行列
ある朝、エヌ氏は駅前の歩道に立っていた。友人と待ち合わせをしていたのだが、約束の時間を過ぎても友人は来なかった。
しばらくすると、エヌ氏のうしろに中年の婦人が立った。つづいて学生が、そのうしろに会社員が立った。
エヌ氏は気になって、ふりかえった。
「あの、なにか」
「並んでいるんでしょう」と婦人は言った。「わたしも並びますわ」
「いや、わたしは……」
説明しようとしたときには、もう列は十人をこえていた。だれもが真剣な顔をしている。いまさら「ただの待ち合わせです」とは、どうも言いだしにくい。そのうち友人から電話があり、急用で行けなくなったと告げられた。だが、エヌ氏は動けなかった。うしろの人たちが、じっと自分の背中を見つめているのだ。
*
昼ごろには、列は百人になっていた。
「何の列ですか」と、通りがかりの人がたずねる。
「さあ。でも、これだけ並んでいるのですから、何かいいものにちがいありません」
そう答えた人もまた、何の列か知らなかった。しかし、知らないことは不安ではなかった。みんなが並んでいるという事実が、何よりの保証だった。
夕方には、テレビ局がやってきた。夜には、列にそって屋台がならんだ。折りたたみ椅子を売る男が大もうけした。
*
一週間たつと、列は町をひとまわりし、となりの町へのびていった。
会社は社員のために「行列休暇」をもうけた。並ばずにいる社員は、なにか大事なものを逃していると思われ、出世にひびくようになったからだ。列のそばに簡易住宅が建ち、学校ができ、病院ができた。列の中で恋人どうしになり、結婚する人も出てきた。そういう夫婦は、生まれた子どもを自分たちのうしろに並ばせた。
政府も無視できなくなった。大臣は談話を発表した。
「この行列は国民の忍耐と協調の精神のあらわれであり、わが国のほこりであります」
そして、先頭に立つエヌ氏には勲章がおくられた。
エヌ氏は、まったくこまっていた。いまや自分は国家的な行列の先頭なのだ。もし自分が列を離れたら、何百万もの人がどうなるか、考えるだけでおそろしい。
記者がマイクをつきつけてきた。
「先頭のかたに、うかがいます。この列は、いったい何を待っているのですか」
エヌ氏は、前を見た。前には、何もなかった。ただ歩道がつづいているだけだ。
「それは……もうすぐ、わかるはずです」
それしか言えなかった。記者は満足そうにうなずき、この答えは「先頭の言葉」として、翌日の新聞の一面をかざった。
*
列は国じゅうにのびていった。山をこえ、川をわたり、海岸にたどりつくと、人びとはボートをならべてその上に並んだ。外国の人びとも、何かすばらしいものがあるらしいと聞いて、あとにつづいた。
列は国境をこえ、大陸をこえ、海をこえた。地球のどこへ行っても、列のないところはなくなった。
エヌ氏は年をとった。先頭の重みに、毎晩ねむれなかった。何も待っていないことを、いつか打ち明けなければならない。そう思うたびに、胃が痛んだ。
*
そんなある朝のことである。
エヌ氏の目の前に、ひとりの若者がやってきた。息をきらしている。若者はあたりを見まわし、ほっとしたように、エヌ氏の前に立った。
そして、前方にのびる歩道をながめながら、うしろのエヌ氏に背中を向けて、静かに待ちはじめた。
エヌ氏は、しばらくぽかんとしていた。それから、若者の前を見た。若者の前には、だれもいない。いや、ちがう。若者は、だれかのうしろに並んだつもりなのだ。地球をひとまわりしてきた列の、いちばんうしろに。
エヌ氏は、もう先頭ではなかった。
肩の荷が、すっかりおりた気がした。エヌ氏は若者の背中を軽くたたいて、たずねた。
「すみません。これは、何の列ですか」
若者は、ふりかえって答えた。
「さあ。でも、ずいぶん前のほうまで来ましたよ。もうすぐです」
エヌ氏は、うなずいた。そして何十年ぶりかで、心から安心して、列に並んだ。
*
列は、いまも地球をとりまいている。
ときどき、だれかが一歩前へ進む。すると、そのうしろの人も一歩進む。そのまたうしろの人も。そうして全員が同じように一歩ずつ進むので、だれもが自分は前へ進んでいると感じている。
先頭はどこにもない。だから、だれも、どこにも着かない。
しかし、それで困っている人は、ひとりもいないのである。




