第98話 第二次ノルデンシュタイン砦防衛戦準備
セシリアは裾をまくり、土にまみれながら穴を掘っていた。砦の外縁、密かに設けられた通路沿いに、住民たちと共に落とし穴を掘る作業が進められている。魔導で地面を削るよりも、こうして手で掘った方が目立たず済むのだと、誰かが教えてくれた。
汗を拭いながらスコップを動かすセシリアに、一人の中年の女が声をかけた。
「セシリア様、慣れてないのに大丈夫ですかい? 手、豆になってますよ」
「だ、大丈夫です。鍛錬はしておりますので……」
実際、軍議の後にこっそり魔導訓練の内容を応用して土木作業に適応させてきた。だが、手に浮いた赤い膨れを見て、その言葉は少し心もとない。
「しかし……本当に、皆さん怖くないのですか? 戦争ですよ。逃げてもいいのに……」
その問いに、中年の女は一度だけスコップを置いた。近くで同じく作業していた若者たち、老人、そして子どもまでもが手を止め、セシリアの方を見つめる。
「怖いに決まってる。けどね、セシリア様」
別の年老いた男が、腰をさすりながら笑った。
「この砦がなかったら、ワシらもう飢え死にか、盗賊の餌か、戦の捨て駒だった。あんたらがいてくれたから、今こうして、火のある夜を越せてるんだ」
「それにね、姫さん。あんたが逃げないなら、あたしたちも逃げませんよ」
「ここは、俺たちの家だ!」
思い思いの言葉が飛び交う。誰もが、粗末な道具を手にしながら、それでも誇らしげな顔をしていた。人々の背には、貧しいがしっかりとした暮らしの気配が宿っている。
――この砦を守るために、命をかけたい。
そんな決意が、誰からともなく滲み出ていた。
セシリアは、胸の奥で何かが熱くなるのを感じた。今まで、誰かに守られてばかりだった自分が、誰かを守る立場にいる。その重みと、それ以上に嬉しさが、彼女の中に燃え上がった。
(私が……この人たちを、守る)
青空を仰いだセシリアの瞳に、決意の光が宿る。
彼女は、スコップを握り直し、土を掘り返した。
そして日が暮れる。
夜の砦。見上げれば星々が瞬き、空気はひんやりと澄んでいる。
セシリアは砦の一角、魔導通信機の前に座り、細い指でスイッチを入れた。
「ユリウス、こちらセシリア。応答願います……」
瞬く間に、通信機の水晶板が淡く発光し、彼の声が響いた。
『ああ、セシリア。そちらは無事かい?』
「はい。皆、よく働いてくれています。……ユリウスこそ、お疲れではありませんか?」
『僕のことは心配ないよ。君が頑張ってくれてるって聞いて、嬉しくなった。……正直、少し誇らしいくらいだ』
ユリウスの声が、少し照れたように続いた。
『君が、ここまで頼もしくなるなんて。……いや、元からすごい人だったんだよね。僕が気づいてなかっただけで』
「え、そ、そんな……あの、今夜は……少しだけ、声が聞きたかっただけですから……」
『なら、もう少し話そうか。……君の声を、もう少し聞かせて?』
「っ……はい……」
顔を伏せて、水晶板をそっと見つめるセシリアの頬は、月光を浴びたように紅く染まっていた。
そこへ、グロッセンベルグのユリウスの側——。
「兄貴、誰と話してんの?」
ミリがぴょこんと現れる。
「通信機、セシリア様ですね。音声、こちらにも筒抜けです」
リィナも淡々と告げた。
『えっ』
通信機の向こうから、短い悲鳴のような声が聞こえた。
続いて、ざっ、と雑音混じりの慌ただしい気配。
「ぜ、全部、聞かれて……?」
セシリアの細い肩が震え、耳まで真っ赤になる。
通信機の向こう、ユリウスの声がくぐもったように届く。
『あー……セシリア、ごめん。ミリとリィナがそばにいて……』
「うう……ユリウスのばか……!」
そのまま通信機がぶつっと切れる音がした。




