第4話 追放決定
天命覚醒の儀の翌日。ヴァルトハイン公爵家の執務室には、怒りに満ちた公爵の咆哮が響き渡っていた。対峙するのは、顔色一つ変えずに立つユリウスと、その隣で静かに成り行きを見守るライナルト。
「……【工場】だと!? このヴァルトハイン公爵家より、よりにもよってそのような凡庸なスキルが発現するとは!」
公爵は、机を叩きつけ、血管を浮き上がらせた顔でユリウスを睨みつけた。
「代々、武勇と治世の才を以て帝国に貢献してきたこの名門が、貴様のような、町工場を営む庶民と変わらぬスキルを持つ者を当主とできるものか!」
公爵の顔は、怒りというよりも、深い屈辱と絶望に染まっていた。ユリウスに【工場】のスキルが発現したという事実は、すでに貴族社会の嘲笑の的となりつつあった。公爵家の威信は、地に落ちたも同然だ。
「貴様は、このヴァルトハインの、一族の面汚しである! 二度と、この城の門をくぐらせるわけにはいかん!」
公爵は、震える声で告げた。その言葉に、ライナルトの眉が微かに動いた。
「よって、ユリウス! 貴様をこの公爵家より追放する! 行く先は、北の荒野!そこを領地として与えてやる! その貧相なスキルとやらで、朽ち果てるまでそこで暮らすがよい!」
北の荒野への追放は、事実上の死刑宣告に等しかった。魔素に侵され、碌な資源もない不毛の地。そこで生きていける人間など、ほとんどいない。孤独と飢餓が待っているだけだ。
ユリウスは、しかし、その追放の言葉にも動じることなく、静かに公爵を見つめ返した。彼の瞳の奥には、恐怖でも絶望でもなく、どこか遠い未来を見据えるような、確固たる光が宿っていた。
「……承知いたしました」
ユリウスは、簡潔にそう答えた。そのあまりにもあっさりとした返答に、公爵はさらに激昂した。
「ふん! 貴様など、犬死にするのが関の山だろう! しかし、まあ、慈悲をくれてやる」
公爵は、嘲るような笑みを浮かべた。
「餞別だ。特別に、奴隷を一人だけ買うことを許す。ただし、それだけだ。あとは、貴様一人で、その『工場』とやらで、せいぜい生き延びるがいい!」
一人だけ奴隷を許すという言葉は、表向きは僅かな情けにも見えたが、実際には北の荒野で生き残ることの困難さを強調し、ユリウスをさらに侮辱するためのものだった。奴隷一人では、とても開拓などできず、すぐに力尽きるだろう。
ライナルトは兄の隣でそのやり取りを聞いていた。兄が追放されるという事実に、安堵のような感情もあれば、どこか割り切れない、複雑な思いも抱いていた。公爵の言葉はあまりにも残酷だが、ユリウスのその残酷さにも動じない冷静さが、ライナルトには理解できなかった。
ユリウスは、再び公爵に一礼すると、静かに執務室を後にした。彼の足取りは、追放される者とは思えないほど確かなものだった。その背中には、この絶望的な状況を、自らの理想を実現する「好機」と捉える、前世の技術者の眼差しが宿っていた。
執務室を後にし、公爵の怒声が背後で響き渡る中、ユリウスの足取りは驚くほど軽やかだった。その顔には、先ほどと変わらぬ冷静な表情が張り付いているが、彼の心の内では、全く異なる感情が渦巻いていた。
(……ようやく、か)
ユリウスは、無意識のうちに口元に微かな笑みを浮かべそうになり、慌ててそれを抑え込んだ。 公爵からの追放宣告は、彼にとって、何よりも待ち望んでいた「自由」の証だった。
(これで、もうくだらない貴族の社交や、権力争いに巻き込まれることもない。ましてや、戦争などという非効率で無意味な殺し合いに駆り出されることも……)
前世で平和な時代を生き、技術者として合理性を追求してきたユリウスにとって、この世界の貴族社会のしきたりや、武力による争いは、ひどく非合理で、退屈なものだった。特に、ライナルトが将来背負うであろう「公爵」という立場は、彼から自由な研究の時間を奪い去る、忌まわしい重荷にしか思えなかったのだ。
(北の荒野か……。確かに不毛の地だが、逆に言えば、誰も手をつけていない、まっさらな土地だ)
彼の脳裏には、すでに荒野に広がるであろう、新たな工場都市の青写真が描かれ始めていた。【工場】のスキルを持つ自分にとって、何もない場所こそ、最高の創造の場なのだ。誰の干渉も受けず、誰に咎められることもなく、思う存分、前世の知識とこの世界の魔導錬金術を融合させ、研究に没頭できる。
(公爵は、俺を「面汚し」と言った。だが、俺は、この【工場】で、人のためになるものを創り出す。それこそが、父さんの言っていた、真の「価値」だ)
心残りは、前世で完成を見なかった新型エアコンのことだ。だが、この世界ならば、魔素という無限のエネルギー源がある。理論を現実に、理想を形にできる。
追放は、罰などではなかった。それは、ユリウスにとって、閉塞した檻から解き放たれ、真の使命を果たすための、最高の機会だったのだ。彼は、北の荒野で待つであろう過酷な試練すらも、研究と創造のための刺激的なステップと捉え、内心で、密かに歓喜の声を上げていた。