第92話 外交開始
かつて代官ヘルマンが居座っていた市庁舎。今は軍と民の垣根を越えた、新たな政の場へと生まれ変わりつつあった。
新たに建設された市庁舎の会議室で、長机を囲むのは、ユリウス、セシリア、ミリ、リルケット。そして、商人ギルド代表のクラウス老、工匠ギルド長のマルタ、民兵団長のヘルデン。
「――以上が現在の兵員配置と補給線の状況です」
地図を背に立つリルケットが、手元の資料を淡々と読み上げる。その立ち姿は元帝国騎士の威厳を宿しており、出席者たちも黙って耳を傾けていた。
「我々の戦力は増強の最中ですが、いまだヴァルトハイン公爵軍に正面から抗するには力不足。ゆえに、この町を守る盾を固めると同時に、外交と情報の網を広げねばなりません」
「外交とは、誰と組むというのだ?」
渋面をつくるのは、商人ギルドのクラウスだ。頬に皺を寄せ、眉をひそめながら言う。
「帝国の大貴族たちは、我らのような反乱分子を快く思わぬぞ」
「確かに、いきなり大貴族を味方につけるのは現実的ではありません。しかし、帝都に不満を持つ地方領主や、帝国から冷遇されてきた少数民族の部族長たち。彼らには接触の余地があります」
そう言ったのはセシリアだった。落ち着いた声で、文官としての見識を披露する。
「私たちは帝国に背いたのではなく、理不尽と圧政に抗って立ち上がったに過ぎません。それを証明するには、この町を誠実に治めることが何よりの外交となります」
「町の整備も進んでるしな。砦からの魔素供給で、生活もぐっと楽になった。あとは……」
ミリがぽつりとつぶやき、鋳造用の手袋を外して机に置く。
「戦争の準備だって、必要なことには変わりない。リルケット、兵器の増産計画は?」
「既に稼働している魔導工房を中心に、砦との連携で対応中です。プロメテウスからの魔素供給ラインも安定しています。ですが――」
言葉を切ったリルケットが、ユリウスを見た。
「司令官の任命が必要です。我が軍に正式な司令官がいないことが、外交上でも軍の規律上でも問題になりかねません」
会議室の空気がわずかに緊張する。
「ユリウス様に、軍政を担っていただくおつもりは?」
「僕は技術屋です。戦術の指揮はできても、軍政は……」
口ごもるユリウスを見て、リルケットは軽く微笑んだ。
「だからこそ、我々が支えます。私が軍務全般を預かります。セシリア殿が外交、ミリ殿が兵器開発と補給線。そしてあなたが総責任者として、皆の中心に立てばよいのです」
沈黙。
やがて、クラウスが笑い声を上げた。
「はは、まるで帝国の再建じゃな!グロッセンベルグに国と同様の機能を持たせる。実にいい」
「いや、違うよ。僕たちは、ただ人がまともに生きられる場所を作るだけだ」
ユリウスの言葉に、会議室の空気が少しだけ和らいだ。
そして、誰からともなく頷きが起こり、新たな秩序を築くための会議は前に進み始めた。
会議の後、政治も進み始める。
市庁舎の大広間には、各都市からの代表たちが集まっていた。
シェーンブルグ、レーヴェンフェルト、クラインスドルフ――いずれもグランツァール帝国の旧領にある独立気味な小都市で、地理的に近い公爵家の圧政に反感を持ちながらも動けずにいた街々だった。
ユリウスは壇上に立ち、静かに口を開いた。
「我々は、公爵の支配から解き放たれたグロッセンベルグで、新たな秩序を築いています。力ではなく、対話と技術で――」
彼の後ろには、精悍な表情のリルケットが控え、その脇にセシリアが控える。威圧や虚勢ではない、堂々たる信念がそこにはあった。
「公正な交易の場を設けましょう。魔素供給の技術も共有できます。代わりに、我々とともに歩む意志を示してほしいのです」
代表たちは一様に顔を見合わせた。最初に立ち上がったのは、商業都市レーヴェンフェルトの長老。
「……ここが噂に聞く魔導技術の町か。まるで帝国の最盛期を見ているようだ」
「もし、我々がそちらについたら、公爵家は我らを敵とみなすぞ」と誰かが言う。
リルケットが一歩前に出た。
「その時は、グロッセンベルグ軍が援護します。私が指揮を執る」
代表たちはどよめいた。元帝国騎士団副団長――その名はまだ死んではいなかった。
セシリアが微笑み、柔らかく言葉を重ねる。
「今こそ恐れではなく、希望で結ばれるときですわ」
そして、決断のときが来る。
「我がシェーンブルグは、グロッセンベルグと共にあらんことを」
「レーヴェンフェルトも同調しよう。貴殿らには未来がある」
「クラインスドルフもだ。……戦争はごめんだが、公爵よりはマシだ」
握手が交わされ、グロッセンベルグに連合の旗が掲げられた。
都市同盟の誕生であった。
その夜、広場でささやかな祝賀会が開かれた。
ユリウスは人々の笑顔を見つめながら、セシリアにこっそり呟いた。
「……戦わずに仲間を得られるなら、それが一番なんだ。戦争は……嫌いだ」
セシリアはそっとその手に手を重ねた。
「その心があるからこそ、皆がついてくるのですわ。ユリウス」
そして、リィナが頭上から降ってきた。
「ユリウス様、ご報告。祝賀のために、クラインスドルフ代表がふところから極上の酒を取り出しました。ミリはそれを……飲んでよろしいでしょうか?」
「ダメだよ」
「ですよね」
その報告を受けて、ガックリと肩を落とすミリであった。




