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第9話 ミリの工房

 砦に着いた初日。

 草むらと瓦礫に囲まれた中庭には、何もなかった。


「……なんもねぇな、ここ」


 ミリがぼそりと呟く。

 風が吹けば砂が舞い、壁の隙間からは虫の鳴き声。文明の残り香など、かけらもない。


「まあ、最初はこんなもんだよね」


 ユリウスは肩をすくめたが、ミリは気づいていた。

 彼は、今もどこか地面を見つめ、考え込むように視線を巡らせている。


「……兄貴」


「ん?」


「なんでもいいから、“あたしの居場所”が欲しい。モノ作れるとこ。ちっちゃくてもいい」


 その一言に、ユリウスの目が少しだけ和らいだ。


「わかった。ちょっと待ってろ」


 彼は砦の隅――風が少しだけ防げる石壁のそばに立ち、手を前に出す。


「スキル〈工場〉――発動」


 魔素が空気を震わせ、草の根と土を押しのけて、静かに変化が起きる。

 石が浮き、木材が組み上がり、やがてそこに現れたのは――


 小さな工房だった。


 幅はせいぜい三メートル。

 石と木で組まれた中世ヨーロッパ風の簡素な建物。

 内部には小さな鍛冶炉と作業台、木製の工具掛け。

 屋根は傾斜をつけた木組み、壁には換気用の小窓。


 それだけの空間――だが、風を防ぎ、火を起こし、モノを作るには十分だった。


「……こりゃ……」


 ミリは目を見開いて、そっと扉を開けた。

 中に一歩踏み込むと、焚き火よりも暖かい空気が、彼女を包んだ気がした。


「しょぼいけど……悪くねぇ」


「手作りじゃないけど、お前の場所だ」


 ユリウスの言葉に、ミリは少しだけうつむいたまま、笑った。


「ありがとよ、兄貴。これで……“最初のひと打ち”ができる」


 そしてミリは、炉に薪をくべ、火打ち石で慣れた手つきで火を入れる。

 やがて赤く灯った炎に、ミリの目がきらりと光った。


「よーし。じゃあ、一本、焼いてみるか……って――」


 作業台の上を見回し、工具棚を開け、材料棚を覗く。


 ……ない。


 鉄の棒も、インゴットも、くず鉄すら、なにも。

 ミリは静かに振り返った。


「……兄貴」


「うん?」


「鉄がねえ」


「……あっ」


 二人の間に、しばし沈黙。


「……そうか」


「だから今日は鍛冶は――」


「よし、製鉄所を作るか」


「は?」


 その一言を最後に、ユリウスは無言で立ち上がり、砦の外へと歩き出す。

 その背中に、嫌な予感しか抱けないミリは慌てて追いかけた。


「おい待て兄貴!? なんだよ今の流れ!? やめろ、まさかとは思うけど……」


 ユリウスは丘の上で月明かりを背に、ゆっくりと両手を掲げる。


「スキル〈工場〉――最大展開構成。KASHIMA式高炉モデル……魔力、全投入!」


「ストーーーップッ!! バカかお前ぇぇええ!!」


 だが遅かった。


 ズゴゴゴゴォ……ッ!!


 大地が唸り、鉄と石の構造物が次々とせり上がる。

 無数のパイプ、巨大な炉、操作塔らしき建物に搬送用のレールまで出現し、荒野の丘に“異物”が姿を現した。


「……な、なんじゃこりゃあああああ!!?」


 ミリは見開いた目で建造物を見上げ、絶叫した。


「砦の隣にでっけぇ……いや、なんだこれ!? 鉄の砦!? 魔導要塞!? どうなってんだ兄貴!?」


「ふっ……これで、鉄の問題は……」


「終わってねぇよ! 誰が動かすんだよコレ!! 人いねぇし、燃料もねぇし、装填する奴もいねぇよ!!」


「……まさかの、人的リソース不足……」


 ユリウスはその場でふらふらと崩れ落ちた。


「兄貴ィィィッ!! また魔力使い切ってんじゃねぇか!!」


 ミリが慌てて駆け寄り、崩れ落ちたユリウスを抱える。

 その横では、完成した高炉が無言のまま佇んでいた。

 火も入らず、煙も上がらず、ただ静かに――“使われる日”を待っていた。


「はあ……ほんっとに、お前は……何でもやりすぎなんだよ……」


 ミリは頭を抱え、ため息をついた。

 けれどその横顔には、少しだけ笑みが浮かんでいた。


「ま、ありがとな兄貴。気持ちは、受け取っとくわ。次からは、まず“炉じゃなくて鉄”から頼む」


 こうして、砦の隣に“誰も使えない製鉄所”だけが残された。


 高炉建設から数時間後。

 荒野に突如として現れた巨大な製鉄所の影の下で、ユリウスは魔力切れを起こし、その場に倒れていた。


「……まったく、どこまでバカなんだか」


 ミリはブツブツ文句を言いながらも、地面に寝転がるユリウスの頭の下に、自分の上着を畳んでそっと差し込む。


 さっきまで、魔力を全開放して得体の知れない巨大構造物を生み出していた男が、今は子どもみたいにぐっすり寝ている。

 唇の端には、少しだけ煤の跡が残っていて、見るからに満足げな寝顔だった。


「……奴隷から解放してくれたり、あたしのためにこんなバカでかいもん作ってくれたり……」


 ミリはその顔を見つめながら、小さく笑った。


「それにさ……あたしの前で、こんな無防備に寝て。もしあたしが悪い奴だったら、どうすんだよ……」


 声は呆れたようでいて、どこか楽しげだった。


「ほんっと、加減ってもんを知らねぇな。……でもまあ……」


 ミリはそっと、ユリウスの髪から煤を払ってやった。


「……そういうとこ、嫌いじゃねえよ。バカ兄貴」


 そう呟いたミリの表情には、あたたかい灯火のようなものが宿っていた。

 製鉄所の巨大な影が二人を包み込むなか、夜風だけがさらりと吹き抜けていった。


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