第76話 女好きユリウス
ノルデンシュタイン砦を出て、馬車は揺れながら草原を進んでいた。荷台の中には、女装したユリウスと、彼の護衛を装うリィナの二人きり。
「ねえ、ユリウス様……」
リィナがそっと声を潜める。
「女装してみて、どうでした?」
「……正直、恥ずかしいよ。何度鏡を見ても慣れなかったし、スカートって、落ち着かない」
ユリウスは苦笑しながら肩をすくめた。
リィナは満足げに頷く。
「でも、可愛かったです。想像以上に」
「それはフォローになってないと思う……」
「では、変装に不備がないか、もう一度チェックを」
そう言うや否や、リィナは手をすっとスカートの中に――
「ちょ、ちょっと!? いまやる必要ある!?」
ユリウスが慌てて足を閉じるが、リィナはきわめて真剣な顔で言った。
「任務中ですので。敵地ですから、徹底しないと」
「いや、いやいやいや!?」
御者台では、手綱を握る男がちらりと後ろを振り返り、嘆息するように呟いた。
「……まさかあの砦の領主様が、こんなに女好きだったとはな。見た目は大人しそうだったが、中身は獣か」
「誤解だああああああああ!!」
荷台から響くユリウスの悲鳴に、馬がわずかに驚いて足を速めた。
その後、何事もなく馬車は進み、グロッセンベルグに到着した。
グロッセンベルグの城門が音を立てて開き、馬車はゆっくりと中へ進んだ。
中は穏やかな日常そのもので、市民たちが戦争などなかったかのように日々の暮らしを営んでいる。
「静かですね。……これはこれで気味が悪いです」
執務服姿のリィナが窓の外をちらりと見てつぶやく。完璧なユリウスの物まねに、同乗している本物のユリウスも思わず感心してしまう。
「芝居としては及第点だね。あとは……変なこと言わなければ」
従者の姿に変装したユリウスが、ぼそりと返した。
そのとき、前方の御者席から声が飛んできた。
「へぇ、ユリウス様ってのは意外と無口な御方だな。けどまあ、噂通りの男前だ!ちょっと女好きだけど」
ご機嫌な様子で御者が語りかけてくる。
「そ、そうか……? ふふん、まあな」
リィナが少し自信ありげに胸を張る。肩幅も広く見せているつもりだが、足はぴしっと閉じているあたりに乙女の名残が出ている。
「それにしても、後ろの従者……あれ、女じゃねぇか? こんな場に連れ込むなんて、さすが若きご領主。やりますなあ」
御者がニヤニヤと横目をやる。
リィナは慌てて咳払いし、男っぽい低めの声で答えた。
「そ、そんなことないぞ? あれは……ただの従者だ。うん、ただの」
「へぇ~? それにしては距離が近いような……。まあ、領主様の趣味には口出ししませんけどね~」
御者が意味深に笑う。
そのやりとりの最中、リィナはこっそりユリウスの耳元に顔を寄せ、小声でささやいた。
「ねぇユリウス様。スカートって案外涼しいのね。癖になりそう」
「……リィナ、今は男装してるからな? その発言は混乱のもとだよ?」
「でも、可愛い顔してるから目立ってます」
「……顔は関係ない。お願いだから普通にしててくれ」
「普通ってどのようなことでしょうか?ああ、じゃあちょっと確認しても――」
ユリウスのスカート(というか見慣れない制服)の裾に手を伸ばしかけるリィナ。
「やめろぉおお! やめてくれ!! 御者が見てる!」
「へぇへぇ、こりゃまた情熱的で……。若いってのは、いいこった……」
前方から御者のつぶやきが聞こえた。
(こりゃ相当な女好きと見たね……この主君は)
(暗殺より先に情事で命落としそうだぜ……)
馬車が市庁舎前の広場に近づくころには、御者の中でユリウス(=リィナ)の印象はすっかり「手当たり次第の色男」になっていた。




