第88話 プロメテウス計画
グロッセンベルグ・技術開発区画(仮設会議室)
魔素炉の設置候補地を視察し終えたユリウスたちは、仮設の会議室に戻っていた。卓上には、地質図と魔素濃度分布を示す文書が並んでいる。
「……やはり地上に魔素炉を作るのは、リスクが大きいな」
ユリウスが唸るように言った。
「この土地の魔素濃度は、荒野ほど高くないぶん、もし漏れたときの自然環境への影響が顕著に現れるでしょう」
セシリアが冷静に言う。
「荒野化が進行すれば、居住区はおろか周辺の農地まで壊滅しますわ」
「なら、どうする?」
ミリが腕を組んで問いかけた。
その問いに、リィナが即座に答える。
「地下に建設するのです。古代アルケストラ帝国には、地脈の流れを利用して魔素を安定供給する〈地下魔素精製炉〉の理論が存在していました。未完成ではありますが、データは残っています」
「地上より、封じ込めやすい……か」
ユリウスは指先で地図を叩きながら言った。
「ええ、土圧が魔素拡散を抑制しますし、地下空洞の形状次第では、漏れが発生しても自然に収束します。さらに――」
リィナは内蔵された機能、魔導ホログラムを展開し、地下の断面図を浮かび上がらせる。
「この区域には浅層の魔素脈が走っています。補助的に精製に使える上、強度の高い岩盤が覆っており、外部への漏出も最小限に抑えられるでしょう」
「よし……スキルで、建設を補助できるはずだ」
ユリウスは静かにうなずく。
「僕の〈工場〉で精密な魔導回路と機構を自動構築していく。問題は制御系だな」
「それなら私に任せてください」
セシリアが一歩前へ出て、胸に手を当てた。
「もし魔素漏れが起きた場合、それを検知して即座に封じ込める結界展開装置を、魔導回路として内蔵させます」
「つまり、プラント自体が“自己封印機能”を持つってことか」
ミリが目を見開く。「やるじゃねぇか、お姫様」
「ふふ……私はただ、あなたたちの命を守りたいだけですわ」
セシリアが優しく微笑んだ。
ユリウスは全体設計図を見つめたあと、ふと視線を上げた。
「……完成したら、名前をつけよう」
「名前、ですか?」
「うん。魔素という“神の火”を扱う炉だ。なら……“火を盗んだ者”の名がふさわしい」
彼はぽつりと呟くように言った。
「〈プロメテウス〉――人が神に挑む、その覚悟の象徴として」
リィナは無表情に、だがどこか誇らしげに頷く。
セシリアは目を伏せ、ユリウスの覚悟を静かに受け止めていた。
こうしてプロメテウス計画がスタートする。
セシリアが設計台の上で魔導回路の構成図を調整し、ミリが素材の耐熱性を検討している隣で、リィナが無表情に口を開いた。
「設計図のエクスポート方法が確定しました。マウスデバイスによる出力です」
「マウスデバイス……?」
ユリウスが聞き返した。
「はい。つまり、口です」
「……口?」
「具体的には、対象者と唇を接触させ、設計図データを転送する方式です」
「は?」
その瞬間、場が静まり返った。空気が固まる。
「……ちょ、ちょっと待って! それって、つまり、キ、キスしないと設計図が出てこないってこと……!?」
顔を赤くするセシリア。
「いや、いやいやいや、待て待て。どんな機構だよそれ!? 口で魔導USB差すのか!?」
ミリが全力でツッコミを入れる。
「設計者としてお聞きしますが、冗談ですよね、リィナさん」
「冗談です」
リィナは一拍置いて、淡々とした口調で言った。
「なんだよォォォォ!!」
全員から一斉に突っ込みが入った。だが、そんな騒ぎの中、リィナは表情ひとつ変えない。
「……ですが、口づけによる情報伝達という形式には心理的効果があり、互いの信頼構築に――」
「もう黙っててくれ!!」
今度はユリウスが、顔を真っ赤にしながら叫んだ。
プロメテウスの完成はまだ遠い。




