第38話 放火
夜の静寂を切り裂いたのは、炎の爆ぜる音だった。
ノルデンシュタイン砦の一角、ドワーフたちの工房が燃えていた。
「火事だ! 火事だ!」
「水! 水を早く!」
混乱の中、ユリウス、ミリ、セシリア、リルケット、そしてリィナも現場に駆けつけた。ミリは顔面蒼白で、炎の中から焼け落ちる鍛冶道具を呆然と見つめている。
やがて火は鎮火したが、焼け跡の前に立ち尽くすドワーフたちの怒りと不安は鎮まらない。
「これは……事故ではないな」
リルケットが低く呟く。
「火元は資材置き場。鍛冶炉の余熱では届かぬ位置だ。何者かの手による放火と見て間違いない」
その言葉に、周囲がざわめいた。人間の誰かがやったのではないかという視線が、じわりと砦の中を満たしていく。
「ユリウス様」
リィナが一歩前に出た。彼女の眼が、淡く青白く光を灯す。
「現場にいた者たちから順に、魔導感応による精神バイタル測定を行います。脈拍、呼吸、体温、視線の揺れなど五十三項目のパラメータを同時に解析。嘘をついていれば、判定できます」
ユリウスがうなずくと、リィナは静かに並んだ数人の人間とドワーフを一人ずつ見つめ、スキャンを始めた。
質問は簡潔だった。
「今夜、火の手が上がる前に、工房付近にいましたか?」
「火を放ちましたか?」
「工房に敵意を持っていましたか?」
人間たちは口々に否定するが、リィナはすぐに異変を捉えた。
一人の中年男。グロッセンベルグ出身で、数日前に砦に加わった男が、質問に答えるたびに微妙に手が震え、体温と心拍が不自然なパターンを示していた。
「――その者。虚偽の反応が出ています」
リィナの声が静かに砦の空気を引き締めた。
男は否定しようとしたが、すでに周囲の目がそれを許さなかった。リルケットが踏み出す。
「お前だな。どういう理由で火を放った?」
「俺は……! あいつらが、あのドワーフどもが威張ってるのが気に食わなかっただけだ!」
男は逆上したように叫んだ。
「人間様よりもいい工房を与えられて、いい道具を持って……それが我慢ならなかった!」
沈黙が砦に満ちる中、ミリはただ黙って拳を握りしめていた。
ユリウスが前に出て、全員に向けて語る。
「僕たちは、誰かが誰かを見下したり、追い出したりする場所を作りたいんじゃない。砦は……すべての人が安心して暮らせる場所にしたいんだ」
そして、放火を認めた男に冷たく告げた。
「法も秩序もない場所では、人は希望を持てない。君には、相応の罰を受けてもらう」
ミリは小さく息を吐いた。リィナがそっと彼女の隣に立つ。
「ミリ。これで、少しだけでも……信じてもらえたでしょうか。砦はあなたたちを守ります」
ミリは小さくうなずいたが、その目にはまだどこか不安の影が残っていた。




