第95話 虐殺
南部戦線、占領都市オルテンブルクに仮設された本営には、地図と戦況報告を広げた軍司令官たちが集まっていた。会議の主役は、もちろんライナルト――先代ヴァルトハイン公爵の後継者として、事実上の全軍の指揮権を握っている。
「――以上が、各都市の現在の状況です」
補佐官が報告を終えると、部屋に一瞬、沈黙が満ちる。報告内容は明白だった。南部の制圧は完了。だがその掌握は脆弱で、特にオルテンブルクの周辺都市では市民による反乱の兆候が見え始めていた。
「さて――」
と、ライナルトは卓上の地図を指でなぞりながら、声を発した。
「次の行動は明白だ。軍の主力をグロッセンベルグへ向ける」
重々しい空気が広がった。老練な将校のひとりが声を上げる。
「しかし、閣下。南部の統治は……。軍が抜ければ、再び火種が――」
「ふむ」
ライナルトは静かに笑った。
「ならば、火が上がらぬように、薪を燃やし尽くせばいい」
一瞬、意味が飲み込めず、将校たちは顔を見合わせた。ライナルトの視線が彼らを射抜く。
「恐怖だよ。民を支配するのに、愛や信頼など要らない。必要なのは、“決して逆らえぬ”という現実。それだけだ」
その言葉に、誰も反論できなかった。ある者は沈黙し、ある者は目を逸らし、ある者は――心の中で、ヴァルトハイン公爵の死が、ついに“暴君”の誕生を許したのだと理解した。
その数日後、グロッセンベルグ方面へと向けて軍の本隊が出発した。
残されたのは、ライナルト直属の精鋭部隊と、命令ひとつで雷鳴を呼ぶ彼の“力”。
───そして、反乱は起こった。
南部の一都市、クラーレンで、住民が武器を手に取り、監視兵を殺し、役所に火を放ったという報が届いたのは、移動中の行軍本隊にとって予期されたことだった。
だが、それに対するライナルトの対応は――予想を超えていた。
彼は一言、
「見せしめだ」
と呟くと、わずかな親衛隊を連れて引き返し、数日のうちにクラーレンへと攻め込んだ。
そしてその夜、クラーレンの空に、“神の怒り”とすら思える雷鳴が響き渡った。
夜空を焦がす蒼白の閃光。天空から注がれた一条の破滅。街の中心に落ちたそれは、まるで大地に穴を穿つ神罰の槍のようだった。
稲妻の轟きとともに、街の灯火は沈黙した。何もかもが――音もなく崩れ、焼かれ、灰と化した。
朝、灰色の霧の中、まだ熱を帯びた瓦礫を踏みしめながら歩くライナルトは、仮面のような無表情だった。
傍らの副官が震える声で尋ねた。
「……本当に、これでよかったのですか?」
「これでいいんだ」
ライナルトはつぶやいた。
「反乱を起こせばこうなる――その現実を、まだ反旗を翻していない全都市に伝えればいい」
「女子供まで……」
「区別していたら、恐怖にはならない」
言葉に感情はなかった。ただ、結果だけを求める支配者の声だった。
だがその背には、どこか焦燥に似た影も見えた。
ユリウス――兄。あの男が民を魅了し、仲間とともに理想を築くというなら、ライナルトはその正反対を歩む覚悟を決めていた。
兄の理想が、温もりと希望なら。
弟の現実は、恐怖と支配でなければならない。
それが、彼にとっての“勝利”だった。




