外に、‘それ’を知ることは出来ないのだ。


「俺、南原小蔵っていうんだけど、お前は?」


「高宮桐人。多分、俺の名前を明かしたのはお前で二人目だよ」


それが、親友、高宮桐人との、初の邂逅だった。


                  ■


目の前に、親友だったモノが立ちふさがる。

どくん、どくん、どくん

心臓が悲鳴を上げる。


「なんで、死人なんかになってんだよ。馬鹿か、お前」


「ぅゔう………………………」


小蔵はうなるだけで言葉らしいモノを一つも喋らない。

だらしなく涎がたれている。

目は充血して赤く染まっている。

目の前に立っているのは、ただの死人だった。

その後ろで川崎は低く笑う。


「もう少しだったな。では、ここは任せたぞ、南原」


「――待ちなさいっ!!」


そのまま、川崎は屋上から霧のように姿を消した。

一陣の風の後、その場に残ったのは、二人の少年と鬼人。

いや、高宮桐人という人間の目の前には、死人と化した親友の姿のみ。

避けられない現実は、いつだって残酷だ。


「お前、どうするんだよ。戦うのか」


「ぅああ、タ、ぁ、たたか、ゔ。あああああ!!」


小蔵が手を振ると、そこには柄の長い黒い斧。――黒食だ。

槍のように尖った先端を俺に突きつける。

その目には、殺意以外の感情は見えてこない。

怖い。

足が震えて、上手く動けない。

それに、コイツを消すことが俺に出来るだろうか。

わかっている。ここでためらえば死ぬことくらいわかっている。

それでも……………。


「ガぁアア嗚呼あぁぁああああ!!」


「っくぅ!?」


斧での高速のスウィング。

横に振るわれたそれは、わずかに俺の胸をかすめる。

ぽた、た、た

血の雫がコンクリートに落ちる。

風圧で切られたのだろうか。

だというのに、思考がまとまらない。

この状況に、身体が付いていかない。

イレインが割って入る。


「ちょっと桐ちゃん!?何やってるの、逃げて!!」


「へ?逃げるって」


「相手は楓ちゃんをあんな目にあわせた張本人なのよ!」


思考が完全に停滞する。

楓の名前が頭の中で反芻して、心臓を叩く。

その感情は憎しみか、それとも、目の前の死人に対する憐れみか。


「今のままじゃ、あなたは死ぬ。だから逃げなさい。邪魔よ」


冷酷な声で言い放つ。

今の言葉でようやく思考が開始される。

そして、自分の今の状況を再認識する。

死人になった小蔵。

その小蔵に殺されかけた、楓。

今、俺を助けようとしているイレイン。

じゃあ、俺は、どうすればいいんだろう。

すると、答えは存外簡単に見つかった。

簡潔で、生きるに値する答えなんて、

これで十分じゃないか。


「大丈夫だよ、イルデュラ。下がっててくれ」


「―――桐人、本当に大丈夫なのね?」


「ああ、俺は逃げないよ。今回は絶対に」


そう言って、小蔵に語りかける。

聞こえているかどうかはわからない。

それでもいい。


「小蔵、俺は楓を殺そうとしたお前に容赦はしない。殺す気でいく」


死ぬわけにはいかない。


「だから、お前も遠慮しなくていい」


生きて帰らなければいけない。


「本気で来ていい。ただ一つ、言っておくけど」


理由なんて、これ一つで十分だ。


「家で眠っているお姫様が起きた時に傍にいないといけないんでな。絶対負けられない」


瞬間、小蔵が爆ぜる。

斧は下段から上段への振り上げ。

懐に潜り込み、脇腹に一撃を加える。

みしり、と骨の軋む音。手ごたえはある。

しかし、さすがは死人。

まったく痛がるそぶりも見せず、次の行動に移る。

振り上げた斧を回転しながら斜め気味に振り下ろす。


「―――っつう、かすってもダメージが残るのは厄介だな」


風圧でのかまいたち。

左目には風の流れが一定の範囲に限られているように見える。

隙を見つければ、ある程度楽になるかもしれないが、やはり近接戦闘は不利かもしれない。


(いや、あの斧さえなければ、いけるかもしれない――!)


「ぐぅぅぅぅぁぅぁぁアアぁアア!!」


身構える、が小蔵の様子がどうもおかしい。

何か、苦しんでいるような、そんな感じだ。

頭を抱え込んで、なにやらぶつぶつと呟いている。


「ああああああ、な、なんデ」


「小蔵!?意識があるのか」


「ナンデ、オれにイってクレナカッタんだ、タカミヤ」


悲痛な声が、死人の口からあふれる。

小蔵は斧を放り投げて、その場に跪いた。


「タカミヤ、ナンでおレを頼っテクレナイ?シンユウダッタのに」


「小蔵………親友だから、言えないこともあるんだよ」


喉の奥に、何かが込み上げてくるのがわかる。

それをぐっと飲み込む。

本当は今すぐにでも泣いて、跪いて、親友の姿を悼みたい。

しかし、それはきっと、許されない行為だ。

死人は欲に溺れた人間のなれの果てだ。

それは、自己の欲望に忠実に従った姿だ。

小蔵という人間の死を悼むことは出来る。

けれど、死人になってしまった以上、俺たちは…………。


「小蔵、無駄話はナシだ。俺たちは――――敵同士なんだから」


口に出して、激しく後悔する。

これでもう、完璧にオワリだ。

パズルのピースは完全に抜け落ちて、崩れた。

声が震えている。

嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ………!!

そんな弱音が、夏のぬるい空気に融けて消えた。

後には、生々しい息使いが大気を振動させる。


「ぐぅぅぅぅぅぁぁああああアアアア!!」


不意に、小蔵の身体がはねる。

無駄のない動作で跳ね起き、獣を思わせるスピードで俺に接近する。

弓を構え、親指に矢を添える。

もちろん、距離が詰まればこの武器は使い物にならない。

しかし、構える。

何故?決まっている。


「男は正面から正々堂々、だよな?小蔵」


矢を放つ。

先ほど川崎に放った矢とは違い、ただ平凡に、以前の俺と小蔵を体現しているかのようなその矢は、振り払われた斧によって砕け散った。

小蔵はひるむことなく俺の下にたどり着き、止まる。


「ゔぅぅぅ、き、きりひ、と」


「どうしたんだよ、名前で呼ぶなって。気持ち悪い」


斧を振り上げて、泣いていた。

殺したくない、でも、殺したい。

そんな、何かと戦っているような様子。それがどうした。

それは、単なる‘逃げ’に過ぎない。殺したいなら素直にそう言えばいい。

今の小蔵は、そういうモノなんだから。

斧は避けようがない。避けることは非常に困難だ。

俺が、普通の人間であったなら、の話だが。


「楓を殺しかけといて、今更甘いんだよ、お前」


俺の手元には新たな武器。

斧を振りかぶった状態で胸部が隙だらけの小蔵は、それに反応できなかった。

ぐしゃっ

返り血は俺の身体をまんべんなく濡らした。

小蔵は斧をとり落とす。


「…………▋▋▋▋▋▋!!ぎっ、ガあぁ………!」


悲鳴にも似た声を上げる小蔵に、黒い刀身を向ける。


「―――立てよ、死人ならこの程度なんてことないんだろ?」


月下に現れたのは日本刀。

血を吸ったその姿は美しく、黒の輝きはさらに闘いを求めているかのようだ。

小蔵は体勢を立て直しきれていない。

ここで息の根を止めておけば、少なくとも他の誰かに殺されることはないだろう。

せめて、俺の手で………………。

その刹那、


「桐人、離れなさい。危ないわ」


「イルデュラ?………どういうことだ」


緊張した声から感じられるのは素直な忠告。

しかし、意図が理解できない。

小蔵が回復する前に、決着をつけなければ。


「言葉通りの意味よ。今すぐそこから―――――!!」


最後が轟音にかき消される。

直後、空から何かが降って来る。

それも、その物体は炎を纏っている。

黒食の力を最大限に利用してその場から飛び退く―――が間に合わない。

ずん!!!!!

墜落の時に飛び散った石が頬を掠める。


「な、何だよこれ」


「はは、何だとは失礼だねぇ」


「ホントですよねっ!わざわざ出向いてあげたのにぃ~って感じ。ムカつきます」


「……………それは理不尽」


白く立ち昇る煙の中、蠢く影が3つあった。

次第に鮮明に容姿が映しだされる。

銀髪で笑顔が張り付いたような青年、茶色い髪を頭の左右に束ねている小柄な少女、青い髪をストレートで流した眼鏡をかけた少女。いずれも黒いコートに身を包んでいる。

その3人は口々に文句を言いながら、煙から顔を出す。


「おお、イレイン、久しぶりだねぇ。元気してたかい?」


「ええ、そっちも相変わらずの軽薄な態度ね。うんざりするわ、レクラム」


「いやいや、今は柴ちゃんって呼んでよ。長い付き合いでしょ?」


レクラムと呼ばれた青年は親しげにイレインと話す。もっとも、イレインはあまり乗り気ではないようだ。

それはそうだ。

目の前には小蔵が、死人がいるのだから。

こんな悠長に話している場合ではない。

しばらく話をして、ようやくそのことに気が付いたかのように、


「あれ、なんでこんなところに‘ゴミ’がいるんだい?――――チェルシー、テリオル」


「わかった、ってレクラムも手伝ってよ?黒食を使うヤツって結構厄介だしぃ~。んじゃ、行くよ、テリオル」


「…………わかった」


そう言うと、彼らは小蔵に向かって突進していく。

正確には彼女たち、だが。

チェルシーとテリオルの手には、それぞれ黒色の銃が握られていた。

チェルシーは2丁のハンドガン。テリオルはライフルだ。


「テリオル、いつもの陣形でいくからね~!」


「…………うん」


定位置が決まっているようで、テリオルは俺の近くに銃を構える。

チェルシーは小蔵に、文字通り突っ込んで行った。

2丁拳銃での弾幕を張りながら、確実に距離を詰め、小蔵を翻弄する。

テリオルは隙を窺い、ライフルで狙撃。

銃弾は足、腕などを主に狙い、攻撃する暇を与えない。


「ふふん、型はデザートイーグルなんだからぁ。アンタみたいなノロマ、瞬殺だよねぇ~」


「…………チェル、五月蠅い」


「う、わ、わかったわよ」


「ぐぅゔぅぅぅううっ!――――ガぁああぁあ!!!」


小蔵が咆哮する。

銃弾に撃たれながらも落とした斧を拾い、チェルシーに襲いかかる。

先ほどとスピードはほとんど変わらない。

俺が体験した限りでは、恐らく、近距離ではかわしきれないだろう。


「え、え、えええ!?はやっ!レクラムぅ~、助けてぇ!」


「君は油断しすぎるところが玉に傷だね。いや、傷だらけだね。面倒だけど………ほっ」


レクラムがひゅん、と腕を振るうと、何かが斧に巻きつく。


「あれは………鞭、か?」


「ご名答~。さすがは‘眼’専門なだけはあるね。まるで人間暗視ゴーグルだ」


そう言って快活に笑う。

グイッと手を引いたかと思うと、しばらくして、近くでガランッと音がした。

とっさに振り向くと、そこにはやはり、小蔵の使っていた柄の長い斧が転がっていた。


「ほら、得物は取っ払ったから、後は適当にやっといてよ。頑張ってねぇ」


「このサボり症が…………!」


「………チェル、地が出てる」


「あ、…………それじゃっ、さくっと殺っちゃいますかぁ」


そう言って、2人は丸腰になった小蔵に迫る。

銃弾の雨は小蔵の肉体をやすやすと貫く。

その度に血が噴き出し、月夜の屋上を彩る。

俺は、それを茫然と眺めていた。

昔見た、海外のB級映画にこんなシーンがあったな、なんて間抜けなことを考えながらそれを眺める。


(俺は何をしてるんだ。今すぐあの2人を止めないと)


止める

ふと、湧いてきた言葉に疑問が浮かぶ。

止める必要はないだろう。どの道、小蔵は自分の手によって消されるはずだったのだ。

今、2人に消されても結果は同じ。

2人の実力に不安はないし、危ない時はレクラムがフォローする。

完璧な連携。

俺が手を出す必要性は感じられない。


(違う、そういうことじゃない。俺は…………)


血にまみれていく小蔵を見て、殺されていく小蔵を見て、

自然に足が動く。

ゆっくり、ゆっくり、一歩ずつ。


「え………ちょっと桐ちゃん、どうしたの?危ないわよ」


「あらら、なんだか因縁があるみたいだねぇ。チェルシー、テリオル。新しい人員が行ったよ~」


「はぁ?なにそれ、意味分かんないってのぉ!マジうぜぇ」


「……………意味不明。邪魔」


ああ、何をしているんだろう。

そんな思考が頭を廻る。皆の言うとおり、意味不明だ。

わざわざ邪魔するような行動をとる理由は……………。


「タか――ミ、や」


「ああ、今行くよ」


かろうじて残る、親友の面影。


「ああ、そうか。俺は俺の手で………終わらせたいんだ」


声に出してみると、ストンと腹に落ちる気がした。

せめて、とかそういうのじゃなくて、絶対にそうしたい。

おかしいかもしれない。普通なら親しい者を消すのは、どうあっても避けたいものなのかもしれない。

刀を両手で握り締める。

構えは正眼。基本にして最強といわれる構え。

今もなお、攻撃を続ける2人を視界に収める。

動悸は激しい。左目は熱い。思考は高速で、血潮は滾る。

捉えろ、捉えろ、捉えろ…………!!

ただ、一つの衝動の下に刀は振りかぶられる。


「あはっ、なんだか面白いものが見れそうだねぇ、2人とも下がって~、死ぬよ?」


「ええっ、コイツこんな所で何しようとしてんの!?テリオルっ」


「……うん」


黒い風が俺を取り巻く。

命が削られていく感触がある。自分が書き換えられていくような感覚。

命を喰らったソレは、頭上に掲げる刀に吸い込まれていく。


「き、りひと――――」


「お別れだな。小蔵。――――――また、来世で会おう」


「あああ、ふ、っふううう、ああ、そ、そう、だな」


刀を振り下ろすその時、

少し小蔵が笑っているような気がした。


                   ■


私は見た。

チェルシーとテリオルが撤退して、桐人が刀を振り下ろす瞬間、

彼は無表情で泣いていた。

刀からは閻を喰らった黒が、斬撃として放たれる。

コンクリートのタイルは砕け、その斬撃による黒い光は死人を包む。

地響きはそこにあるモノ全てを巻き込み、大気は波動として私たちを襲った。

狭い屋上でこの規模の攻撃を避けるのは至難の業だ。


「うわわっ、すっごい衝撃。それにしても、惜しみなく使うのねぇ~」


「はは、いいじゃないか。現象でもないのにこのクラスはなかなかないよ~」


「え、これ、違うの?」


「違うよ~。現象にしては使う閻の量が少なすぎるからねぇ。具現がいいところさぁ」


レクラムはさらっと、おかしなことを言う。

あれだけの威力をもつ黒食を使っておいて、それが具現止まり?

そんなことありえない。


「そんなわけないでしょう。これだけの規模よ」


「僕も驚いているさ、イレイン。きっと、例外はいるってことなのさ」


普段の砕けた調子を崩し、少し真面目にレクラムは言う。

彼がこんな顔をするのは珍しい。今のは紛れもなく、彼の本音なのだろう。

視線を戦場に戻す。

割れた地面。辺りを包む土煙。

そして残った、一人の少年。

彼の手にもう刀は存在していなかった。


「…………桐人」


立ちつくす少年の名を呼ぶ。

不意に、ぐらりとその身体が傾く。


「え、ちょっと――っと」


慌てて駆け寄って抱きとめる。

黒食あってこその芸当だ。

ずしりと肉の重みが私の腕にのしかかる。

桐人の顔を見る。

そこには泣きそうな、ほっとしたような、普通の少年の顔があった。


「ホント、無茶するわよねぇ」


労いの意をこめて桐人の頭を撫でる。


「うわぁ、いいなあ、彼。イレインの胸に埋もれて昇天なんて幸せすぎるじゃないか」


「……………レクラム、サイテー」


「…………脳外科に行け」


「うはっ、テリオルまでそんなこと言うのかい?普段無口なだけに悪口のレベルは高いのかな?」


一つ咳払いをして、レクラムはこちらを向く。

なんとなく、まだ胸の方に視線がいっているような気がしないでもないんだけど。

それでも、声は緊張。


「その彼、桐人君、だったかな?………カラスの巣に招待してみないかい」


「彼をravenに入れるっていうの!?」


「戦力としては申し分ないと思うんだけどなあ。ねえ、2人とも?」


「まあ、すごかったわね。私ほどではないけど」


「……………死人より、化物」


彼をravenに入れてしまえば、本格的に戦場に駆り出されることになるだろう。

そうなれば、助手なんて悠長なことは言っていられない。

彼の意見も尊重するべきではないのか。


「彼の意見も聞いてみないと」


「わかっているよ。でも、彼は入ってくれると思うんだけどなあ」


腕を組み、自信ありげにレクラムは言う。

確かに、彼の性格ではあり得る話かもしれない。

私の個人的な願望では、もう関わって欲しくはないのだけど。


(ここまで関わってしまったら、選択肢は2つ、か)


その2つというのがなんとも残酷なモノで、


「だって、彼は入らないと消されちゃうんだからねぇ。楓はそのために助手にしたっていうのに、ここで死ぬなんてあまりにも空しい」


「……………そうね」


私はそう答えることしかできない。

力があっても、結局私は無力なのだ。


「よし、決まりだ。行こうか、raven本部へ」


                   ■


刀が振り下ろされる、その瞬間。

身体が宙へ浮かび、猛烈なスピードで落下する。

死人の朦朧とした意識でかろうじて捉える、銀色の髪の女性。


「まったく、カワサキも新入りを雑に扱う。私は中々使えると思ったのだがな」


苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てる。

その光景が最後で、俺の意識は途絶えた。


4章続きです。

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