第58話 軍事転用
砦の作戦室──地図と資料が並ぶ簡素な部屋に、重たい沈黙が漂っていた。
「……ヘルマンが本格的に動き出したか」
報告を終えたリルケットが無言で頷く。かつて帝国騎士団に名を馳せた男の眼差しには、曇りのない覚悟があった。しかし、ユリウスの表情はいつになく沈んでいた。
「……ありがとう、リルケット。君が先に気づいてくれて助かった」
「礼には及びません。ただ、早めに対処せねば後手に回ります。敵も組織化が進んでいるようですから」
「……そうだな」
ユリウスは地図に目を落とした。砦の周囲を囲む荒野、街道、そして補給路の可能性。地図の上では、ただの線に過ぎない。しかし現実は、その一本一本に人の命が関わっている。
「僕は……」
誰に向けた言葉でもなく、ユリウスは呟いた。
砦を再建し、人々の暮らしを取り戻す。それが自分の役割だと信じてきた。だが今──戦が迫っている。
民たちの笑顔が脳裏をよぎる。パンを焼く者、服を織る者、整備に汗を流す者。すべて、自分のスキルで支えてきた日常。それが、この手で奪われるのではないかという恐れが胸を締めつけた。
その時、静かにリルケットが口を開いた。
「――ユリウス様。お悩みなのはわかります。しかし、守るべき者がいるからこそ、戦わねばならぬ時もあります。これは、私の持論ですが」
「……それでも僕は、かつて戦うことから逃げたんだ。すべてを弟に任せて……結果、多くを失った。砦も、人々も」
ユリウスの拳が震えていた。
「戦いは嫌いだ。だけど……今、目の前にいる人たちを守れなければ、また同じことを繰り返す。今度こそ、僕が前に立たなければ」
目を閉じ、深く息を吐くと、ユリウスは静かに顔を上げた。そこには、迷いを押し殺した覚悟の色があった。
「ありがとう、リルケット。……僕は、決めたよ」
ユリウスの決意、それを形にしたテストが行われる。
砦北側の試験場。陽光を浴びてそびえるのは、鋼鉄の巨人——パワードスーツPS-01《オリオン》。その軍事転用試作機が、いよいよ初の稼働テストに臨もうとしていた。
「魔導バリスタに耐える装甲は、もう既に確保されてる。今日の試験はその先だ」
ユリウスはそう言いながら、制御卓に向かう。試作機には新たに開発した「増力魔素ブースター」や「高出力関節駆動炉」、さらには腕部に内蔵された「魔導打撃増幅器」などが組み込まれている。
セシリアがモニターを覗き込んで言った。
「全高五・五メルト、重量一〇・四トン。これだけの質量を機動させるには、魔素供給も一瞬の乱れが命取りよ。接触制御炉の圧縮値は?」
「三百二十まで上げた。魔素結晶を二段階圧縮して、最大出力を十秒間だけ維持できるようにした」
ミリがぽんとユリウスの背中を叩く。
「そいつがちゃんと動いたら、すげぇことになるな。でも……ぶっ壊れたら、あんたが吹っ飛ぶぜ?」
「そのときは、次を作るだけさ」
ユリウスは笑ってみせた。
無人操縦モードが起動されると、オリオンは唸りを上げて歩みを始めた。装甲の隙間からは冷却蒸気が立ちのぼり、地面には一歩ごとに震動が走る。
「加速試験、開始!」
ユリウスの声と同時に、試作機は急加速する。
膝部の関節駆動炉から圧縮魔素が一気に噴き出し、機体が疾走する。地を蹴り、跳ね、転倒もせずに停止線まで到達。魔素冷却器も稼働し、オーバーヒートは起こらない。
ミリが腕を組んで唸った。
「やるじゃねぇか……これなら魔導騎士どもにも負けねぇな」
「次は兵装テストよ。魔導打撃増幅器を起動して、あの鉄塊を殴らせて」
セシリアが指差した先には、厚さ五シュテルの魔素鋼製障壁が立っていた。
ユリウスがレバーを引くと、オリオンの右腕がうなりを上げて振り抜かれ、衝撃波と共に障壁が砕け散る。破砕面には、振動と熱による内部崩壊の痕が残っていた。
「破砕成功。……出力は想定以上だ」
ユリウスの声には驚きと恐れが混じっていた。
「これが戦場に出れば……」
言葉を濁す彼に、ミリは酒でも持ってくるかと冗談めかして笑い、セシリアはそっと呟く。
「——本当に、戦争のために使うつもり?」
ユリウスは答えなかった。ただ、誰にも見えないように拳を握りしめた。




