第86話 サジタリウス
空は高く澄み、朝霧がまだ街の屋根をなでている。グロッセンベルグの北端――城壁外れに設けられた仮設の射撃場で、巨大な魔導錬金砲が静かに横たわっていた。
砲身は魔導合金とミリの試行錯誤の成果で鋳造された特製品。内部にはセシリアが設計した魔導コイルが精密に並び、魔素の流れを制御して弾丸を加速する。
「……よし、これで全系統起動完了。魔導圧は安定してるわ」
セシリアが制御盤のルーンを指先でなぞり、淡い蒼光が走る。周囲にいた技術者たちがどよめいた。
ユリウスは後方でその様子を見守りながら、無線機を手に取る。
「リィナ、弾体の装填はどうだ?」
『完了しました。最終安全確認中。砲身の角度は……調整済みです』
城壁の上で、ユリウスの姿を模したリィナが操縦桿を操作し、巨大な砲身の向きを微調整する。試射目標は二百メートル先の岩山。その麓には、旧式の木製投石機が一台置かれている。
「……やっとここまで来たな」
ミリが肩の汚れを拭いながら、隣に並ぶ。目の下には薄く隈があるが、充実感に満ちた顔だった。
「失敗しても怒らないでね。鋳造、限界ギリギリなんだから」
「失敗したら、また一緒にやり直そう。だが――成功するよ」
ユリウスが頷き、右手を上げる。セシリアがカウントを始めた。
「魔素圧、安定。コイル展開開始……三、二、一――」
轟音。
大気を裂くような炸裂音とともに、蒼い閃光が空を貫いた。
魔導錬金砲から放たれた弾体は、瞬く間に目標へと飛翔。一直線に岩山の中腹に命中すると、遅れて爆発が起き、投石機が木端微塵に吹き飛ぶ。
「……命中、確認ッ!!」
技術班が歓声をあげる中、リィナがにこりと微笑む。
『威力、申し分ありません。従来のバリスタの三倍以上です』
ミリがどっと力を抜いて地面に座り込み、肩で息をつく。
「はぁー……っぶな。爆発しなくてよかった……」
セシリアが静かに彼女の隣に腰を下ろし、そっと肩を並べる。
「ミリがいなければ、ここまで来られなかったわ」
ミリは少し照れたように顔を背けると、地面を指先でなぞって言った。
「……やめてよ。そういうの、照れるんだから」
ユリウスはそんな二人の様子を見て、小さく笑った。
「これで……グロッセンベルグは守れる。ありがとう、みんな」
試作実験が成功してから二日。
仮設工房に仮組みされた魔導錬金砲の前で、ユリウスは静かに砲身を見つめていた。
巨大な砲。魔導コイルで魔素を加速し、金属の矢を光よりも速く撃ち出す兵器。
その威力は、敵の投石機の射程外からでも投石機を貫ける――。
「それで、このデカブツの名前はどうするんだ?」
ミリが鋳造チェックを終え、油まみれの布で手を拭きながら訊いた。
「そうね。あまりに無名だと、兵たちの士気にも影響するかもしれないわ」
資料をまとめていたセシリアも同意するように声を重ねる。
ユリウスは黙って砲身に手を添えた。
この世界の誰も知らない記憶――地球の神話。
空の星々を狩る射手の伝承が、ふと心に浮かんだ。
「……サジタリウス」
「ん?」
ミリが首を傾けた。
「この砲の名だ。〈サジタリウス〉。星を射抜く弓の名らしい」
「どこの言葉だ? 初めて聞いたぞ」
「昔家庭教師に聞いた神話だ。……遠い空の話だよ」
ユリウスは微笑もうとしたが、その表情にはかすかな陰りが混じっていた。
ミリは
「なんか胡散くせえな」
と笑って流したが、セシリアは気づいていた。
ユリウスのまなざしが、どこか遠く――未来を見据えていることに。
「ユリウス」
静かな声で名を呼ぶと、彼はわずかに目を伏せた。
「……これが完成すれば、戦況は大きく変わる。だけど、それは……本当に“良いこと”なんだろうか?」
セシリアは歩み寄り、そっと彼の背中に手を添えた。
「誰かを殺すために作っているんじゃない。守るために、よ」
「それでも、使えば……」
「あなたが悩むのは、きっと正しいことよ。でもね、ユリウス。あなたが誰よりも人の命を重んじてること、私は知ってるわ」
そう言って、セシリアは彼の肩にそっと頭を預けた。
まるで、母が子を包むような、あたたかい静けさが二人を包む。
「……ありがとな、セシリア」
ユリウスの声は小さかったが、その胸にあったわだかまりが少しだけ、溶けていくようだった。
しばしの静寂のあと、ミリが口を開く。
「名前の由来はよくわからんけど、“星を射る弓”ってのは確かにかっこいいな。兵士たちも気に入るだろうぜ」
「そうね。語感もいいし、覚えやすい。……ユリウスのくせに、いいネーミングじゃない」
セシリアが笑ってからかい、ユリウスは少しだけ頬を赤らめた。
こうして、新たな防衛の切り札――〈魔導錬金砲サジタリウス〉は、その名を得た。




