第34話 元帝国騎士リルケット
砦の門前に、武装した一団が現れた。
その先頭に立つ銀髪の壮年の騎士――元帝国騎士リルケットは、砦に入るや否や驚愕の声を上げた。
「……セシリア殿下……!」
一瞬、砦の空気が凍りついた。
ユリウスもミリも、その呼称に耳を疑う。
「“殿下”……?」
だが、当のセシリアは動じることなく、表情を崩さずに応じた。
「リルケット卿……お久しぶりですね。無事だったのですね」
「まさか、こんな形で再会するとは……」
リルケットは膝をつこうとするが、セシリアは片手を軽く上げてそれを制した。
「今はそういう立場ではありません。私はもう皇女ではなく、ただの“セシリア”です」
「しかし……!」
「ここには、遺跡の調査に来ただけです。協力者の皆さんにご迷惑をかけるつもりはありません」
その言葉には、揺るぎない決意が込められていた。
ユリウスは驚きつつも、どこか納得したようにセシリアを見つめる。
「じゃあ……君、本当に……」
「ええ。かつてのグランツァール帝国の皇女。でも、今はただの調査者。あなたたちの計画を乱す気はないわ」
ミリはセシリアとリルケットを交互に見ながら、眉をひそめる。
(やっぱりな……最初から、なんか違和感あったんだよ)
それでも、彼女は何も言わなかった。ユリウスの判断を信じていたし、下手に騒げば砦の空気が乱れることも理解していた。
(でも……帝国の血筋? 笑えない冗談だ。あたしは忘れないからな)
ミリは誰にも気づかれぬよう、深く静かに怒りを飲み込んだ。
その後、リルケットたちはユリウスにより砦の中に案内される。
ノルデンシュタイン砦の広間にて、リルケットは静かに語り始めた。
「帝都グランツァールは、かつての栄光を保っているように見えて、すでに形だけの存在です。皇帝陛下は宮殿に幽閉され、大貴族たちが実権を握っています。表向きは帝国として機能していますが、実際にはそれぞれの派閥が勢力を競い、地方の支配もままならぬ状態です」
語る口調は冷静だったが、目の奥には深い憂慮が見えた。
「中でも最も強大なのが、“東の獅子”と呼ばれるアーデルハイト侯爵です。彼は帝国軍の中枢を掌握し、帝都の内外に睨みをきかせている。他の貴族も彼に並ぼうと策をめぐらせていますが……いずれ、力による再編が始まるでしょう」
場の空気が重くなった。
セシリアは表情を変えず、ただ黙って話を聞いていた。だが、リルケットが次に口にした言葉に、ミリの中で何かが軋んだ。
「私は……皇族一の才女と謳われながら姿を消したセシリア殿下を探しておりました。殿下こそ、この混乱を収めうる希望と信じて。ですが、まさかこんなところで再会するとは……」
その場にいた誰もが、セシリアを見た。
セシリアは静かに首を振る。
「私はただ……この遺跡を調査しているだけです」
それ以上、セシリアは何も言わなかった。
その夜——。
ミリは砦の一角にある自分の作業場で、ひとり槌を振るっていた。
火花が散るたび、胸の奥のざらついた感情がわずかに紛れる気がした。
(あいつ……セシリアは、皇族だったんだ。あたしが……ずっと憎んできた、帝国の……)
ギィ、と音を立ててペンチが曲がった。
ドワーフの王国が滅ぼされた日、連れ去られた祖先、打ち捨てられたドワーフの誇り。
その元凶が、グランツァール帝国——そして、皇族。
(でも……あの子は……)
思い出す。
初めて会ったときの、地味で、どこか頼りなさそうな少女。
一緒にパンを焼き、笑い合ったこと。洗濯機を組み立てて、泥だらけになったこと。
そして——
リィナと風呂で大騒ぎした、あの愉快な夜。
「くそ……あんな顔、見せるなよ……」
ごしごしと腕をぬぐい、ミリは溜め息をついた。
(あたしは……どうすればいいんだ)
叩きつけるように鉄を打ちながら、ミリは自分の中に巣くう矛盾と向き合っていた。
復讐の炎か、それとも……それ以上の、何かか。




