第57話 迫りくる危機
ノルデンシュタイン砦の作戦会議室。ユリウスと幹部たちが集まる中、リルケット――グレン・リルケットが静かに口を開いた。
「ユリウス様。少々、気になる報せが入りました」
「報せ? 誰から?」
「昨夜、砦に立ち寄った行商人からです。グロッセンベルグの代官、ヘルマンが軍を動かしているとのこと。どうやら我々の存在が本格的に目障りになったようで、武力をもって排除するつもりのようです」
部屋の空気が重くなった。
「……確かな情報なのか?」
「ええ、商人はかつて帝都で情報屋としても活動していた人物でして、裏付けも得たと。彼の話では、すでに兵の徴募や物資の徴発が始まっており、投石機などの攻城兵器の準備も進められているようです」
「そんな……まさか、もうそこまで……!」
セシリアが小さく息を呑む。
「本格的な侵攻はまだ先でしょう。ですが、遅かれ早かれ、戦火はこの砦にも届く。その覚悟だけは、今のうちに」
リルケットは冷静な口調のまま、ユリウスの目を見据えた。ユリウスはしばし沈黙し、それから小さく頷いた。
「ありがとう、リルケット。……助かった。皆にも準備を急がせよう」
「はっ」
誰にも言うまい。あのスパイがここまでの脅威を伝えてくれたことにするのは、主であるユリウスの手を血で汚させないためだ。それが、剣士として、騎士として、彼に仕える者の覚悟だった。
リルケットのそんな思いがあるが、ユリウスは自らの手を血で染める覚悟をしていた。
砦の演習場に停められた、巨大なパワードスーツ「オリオン」が冷たい金属音を立てていた。通常よりも一回り大きく、肩部と脚部には新しい装甲パーツが取り付けられている。
その傍らで、ミリとセシリア、そしてユリウスが言い合っていた。
「兄貴……。これ、本当にやるのかよ? この装甲……明らかに戦争用じゃねぇか」
ミリが苦々しげに新型の肩装甲を指す。魔素鋼を重ねたそれは、もはや民間作業用の代物ではなかった。
「私も反対です、ユリウス。これは人を傷つけるための兵器です。あなたが作ってきたものは、誰かの暮らしを良くするためのはずでしょう?」
セシリアが強い調子で言った。瞳に宿る怒りは、恐れと悲しみにも似ていた。
ユリウスはしばらく無言で二人の視線を受け止めたあと、ゆっくりと口を開いた。
「……僕は、公爵家の長男だ。本来なら、戦争の指揮も、民を守る責任も、僕が負うべきだったんだ。だけど、僕は逃げた。ものを作る方が向いてるって、自分に言い訳して……全部、ライナルトに押しつけてきた」
セシリアとミリが目を見張る。
「そして……今、巡り巡ってこうなった。追放されて、砦で人々と暮らして、ようやく分かった。作ることも、守ることも、僕の仕事だったんだって。だったら——この手で守るよ。誰にも、奪わせない」
その言葉に、しばし沈黙が落ちた。
やがてミリが頭を掻いて、ぼそりと呟く。
「ちっ……言いやがるぜ。そういう真っ直ぐなとこが、腹立つんだよ兄貴はよ」
「……でも、もう泣かせたくありません。誰も」
とセシリアもぽつりと呟くように言った。
ユリウスは二人の顔を見て、小さく微笑んだ。
「ありがとう。……協力してくれるかい?」
ミリは肩をすくめ、
「ったく、しょーがねぇな」
と言いながら、試作装甲に向かって歩き出した。
セシリアも一度深呼吸してから、整備台に並ぶ魔導回路設計図に手を伸ばした。
パワードスーツ「オリオン」の軍事転用が、本格的に始まった瞬間だった。




