第77話 狂乱の市庁舎
市庁舎の応接室は、妙に静かだった。外から見れば和平交渉の場だが、その内実は、刃のように張り詰めた空気で満ちていた。
応接室の椅子に座っているのは、ヴァルトハイン公爵家の長男――ユリウス……に見える人物。
だがその正体は、最新鋭の変装機構で姿を偽ったゴーレム、リィナだった。
「本日はお招きありがとうございます。和平のための話し合いができるのは喜ばしいことです」
「ふん、余裕の態度だな。敗者がよく言ったものだ」
ヘルマンの使者を名乗る男が皮肉交じりに笑い、手を振る。従者が銀盆を運び、二人分の茶を差し出した。
小者のヘルマンはこの場に姿を現さなかった。万が一を考えると、自分の身を晒すなどできなかったのだ。
「毒など入っておりませんので、ご安心を。お互いの信頼を示す儀式として、まずは一口どうぞ」
「では、遠慮なく」
リィナは目を細め、器を手に取った。だが口元に運ぶ直前、ほんのわずかに手を止める。
――今。
その瞬間、天井の彫刻の隙間から、弦の軋む音とともに、矢が放たれた。
だがリィナの反応は一拍も遅れない。茶器を盾にして弾き、椅子ごと横に飛ぶと同時に、床を蹴って距離を取る。
「やはり……罠でしたね」
「くっ、やれッ!」
応接室の壁の一部がガタンと開き、隠れていた兵士たちが飛び出してくる。毒矢と煙瓶を手にした刺客たち。だが、リィナはすでに彼らの動きを先読みしていた。
最前列の兵士が煙瓶を投げる動作を見せた瞬間、リィナはカップを彼の額に投げつけ、動きを止めさせる。
「こちらリィナ。襲撃を確認。セシリア様、ミリさん、突入をお願いします」
グロッセンベルグの外で待機していたセシリアとミリに、魔導通信機からリィナの声が聞こえた。
〈了解。こちらセシリア。突入開始する〉
応接室の窓の外――城壁の上に、蒼銀の閃光が駆ける。
それは、PS-01「オリオン」。セシリアとミリが同乗し、突入を開始したのだ。
爆音。轟く魔導加速ブースターの咆哮とともに、オリオンが城壁を飛び越える。
それは刺客たちの目にも映った。
「な、なんだあれは……!?」
怯える刺客たちを尻目に、リィナは静かに、微笑んだ。
「作戦完了まで、あと少しです――ユリウス様」
応接室はすでに修羅場と化していた。
床を転がる茶器。飛び交う毒矢。隠し扉から溢れ出る刺客たちは、十名を超えていた。
だが、それでも。
「数が多いですねぇ。やりがいがあって、楽しいです♪」
微笑みを浮かべるリィナは、まるで舞うように戦っていた。
矢をひょいとかわし、床を蹴って背後に回ると、兵士の兜を叩いて意識を飛ばす。さらに前蹴り一発で二人まとめて吹き飛ばし、着地と同時にテーブルを跳ね上げて盾代わりに使う。
「ひ、人間じゃない……!」
「ゴーレムですから♪」
その頃、市庁舎の裏手では。
「ふぅ……そろそろ頃合いかな」
外で待機していたユリウスが、様子を伺う兵士に気づいた。
「やあ、いい天気だね」
笑顔で歩み寄ったかと思えば――そのまま膝を入れて兵士を昏倒させ、剣を奪い取る。
「さて……僕もそろそろ、主役の時間かな」
そのときだった。
〈セシリアです。突入します――っ……きゃああああああっ!?〉
〈わああ!?バカ、セシリア止まれ止まれ、建物壊れる!おい、やべえぞ、崩れるって!!〉
魔導通信機から聞こえてきたミリの悲鳴。
直後、市庁舎の正面玄関が――爆発した。
ドォォン!!
蒼銀のフレーム、PS-01「オリオン」が全速力で体当たり突入。セシリアの慣れない操縦によって、扉どころか柱まで粉砕され、天井がガラガラと音を立てて崩れ始める。
〈うわあああ!?なんか屋根落ちてくる!?〉
「……やっぱり、こうなると思ったんです」
リィナは、壁を蹴って応接室から跳び出した。
降り注ぐ瓦礫の中、スカートをたなびかせながら(※変装中)軽やかに回転し、器用に着地。
「セシリア様、オリオンは突撃槍じゃありません! どこに突っ込んでるんですかっ!」
〈わ、わざとじゃないのよ!?あ、あれ、ブレーキどこ……!?〉
〈ブレーキないの!?おい、もうやめてくれマジで!?〉
市庁舎は悲鳴と振動に包まれながら、いよいよその構造的限界を迎えつつあった――。




