第51話 伝わる砦の状況
砦の門前に現れたのは、派手な羽根付き帽子に装飾過剰なマントを羽織った男だった。後ろには、荷車を引く傭兵風の男たちが控えている。
「おやおや、こんな荒野の果てに人の匂い。しかも、なかなか立派な砦じゃありませんか。この砦から煙が立ち昇るのを見たという仲間の話を聞いて、やってきた甲斐があるというもの」
門番の合図で門が開き、中に通された商人は周囲を見渡しながら満足げに口元を歪める。
「名前はオズバルト商会、荒地の商いならお任せを」
ユリウスとリルケットが応対に出ると、商人はすかさず布を広げ、薬、乾燥肉、布、装飾品、酒と、多種多様な商品を取り出した。
「お金がないのなら、物々交換でも構いませんよ? あんたたち、これだけの砦を築けたなら、それなりの技術や物も持っているでしょう?」
リルケットは苦笑し、ユリウスに目をやる。
「たしかに、薬や衣服、保存食などは喉から手が出るほど欲しいわね。でも……」
「本当に金がないんだ。交換するようなものもなあ……」
ユリウスは率直に言った。
「ここに来た人間は皆、家も財産も捨てて逃げてきた。貨幣経済とは縁遠い」
「ならば、お作りなさいな」
オズバルトが歯を見せて笑う。
「何か、売れるものを。酒でも、パンでも、工業品でも。私が運び、売って差し上げましょう」
その言葉に、ミリが目を輝かせる。
「なら……うちの工房で作った魔素鋼の工具や刃物、売れるんじゃない? あたしが保証するよ、帝都の鍛冶屋より上等だって!」
セシリアも小さく頷いた。
「私の作った保存用魔導薬も……それなりに需要はあるはず」
ユリウスは深く息を吸い、決意を込めて言った。
「ならば……この砦を、一つの町として機能させよう。僕たちの“工場”が、人々の生活を支え、経済を生む」
リィナが口を挟んだ。
「ユリウス様。交易許可区域と売買管理票の整備もお忘れなく」
「……ああ、そういうのも必要になるのか」
こうして、砦は新たな一歩を踏み出す。生き延びるためだけの場所から、人が暮らし、産み出し、回していく町へと――。
しかし、これが災いを呼ぶことになる。
グロッセンベルグ──ノルデンシュタイン砦の南方に位置する要衝都市。その中心に建つ代官府の執務室で、代官ヘルマン・ローデルは、机の上に積まれた報告書に眉間の皺を深めていた。
「……これはどういうことだ」
報告書の一文に目を留め、唸るような声を漏らす。
『ノルデンシュタイン砦にて、住民との交易成立。布、薬、ウイスキーあり』
「馬鹿な……あの砦には、追放されたユリウス様が一人で送られたはずだ」
ヴァルトハイン公爵家の長男、ユリウス・フォン・ヴァルトハイン。かつて家中から見放され、弟ライナルトが跡継ぎに据えられた際、北の朽ちた砦へと追いやられた男。
「……あの“役立たず”が、まさか」
ヘルマンは椅子にもたれ、天井を見上げるようにして肩をすくめた。
「てっきり飢えて朽ち果てたと思っていたが、生きていたばかりか、交易を始めただと?」
傍らに控えていた副官が口を挟む。
「報告によれば、砦には住民が集まり始めている様子。工房らしき建物からは煙も上がっており、鉄や酒類の生産も……」
「工房? 鉄? それに酒?」
眉がぴくりと動く。商人が北に向かうわけだ。物があるのなら売りに行くのは当然。
「……おもしろい」
口元に浮かぶのは、乾いた笑み。
「弟に公爵の座を奪われた長男が、忘れ去られた砦で民を集め、町を再建して商売を始めた、か。なかなかの英雄譚だな」
だが、その声にこもるのは決して賞賛ではなかった。
「ふん、見過ごすには少々派手にやってくれているようだ。念のため調べさせろ。誰が砦にいるのか、何を作っているのか、全てな」
ヘルマンは報告書を机に叩きつけるように置き、低く呟いた。
「……手遅れになる前にな」




