第67話 ミリへの謝罪
夜の格納庫に、静かな寝息が響いていた。
オリオンの隣、整備台の上に腰かけるユリウスは、セシリアの膝に頭を預け、すやすやと眠っていた。
泣き疲れ、心の重荷を一時だけ手放したかのように。苦悩に歪んでいた眉間も、いまは穏やかにほどけていた。
セシリアはその寝顔を見つめながら、そっとユリウスの額にかかる髪を撫でた。
「……強くなったと思っていたのよね、ユリウス。でも、本当は、まだこんなにも純粋」
呟いた声は、誰にも届かない優しさに満ちていた。
戦場で人を殺し、皆を守るために決断し、それでもなお苦しみ、涙を流す彼の姿が、あまりにも人間らしく、愛おしく、切なかった。
(あなたの重荷を少しでも、私が背負ってあげられたらいいのに)
静かに寄り添いながら、セシリアは夜明けを迎えた。
東の空がうっすらと明るくなり始めた頃、ユリウスは目を覚ました。
「……セシリア?」
「おはよう、ユリウス」
セシリアは微笑み、ユリウスの頬にそっと触れる。
「ミリも、あなたのことをとても心配してたわ。……ずっと、眠れなかったみたい」
「ミリが……」
ユリウスはゆっくりと身を起こし、昨夜の出来事を思い返しながら、小さく息を吐いた。
その横顔には、まだ痛みが残っていたが、ほんのわずかに光が戻っていた。
ユリウスはセシリアに言われてミリのところに向かう。
それを見送るセシリアは
「ミリに恩返ししなきゃね」
と呟いた。
それは、かつて砦を去ろうとした自分を引き止めてくれたミリへの感謝の気持ちからだった。
ユリウスは工房へと足を運ぶ。徹夜で作業をしていたミリは、ユリウスの顔を見るなり手を止めた。
「昨日は、ごめん。心配かけたね」
静かに頭を下げるユリウスに、ミリは一瞬驚いたような顔をし、それから微笑んだ。
「……ううん。無事でよかったよ、兄貴」
二人の間に、昨日の沈黙が嘘のように穏やかな空気が流れていた。
ミリの工房に、ほんのりと朝の光が差し込む。
「……ごめんな、ミリ。昨日のこと、謝りたくて」
ユリウスが不器用に頭を下げると、ミリは少しだけ頬をふくらませてから、ぷいっと顔をそらした。
「……あたしの作った装甲で戦ってくれたんでしょ。文句言える筋合いじゃないよ。でも、もうちょっと……相談してほしかったな」
「うん。ありがとう、ミリ。君のおかげで……生きて帰れた」
そんな言葉に、ミリの目尻がじわっと緩む。
「まったく……心配させやがって、兄貴」
ミリが小さく笑ったその瞬間。
「おやおや、朝から仲睦まじいですねー?」
ひょこっ、と工房の扉から顔を出したのは、どこから来たのかリィナだった。
「リィナ……? って、いつの間に!?」
「一晩中セシリア様と一緒にいたかと思えば、今度はミリさんとですか? ユリウス様はモテモテでございますねぇ〜?」
にやにやと笑うリィナに、ユリウスは「ち、違うって!」と大慌て。だが、時すでに遅し。
「――え? セシリアと一緒に?」
ミリの表情がぴたりと固まった。
「い、いや、その……ちょっと、事情があってだな」
「事情って……なにしてたのよ、二人で!」
「そ、それは……ええと……その……!」
まさか泣いてたなんて恥ずかしくて言えるわけもなく、口ごもるユリウス。
「……へぇ、言えないことだったんだ?」
ミリの目がじりじりと細くなり、背後ではどこからか金床を叩くような効果音が響いた気がした。
「あ、あのっ、だから誤解で――」
「よし、行くわよ!」
がしっ!
ミリがユリウスの手首をつかんだ。
「ちょっ、どこに!?」
「決まってるでしょ、セシリアのところよ! 白黒つけましょう!」
「いや、待ってミリ、ちょっと落ち着――痛い痛い! 引っ張らないでぇぇぇぇっ!」
リィナは口元を手で押さえながら、ひとりくすくすと笑っていた。
「ユリウス様、がんばってくださいませ♪」
――――
セシリアは砦の中庭に設けられた花壇の手入れをしていた。帝国の皇帝の娘らしからぬ、地味で静かな趣味だったが、それは彼女がこの砦で心を落ち着ける数少ない時間でもあった。
「……セシリア!」
背後から聞こえた声に振り返ると、ミリがユリウスの手を引いて突進してきた。
「あ、あのっ、セシリア! 昨晩、こいつと何してたんですか!?」
勢いそのままに詰め寄るミリの眼は真剣そのもので、口調は若干怒っていた。
「えっ、なにって……」
セシリアは面食らいつつも、ちらりとユリウスの顔を見る。ユリウスは完全に目を逸らし、バツの悪そうな顔で口を真一文字に結んでいた。
セシリアはふっと微笑むと、ミリに近づいて膝を曲げ、目線を合わせた。
「……ごめんなさい。秘密だった?」
「な、なにがですかっ!?」
「ユリウスがね、泣き疲れて眠っちゃったの。だから、ずっとそばにいただけよ」
ミリの表情が一気に崩れ、頬が赤く染まる。
「な、泣いてた!? ユリウスがっ!?」
「そうよ。人を傷つけるのが、こんなに辛いんだって……あなたの作った装甲がなければ、彼はもう戻ってこられなかったかもしれない。ありがとう、ミリ」
セシリアの言葉に、ミリは黙り込む。そして、背後で恥ずかしさに肩を縮めているユリウスを見て、そっと一歩近づいた。
「……そっか。だったら、許してあげる。でも」
ミリはユリウスの腕をつかんでぐいと引き寄せる。
「次からは、ちゃんと最初にあたしのとこ来なさいよ! ……泣き顔も、寝顔も、ぜーんぶ、あたしが見たいんだからっ!」
「……ごめん。ありがとう、ミリ」
顔を見合わせて笑う二人を見て、セシリアもそっと胸に手を当てた。
(――あなたが笑ってくれるなら、私は、それで)




