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第3話 黒の囁き

死人のはびこるこの世界。常識では考えられない出来事に徐々に慣れつつある桐人(きりひと)だったが、(かえで)が自分を連れず、死人の始末に行ってしまったことを知る。そこに楓までの道を案内してやろうと現れたのが金髪の女性、イレインだった。桐人とイレインはその場に向かうが、そこに待っていたのは最悪ともいえる状況。彼女たちの力、黒食(くろはみ)を扱う死人が現れ、楓たちは苦戦を強いられていた。

イレインは桐人の予想を超えた強大な力を見せるが、やはり一人ではタイムロスは避けられない。楓たちの下に一刻もたどり着きたい桐人。

桐人は楓を守るため、力を欲する。

そんな時、誰かが囁く、


「力、貸してやろうか?」

見上げれば月。満月とはいかなくとも、十分丸いと言えるほどに満ちている。

美しい。そう表現するにふさわしいだろう。

それに相反するかのように月下に蠢く欲望の塊。

醜い。そう表現するにふさわしいだろう。

しかし、なぜだろうか、今、この瞬間の自分には、

どちらも、この上なく禍々しく見えた。

消えてくれ。皆消えてくれ。

目の前には死人、そして▋▋▋▋▋▋▋▋▋▋。冷たい大気が身体を包む。耳障りな声が辺りを満たす。月は醜い。死人(しびと)は醜い。人は醜い。

醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い。

唇がふるえる。それどころか、全身がふるえている。

恐れ?喜び?悲しみ?狂気?

違う。かすりもしない。

だって、そこにはなにもない。俺には、なにもない。あるのは

純粋な、ただひたすらに、純粋な、



黒。


                    ■


倉庫街を走る。街灯はほとんどないため、月だけが俺を照らす。

目の前には、金の髪がゆれている。闇の中でも輝いて見えるそれは、道標のように俺の一歩先を行く。

その髪の持ち主であるイレイン(仕事中の呼び名はイルデュラだが)は目線を前に向けたまま、呼びかけた。


「ほら、桐ちゃん、そんなペースだと楓ちゃんが死んじゃうわよ?」


「わかってる!けど、俺はお前らみたいに身体能力が上がったり下がったりするわけじゃねえんだよ!!」


彼女は、いや、彼女たちは、“黒食(くろはみ)”と呼ばれる力を扱う。それはとても異常。現実では到底存在しえない力だ。

死人。欲に溺れた人間の、なれの果て。

その存在を抹消するためだけに存在する、その力。

俺の欲してやまない、その強さ。

身体能力の向上は、それの付属品みたいなもの、らしい。

というわけで、それについて行く俺の体力は中々に限界が来ていたりする。

外気が体内に入る度にひゅうひゅうと喉が鳴り、唾は血のような味を含み出す。

心なしか視界もはっきりとしていないように感じる。

しかし、走らなければならない。ここは死地だ。死人が集まる、一つの地獄だ。

そして、最悪な展開を見せている。


「死人が“黒食”を使うなんてありなのかよ」


「極めてまれであることは間違いないわよ。そのまれなケースが今、目の前にあるっていうのはあまり信じたくないけど」


苦虫を噛み潰すというか、もう十分味わってしまったというか。

そんな感覚ではもう表わしきれないのだろうけれど。


「イルデュラ、お前が間に合えばなんとかなるんだろ?あれだけの数の死人を一瞬で消せるんだからさ」


「さあ?どうかしら。間に合ったとして、どうにかできるとは限らないわ。世の中に確実なんてあり得ないのよ。希望的観測はしない主義なの」


一切の迷いなく彼女は吐き捨てた。普段の彼女からは考えられないような、まるで感情の籠もらない声で。その雰囲気はどこか彫刻を彷彿とさせた。


「急ぎましょう。死体はもう見たくないの。疲れるのよ」


「疲れるって、何が?」


「いろいろ、よ。死体自体に抱く嫌悪とか、それが徐々薄れていく自分への自己嫌悪とか」


「しょうがないんじゃないか?慣れってのは自然なことだろ。今はそれが死体だったってだけで、異常なことじゃない」


我ながら無茶苦茶な言い分だと思う。

風景や絵に見慣れるのと、死体を見慣れるのが同義なんて、

そんなことあるわけがない。あってほしくない。


「優しいのね。でも、それに足元すくわれないでね」


の後に言葉はなかった。ただひたすらに、一心不乱に、走るという言葉の化身のごとく。

俺たちは駆けた。


                   ■


「何なのよこいつ!!」


目の前の怪物に叫ぶ。そう、怪物だ。死人が私たちの力を使うなんて、本当にイレギュラー。おかげで防戦一方だ。他の死人たちが止まってくれているのがせめてもの救いだった。


「ヴぉアアアァガァアア!!!!!」


敵の得物はバルディッシュと呼ばれる大斧に近い。斧頭が大きく、柄が極端に短いという特徴があるポールウェポンの一種。先端部は大きく突き出ていて、槍のような使い方も出来たはずだ。振り回すことには向かない武器であるが、破壊力は凄まじいものがある。

しかも、体格はさほど桐人と変わらないというのに、それがいとも簡単に振り回されているのだから、


「っと!危ないわね!!」


服にかすっただけなのにも関わらず、皮膚の裂ける痛みが腹部に広がる。


「風圧でこれだけヤバいなら、直接当たれば上と下がお別れね」


「そうですね。遠距離からの攻撃もまるで効果がないようです。それにあの素早さが厄介ですし、こう一


気に距離を詰められていては防衛だけで手一杯。リード、このままでは全滅は目に見えていますよ?」

この状況でもキリシャは落ち着いた声音を崩すことはない。

かく言う私も、そう焦っているわけではないのだけど。


「わかってるわよ。要するに、あいつの動きを止めればいいんでしょう?やってやるわよ」

ちょっとやけくそ気味に言い放つ。ここで撤退なんて、格好悪いにもほどがある。

家で待つ料理人、ではなく、一人の少年を想う。


「あいつにいい土産話持っていかないと駄目だしね」


それだけで立ち向かう気力が湧いてくるのだから不思議なものだ。

正直、これが恋愛感情なのか、単なる親愛なのかはわかりかねるところだけれど。

なんだか単純だなぁ、自分。

キリシャは半ばあきれたように


「あなたのそういうところが私には理解し難い。続行は構いせんが、無理そうなら撤退しますよ」


言い終わる前に駆ける。

あの化物より速く、速く、速く―――――――!

心臓の鼓動に合わせて鎌が脈動する。テンポは速い。

周りの生温かい空気をかき分けるように突き進む。その様は的を狙う弓から放たれた一本の矢そのものだった。

刹那、


「ふっ―――――――んぅぅぅうああああ!!!!!」


斧と競り合う。肉は届かないとわかっている。なら、押しとどめるまでだ。

みしっ、ぎしっ

しかし、鎌は悲鳴を上げる。それは同時に私の痛みでもある。破壊されれば、私は生命活動を停止するだろう。まさに捨て身の策。

至近距離で死人の吐息がかかり、吐きそうになった。肉の腐ったようなにおいが鼻腔に広がる。

死人の目を直視する。なんの気まぐれか、月が顔を出し、顔が鮮明に映し出される。


「――――――あなた、桐人の!」


よく彼の傍に見かけた少年が、目の前に現れる。

瞳は充血して赤く、口からは唾液が垂れ流しになっている。しかし、それ以外はいたってまともに見えた。死人にしては、という条件付きで。確か名前は――――――――――


「ゔヴヴヴぅぅぅぅ―――ぐぅふふは、が、がえ、でぢゃん、ぐぅぅぅぉぁ」


「な、なんで喋れんのよ、あんた!死人が喋ってんじゃっ―――このっ!!」


力任せに鎌を横に流す。死人の重心が前に傾いた。

しかし、あの身体能力だ。すぐに立ち直ってしまうだろう。


「1人だったらここで終わり。でも、今回は2人なのよねぇ。キリシャ!!」


「あなたに計画性というものはないんですか?あきれたものですね。いきなり過ぎるんですよ!」


愚痴を言いながらも、さすがは天才。キリシャが投げたナイフは死人の両腕、両足の腱を切断した。いくら頑丈にできていようとこうなっては動けないはずだ。

思惑通り、死人の巨体が揺れ、崩れそうになったところに追撃を加えるべく、鎌を振りかぶる。


「まったく、手こずらせてくれたわね。でも、これでジ・エンド。消えなさい」


一撃で首を断つ勢いで振り下ろす。しかし、この時誰が予想できただろうか。楓はもちろん、風間でさえ勝利を確信していた。この化物に対しては。

何故今まで他の死人が動かなかったのか。そして、何故今になって動き出してしまったのか。

楓の周りには、無数の白い腕が伸びていた。


「リード!避けてください!!」


「避けるって、ちょっ、うわわっ」


伸びた腕一本一本にキリシャのナイフが投擲される。的確に関節へ投げ込まれるナイフは、腕の機能を確実に排除していく。そして、仕上げに私を軸に旋回するような形で鎌を振るう。伸びた腕を首もろとも切り離す。切断面から自分と同じ、赤黒い血が噴き出し、生温かい液体が私の頬を濡らしていく。

その、たった数秒の出来事。その時間さえなければ、


「リードっ!!」


「え――――――」


この怪物の再生能力に気付いていれば、この斧を避けられたかもしれないのに。


「嘘でしょ…………なんで動けんのよ!!」


「ぐぅぅぅぁアアアアあ!!」


私の動くスピードが高速なら、この怪物は神速。避けられるはずもなく、


「――――――――あ?」


冷たい感触。深く、深く、私の体にめり込んで、骨の砕ける音が聞こえて―――――


「ホント、嫌になるなぁ」


私の意識は闇に呑まれていった。


                    ■


「待てよ。なんなんだよ、あれ」


血のにおいが鼻にこびりついたような錯覚に陥る。どうでもいい。

相変わらず大勢の死人が蠢く。どうでもいい。

大量の肉片が血の海に沈んでいる。どうでもいい。

どうでもいいんだ。だから教えてくれ。

なんで、楓がこんな血まみれになって倒れているのか。

なんで、あるべき身体のパーツが足りていないのか。


「おい、楓!!」


「ちょっと、待ちなさい。気持ちはわかるけど、まずは死人の処理をしないことには埒があかないでしょう」


「そんなのわかってんだよ!さっさとやれよ!早くしないとあいつが――――――」


ごっ

鈍い音とともに頭に衝撃がはしる。それがイレインの頭突きによるものだと気付くのに数十秒かかった。少しだけ頭が冴える。


「頭は冷えた?ミイラ取りがミイラになっちゃ意味ないのよ。決めるなら一撃、全てに対して必殺でなくてはね。急がば回れって言うでしょう?」

イレインは身体をほぐすような動作をしながらそう答え、最後にいつものような屈託のない笑みを浮かべた。


「今、あなたに道を作ってあげる。だから、どんと構えてなさい」


「あ、ああ。わかったよ。けど、急いでくれ」


思わず毒気を抜かれ、そう答える。

目は楓から離れようとしない。ある種の狂気めいたものが俺に囁く。

アイツハシヌゾ。イソゲ イソゲ イソゲ イソゲ イソゲ イソゲ イソゲ イソゲ 

足が震えて、少し自虐的になる。

俺は見ているだけで何もしない、ただの足手まといなんじゃないか。ほら、今だって戦っているのを見ているだけ。ただ、見ているだけ。

なにが助手だ。なにが約束だ。結局何もしていないじゃないか。格好ばっかりつけて、まだ力がないからと逃げて、これじゃあそこらにある石ころと何ら変わらない。このままじゃ、俺には、俺がここに存在する意味がない。

目の前で繰り広げられるイレインによる一方的な殺戮。見事な手際だ。確実に人体の急所をつき、片っぱしから粉砕する。楓をはるかに上回る、その力量が頼もしく、また、恐ろしくもあった。

死人はただやられるがままで、場の終息は時間の問題と見えた。


「ほら、行きなさい!!今なら大分減ったし、急げば問題ないはずよ!!」


「わかった!」


一本だけあるルートを見つけ、そこを駆ける。距離は100メートル弱。とは言っても下手をすれば死ぬというリスクがある以上、闇雲に走るわけにはいかないって条件もあるわけだから、実際には200メートルくらいか。

今まで走ってきたこともあって、体力はあまり残っていない。渾身の力で頬を張り、


「行くぞ、クソ野郎ども。精々見逃してくれよ!!」


死人の間をすり抜ける。肩が少しぶつかってひやひやする。しかし、気にしていられない。

それの繰り返しが何度続いただろうか。何度か襲われかけたような気はするが、思考は捨て、ただ、楓を追い求めて、ひたすら走った、その後。その結果。その結末。


「おい、楓!しっかりしろ、おいっ!!」


楓を抱えあげる。目を開けない。それもそのはずだ。

楓には、右肩から先がなかった。その切り口はぶつ切りにされたように無残で、骨が砕け、破片が傷口に突き刺さっていた。そこからは致死量には十分なほどの量の血液があふれてくる。


「いや、待てよ、待ってくれ!ホントにヤバいんじゃないかこれ!どうすれば――――!」


血を止めるために肩口を上着のそでで縛る。骨の破片を取り除く。

死ぬ

その単語が何度も俺の頭をよぎる。何度も、何度も、何度も。

今さらなにを言っているのか。俺はなんだってしょうがないで済ませてきたのに。

俺は力がないから。俺は何も知らないから。そんな言い訳を繰り返してきたのに。


「なんだよ、今回は何も言い訳出来ないだろうが。なんでなんだよ。なんで俺には何も出来ねぇんだよ。なんでだよ――――!」


楓は返事を返さない。どんどん冷たくなっていくのを感じる。死の予感が、楓から伝わる。

イレインは未だに死人との戦闘を続けている。

情けない。自分は、こんなにも無力のままだったのか。2週間も傍にいながら、何も成長していなかったのか。俺には何も出来ない。これからも、そのままなのか。


「なあ、楓。死ぬなよ。まださ、約束果たしてないだろ?それに、つまらないだろ。死ぬのって。俺さ、


最近思うようになったんだけどさ。もしかしたら、お前のこと、好きなんじゃないかって。ベタだけど、お前が笑ってる顔見てるとさ、なんか、すごい満たされてさ――――――」

不思議なことに、死人は襲って来ない。まるで、この空間だけ違う空間にあるかのように。

俺はただ、独白を続ける。いつの間にか月は隠れ、俺たちに闇が降る。


「なあ、おい。聞いてんのかよ。なんか返事しろよ。これじゃあ俺が馬鹿みてぇだろうが」


わかっている。楓は死んでいる。俺の腕の中で、死んでいる。

美しい黒い天使が、死んでいる。

黒食、死人、raven。この少女を殺したのはなんだ?何故こうならなければならなかった?

自問自答を繰り返す。俺の中で、何かが湧きあがる。


「ああ、そうか。やっとわかった。お前の質問の答え」


唇がふるえる。それどころか、全身がふるえている。

恐れ?喜び?悲しみ?狂気?

違う。かすりもしない。

今の俺には、何の感情もない。あるのはこの少女への想いのみ。

それゆえにたどり着いた答え。なんて悲しい、答え。


「要するに、答えなんて最初からなかったんだ」


優しい彼女の、優しい拒絶。気付けなかった己の愚かさ。

俺には知って欲しくなくて、踏み込んでほしくなくて。

いつも心で泣いていた、強くて弱い黒い天使。やっとわかった。最初に感じた違和感。

黒と言われて感じた、どこか違うという感覚。だって、楓は―――――


「俺にとっては、お前は白だったよ。他のなによりも。なら」


俺はきっと、真黒だ。


はっと周りを見ると、見慣れない部屋にいた。

右は全て白く、左は全て黒い。そして、俺は白い部屋にいた。

黒い部屋を見る。そこには、俺の色という色を反転させたような、白い俺がいた。

声が聞こえる。


『力、貸してやろうか?』


「誰だよ、お前。黙れよ」


『おいおい、お前の欲しがってた力だぞ?そうやって邪険にしていいものかな?』


声は頭の中で響いているようだ。それも自分と同じ声で。


「黒食のことか。お前がくれるのか?」


『違う。俺はお前だ。あの金髪の小娘から聞いただろう?俺は力を発現させるきっかけでしかない。全ては、お前の中にあるのだから』


「どうすればいい」


『簡単なことさ。自分に従え。ゆだねろ。本能のままに欲望をさらけ出せ。お前は今、何がしたい?』

そんなこと、決まっている。わかりきったことだ。


「俺は楓の傍にいたいよ。だから、さ。こいつ1人ぐらい、余裕で守れるだけの力が欲しい。ただ、それだけだ。」


目の前の、俺と同じ顔をした、しかし俺ではあり得ないものはたいそう驚いたように目を見開く。


「なんだと?違うなあ、全然違う。俺はお前なんだ。お前が何を求めているかなんて、手に取るようにわかる。何故ためらう?その女を殺した奴が憎くはないのか。望めば簡単に力が手に入るというのに」


確かに憎い。でも、わかっている。キリがないってことくらい。

自分だけじゃあどうしようもならないってことが、わかる。


「なら俺の考えもわかるだろうが。わかりきったこと訊きやがって、俺は自分の世界が壊されるのが我慢ならないってだけだ。だから、俺が知らない人なんて知ったことじゃない」


「なら、何を望む?もう女は死ぬのを待つだけ。しかし、俺は呼び出された。勘違いしているようだが、俺はお前に望まれないと存在出来ないんだ。それはつまり、お前には俺を求める理由があったってことだろう?」


力を望んだ。それは確かにある。でも、死人を殺し続けて、その先には何が待つ?

楓が歩んできた道を同じように歩んで、そして、同じ結末を迎えるんじゃないのか。

それでは、あまりに救われない。報われない。


「だから、お前。最初から言ってるだろ?何度も言わせんなよ。惚れた女1人守れるだけの力だけよこせっつてんだよ!!」

それを聞いて、目の前の俺は誇らしげに笑う。まるで、それを待っていたと言わんばかりに、笑う。


「いいねぇ。惚れた女を守る、か。くく、キザな奴め。でも、気に入ったよ。面白そうだ――――受け取れ、人間。深淵よりも深く、暗い黒だ。呑まれてくれるなよ?」


直後、左目に激痛が走る。奥底から込み上げるような痛みに悶絶する。


「――――――っ!ぐぅぅああああああああああああああ!!」


焼ける、目が焼ける!!あついあついあついあついあついあついあつい!!!


『落ち着け。集中して力を眼に集めろ。熱くなどない。痛くなどない。思い込むな』

また、あの声が聞こえる。頭の中で反響するようにして、身体に浸透してくる。


「んなこと言ったって、ってあれ?」

全然熱くない。思い込むなってどういうことだ?


『力の流れだよ。膨大な量の(えん)が幻覚を見せている。お前には耐性がついていないために痛みとして表れるわけだ』


「閻ってなんだよ?」


『そういえば、知らなかったか。閻は身体に流れる精神エネルギーのことだ。わかりやすく言えば命の量だな。当然、使いすぎれば死ぬだろうし、使わなければ人並みには生きられるだろう』


「命を使うって、なんで」


『代価だよ。何かを得るにはそれ相応の何かを貰わないとなぁ。イレギュラーな力なんだ。それぐらい当然だろう?』


それはそうだ。確かにあんなでたらめな力、命ぐらい差し出さないと割に合わないだろう。けど、それじゃあ、楓やイレインは、命を削りながら戦ってきたっていうのか。


「やっぱ強いな、あいつ等には本当にかなわないよ。じゃあ、これからは俺も戦おうか。ただ、ひたすらに。俺の日常を守るために」


右目を閉じる。すると、急激に視界が広がり、暗闇だというのに、周りが昼間のように明るい。

死人がどう動くのかが見える。イレインの超人的な動きや、大気の流れさえも。

全てが見える。


『それをどう使うかはお前次第。全てを見通す力だ。お前にピッタリだろう?』


「全てを見通す、か。確かに、ずっと見てきただけの俺には合ってるかもな」


皮肉っぽく答える。無駄だと散々言ってきたっていうのにそれが力になるって言うんだから、そうなるのもしょうがないというか。

楓を見る。秋の木ノ葉のような色に沈んでいる。きれいな死に顔だった。

ため息が出る。その時、


「―――――っ!まだ、生きてる!?」


本当に微弱な脈ではあるが、まだ、確かに生きている。まだ、助かる―――っ!!

どうすれば助かる?眼を使って分析する。血は止まっている。しかし、絶望的なまでに血が足りていない―――このままでは一時間ともつまい。


「これは、さっさと輸血しないとヤバいな。なら」


未だに戦いの音は止みそうにない。これをいち早く終わらせるにはどうすればよいか。


「おい、聞こえてるか」


『なんだ、どうかしたのか?』


「この眼の使い方、教えてくれよ。ただ、見るだけじゃないんだろ?」


『いや、見るだけだ。ただ、見ると言ってもその眼は神すらも凌駕する―――まあ、もちろん例えだけどな。お前が望めば、この場の打開策だって見つかるかもな』


「神、ね。俺は信じない主義だけど、今は信じたい気分だね」


冷静に戦場を見据える。波が広がるように周りを把握していく。

死にかけた楓、死人を叩き伏せるイレイン、未だにはびこる死人。状況を分析、理解。

死人の数はさすがに減ってきているようだ。逃げきることは可能だろう。

イレインに向かって叫ぶ。これ以上はないくらいの声で、正に力の限りに。


「イルデュラ、ここは撤退しよう!」


「何を言ってるの!!そんなこと、出来るわけないでしょう!!」


俺は続ける。


「俺は、そんなことどうだっていい。人の命より重い仕事っていうのが俺にはわからないんだよ。まだ助かるかもしれないのに、そんなくだらない意地を張って、楓を助けられないなんてあんまりだろうが!!」


我ながら甘ちゃんだと思う。けど、今俺に出来るのは、一刻も早くここを離脱して、楓の生存の確率を上げることだけだった。

イレインは髪を掻き毟ったかと思えば、観念したようにため息をついて、


「ったく、しょうがないわね!」


瞬時に戻ってきたかと思えば、楓を抱えあげ、跳躍する。


「って、俺はどうすりゃいいんだよ」


『馬鹿かお前は。今のお前はあの動きがで出来るだろうが。身体能力はもとより高いみたいだしな』


そうだった。黒食の付属みたいな感じで身体的に強化されるんだったか。

地面を強く蹴りあげる。倉庫の半分くらいの高さまで跳びあがる。そのまま壁を蹴りあげ、倉庫へあがる。イレインの後を追う。不思議なくらい身体が軽い。100メートル7秒くらいで走れるんじゃないか?

金色の髪が見える。暗闇でも目立つその髪は風に吹かれ、踊り狂っている。



「ホント、初めてよ。自分から逃げ出したのって」


冷たい口調で答える。その顔には情など存在しない。


「しょうがないだろ。それより早く、楓の治療をしないと」


「………わかってるわ」


その後に会話はなかった。無言でありながらも俺に対する非難が聞こえてくるような気がした。


                   ■


「くそっ!何故私がこのようなことに――!!」


風間兜李は自室の扉に寄りかかって酒に溺れていた。

多量の酒を飲んでいるののも関わらず、不思議と意識はクリアだ。

惨めに負けをさらした己の痴態を思い出してしまい、グラスをフローリングの床に叩きつけた。ガラスが飛び散り、中に入っていた茶褐色の液体が広がっていく。先ほどまで目の前にあった血だまりに重なり、吐き気が込み上げる。

完全に油断していた。まさか、自分たちと互角に渡り合う死人がいたとは。

なんと無様に負けたものだ。リードは片腕を切り落とされ、今頃は死体をさらしているだろう。あの出血量では助かるまい。


「まさか、私が逃げ帰るなんてことが……ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるな!!」


忌まわしい斧を持った死人は、リードを切りつけた後に自分を追ってきた。

彼女を追い詰めた、圧倒的なスピードに、異常なまでの腕力。強化されてもここまではならないだろう。

逃げた。

この私が、化物とさえいわれたこの私が、たった一匹の死人に怖気づいたのだ。

そして、あの死人は見覚えのある格好をしていた。そう、自分が潜伏している高校の制服だ。

あいつは身近にいる。


「くくっ、ふははははははははは!!いいでしょう。見つけ出し次第、嬲り殺してあげます。この屈辱の見返り、たっぷりともらいますよ?」


口角をつり上げて笑う。欲望が足りないのなら狂ってやる。代価が足りないのならもっと喰らえ。

私の生きがいは、今この時をもってあの死人の抹殺になったのだから。


                  ■


野々村アパート。家賃は月に一万の1LDK。窓は部屋に一枚。それでも、風通しは良く、夏場は涼しい。ベッドが一つに箪笥(たんす)が一つ。それにテレビが一つがあるだけ。

貧乏、というのもあるが、これだけで生活に支障がないというのが大きいだろう。

まあ、そんなことはどうでもよく、俺の意識はベッドの上にいる1人の少女に向けられている。腕を失くした楓は、いつもの雰囲気から一変、いや、いつも以上というべきか。

とても儚げに見えた。


「ちょっと、そこどけてくれる?」


イレインがベッドに腰掛ける。コートは着たまま、真剣な眼差しで腕のない肩を撫でる。

包帯で巻かれた部分からも形がわかるほど骨が飛び出ている。


「席、外してもらえるかしら」


「あ、ああ、わかった」


大人しく外に出る。秋の始めの空気が身体を包む。

助かるだろうか。不安が胸を満たし、少しずつ、瞼が重くなる。

寝ればこの状況が夢だったということになるとでも思っているんだろうか。

ドアに背を預ける。


「しまった、なにか羽織ればよかったか」


予想していた気温よりいくらか低いように感じる。それは気のせいなのかもしれないけれど。空を見上げると曇っていて、いつも顔を見せていた月はなりを潜めている。

暗闇。街灯も少ないこの辺りでは尚更だ。


「ホント、情けねぇな。何やってるかもわからんし」


「そうだな。役立たずめ」


「人に言われるとちょっと傷つくな―――え?」


おいおい、なんで1人で会話が成り立っているんだか。もう寝てるのかね。夢の中か?


「どうした小僧。間抜けな顔がさらに間抜けに見えるぞ」


確かに声が聞こえる。夢の可能性は否めないが、それにしてはリアルだ。それに、声の位置が低いような気がしないでもない。


「聞いてるのか?無視するとはいただけないな」


「……………………………………猫?」


いつの間にか足元に黒猫が居座っていた。暗闇では注意しなければ見えないほどの漆黒の体毛をもっている。奇妙なのが瞳の色。右は金色、左は人間と変わらない、茶色に近い黒だった。首輪が付いていないから飼い猫ではないのかもしれない。

立てかけられているような体制を止め、猫を驚かせないようにしゃがむ。


「なんだ、見下ろすんじゃない。気分が悪いだろうが」


「お、喋った。やっぱこいつだったのか」


猫が言葉を発した。しゃがれた、そしてどこかで聞いたことのある声だった。しかし、俺は動じない。普通ならここで、うわあっ喋ったぁ、とか叫ぶのが正解なんだろう。

しかし、俺は違った。


「やっぱり、夢だな。猫が喋るとか、俺もファンシーな夢を見るもんだな」


普通にスル―した。


「たわけ。喉元食いちぎられたいのかお前。俺は一向に構わんのだがな」


「すいません。調子に乗りました」


肌に伝わるあまりにもリアルすぎる殺気に、条件反射で頭を下げる。楓との生活の中で身に付けたスキルの一つだ。割とこういうの多いからね。まあ、それよりもだ。


「じゃあ、なんで猫が喋ってんだよ!?なんだ、精神科か?精神科行けってか!?」


頭を抱えてなんだかわけわからん言葉を近所迷惑も考えず絶叫するが、目の前の黒猫は澄まして自分の足を舐めている。


「わからんのか?さっきまで喋っていただろう。俺だよ俺」


「俺って言われてもなぁ。猫の知り合いなんてそんなファンタジックなもんいないしな」


お手上げ、と手を左右に挙げる。何か引っかかるものがあるのは確かだが、それが何なのかはまだはっきりしない。


「お前の脳に直接語りかけてやっていたのにわからんのか?」


左右で色の違う瞳を半目にして俺を見上げる。小馬鹿にしたように鼻で笑い、しゃがんでいる俺の膝の上に飛び乗った。


「ってことは、あの、黒い部屋にいた白い俺なのか。じゃあ、もう一人の俺ってことか?」


「ふむ、少し違う。確かに俺は〈俺はお前〉と言ったが、それは限りなく近い、という意味だ。事実、俺は猫で、お前は人間だろう?意識の深層では俺とお前は似た所があるのだろうと、まあそういうことだよ」


あくび混じりに、黒猫は俺を見つめて言った。

それが真実であるか、もしくは偽りなのか。しかし、不思議とその言葉を信じていいと思ってしまっている自分がいた。自分と猫が似ているということは少々癪だけれど。

膝に座る黒猫の首元を撫でてみる。ごろごろと喉を鳴らしている。気持ちいいようだ。


「にゃ~ん、って何さらすんじゃボケぇ!!!!」


「ぎゃあああああああああ!!!」


眉間を爪で引っ掻かれたようで、熱を持ってじんじん痛む。気持ち良さそうにしてたくせによ!!!


「てめぇ!気持ち良さそうに喉鳴らしておいて、これはあんまりだろうが!!!」


腹が立ったので直接言ってやった。だって、可愛がってやっていただけだし、いくらなんでもひっかくことないと思う。

黒猫は憐れむような目で俺を見る。そして、やれやれといった風に呟いた。


「お前、男に撫でられて嬉しいか?しかも首だぞ?」


「…………………ごめん、それは、嫌だな」


「これでも俺は人間以上に知識豊富なつもりだ。だから、人間の感覚で扱ってくれると嬉しい」


最後にフン、と鼻を鳴らしてそのまま丸くなった。温かいのでそのまま放置しようかとも思ったが、こいつには聞きたいことがある。


「なあ、この眼はなんなんだ?神を超える、とか言ってたけどさ。黒食の力ってのはわかるけど、使い道がいまいち掴めない」


右目よりも微かに熱い、左の眼にふれる。肉眼では見えないものが左目には見える。例えば、風の流れ、筋肉の動き、音の波紋、命の量でさえも。しかしながら、今の俺にとっては気味が悪いの一言に尽きる。


「では、まずは神について話そうか。神を超えるのなんて簡単なんだよ。現に、お前はその眼を手に入れる前から神なんてとっくに超えている。見て、そして触れることができる。たったそれだけでな」


遠い目をした黒猫は、天を仰ぎ見る。相変わらず厚い雲が空を覆っているため、月どころか星すら見えない。しかし、その目は雲を捉えてはいないようだ。金に輝く右目は見えない月を映し出しているように見えるのだ。彼は続ける。


「神は大きすぎるがゆえに、ゴミ屑のような人間が目に入らないのだよ。全ては彼の創作。芸術家と同じなんだ。気に入らない作品は壊す。気に入った作品は観賞する。それでもいつかは壊す。この世界もいずれは、な。だから神は手を出さない。ただ、眺めているだけだ」


「ちょっと待ってくれ。神が存在するってのが前提で話が進んでないか?」


「ああ、存在する。なんせ悪魔が存在するぐらいだからな」


なんだ、だんだん頭痛くなってきたぞ。悪魔?神?いるわけねぇじゃんそんなの。

って言いたいところだけど、そういえば最近は日常的にそんな感じのことばかりだからな。

頭ごなしに否定は出来ない。まあ、そんなことを聞きたいんじゃないんだよなぁ俺は。


「その話は置いておいてくれないか?今はこれの使い方を知りたいんだが」


話の腰を折られた黒猫は少々ご機嫌斜めだ。小さく舌打ちした後に俺の顔を睨む。


「わかった。使い方だな?モノを見る。以上」


「………………………へ?」


先ほどとは違い、わずか十秒ほどで会話が終了した。


「モノを見るだけだよ。それは俺が与えたわけではないのでな。これ以上教えるのは筋違いというものだ。ただ、それがどういうものかは知っているぞ。俺の右目も同じようなモノでね。土下座して頼むというのならたまになら気まぐれに、偶然に、極めて稀に教えてやらんこともないかもしれないがな」


ごすっ

アパートの床(金属)に頭を叩きつける。膝の上に乗っていた黒猫は素早く飛び退く。そして響き渡る金属音。プライド?んなもん知りませんよ。


「お願いします」


「…………お前と似ているという理由で呼び出されたというのがなんだか複雑だよ」


黒猫は呆れていた。誰がどう見てもこれ以上ないってくらい呆れていた。

というかこいつ絶対猫じゃないよな。何で喋れるかも聞いてないし。


「―――――わかったよ。たまに助言くらいしてやる。お前が死なない程度に、だが」


「ああ、頼むよ―――今気付いたけど、お前の名前知らないよな。まさか、あの有名な小説みたいに名前はまだないとか言わないだろ?」


「まさにそう言おうとしていたが、予想通りになるのも癪だな。……………そうだな、ならば………………ベルフェゴールとでも呼んでもらおうか」


目を細め、笑っているかのようにこちらを見る。それが妙に人間臭くて、改めてこいつはただの猫ではないと感じる。


「ベルフェゴール、ねぇ。長いから略してベルフェでいいか?」


「勝手に名前を略されても困るんだがな。まあ好きに呼べ。モノの名前などに価値はない。俺はお前を桐人と呼ぶよ」


「ああ、わかった。それでいいよ。よろしくな」


「ふん、精々お前が死ぬまでのことだがな」


そのとき、背後で扉が開く。当然、前にしゃがんでいた俺はそれにぶつかるわけだが、

がっ、ざりざりざりざり!!!!!


「痛い痛い!!!痛だだだだだだだだだだ!!!!」


ちょうど下にある微妙な隙間に肉が挟まって引きずられた。つまり、

痛みは想像を絶するものだった。


「あら、ここにいたのね~。ごめんなさい」


申し訳なさ0パーセントな声で謝るイレイン。いつも通り、といっても今日初めて会ったため、いつもこんな感じなのかはわからないが。まあそんなことより。


「楓はどうなったんだ!?無事、なのか?」


「無理したら貧血でぶっ倒れるでしょうけど、腕は再生させたし、普通にしてる分には問題ないわ」


「再生って、そんなこと出来んのか!?」


「出来なかったらやってないわ。すごいでしょ~?」


ふふん、と勝ち誇ったような顔で俺の額を人差し指で小突く。この様子を見ると楓は本当に無事なんだろう。


「そういえば、誰かと喋ってたみたいだけど、誰かいたの?」


「ん?ああ、こいつだよ」


そう言って足元の黒猫を指さす。立って見ると普通よりも大きめであることがわかる。膝に乗っていた時にはそれほど重さは感じなかったが。


「にゃ~ん」


「…………………」


「にゃお~ん」


「………………………………………」


何で喋らないのコイツ!?これじゃあ俺かなりイタい人に――――


「ねぇ、桐ちゃん。確かに最近は非日常ばっかりで、何が起こってもおかしくはないけれど、さすがに猫は」


「いや、待ってくれ。今喋らせるから。本当だから。だから、そんな憐れむような目で俺を見ないでぇええええええええ!!!!!!」


空しく響く俺の切望は、結局彼女には理解されずに終わった。


所変わって部屋の中。


『私はこれで帰るわ。何かあったら呼んで。あ、でも、あなたがなんかしちゃダメよ?弱ってるからって襲ったりしたら――――――(以下略)』


という感じに帰ると言いながらも20分は話して言ったイレインだった。あれから弁解するのに小一時間かかり、もう、言葉という言葉を使い尽くした感じだ。

満身創痍だ。心がズタズタだよ。


「にゃ~ん、なんてな。大丈夫か?精神異常者」


「いつか殺すから覚えとけ」


こいつはこいつでイレインがいなくなった瞬間また喋り出しやがった。お陰でイレインに誤解され、精神科を8件ほど紹介された。泣きたくなった。

ベッドに横たわる楓を眺める。骨が無残にはみ出していた肩からは、以前と何ら変わらない白い腕が生えていた。それどころか、擦り傷などもなくなっているように見える。

元通りだ。傷跡すら残っていない。綺麗すぎる。元からこのままで、実は今までが夢だったんじゃないかと錯覚してしまうほど。


「見事だな。これだけ綺麗に直したんだ。あの女、どれだけ閻を使ったんだろうな」


その一言に凍りつく。もちろん、気付いてはいたのだ。ただ、希望を持ちたかったのだ。

再生なんてあり得ない。常識から外れた力は、それと引き換えに閻を、命を喰らう。

俺はまだこの力についてあまり詳しくはない。しかし、異常性とベルフェの反応からしてこの行為には、大量の命が使われているのだろう。


「なあ、具体的にはどれだけの力を使うとどれだけ減るって基準はないのか?一時間一か月みたいなさ」


「人それぞれだ。この力、お前らは黒食と呼んでいるようだが、これは桐人、お前が感じたように、非常識の度合いで力を増すんだよ。低い物から、“証明”“具現”“現象”に分けられるが、証明は一般的に、質量や材質、構造原理を理解し、実物とほぼ同じものをそこに表わすものだ。具現は証明の一段階上。それらが変形したり、自然ではあり得ない動きをしたりする。そして、現象。これは世界の理を捻じ曲げる力だ。再生や超能力がそうだな」


「そうか…………わかった」


「そういえばお前。ずっと眼を使い続けてるの、気付いてるのか?死ぬぞ」


「もう少し早く教えてくれないかっ………!!」


あわてて左目を抑えたり、押してみたり、撫でてみたりしてみた。


「何やってるんだ?そんなんじゃ封印は出来ないぞ」


「封印ってなんだよ!何とかしてくれって!!」


「面倒だ、が、まあ今回はしょうがないか。ほら、じっとしていろ」


言われたとおりにその場に固まる。危うくベッドに倒れこみそうになった。

少しベッドから離れ、正座でベルフェゴールと対峙した。

ベルフェゴールは軽やかに俺の肩の上に飛び乗り、顔を耳元に寄せた。


『我は全を見通す者。黒よ眠れ。我今暫しの時、瞳を閉じて闇を泳ぐ』


一瞬鳥肌が立つような感覚に襲われる。直後、左目から急激に何かが抜けていく。脱力感と表現するのが妥当かもしれない。目の前の景色が歪み、


「あだだだだだ!痛いから噛むな馬鹿猫!!!」


首をベルフェゴールに思いっきり噛まれた。皮膚を破ったようで、出血がある。

しかし、それは功を奏したのか、さっきようなだるさはもう感じられない。


「情けない。この程度で意識をとばしそうになるとはな。先が思いやられるよ」


「うっせぇよ。悪かったな、貧弱で」


少しちかちかするが視界は元に戻ったようだ。これで余計な情報に思考を邪魔されることはなくなった。

横たわる楓を見つめる。

戦わせてはいけない。彼女は失ってはいけない。死んだと思いこんだあの時、湧いた言葉を思い出すとわずかに顔が熱くなる。あれは本心だ。

力を手に入れた。これで、彼女を守れるかもしれない。まだ未知数で得体は知れないけれど、その分、期待が大きいのも事実だ。


「わかったとは?俺はこの力を使ったが最後、お前には絶望しか存在しないと言ったのだがね」


「それでいいんだよ。どうせ俺の命はこいつがいなけりゃ終わってたんだ。だったら、こいつのために使ってやるのが道理ってもんだろ?」


いつか見たようなきょとんとした顔をする黒猫。そして、かかっ、と笑う。

何が面白いのか、笑い続ける。壊れたラジオのようだ。


「やっぱキザだなぁお前。面白い。俺は見ている。ただ、見ているよ」


「笑うなよ。本気なんだからさ。何ができるかはまだわからないけどな。もう、俺はこの世界で生きていくさ」


ありきたりで薄い言葉。子供だって言うかどうか。けど、だからこそ、俺は断言したとは言えないだろうか。誰にでもわかる、誰にでも理解できるその言葉で。


「――――――俺がこの力を何と呼んだか、教えてやろうか」


「なんだよ、藪から棒に………で?なんて呼んでたんだよ」


「Confuse black。区別がつかないほどに混同する黒。この力のおぞましさを忠実に表わしている、実に良い名だよ。精々気をつけることだ。お前が、高宮桐人という存在を見失わないように」


言霊。そんなモノがあるのなら、今の言葉は正にそれだった。脳に直接響くような錯覚を感じさせる、伝えるということに無駄のない大気の微振動。

そこには警告と憐憫が同居している。死ぬくらいなら生き延びろ。黒猫のそんな声が聞こえてきそうだった。

楓と出会って一変したこの世界は、俺の周りを徐々に浸食している。人は死ぬし、親しい人がいつ敵になるかもわからない、命の保証はもちろんない。それでも、俺は積極的に関わろう。それは無謀で、浅はかなことかもしれないけれど、きっと意味のあることだと思うのだ。高宮桐人という個人を、何も出来ないそこらの小石と同じ、ちっぽけな俺を俺自身が知る上で。


「大丈夫だよ、ベルフェ。だから道案内は頼んだ」


「ふん、大丈夫、ね。いいだろう。連れて行ってやるよ。先の見えない闇の底に」


月の陰る夜。俺は暗闇へ一歩、歩を進めた。


どうも、間藤ヤスヒラです。

随分と遅くなってしまいました。遅筆というのもあるんですが、勉学との両立も課題の一つでして。なかなか執筆できない現状です。

読んでくださってありがとうございます。感謝です。どれくらいの感謝かというと、それはもう地上に存在する大気に対するものと同じくらいです。

最近は冷え込んできて、たまに暖房が恋しくなったりします。足がどうにも冷たくなってしまって、なんかもう感覚が消えてしまうというか。気温は高いはずなんですけどね。

次回も同じ程度の時間を必要とするかもしれませんが、何卒よろしくお願いします。

感想、お待ちしております。


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