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人間の正しい殺し方  作者: ドネルケバブ佐藤


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第1話前編

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 間宮和也は、死を扱う仕事をしている。

 正確に言えば、死に至るまでの苦痛を取り除く仕事だ。末期の病、治療の見込みのない痛み、あるいは生きることそのものが拷問と化した人々の最後の願いを叶える。法は許さないが、人の心は時に法を超える。間宮はそう信じて、この仕事を十年続けてきた。

 十一月の夜、都内某所のマンションの一室で、間宮は六十代の男性患者の傍らに座っていた。部屋は薄暗く、カーテンが閉め切られている。ベッドサイドのランプだけが、男の痩せこけた顔を淡く照らしていた。

「……本当に、いいんですね」

 間宮は静かに尋ねた。声は低く、落ち着いている。この問いかけは形式的なものではない。彼は必ず、最後の最後まで確認する。人の命を終わらせるという行為に、安易さがあってはならない。

 男は小さく頷いた。喉頭がんの末期で、声帯はすでに機能していない。筆談ボードに震える手で文字を綴る。

『もう十分だ』

 間宮は男の目を見た。そこには恐怖も後悔もなく、ただ深い疲労だけがあった。病院での治療を拒否し、自宅で静かに終わりを迎えたいという希望。だが痛みは日に日に増し、モルヒネでも抑えきれなくなった。家族はすでに最後の別れを告げ、この部屋を去った。息子が最後に残した言葉は「お父さん、ありがとう」だった。男はその言葉を聞いて、ようやく目を閉じる決意をした。

「分かりました」

 間宮は小さなケースを開いた。中には注射器と薬剤が整然と並んでいる。彼の手つきは慎重で、儀式めいた静謐さがあった。一つ一つの動作に無駄がなく、まるで茶道の作法のように洗練されている。それは十年の経験が生んだ、ある種の完成形だった。

 綾野真奈美が部屋の隅に立ち、その様子を静かに見守っていた。間宮の助手として二年。彼女は常にこうして、最後の瞬間に立ち会う。記録を取り、事後処理を手伝い、何よりも間宮が一人でこの重荷を背負わないよう、そばにいる。

 間宮は注射器を手に取り、男の腕に針を刺した。薬液がゆっくりと体内に流れ込む。男の表情が次第に緩んでいく。苦痛の皺が消え、まるで深い眠りに落ちるように、穏やかな顔になった。

 彼の呼吸が深く、ゆっくりとしたリズムになる。

 そして、静かに止まった。

 五分後、間宮は脈を確認し、静かに目を閉じた。彼は必ず、こうして一度祈る。それが誰のためなのか、間宮自身も分からない。亡くなった人のためか、自分のためか、あるいは生き残った者たちのためか。ただ、この瞬間だけは祈らずにはいられない。

「……ご苦労様でした」

 綾野が小声で言った。彼女は記録用のタブレットを閉じ、間宮の隣に歩み寄った。その足音は静かで、まるで音を立てることを恐れているかのようだった。

「綾野さん、後は私がやります。先に帰っていてください」

「いえ、最後まで」

 綾野は微笑んだ。その笑顔はいつも穏やかで、献身的だった。間宮は何度となく彼女に救われてきた。この仕事の重圧は、一人では到底耐えられない。誰かがそばにいるだけで、罪悪感の重みが少しだけ軽くなる。

 二人で部屋を片付け、遺体を整えた。家族が戻ってきたとき、自然な死のように見えるように。痕跡を消し、証拠を残さない。それが間宮の流儀だった。

 綾野はテキパキと動いた。使用済みの注射器を回収し、薬剤の空き瓶を確認する。彼女の手つきは正確で、まるで看護師のようだった。実際、彼女は看護学校を出ている。だが病院では働いていない。理由を聞いたことはあるが、彼女は曖昧に笑ってはぐらかした。

「間宮さん」

 綾野が静かに呼んだ。

「はい?」

「この方は、最期まで穏やかでしたね」

「ええ。家族との時間も十分にあった」

「それは、良かったです」

 綾野の声には、わずかな翳りがあった。間宮は彼女の横顔を見た。彼女の目は、遺体ではなく、窓の外を見ていた。暗闇の向こうに、何を見ているのだろう。


 マンションを出たのは午前二時を過ぎていた。

 冷たい夜風が頬を撫でる。間宮はコートの襟を立て、駐車場に向かった。綾野は少し後ろを歩いている。彼女はいつも、こうして一定の距離を保つ。

「間宮さん」

 綾野が声をかけた。

「はい?」

「今夜の方は、本当に穏やかでしたね」

「ええ。最期まで、ご自分の意思がはっきりしていました」

 間宮は車のロックを解除しながら答えた。

「そういう方ばかりだといいんですけど」

 綾野の声には、わずかな翳りがあった。間宮は振り返った。

「どうかしましたか?」

「いえ、何でも」

 綾野は首を横に振り、また微笑んだ。だが間宮には、その笑顔の奥に何かが潜んでいるような気がした。彼女はよく、こうして言葉を飲み込む。何かを隠しているような、そんな瞬間がある。

 だが間宮は深く追及しなかった。誰にでも、語りたくない過去はある。自分にだって、触れられたくない記憶がある。だからこそ、他人の沈黙を尊重する。

「送りましょうか?」

「大丈夫です。ここから歩いて帰ります」

「こんな時間に?」

「夜の散歩が好きなんです。頭が整理できるので」

 綾野はそう言って、小さく手を振った。

「それでは、また明日」

「お疲れ様でした」

 間宮は車に乗り込み、エンジンをかけた。バックミラーに映る綾野の姿が、街灯の光の中で小さくなっていく。彼女は立ち止まり、何かを見つめていた。夜空か、それとも遠くの街の灯りか。

 間宮は首を傾げたが、そのまま車を発進させた。

 彼は綾野のことを、よく知らない。

 二年間、ほぼ毎日顔を合わせているのに、彼女の私生活をほとんど知らない。家族のこと、過去のこと、なぜこの仕事を選んだのか。聞いたことはあるが、彼女はいつも曖昧に答えるだけだった。

 だが、それでいいのかもしれない。

 この仕事に関わる者は、皆どこかで何かを抱えている。間宮自身もそうだ。だから互いに、深入りしない。それが暗黙のルールだった。



 翌朝、間宮のもとに一通のメールが届いた。

 差出人は「榊原誠」。件名は「ご相談」。

 間宮はコーヒーを飲みながら、メールを開いた。

『間宮様

突然のご連絡、失礼いたします。

私は榊原誠と申します。

あなたの存在を、ある方を通じて知りました。

私には、終わらせなければならない人生があります。

それは病ではなく、罪です。

私は十五年前、ある罪を犯しました。

法的には償いました。刑期を終え、社会に戻りました。

ですが、私の中では何も終わっていません。

被害者の方々は、今も苦しんでいます。

私が生きているというだけで、苦しんでいます。

私は死ぬべきです。

ですが、自分で死ぬことはできませんでした。

何度も試みましたが、できませんでした。

どうか、お力をお貸しください。

一度、お会いいただけないでしょうか。

詳細は直接お話しさせてください。

どうか、お願いいたします。

榊原誠』

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