第60話 魔導通信機開発
砦の訓練場では、自警団の面々がリルケットの号令に従って整然と動いていた。
「敵を発見したら、まずは合図! 合図を見た者が順々に伝えて、本部へ報告だ! 遅れれば命はないぞ!」
リルケットの叱咤に、団員たちは真剣な顔で頷いた。ユリウスはその様子を、砦の高台からじっと見つめていた。
(……旗や声での伝達は限界があるな。砦の構造上、死角も多いし、伝令も間に合わない可能性がある)
自警団の動きを見ていたユリウスの脳裏に、ある構想が浮かんだ。
「魔導通信……声を、魔素の波に変えて、距離を超えて伝える。そんな仕組みが作れれば……」
思案に沈んだ彼はすぐに、セシリアを訪ねて砦の書庫へと向かった。
「セシリア、ちょっと相談があるんだ」
本をめくっていたセシリアは、眼鏡を上げて彼を見やった。
「また変なものを作ろうとしてるのね?」
「まあ……その通りだけど。音を、魔導的に伝える仕組みを考えていて。魔素の振動を使って、遠くの相手に声を届けることって、理論上は可能じゃないか?」
セシリアは少し驚いたように目を見開き、それから興味深そうに笑った。
「……それ、昔の帝国で研究されてたわよ。確か“魔導共振通信理論”。ただ、雑音が多くて実用化はされなかったはず。でも、今ならやってみる価値はあるかも」
彼女は魔導工学の古文書を棚から引っ張り出し、ぱらぱらとめくっていく。
「音は空気の振動。これを魔素共振結晶に取り込んで、魔導波に変換。次にエーテル導線でそれを飛ばして、受信側の共振結晶で再び空気振動に戻す。基本はそれで合ってる」
「じゃあ、それに使う回路の設計は?」
ユリウスが尋ねると、セシリアはすでに羊皮紙の上に素早く魔導回路の模式図を描き始めていた。
「共振結晶の選別と、回路のチューニングがカギね。周波数が合ってなきゃ、声は歪むし聞こえない。複数の通信機を動かすなら、周波数を切り替える回路も必要よ」
「セシリア……やっぱり君はすごい」
「褒めても何も出ないけど? ちゃんと私の設計通りに作ってくれるなら、協力してあげるわ」
ユリウスはにっと笑って頷いた。こうして、砦を守るための新たな発明――『魔導通信機』の開発が始まったのである。
――――
砦の北端と南端。
それぞれの端でユリウスとリィナは試作された魔導通信機を手にしていた。
「――こちらユリウス。聞こえるか、リィナ?」
通信機に向かって声を発すると、少しの間を置いて、返答が届く。
『はい、ユリウス様。音声、明瞭に受信。魔導通信機、正常に作動しています』
「やったな! これで砦の連携も格段に上がるぞ」
ユリウスの隣では、セシリアがほっと息をつき、ミリが満足げに腕を組んだ。
だが、次の瞬間、通信機からまったく別の雰囲気の声が響いた。
『ではテストその二。ユリウス様、質問にお答えください』
「ん? 質問?」
『セシリア様、ミリ様、そして私――三人の中で、誰が一番お好きですか?』
「……は?」
通信機を持つ手がぴたりと止まる。
横でセシリアは「……聞き間違いでは?」と目を逸らし、
ミリは腕を組んだまま、じりっとユリウスにプレッシャーをかけてくる。
「ま、待てリィナ。それは――テストに必要か?」
『はい。魔導通信機が感情に影響されないか、応答時の魔素波形を確認するテストです』
「それっぽく言ってるけど、絶対違うよね!?」
『では、お答えください。どなたが一番お好きですか?』
ユリウスは冷や汗を流し、二人の視線を感じながら凍りつく。
「……あー……えっと……これは……その……」
『――回答不能を確認。テスト失敗です』
リィナの冷静な声が通信機から聞こえたとき、
セシリアはやや拗ねた様子でそっぽを向き、
ミリはユリウスの足を無言で踏みつけた。
「ぐえぇ……!」
今日の魔導通信機テストは、感情面において非常に有意義な結果を残したのだった。
しかし、実はここで終わりではなかった。
ユリウスは、魔導通信機の端末を手にしながら、肩を落としたままリィナのいる砦の反対側へと視線を向けた。すると通信機から再び、リィナの澄んだ声が響く。
「……あの、ユリウス様。じつは、さっきの質問……本気で答えを求めてたわけじゃないのです」
「え?」
「最近、ユリウス様、ずっと難しい顔ばかりされていたから……。少しでも、笑ってもらえたらって……そう思って」
リィナの声は、いつもの機械的な抑揚ではなく、どこか申し訳なさそうで、かすかに恥じらいを帯びていた。
「もしかして、不快でしたか? からかいすぎてしまったかもしれません」
ユリウスはふっと笑った。そして、通信機に向かってゆっくりと答えた。
「……いや。ありがとう、リィナ。元気が出たよ。まさか、君が僕を笑わせようとしてくれるなんて思わなかった」
「では……テスト、成功ということでいいでしょうか?」
「うん、成功だ。大成功だよ」
隣で見ていたミリとセシリアも、ふわりと微笑み合った。
「ったく……あんな可愛いこと言われたら、こっちは立つ瀬がないっての」
とミリが頬を膨らませれば、セシリアは照れ隠しに視線をそらす。
「……やっぱり、あの子、ただのゴーレムじゃないね」
通信機越しのリィナも、静かに笑っていた。それは確かに、感情を持った少女の笑みだった。
「……ありがとう、リィナ。たしかに、少し気が楽になった」
『それなら、よかったです』
通信機から聞こえるリィナの声には、安堵と少しの照れが混ざっていた。
「でも、これで分かったわね。音質も安定してるし、距離の制約もほとんどない。実戦でも使えるはずよ」
セシリアがすっと真剣な声に戻る。
「ユリウス、これはきっと砦の力になるわ」
「……ああ。前線のリルケットや、城壁に配置された射手たちとも通信できれば、指揮も連携もまるで変わってくる。魔導通信機……これは“武器”だ」
そう言ったユリウスの目は、いつもの穏やかさに、覚悟の光が宿っていた。
ミリはその様子を横で見て、小さく頷いた。
「じゃあさ、次は通信機を量産しなきゃね。整備の手もいる。あたしにも手伝わせてよ、兄貴」
「もちろん。セシリア、回路の設計はあとでまた相談に乗ってもらえる?」
「ええ。きっと、まだまだ改良の余地はあると思うわ」
『わたしにも、やれることがあればなんでも!』
通信機越しのリィナの声は、今度は張り切っていた。
夕日が砦の端を赤く染める中、彼らはまた一つ、新たな力を手にしたのだった。




