第2話 鴉たちの宴
月に照らされ、神々しくも見える少女、篠月楓。
黒の髪に瞳、袖のないこれもまた黒いコート。それに映える白い肌。
それは美しいという言葉がとてつもなく似合う。
彼女は異形の鎌を振るう。人が欲にのまれたなれの果て、死人を”消す“ためである。
そんな彼女に魅せられた少年、高宮桐人はは進んでその世界に足を踏み入れる。
身近な人間、親友の想い人であった橘香織の死人化から2週間が経った。そんな経験をしたにもかかわらず、桐人は闇へと突き進む。
――私の隣であなたの戦いを見せて
ただ、彼女との約束を果たさんがために。
死人化した橘香織の処理から2週間が経過した。
学校は転校という形でこの事実を隠蔽した。
前に聞いた、学校に潜伏しているという篠月楓の同業者の仕業だろう。
身近な人間が消える。
俺がそれを確かな感覚としてとらえられたのは、想い人を失った親友の嘆く姿を目にしてからだった。
俺の親友、南原小蔵は普段の馬鹿みたいな笑顔を崩して俺に訴えた。
「俺さ、昨日見たんだよ。香織ちゃんが一人で歩いてたんだ。そしたらさ、突然飛び出してきた鎌みたいなの持ったヤツに襲われて、それで香織ちゃんも腹からなんか出てきて変になって…………!」
ひどく興奮した声で、恐怖が込み上げて今にも泣きそうな声で。
あの、いつでも俺に馬鹿みたいに笑いかけてくる、いつだって大きく見えたあいつが、今はこんなにも小さい。
「夢でも見たんじゃないのか?天使の話もガセだったし、少し疲れてるんだろ」
だから、俺は嘘をついた。
忘れてしまえばいいと。香織さんは転校して、お前は昨日、寝ていたのだと。
だってしょうがないじゃないか。
お前が知ってしまったら、消えてしまうかもしれない。
俺だって運が良かっただけで、本当はあのまま、消されていたのかもしれない。
こいつに話すわけにはいかなかった。
「本当なんだよ!!本当、なんだ………!」
それからの言葉には耳を傾けなかった。
楓の視線に気が付いたからだ。
「少し休めって、な?」
落ち着かせなくてはならない。そう思い、労いの言葉をかけてみたが、聞こえていたのかどうか。
それからの小蔵は学校を休みがちになった。
そして、今。
「どう?そろそろこの光景にも慣れてきたかしら」
「さすがに20体以上も見てればな。嫌でも慣れるよ」
楓と出会ってから24体目の死人を“消した”後だった。
慣れた、といっても実際は比べているだけだ。
橘香織。2週間前に処理された、クラスメイトであり、親友の想い人であり、俺が出会った中で最も身近な死人。
それに比べれば、と。
だから、もっと身近な、例えば小蔵とか。
あいつがいなくなるのなら、俺は再び恐怖するのだろう。その時、俺は立ち直れるんだろうか――――考えたくもない。
「そう、嫌な慣れね。それで?私の課題は解けたのかしら」
「いや、さっぱり」
未だに〈白と黒〉の課題は答えが見つかっていない。というのも、楓からは何も聞かされていない、というのがかなりの難関なんだが。解けるのか?これ。
死人が黒で、人間が白なのかもしれないし、はたまた、あの鎌が黒で、それを扱う楓が白なのかもしれない。
しかし、何か違う。そんな気がする。
すると、楓はなぜか少し安心したように、
「そう、ゆっくり考えるといいわ。まだ、先は長いのだから」
月は相変わらず、俺たちを見下ろす。
もしかすると、楓に見とれているのかもしれないな、とか思った。
長く黒い髪、袖のない黒のコート、漆黒の瞳、それとは対照的な白い肌。
それらは見事に彼女の美しさを際立たせていて、
こうして慣れてきた身でも、たまに心奪われるわけで。
「そんなに見られるとさすがに恥ずかしいんだけど?」
「嘘つけ。きっと心中では笑ってるんだろ?いいよ、笑えよ」
「なに言ってんの。見とれるのはしょうがないことじゃない?私が美しすぎるわけで。でも、さすがに、舐めるように見られると………………ちょっと待って」
隠せてるつもりなんだろうか。それともわざとなんだろうか。めっちゃ笑ってるよね。
確かに笑えとは言ったが、なんか腹立つな。よし、殴ろう。
「俺は人生で今まで女を殴ったことはない。俺の初めて、受け取ってくれるか?」
「なにロマンチックに言ってんのよ。いらないわそんな物。犬にでもくれてやりなさい」
俺の初めて殴る女は犬なんだそうだ。じゃあ逆もありってことで、
「じゃあお前を殴ればお前は犬だ!!!!」
殴りかかる。もちろん本気じゃないぞ。本当だぞ?
「なに訳わかんないこと、言ってんの、よぉ!!!」
腕が掴まれ、俺の身体が宙を舞う。見事な一本背負い。
「ぐほあ!!!」
地面に背中から叩きつけられる。イメージはアパートの2階からダイブしたらこんな感じかな、と思う。だって、息出来ないんだぞ?
「私を殴る?はんっ、10年どころか67年は足りないわ!!」
楓は勝ち誇った笑みを浮かべる。なんかすっげぇ嬉しそう。
67年の件は触れないほうがいいのか?
「痛ってぇ………、なんでそんなに強いんだよ。お前」
「そりゃあ、楓様、ですから♪」
妙に説得力あるな。
っと、このままじゃ夜が明けるな。1時だ。
「それじゃあ楓様。家に帰って飯でも食いましょうか?」
「そうね。急ぎましょう!」
楓は走り出す―――――ってあれ!?もう見えねぇ!!
「いや、待てって!俺いないとお前何も作れないだろうがあああぁぁぁ!!」
それを追う。地元だからいいようなものの、知らない土地だったら見失ってるだろうなあ。
「遅い!」
「いや、あれは追いつけないって」
10分後、家に到着。楓に至っては5分くらいだろう。オリンピックに出てこい。
「早く作りなさい!!」
「はいはい。お待ちください楓様~」
楓と生活を始めてから、といっても仕事の都合上だが、
家に自分以外の住人がいる。
まるで、家族ができたようで少し嬉しかった。
実のところ、俺には肉親がいない。死んだと聞かされているが、定かではない。
俺は孤児院で育って、家族みたいな人もいて、それなりに楽しかった生活を送れたけど、皆何かしらの心に傷を持っていて、
だから、こういう、遠慮のないやりとりは初めてだった。
欲を言えば、女性の手料理というものを一度経験してみたいのだが、
「は~や~くぅ~~~」
無理だな。
「ほら、今出来たって。今日は和食だ」
「ほほぅ。私の気分がわかるようになったなんて、やるわね」
(全くわからねぇよ)
「いただきま~す」
すると、物凄く嬉しそうに食べるのだ。
まったく、作りがいがある。思わず顔がゆるむ。
逆の状況は期待できないのが残念だが。
「おかわり」
「はいよ」
この血みどろの世界でも、まだ、こんなに平凡が残っていることが嬉しい。
平凡は捨てた、なんて言ったのに。
未練たらたらだ。
「おかわり」
「はいよ」
このままこいつと暮らせたらな、とか、思わないでもない。
そうしたら、俺の人生もこいつの影響で明るくなって
「おかわり」
「って早いんだよお前は!!!」
5分経たずにおかわりされてたら食費足りないっての。
「いつもはゆっくり食べてるでしょ?」
「わかった。わかったから食え」
楓は食事を再開する。
あんな戦いの後でよくこんなに食えるな~とか思いながらその様子を見つめる。
本当に、嘘みたいだ。
翌朝、家の中では固定されつつあるタンクトップにジーパンという服装で徘徊している楓。
だらしない、と言ってしまえばそれまでだが、彼女が着るとそれが似合ってしまうというのが驚きだ。
彼女は何故か上の下着をつけない主義だと言って、まあ、常に目がいってしまうわけだ。
見た感じではなかなかスタイルがいいと俺は推測する。
「みず~みず~みず……………」
どさっ(冷蔵庫前で倒れた音)
「二度寝すんな~。飯、食っちゃうぞ~」
がばっ(倒れた倍のスピードで起き上がった音)
生き返った。おもしろいな、こいつ。
「ふざけないで!私がなんの、た、めに……………」
おお、今度は立ったまま寝たぞ。
というわけで朝に弱い楓様を椅子に座らせる。
そこに、朝食を置きますと、
「…………はっ!いつの間にか朝食?私って寝ながら料理って出来たのね」
んなわけねえだろ。寝ぼけるとこいつ面白いこと言うな。
それを3分程度で平らげ、満足そうな顔をする。
「よし!学校に行きましょう!」
「じゃあまず着替えろ。その格好で行くつもりか?」
着替えを待つこと5分。着替えより食うのが早いって女としてどうなんだろうね。
そして、登校。
いつもなら、2週間前には、小蔵がいきなり声をかけてきて、俺が迷惑そうにして、それでも諦めずに話しかけてきて、
「……………………………小蔵」
そんな平凡が、また一つ消えた。
「どうかした?」
「いや、別に」
その代わりに彼女が隣にいる。死人を“消す”、俺が全てを知るきっかけとなった少女。
日常の象徴である小蔵と、非日常の象徴である楓が入れ替わっているというのはなんとも奇妙なもので、その小蔵がいなくなった。
確実に俺の日常は異常に浸食されつつある。
学校に到着。また、楓は猫を被っているようだが。
すると、前にも見たような光景が、
「はじめまして。姫島由利亜です。皆さんとは早く仲良くなりたい
と思っていますので、どうぞ、よろしく」
感情のこもらない声で淡々と喋る。
身長は楓と大差なく、スレンダーな体型。感情が読めない無表情が特徴的な、金の髪を持つ少女。
って金髪!?名前は日本人だし、教師に何も言われないところを見ると、ハーフ?
そんな思考の最中に聞き覚えのある声が、
「由利亜!?」
楓にしては珍しい、少しうろたえたような声。それに対してその由利亜さん。
「顔を合わせるのは久しぶりですね。元気でしたか?楓」
相変わらずの無表情で、
「水を飲むと脱ぎたくなるという体質は治りましたか?」
「んな体質ないわよ!!」
ドSだ。涼しい顔して人の反応を見て楽しんでるし。
あと、楓。本性丸出しだぞ。まあ、周りには大体知られてると思うけど。
「お、なんだ。篠月と知り合いなのか。じゃあ転校生同志、近い席にしてやろう」
「ありがとうございます。川崎先生」
沢神高校教員、川崎考一、32歳、特徴、空気が読めない。
今の会話を聞いてその判断なんだとしたら、相当末期だと思う。
「よろしくお願いしますね」
「え?あ、ああ、よろしく」
何故か俺にそう言うと、ドS姫島さんは楓の後ろの席に腰を下ろした。
なんか俺の周りに変な奴ばっかり集まって来るな。
「なんでこんな所にいんのよ」
「私が学校に通ってはいけませんか?」
小声で何やら話しているようだが、そういえば、楓の知り合いってことは同業者ってやつなのか?
そんな光景が昼まで続いた。飽きないな。見てて。
そして、屋上。今日はプラス姫島さん。
「あなたが楓の雇ったという助手さんですね」
「ということは、やっぱり姫島さんは楓と同業なのか」
「そういうことです。私は情報専門ですので、戦闘は専門外ですが、楓とは関わりが意外
と深いんですよ」
じゃあ、死人の処理の時の電話の相手は姫島さんだったわけか。
「何の目的があってここに来たのよ?」
少しむっとした表情で楓が尋ねる。
「別に。強いて言うなら、私の代わりにアパートの管理人になったかと思えば、そこに男を連れ込んで毎日イチャイチャしてる楓の様子を見に来たといいますか」
「してない!!そして嘘をつくな!あんたがそんな目的で動くわけないじゃない!!」
「当たり前です。そんな暇があれば睡眠を優先します。しかし、助手君を見に来たのは目的の一つですよ」
相変わらずの無表情で答える。
俺を見に来たってどういうことだ?
それにしても、管理人の、あのおばちゃんの中身がこの娘だったなんてびっくりだ。
楓の話では性格が悪いっていうけど、
「それにしても冴えない顔をした方ですね。まだ犬のほうが凛々しい顔をしますよ?」
いい性格してるぜ。
「まったく、目撃者を殺さず、助手にしたと聞いてどんな人かと思えば、こんな犬より役
に立たなそうな男だとは。これはどうしたことです?楓、もとい雌犬」
「桐人は役に立つわよ。料理できるし、仕事の時は周りに人目がないか確認してくれるし。それと、あんた、今度雌犬っつったら逝かせてあげるわ」
正直、姫島さんの言うとおり、俺は足手まといだと思う。
見張りといっても深夜だから人はほとんどいないし、それは自己満足の類のものだ。
俺には何の力もないのだから。
楓もそんなに評価しなくていいのに。
「――――まあ、いいです。ただ、私以外はこうはいきませんよ。発現できるならともかく、単に知ってしまっただけの一般人ですからね。説き伏せるのは難しいでしょう。」
「わかってるわよ。これは私の我がままなんだから。そこらへんはなんとかする、としか言えないわ」
「では、まずはこの学校に潜伏している、キリシャに弁解してみてはどうです?教員に紛れていると思いますよ」
キリシャというのは、彼女たちの間での呼び名だろう。
以前楓から聞いたことがある。ちなみに楓はリードだったはずだ。姫島さんは―――電話で話しているのを聞いた限りでは、フェリッシュだったか。
キリシャの名を聞いた楓の顔からは驚愕と嫌悪が見て取れる。
「キリシャ!?そんな狂ったやつがなんでこんな所にいんのよ!」
「おかしなことを言いますね。こんな所、だなんて。この街だからこそでしょう?」
この街だからこそ?
何を言っているのか、理解が及ばなかった。
姫島さんはそんな俺に説明するように、いつもの無表情でこの街について、話し始めた。
「この街は異常です。死人の発生頻度が尋常じゃない。毎日1夜につき9~10人なんて、私たちの人数から言って、とてもじゃありませんが追いつけません。“黒食が使える人間は少ないですからね」
「そうね、人数を補うために、より強い人材が必要になる、か―――」
聞き慣れない単語を聞いた。
“黒食”
なんらかの能力、ということは楓のあの大鎌も、その類なのかもしれない。
白と黒の課題において重要な言葉になるかもしれないな、なんて思案していると、不意に手を引かれる―――――物凄い力で。
「痛だだだだだだだだだだ!!!」
楓が俺を庇うように背後に引きずる。
なにすんだよ、と怒鳴ってやろうとしたが、やめた。
そこには、死人と出会った時と同じ顔をしている楓と、相変わらず無表情な姫島さんと、
もう一人。
「風間先生?なんでこんなところに」
風間兜李。
去年から赴任してきた教師で、常時スーツを着ており、真ん中で分けた髪といい、四角い眼鏡といい、真面目そうな雰囲気を醸し出している。身長は俺と同じくらい(170センチくらいだ)で顔もそこそこよく、生徒からの人気は高かった。
しかし、俺にはその凛々しいともとれる瞳が人を見下しているように見えて、彼を好きにはなれなかった。
「やあ、高宮くん。今日は女の子に囲まれて華やかですね」
彼は教師としか思えないなごやかな口調で話しかけ、
「しかし、感心しませんよ?リード。目撃者を逃がすなんて。ちゃんと殺さないと駄目じゃないですか」
教師とは思えない言葉を吐いた。
「キリシャ、相変わらずいけ好かない野郎ね。いいのよ。こいつは私なりに利用するって決めたんだから」
「風間先生がキリシャ――――――」
不思議なことに驚きはなかった。むしろ納得したものだ。
この先生なら、この男なら生きている人でさえ平気で殺せるのではないか、と思ったからだ。事実、俺を殺せ、とか言ってきてるわけだし。
「それでは困るんですよ。我々はその規則を遵守してきました。ただ、例外で戦力になりそうな者、“黒食”を発現できる者が現れたときは生かしてもいい、ということでしたが、その少年はそうなんでしょうか?」
「――――違うわ。何も使えない。」
楓は悔しそうに唇を噛む。
つまりは、このままでは俺は殺されると、そういうことか。
「キリシャ、少し違いますよ。目撃された者が役に立つ、と感じた時は生かしてもいいというのが抜けています」
姫島さんがささやかに反論する。
「この際、それは無視してかまわないでしょう?実際、その可能性はゼロに近いわけですし。私たちは強者なのですから、弱者に頼るなど虫唾が走るというものでしょう」
「今はそれが適用されようとしているのです。一人ではご飯すらまともに食べられない楓は、料理の出来る高宮くんを必要としている。違いますか?」
すると、風間先生は声をあげて笑った。
その笑い声には死人以上の狂気を感じたように思う。
「そうですか!それはそれは、愉快なことですね。わかりました。いいでしょう、ここは黙認してあげます」
「思いあがらないでくださいよ、キリシャ。こちらは2名、分があるのはこちらですよ?」
「ええ、今は“黒食”が使えないので、そうなるでしょうが、夜になればあなた方ごときなら私一人で十分ですよ?」
“黒食”には使用制限があるのか?
こいつの口ぶりだと夜に使えるってのはわかるんだが。
それにしても、2名、か。こんな時なのに、そんなところを残念に思う自分がいて、
本当に嫌になる。
「リード、しっかりしてくださいよ?さもないと私が――――――――」
食べてしまいますよ
そう言ったように見えた。
風間先生が去った後、楓が不満をぶちまける。
「――――本当にクソいけ好かないやつだわ。あいつ!!」
その目は憎悪に満ちている。その憎悪は誰に向けたものか。
すかした態度を崩さず、俺たちを軽蔑したような目で見続けていた風間先生に対してなのか、それとも、何も出来ずに傍観することしかできなかった己に対してなのか。
「彼が言ったことは事実です。私たちでは彼には勝てないでしょう」
相変わらず無表情で続ける姫島さん――――――――ってあれ?
なんか風間先生と戦う感じになってないか?あの人は一応仲間だろう。確かに気に食わないのはわかるけど。
その考えをくみ取ったらしい(なんでわかるんだ?)姫島さんは答える。
「人には色々な考えがあるでしょう。対立すれば争うこともある」
「そして、殺すのか」
姫島さんは無表情を崩さず、平然と答える。
「必要があれば、あるいは。しかし、戦力が減少するわけですから。メリットがないこと
は確かですね。私たちの目的はあくまで〈死人の殲滅〉ですから」
確かに、敵を潰すための戦力は多いほど良いか。
そういえば、
「この組織みたいなやつにも名前とかあったりする?」
すると珍しく、姫島さんが驚いたような顔をして、
「楓から聞いていないんですか?」
と、それもまた少し大きな声で。
「いや、全然。そういうことは全く話してくれないんだ。あいつ」
未だに不満を吐き続けている楓を見て答えた。屋上のフェンスを蹴り続けている。
姫島さん、すっげぇ疲れた顔になった。これってレアじゃないか?いや、まあわかるけども。
「そうですか。優しいというか甘ちゃんというか、まあ、それが彼女の良いところでもあるんですが」
小さい声で何事か呟いている。
そして、俺を見て、
「わかりました。教えましょう。ただし、“黒食”については自分で調べてください」
「なんでだよ?」
「そういうものなんです。つべこべ言わないで下さい。海に沈めますよ」
怖っ!!!!!本当にやりそうだから怖い。
「わかったよ。組織のことだけでいい」
「初めからそのつもりです――――――まず、組織の名前ですが、正確なものはありません。
しかし、もっともポピュラーなのは〈raven〉。ワタリガラスという意味からわかるとおり、私たちは各地をまわっていて一か所に留まることはまずありません。構成は、今は20人ですがあと6人の席があります。あなたが“黒食”を扱えるようになったなら、その席の一つを埋めることもできるかもしれませんね」
あり得ませんが、って感じの顔してるのは気のせいか?
いや、明らかに狙ってるんだろうなあ。説明してる時もちょっと面倒そうにしてたし。
それにしても、組織名がravenか。だから黒いのか?服とか、腹ん中とか。
「じゃあ、この街には今、何人組織のやつがいるんだ?」
「私、楓、風間の3人とあと5人、ここに来ています。あなたがしぶとく生き残れば会える日が来るかもしれません」
合計8人か。意外と少ないんだな。ということは、一人一人の戦力が大きいのか。
しばらく考え込んでいると、姫島さんが口を開く。
「…………“黒食”についても少しぐらいならさわってもいいでしょう。何も知らないのはさすがにあなたが不憫に思えますから」
いちいち頷いていたのが効いたのかもしれない。姫島さんは面倒臭そうにしながら、先ほどは話さないと言った“黒食”について、話してくれるようだ。
「本当に面倒ですが、髪の毛と水くらいしか摂取できていないような環境では、知ろうとしても所詮わからないであろうことは目に見えているので、本当に仕方がなく教えてあげるわけですが」
なんですが?という顔で俺を見てくる。なるほど、見返りを求めているわけだ。
ならば応えてやろうじゃないか。
「この貧しい私めにそのような気遣い、もったいなき限りであります」
日本語として破綻してそうだが、俺なりに持てる全ての敬意を表したつもりだ。
「やめてください。その言葉遣いなんですか?日本語のつもりなんですか?そうだとしたらあなたはダニ以下です。ダニに謝ってください。キモいです」
やばい、泣きそうだ。
「ごめんなさい。お望みはなんでしょう」
しょうがないので素直に交換条件になるであろう展開を受け入れる。
内臓とか取られないかな。やばっ、ちょっと怖くなってきた。できれば痛くない方がいいなあ、とかは望み薄か。
「楓の写真を撮ってきてください」
こういうのは予想外。
「………………………は?なんでそんなもん」
すると、姫島さんは無表情の中に少しだけ熱の籠もった顔で語ってくれた。
「わかってませんね、この難易度を。楓はカメラを激しく嫌います。その嫌い方が問題で、基本、カメラに向かって攻撃を繰り出してきます。それも本気で。おかげで私のカメラは何台犠牲となったことか」
その後も何分か続くこのミッションの難易度説明。完全に話が写真の方にシフト。
「とまあ、笑顔の楓を撮るために様々な努力を重ね、仕舞いには賞金をかけましたが誰も撮ることは――――聞いてますか?蛆虫」
さっきの熱は何処へやら。ドS姫島ここに再臨。
「ああ、聞いてたよ。どんだけ難しいかは伝わった」
「そうですか。では、あなたは死んでもいいので写真だけは撮ってきてくださいね。約束です。いや、命令です」
俺死んだら持ってこれないんだけど?なんて言ったら話打ち切りプラス俺死亡かな。
ははは、まじ怖ぇ。
「了解。いずれ必ず持って行くよ」
というわけで素直に従う。それに姫島さんは頷き、
「当たり前です。それでは話しましょうか、“黒食”について―――――――まずわかっておいてほしいのはこの力は自分自身であるということです。心の持ちようで力は変動する。そして、破られればそれは自分自身の敗北。つまり、死です。それほどまでにこの力は私たちとリンクしている」
自分自身、つまりは自分の力そのものの具現化?なんかしっくりこないな。
つまり、楓であればあの鎌が破壊されてしまったりすると、そのダメージが直接伝わると。
「――――――楓ってすげぇな。こんな捨て身みたいな力なのに、臆せずにあんな簡単に扱うんだから」
「……………そうですね。強いですよ、彼女は」
何か思うところがあるようで、少し遠い目をしている。
「そういや、2人ってどれくらいから知り合いなんだ?」
「話をもとに戻します―――なんですかその目。不愉快です。やめてください」
だって、さあ。ねぇ?そういう感じだったよな?今の雰囲気。
「なんだよ、ちょっとぐらいいいじゃ―――すいません」
どこから取り出したのか、姫島さんの手にはスタンガン。それが今、俺の首に当てられてる。スイッチを入れようとその細い指が動き―――――って
「待てまてまてまてまて!ウェイト!!そこで落としてどうする!?」
「うるさいのが静かになるので私はとても気分が良くなります」
「英文の日本語訳みたいに言わない!」
「“黒食”の特異性は死人を消滅させることができるところにあります」
スルーですか。いいですよ。俺は気にしないからな…………本当だぞ?
「死人って他の方法では消えないのか?」
「消えませんね。イレギュラーにはイレギュラーで対抗、といったところでしょうか」
2週間も経つのに知らないことばっかだ。駄目な俺。
「そして―――――っと、もう昼休みが終わりますね。ここまでです」
なっ!そんなことならふざけたりしなきゃよかった!!
せっかくの機会だったのになあ。でも、力のことについて少しでも知れたのは大きな収穫だったな。
楓はまだ一人ぶつぶつと呟いていた。
「ねえねえ、楓ちゃん。今から遊ばない?」
放課後、男子生徒に声をかけられる楓を眺める。相変わらず愛想を振る舞っているが、これは少々苛立ち始めた様子。
「ごめんなさい。今日は用事があって…………」
「前もそんなこと言ってたよね~。いいじゃん、ちょっとぐらい」
「でも…………(いらいらいらいらいらいらいらいらいらいら)」
訂正。めっちゃ苛立ってる。
殴ったりしないかとひやひやしながら見ていると、楓と目が合う。楓が笑う。ニヤリと笑う。嫌な予感しかしない!!
「私、強い男が好きなのよね~。それで、今現在、私が知っている限りでの強い人っていうのが、」
意図がわかった。逃げよう。
「そこにいる、高宮桐人君なのよね~。(時間稼ぎよろしく)」
「はあ!?マジかよ!こんなひょろいやつが強いっての?あり得ねえ」
残念。逃走は失敗。男達の視線が俺に集まる。人数は2人。
俺を巻き込むなよ。遊んでやればいいじゃん?
「って、無理だよなあ。逃げるの」
いつの間にか楓は俺の背後に陣取っている。こいつは怒らせると後がないだろうな。敵が2人から3人に……嫌だなあ。
「桐人、とかいったか。悪いけど、ちょっと殴られてくんない?」
もう手遅れだ。とんだとばっちりだ。
「んじゃ、さっそく、いくぞこらぁ!!って、え?」
2人いるうちの1人、ちょっと体格のいい方がすっころぶ。足かけて転ぶやつって結構間抜けな絵だな。
「てめったあああああああああ(てめぇ!ふざけんな!痛ったあああああああ)!!!!!」
向かってくるおバカブラザーズ(勝手に命名。略してバカブラ)の金髪頭の細い方。鳩尾にひざ蹴り。日本語とは思えない言葉喋ってるな~とか思いながら倒れたところに追撃。
かかと落とし!
ごす。
「あぶっ」
顎をうったらしいバカブラA。これで軽い脳震盪でしばらくは起きれないだろう。あとは―――――――――
「なめんなよおおおおおおおお!!!!!!!」
「お前、もう少しましなセリフはなかったわけ?」
バックステップで突進(?)をかわして、と
「同じ男としてこれはやりたくないんだけど…………すまん」
「おぶうううううううううおおおおおおおおおお!!!」
見事な前蹴りが、股間にヒット。許せ、バカブラB。今度謝る。
ってか、なんだこの展開。こいつら倒れてるけどほっといていいよな?
「……………なんだよ?」
楓が茫然としてこちらを見ている。なんだよ?股間は卑怯だってか?だったらお前が遊んでやればこんなことには、
「…………びっくりした」
「は?なんで?」
意味がわからない。これくらいの不良(?)の撃退くらい死人に比べれば容易いもんだろう。
「不良(?)2人に1人で勝つって凄いじゃない!私のイメージでは桐人って口八丁でなん
でもまるめこみそうな感じがしてたんだけど、強いのね、あなた」
なんか、なんて言えばいいんだろうなあ、この気持ち。これはえーっと、あれだ。
「気持ち悪い」
「はあ!?人がせっかく褒めてあげてるのになによ[気持ち悪い]って!!」
「だってお前そういうキャラじゃないだろう!?裏がありそうで怖いんだよ!!それに、
強いって言うならお前の方が強いだろ」
不良っぽい2人に1人で勝ったとして、それが珍しいかといえば……喧嘩自体珍しいんだが。仮にそうだとしても、毎回死人と戦っている楓に言われては説得力皆無だ。
楓は拗ねたように反論する。
「裏なんてないわよ!純粋な気持ち。そして、私は強くないわ。人を殴れる分だけ、あなたの方が強い」
「人を殴れるぶんだけって、お前、俺殴ってんじゃん」
「実際には殴ってないわ。投げたり小突いたりはしてるけどね」
投げるのもどうかと思うがな。ってかこいつ一回は人殴ってるんじゃないか?
確かに孤児院にいた頃に、ちょっとした運動で軍隊の訓練みたいなのはやったことあるから、人よりちょっと強いかな、ってのはたまに感じるけど、そんな持ちあげるほどではないと思うぞ?今になって考えればあの孤児院って異常だったんだな。
いつも先生は口癖のように、
『やられる前にやれ。所詮、人間なんてスピードと腕力で決まるんだ。あと、金だな』
最後なんて最悪だ。子供(10歳)に言う言葉じゃない。
「んなことでもめてる場合じゃないぞ~。早く帰らないと、特売が終わる」
「本当、桐人ってたまに意味分かんないわ。こんなシリアスな場面で特売?一回頭開いて見てみたいものね」
安いうちに買っとかないと、お前に食糧だけでなく金も食われるからだ、というのは心の内にしまっておいた。たぶん、面倒臭い展開になるからな。
俺の主な生活費はバイトの給料でまかなわれている。アパートは安いし、特売で買い込んでおけば食糧にも困らない。最近は困り果ててるよ?あの食欲の塊みたいな女に食いつぶされそうだ。これといって金を使おうとは思わないからこそ生活できている、というのもあるんだけど。
しかしながら最近は、といっても2週間前からだけど、バイトの時間が激減している。クビになったらどうしよう。止めだぞ?
「今日は~っと、卵か。じゃあオムレツでも一つ」
卵のパックを2つ取る。ちなみに昼間はおばちゃん達の壮絶な戦いがあるわけだけど、俺にはそこまでの行動力はない。余り物で十分だ。
なじみの店員さんにレジを通してもらい、袋に詰め、って
「姫島さん?何をしていらっしゃるので?」
「決まっているでしょう。買い物です」
いやいやいや、買い物でスタンガンを人に押し付けるシチュエーションがあってたまるか。
どこの暗殺部隊だ?
「そいつを下ろしてくれると………」
「ありがたいですよねぇ。わかってますよ――――くす」
「やめてくれ!ここで意識失ったら楓にも殺される!!」
飯が用意されないだけで機嫌が悪かったりするやつだぞ?食べるものがゼロだったらどうなるか。
「まあ、ジョークはこれくらいにして、本題に」
「本題?死人か?」
なんてこった。このまま行ったら卵割れるな。最悪だ。
そんな不安をよそに、姫島さんは怪訝そうな顔を浮かべて、
「なにを言っているんです?写真のことです………忘れてましたね?」
「いや!忘れてないぞ!!ただ、姫島さんが話って言うから、その、アッチ方面のことかと」
「死人は出現していません。そんなことはどうでもいいです。写真は正面からのアングルでお願いします、と言いたかっただけですから。では」
言いたいことだけを言うと姫島さんは風のように去って行った。
「なんだったんだ?あれだけなのか?」
なんだかよくわからない用件を言われたな。正面からのアングルがどうのこうの。
あ、カメラ買わないと。生憎、携帯は持ち合わせていない。金かかるからな。
「ただいま」
「おかえりなさ~い」
家の中、正確には茶の間にだが、黒いTシャツを着た金髪の美女が座っている。一瞬姫島さんかと思ったが、強気な瞳、大人びた雰囲気、そして、極めつけは姫島さんにはないものが、こう、ドーンとくっついている。楓さえ相手にならないサイズじゃないか?しかし、だ。
この家には俺と楓しかいないはずだぞ?というわけで、
「ちょっと公衆電話探して、110番にかけてくる」
警察を頼ろう。
「はいは~い。ちょっとお待ちなさいな」
襟首を掴まれる。逃げれないよ。どうしよう。
「………あんた誰なんだよ?強盗?」
「こんなプリティーな強盗がいるわけないでしょう?逆に襲われちゃうとおもうし」
「なるほど。そういうスタイルの強盗なわけだな?」
「あなたって意外とSね。私、少しふざけてたのに、真面目に返されるとへこむわ」
意外って俺会ったの今が初めてなんだけど。それにしても、こいつ、面白そうなやつだし、強盗ではなさそうだ。
「それで、強盗もどきさんは何故俺の家に?」
「強盗もどき…………まあいいわ。私、楓ちゃんと知り合いなのよ。そう言えばわかってくれるかしら?」
つまりは楓の同業者、確かravenだったか。その組織のメンバーなんだろうか。それにしても、楓の周りってロクなやついないな。
「それで、何の用なんだ?」
すると、心底嬉しそうに(信じてもらえたのがよっぽど嬉しかったんだろうね)人懐っこい声で、
「ふふ、それはねぇ。アナタを見に来たのよ。珍しいのよ?〈助手〉って」
「なんだよ、俺を殺すのか?やっぱ強盗じゃねえか」
「んなわけないでしょ~?結構いい男だし、殺すくらいだったら私がおいしくいただくわ」
からからと笑いながら金髪強盗もどきは俺を舐めるように見つめる。
正直なところ、かなり勇気のいる質問だったんだけど。なんか拍子抜けだな。そういえば、
「楓はどこにいるんだ?」
「楓ちゃんなら、死人とデート」
「はあ!?なんでだよ!死人が出るんだったら俺も………」
「ついて行って、どうするわけ?」
先ほどのふざけた態度は消え失せ、冷酷な声音が混じる。
「どうするって」
「あなたは巻き込まれただけ、そうでしょう?そこまで肩入れする必要はないはずよね。今だったら、あなたをこの世界から逃がしてあげてもいいけど?」
それはもっともだ。そこまでする義理はない。少しあいつといっしょに居すぎたかなあ、くそ。
「まあ、魅力的な提案ありがとうってところなんだけど、約束してしまったからね。逃げようとは思わないよ。痛いのは勘弁だけど」
「約束って何?それはこっち側にいるに足るほどの内容なの?よかったら教えてもらえるかしら」
この女はさっきから笑っていない、ああ、わかる。こいつは強いんだ。そして、それゆえに、俺がこの世界に存在して良いのか、試している。それなら応えてやろうじゃないか。
「いつかあいつと肩を並べて戦う、ただそれだけだよ」
「…………え?それだけ?」
よほど意外だったのか、緊張した顔が一気に崩れる。なんだよ、こちとら本気で言ってんだぞ?
「なんだよ、悪いのか?約束は守る主義なんだよ」
というか孤児院での教えだけどな。『約束守らないやつはくずだ!!視界に入れる価値もない』とかなんとか。
「いや、そうじゃなくてね。もっと、こう、『もし、生き残っていられたら、いいことしてあげる』的な男の欲望を満たすようなものだと思っていたから。だって、あなた童貞でしょ?」
「なぜわかる!?」
「さっきから私の胸ちらちら見てるでしょ?いやらしい」
「俺はそんな目では見ていない。あえて言うなら紳士的な眼差しで見守っている、というべきかな?」
童貞は認めよう。しかし、俺は決してエロくはない!………信じてくれ。
「ふふ、かわいいのね。ちょっと気に入っちゃったかな」
すると、いつか、あの路地で楓がみせたような慈愛に満ちた顔をする。俺は、実はこの顔が苦手だった。なんだか、自分がすごく情けなく思えてきて、嫌だった。
「自己紹介がまだだったわね。私はイレイン=トリステッド。日本育ちだから、むしろ母国語は話せないわ。あなたは桐ちゃんでしょう?」
「桐ちゃん?………ってかなんで名前知ってんだよ?」
「だからあなたを見に来たっていったでしょう?情報は姫ちゃん提供よ」
姫ちゃんって姫島さんだよなって、あれ?
「姫島さん……………知ってたのか!!」
「ま、そゆこと。じゃあいきますか?」
そういうと、金髪美女ことイレインさんは立ちあがり、脱ぎ捨ててあったコートを羽織る。楓のものとは違い、袖が長く、腕に密着するようにできているようだ。色は相変わらず黒だけど。
「行くってどこに行くんだよ?えっと…………」
「イレインでいいわ。行くっていったら決まってるでしょう?今日は私がエスコートして
あげるって言ってんのよ」
「それはつまり、楓のところへってことか?」
「いやならいいけど?私とここでいちゃいちゃして……」
「行くに決まってんだろ?早く行こうぜ」
「………………………ちょっと傷ついたかも」
なんかしょぼんとしてるけど気にしません。なんかもう慣れたからな。ここ最近高まってきたスキルだ。
■
「あいつって意外と強かったのね~」
帰路にて今日の出来事を振り返る。不良っぽい2人組を瞬殺(殺してはいないけど)するなんて、私にはできないことだ。そもそも、私は人を殴れないんだから。嫉妬するなあ。
「桐人って料理だけじゃないのね~びっくりしたわ、ホントに」
まあ、私も本当は料理できるんだけど、めんどいのよね。悔しいけど、たぶんあいつの方が上手いと思うし。
「それにしても、厄介ね。キリシャが学校にいるメンバーだったなんて。もうちょっとマシな人選できなかったのかしら」
キリシャ、風間は組織の中で、恐らくは1番残忍な性格をしていると思う。あいつは嫌いだ。傍にいるだけで人の命が軽くなってしまったような気がする。しかしあいつは性質の悪いことに頭が切れる。由利亜がいなければたぶん、言い負かされていただろう。
「ホントに腹立つわ」
なにより腹が立つのは無力な自分なのだけれど。それはもう、慣れてしまった。諦めた、という方が適切かもしれない。だって、この無力さこそが、人間であるということに他ならないのだから。
「ただいま~」
桐人は買い物に行っているからまあ、意味はないけど
「おかえり~」
「……………………え?」
聞き慣れない、女の声が聞こえる。どうしよう幽霊とかちょっと苦手なんだけど――――聞いたことあるわ。やっぱり。
「楓ちゃ~ん、久しぶり~~」
「―――――えっと、あれ、名前なんだっけ」
「ちょっと!!それはあんまりじゃない!?イレインよ!」
「ああ、思い出したわ。名前だけは」
「なかなかいい記憶力ね~。いいわ。思い出させてあげるから!」
イレインが抱きついてくる。そして私の下腹部まで手が伸びて行き、
「やめてくれる?私、レズではないのよ。それ以上やったら警察―――――を呼んだら私が捕まるわね」
「なに!?なにをしようとしてるの!?怖い!!」
別の意味で18禁なことになってしまうから嫌なんだけど、しょうがないか―――って離れたのね。つまらないわ。
「もう、冗談よ。本気にしちゃダ~メ。私も普通に男が好きだし、楓ちゃんはそれはもう毎晩ラブラブな日々を送ってるんでしょ?」
「違う!!――――ってなんで知ってるわけ?」
身構える。キリシャのように否定しているなら、なんとかして説得を
「なんでって、姫ちゃんに教えてもらっただけよ?ここには入れたのもそのおかげだし」
「姫ちゃん?……………由利亜のことね」
情報専門なんだから当たり前よね。でもなんで入り込む必要が?
その考えを読み取ったのか、彼女は得意げに答える。
「それはね……………楓ちゃんは絶対に家に入れてくれないと思ったからよ!!」
「そうね、その通り。さあ、帰りましょう?」
「待ってってば!そんなに押さないで!はさまるから!指が!!」
無理矢理押し込んでみたけど失敗。
「はあ、は、危なかったあ。もう少しでちぎれるところだったわよ」
「で、用件はなんなの?桐人が目的じゃないなら他にあるんでしょう?」
「無視なのね……まあいいわ。もちろんあるわよ。とっておきの大ニュースが」
両手を広げて大きさを表現している。その胸を持ちあげればもっと簡単に表わせるのになあ、とか思ったり。
「仕事の話よ」
イレインはそのお気楽な顔を崩す。殺気すら感じさせる、青い瞳。これが彼女の本質なんだろう。けどわかる。この人は弱い。身体的には私は足元にも及ばないかもしれないけど、精神的には、この人は誰よりも脆い。それを私は知っている。
「この街って異常なくらい死人が出るじゃない?だから何が起こってもおかしくはなかったんだけど、今回は酷いわ」
「酷いって、何が?」
嫌な予感がする。昔にも彼女のこの顔を見たような、そしてそれはあまりにも凄惨な結果に終わらなかったか。そう、確かあれは――――――
「“巣”が発見されたわ。それもかなりの規模よ。今夜そこを叩く。ただ、連絡をとれたのがあなたとキリシャだけなのよ。だから」
「嫌なら逃げなさいって?昔から甘いわよねあなた。おかげで昔のこと思い出したわ」
ほら、彼女はこんなにも弱い。見捨てられないのだ。だから彼女は戦う。自分だけなら誰も死なないから。昔から何も変わっちゃいない。
「そう、わかったわ。場所はここから西にある倉庫街よ。数は数百体。気をつけて」
コートを羽織る。置いてあったパンをくわえて、ふと思う。これが最後になるならあいつの作った料理が食べたかったな、とか、少しくらいこの時間を続けたかったな、とか。
とにかく、こんなに未練持ったままじゃ死ぬに死ねないなあ。
「イレイン、ちょっと頼まれてくれる?」
「なに?私の可能な範囲でお願いするわ」
「十分可能なはずよ―――――桐人が帰ってきたら、ここに引きとめておいてくれるかしら。
ご飯、作っておいてもらわないと」
うまく笑えていたか、わからないけど。いや、きっと酷い顔だったんだろうなあ。
イレインは悲しげに顔を歪め、呟くように、しかし気丈にふるまいながら答える。
「わかりました。私もなるべくなら急ぐから。生き残って」
「当たり前でしょう?行ってくるわ」
これで憂いは消えた。さあ、戦争の始まりだ。
「結構でかい所ね。ちょっと怖気づいたかも」
倉庫は20号まであり、それがさらにAとBにわかれている。つまりは40の倉庫が連なっていて、海に近い方から番号が小さい。周りはほぼ完全な暗闇、明りといえるものは道の脇に100メートルほど間をあけて5本ある街灯と天よりやさしく光を注ぐ月のみだった。そして、静寂の中、私はA17倉庫の屋根の上に居る。
「にしても、これだけ広いと数百見つけるのに苦労しそうね。というか数字が曖昧すぎるのよ!!」
虚空に叫ぶ。予想以上に響くなあ。恥ずかしい。
今の声を聞いたからかどうかはわからないが、一つの影が動く。歩き方からして人のものではない。もし、一般人だったときはしょうがないとしか言えないけれど。
「1人目、発見ね。それじゃあ行きますか」
屋根から飛び降りる。倉庫に鎌を突き立て、減速する。そして、流れるようにそのまま死人を一閃するべく、鎌を振るう。こちらに気付いたらしい死人が背から鉤爪らしきものを伸ばす。それを鎌の腹で軽くいなす。
「トロいのよ。あなた」
右下段から上段へ鎌を振り切る。目標は首。あと少しで届こうかというそのとき、
「おオオああオオぁヴぅヴヴあああああ!!!!!!」
死人が咆哮をあげる。しかしそれだけ。直後、あっけなく首が宙を舞う。
くるくると回転するその様は実に滑稽だ。だんだんと自分が高揚していくのがわかる。
それゆえに、だろうか。死人があげた断末魔の本当の意味を、私は気付けなかったのだ。
「……………なに?」
倉庫街に音が生まれた。それは、この月夜には不釣り合いな、不快感を誘うBGM。
不協和音だけで構成されたような、絶望の合唱。
「これはヤバそうね。癇に障るけど、キリシャと合流しないと駄目みたい」
暗闇に無数の光が現れる。その数を数えるだけでも50はいるように見えた。
素早く戦線を離脱し、倉庫を鎌を活用して駆け上がる。10メートルはあるであろう壁を駆け上がるのは、人力ではたとえ鎌をどれだけ上手く使ったとしても難しいだろう。
しかし、
「私にかかればっと」
柄を使い、飛び上がる。壁に足をつき、駆ける。隣の倉庫の壁に跳び、再び鎌の柄を使って跳躍。そして、倉庫の屋根に到着。もちろん、これも“黒食”の力の成せる業である。
身体能力の向上。それは能力を扱う者全てに共通することだ。
「さて、あの屑はどこかしら?」
周りを見渡す。どうやら先ほどのが合図で全てが動き出したらしい。
「ああ、あれね」
B倉庫の方から金属音が聞こえる。そこにロングコートに身を包んだ、キリシャの姿があった。
彼の武器はナイフ。私の鎌とは違い、一度に大量の生成が可能だ。その分リスクが大きいんだけど。種類はスローイングナイフと呼ばれるものだ。名前の通り、投擲することを目的としたナイフ。まあ、あいつが殴り合ったりしてる姿なんて想像できないけど。
「キリシャ、ちょっといっしょに行動しない?」
「やはり、さっきのはあなたの失態でしたかリード。いいでしょう。こちらも屋根の上か
らでは限界を感じていたところです」
会話しながらもナイフを投げることは止めない。なんかむかつく。
「それじゃあ行くわよ。一応、死ぬんじゃないわよ?」
「それはこちらの台詞です。作業効率が落ちますからね」
ほぼ同時に跳び下りる。落下の衝撃を鎌で受け流し、死人の群れへ突っ込む。その速さは正に獣のそれであった。死人には反応すらできない。鎌を旋回させ、周囲一帯を尽く切り刻む。腕が跳ぶ。頭が跳ぶ。肉塊が縦横に飛びかう。肉を切る感触が伝わる。手から腕、腕から肩、肩から胸、そして全身へ。不快な感触だ。けれど、今はそれが心地いい。
「あんまりやる気がないとあっという間に皆殺しなんだけど、そこのところどうなのよ?」
血だまりの中に佇む。攻撃を逃れた死人に問う。もっとも、話を理解してくれるならこんな苦労はしていないんだけど。
死人が変貌する。口に針のような歯がある者もいれば、両腕に刃を散りばめたようなやつもいる。いずれも人として、終わってしまった姿だ。その中の一体が私の方へ突進してくる。不謹慎にも、昼間の出来事が思い出される。桐人が軽くあしらった不良っぽい2人組のどっちかがこんなやられ方してたっけ。
「えいっ」
「ヴぉああ?」
間抜けにも、死人は私の足に引っ掛かって盛大にこけた。妙に人間くさい反応に吐き気を覚える。駄目だ。1度でも人だと認識してしまったら私は…………やめよう。今は雑念にとらわれている場合ではない。
倒れていた死人が起き上がる、そのとき、死人に向かって無数のナイフが雨のように降り注ぐ。後には、まるでハリネズミのようにナイフを生やした死体があった。それはすぐに刺さっていたナイフと共に空気中に霧散する。
「何をぼぅと立っているんです?近距離のあなたがしっかりしてくれないと困ります。この位置は私にとって少々不利ですからね」
キリシャは片手に10本、ナイフを備える。先ほどからかなりの数を屠っているように見えるが、彼には汗一つ見当たらない。ナイフの精度も全くと言っていいほど落ちていない。
人は彼を狂人と呼ぶが、それはものの考え方、戦闘技術の高さ、そして、躊躇いのなさ。全てが彼を〈狂っている〉と表わす。組織のためならば全てどうでもいい。それはきっと、仲間の命さえ、さらには自分の命さえも。それが彼、風間兜李の本質なのだ。
私はそんな彼が、自分の命に執着のない彼が、心の底から嫌いだった。
「うっさいわね!こんな仕事あと10分もあれば終わらせてやるわ!!」
とはいえ、敵の数は未だ数百。報告よりもかなり多くの数がいるようだった。
完璧な強がりだった。〈日常〉を思い出してしまったのが間違いだったかもしれない。戻れないことが辛い。死にたくない。まだ、あの少年との家族ごっこを続けていたい。
そんな思いが、ダムが決壊したようになだれ込んでくる。
恐怖。
私の心を支配していく病。しかし、
「ここで止まってちゃあ、何も変わらないのよね」
自嘲的な笑みだったろうと思う。すごく自分が小さく見えて、腹が立つ。
「さて、今夜はフルコースいっとく?一撃で逝かせてあげるから覚悟しなさいよ」
■
港、A5倉庫の屋根で身をかがめて様子を見る。
俺の隣には、金の髪を持つ、快活な喋り方をする美女。
『仕事のときはイルデュラと呼びなさい』という指示があったので、今はそう呼んでいる。(たまにイレインって言いそうになると目をつぶされそうになる。恐ろしい)
「すごい数の死人が一気に出てきたな。どういうことなんだ?」
「わかりやすく言うなら、『死人Aは仲間を呼んだ!』って感じ。そろそろここも移動時かしらね」
そう言ってイルデュラは立ちあがる。それに俺も習おうとする、が肩を抑えつけられる。
「なんだよ」
「あなたはちょっとお留守番。ここで見てて。心配しないでよ?私って強いんだから!!」
そう言ってイルデュラは屋根から飛び降りる。下は死人がうじゃうじゃとしている。その中に、たった一人で飛び込んだ。女、たった一人で。
「おい!あんた馬鹿か――――――え?」
心配など無意味だった。あるのは同情。彼女に出会ってしまった、死人たちへの、同情。
それは一方的な暴力だった。ただただ、凄惨なる圧倒的な力。
イルデュラが死人を殴る。首が吹っ飛ぶ。イルデュラが死人を蹴る。胴が上と下にわかれる。あり得ない光景だ。だって彼女は素手でそれをやってのけたんだから。
気付けば彼女の周囲には、彼女の影以外は存在しなかった。
「ほら、私って強いでしょう?」
いつもと同じ口調で、何事もなかったかのように話しかけてくる。
化物だ。
姫島さん、イレギュラーにはイレギュラーって言ったじゃないか。
あいつ等は“黒食”でしか倒せないんじゃなかったのかよ。
「イルデュラ、何をしたんだ、今」
すると、呆れたような顔になり、答える。
「殴った。蹴った。ただそれだけだけど?それ以外に見えた?」
「なんで、死人を消せたのか、聞いてるんだよ」
「ああ、それね。私は特別なのよ。それ以上はヒ・ミ・ツ」
口に人差し指をあて、まるで子供に諭しているかのような口調で、当然とでも言うように“特別“と。そう言った。
「ほら、楓ちゃんのところに行くんでしょ?早く行こうよ」
「あ、ち、ちょっと待って!」
以前もどこかで見た速さだ。組織の連中って皆この走り方なのかね。
俺も屋根を下り、
「痛ってえええええええええ!!!!!!」
足から10メートルほど落下した。なんとか異常はないみたいだが、しびれる!!
あいつ等は身体能力底上げされてるんだったっけ。楓から聞いたことあるな。迂闊だったなあ。
「大丈夫?あんまりでかい声出すと死人に気付かれるわよ」
「あ、ああ、悪かった」
「それより、ヤバいかもしれないわ」
嫌な響きだ。この人がヤバいと言う。楓から聞く同じ言葉でも、ここまでは重くないだろう。だって、彼女は強いんだから。
「何がヤバいってんだよ」
「あの中に、つまり死人の中に“黒食”の扱える者が混ざってる。それもかなり強い。二
人がかりでも、まず、勝てない」
彼女の瞳は丸い月を、ただ、鏡のように映していた。
読んでくれている方ありがとうございます。
間藤ヤスヒラです。
今回は少し込み入った事情がありまして、執筆が遅れた次第です。
かなり長くなっていると思います。
というか毎回長くなります。今度はもっと長いかも…………。
執筆はこれからもなかなか遅いものになると思われます。
それでも読んでいただけたなら、それほどの幸せはありません。
とまあ、お堅い文章になってしまいましたが、これは私の本心ですので。
そういえば、キャラクターの方は絵がない分想像しにくいのでは?
私の方でもそれが度々起こったりします。
「あれ、こんなやつだったっけ?」
とか結構あります。
イメージは大事ですね。私に絵心があれば…………まあ、文もあれですが。
感想、お待ちしています。