第30話 クロウベア来襲
砦の外から、地鳴りのような咆哮が響いた。
「何……!?」
見張り台に駆け上がったセシリアが、震える声を漏らす。
荒野の先、土煙の中から現れたのは――漆黒の獣。
全身を黒い剛毛に覆われ、肩まで届く鉤爪を引きずりながら、異様な魔素を放つ異形の熊。
「クロウベア……魔素暴走個体!」
魔物が砦の門へと迫ってくる。
セシリアは急いで杖を構え、詠唱に入った。
「〈ファルク・イグネウス〉!」
火と風の複合魔法が放たれ、炎の槍となってクロウベアを撃つ――だが。
ドオォン――!
黒煙が上がったが、クロウベアは一瞬だけ足を止めただけで、無傷でこちらを睨んできた。
「効かない!? そんな……!」
魔法を吸収するような魔素の膜が、クロウベアの体を包んでいた。
「退いてください、セシリア様」
そう言って、砦の壁から身を乗り出したのはリィナだった。
「リィナ!? 何を――」
リィナは返事をせず、軽やかに砦の外へと飛び降りる。
「こっちです、クロウベア。ここですよ」
リィナが身軽に荒野を駆けると、クロウベアは咆哮を上げて彼女を追い始めた。
足音と咆哮が、砦から遠ざかっていく。
「だめよ、そんなの――!」
セシリアが飛び出しかけたそのとき、ユリウスが彼女の腕を掴んで止める。
「信じよう。リィナは、自分の力を分かってる」
数刻後。
砦の門が開き、息を切らせたリィナが戻ってきた。
泥だらけになりながらも、無傷だ。
「まきました。複数の魔素の痕跡をばらまいて、攪乱してきました」
「……よかった、本当に……無事で……!」
セシリアが駆け寄り、思わずリィナを抱きしめた。
「でも、あれじゃあいつか襲われる……」
リィナはそっとミリの方を向く。
「ミリ様、お願いがあります。私に――戦うための武器を」
「……ったく。あたしの出番ってことね」
ミリはニッと笑い、拳をぽきぽきと鳴らした。
砦の工房には、金属を打つミリの力強い音が響いていた。
「ふん、ふん……兄貴が言ってた硬度と粘りを両立させるなら、この配合でいけるはず……!」
ミリは赤熱する鋼塊をハンマーで叩きながら、真剣な顔つきで剣を鍛えていた。クロウベアのような巨大生物にも通用する武器を――彼女は己の技術と誇りを賭けて作っていた。
一方その隣では、ユリウスが魔素で稼働する作業補助用スーツの設計図を描いていた。
「補修作業の人手が足りないなら、それを補える道具を作ればいい。動力支援と強化外骨格を融合した作業用スーツ……開発コードPS-01。機体名は――《オリオン》」
彼の目がわずかに輝いた。魔導回路で動力を伝え、関節部には緩衝と駆動を両立する構造。重量物の運搬も、足場の悪い石造りの城壁での作業も、これ一つで可能にする。
「兄貴、また新しいもん作る気か?」
ミリが汗をぬぐいながら声をかけてきた。覗き込んだスケッチに、一瞬目を見張る。
「これ、着るヤツか? 中に人が入って、動くんだな?」
「そう。魔素変換炉と連動して稼働させるつもり。砦の補修も、危険な外での作業も、安全に効率よくこなせるようにしたいからね」
ミリはふっと笑って、再び鍛造に戻った。
「ったく、相変わらず変なもんばっか思いつくな。けど――悪くないぜ、兄貴」
こうして、剣とスーツ、砦を守るための力が二つの手で同時に生み出されていた。
――セシリア視点――
ユリウスの口から語られた構想は、誰もが聞き流すような夢物語に聞こえてもおかしくはなかった。
――動力を内蔵し、装着者の筋力を補助し、重作業や戦闘に使える装甲服。
名を「パワードスーツ」。開発コードは「PS-01」。そして機体名は「オリオン」。
セシリアはその名を聞いた瞬間、思わず目を見開いた。心臓が一瞬、跳ねた。
(これだ……これこそ、わたしが求めていたもの……!)
だがその感情を表情には出さなかった。研究者として、いや――皇女として、感情を表に出すのは未熟と知っていたからだ。あくまで冷静に、論理的に、必要な事項だけを口にする。
「動力は……魔素バッテリーが良いわ。安定性も高いし、荒野での補充も容易。問題は関節部の出力ね。そこには倍力装置を組み込んで、魔導回路で制御するのが妥当かと」
「倍力装置……?」
ユリウスが首をかしげると、セシリアは地面に魔導チョークで簡単な回路図を描いた。
「筋肉の動きを検知して、魔素で駆動するアクチュエーターに伝える。人の動きを数倍に引き上げることができるはずよ。あとは、使用者の動きに遅れないように同期回路を調整するだけ」
冷静に、知的に。まるで以前から考えていたように、セシリアは次々と技術案を口にする。
(この装備が完成すれば、グランツァールの威光を取り戻す力になる。ユリウスの技術とリィナの存在、そしてわたしの知識があれば……)
内心で燃え上がる野望を、誰にも気づかれないように。セシリアはいつものように、静かな瞳のまま魔導図面を描き続けていた。




