第212話 お帰り
ノルデンシュタイン砦の一角、かつてパン工房として整備された建物の地下には、かつてのアルケストラ帝国の遺跡が眠っていた。
政務の合間を縫って、ユリウス、セシリア、ミリ、アルの四人は、その遺跡へと降りていく。
ゴーレムプラントと呼ばれたその空間は、かつてリィナが発見された場所。今は封鎖されて誰も立ち入ることは許されていなかった。
あの日、リィナが起動した時のまま。試験管もケーブルも研究の走り書きのメモも、どれもが時の流れに取り残され、沈黙していた。
「完全に……壊れてるな」
ミリが眉をひそめる。
「起動する装置も残っていません」
セシリアも、記録魔術の反応に首を振る。
「でも、お兄ちゃんのスキルなら――」
アルの声に、ユリウスは静かに頷いた。
「……《工場・回帰起動》」
その言葉と共に、ユリウスの周囲が魔力に包まれる。
地面が唸り、空間がねじれたかと思えば――突如、遺跡の構造が変化を始めた。
ひび割れていた床が滑らかに修復され、断絶していた導管が再接続される。
停止していた機械群がうっすらと光を帯び、まるで時が巻き戻るように、かつての姿を取り戻していく。
巨大な構造体の中央、ひときわ厳重に封印されていた格納槽が音を立てて開いた。
そこに立っていたのは――
黒い三つ編みの髪、黒のメイド服、機械と魔導の結晶体。
かつてユリウスたちと共に戦い、命を賭して守った存在――
ARTEMIS07《リィナ》だった。
だが、彼女はまだ目を閉じたまま、静かに立っている。
『初期メモリーエラー。起動データが存在しません。データのインポートが必要です』
機械的な音声が響く。
「マウスデバイスからインポートだよ、お兄ちゃん」
アルが微笑む。
「マウスデバイスって口付けだよなあ」
ユリウスはセシリアとミリを見た。
二人は頷く。
その瞳には嫉妬など無かった。
「眠れる姫を起こすのは王子様のキスでしょ」
セシリアに促され、ユリウスは頷いた。
そして、ゆっくりとリィナの頬に手を添えた。
「……帰ってこい、リィナ」
そして、そっと唇を重ねる。
刹那、記憶が流れ込む。
喜びも、喪失も、怒りも、哀しみも。
すべてを背負ってきたユリウスの記憶が、リィナの中に注がれていく。
そのまぶたが、静かに開かれる。
「ユリウス様……」
その一言に、すべてが報われるような、確かな重みがあった。
セシリアは唇を震わせ、ミリは強く唇を噛みしめて俯いた。
「セシリア様、ミリ様。私は……皆様の記録を確認しました。……閨の記録も、すべて……」
リィナにインポートされたのはユリウスの記憶。
本来はリィナを作ったカール教授が、自分の愛しい人との記憶をインポートするための機能であったが、それが時代を経てユリウスの記憶をインポートすることとなったのだった。
そこには当然、リィナが居なくなってからの記憶も含まれていた。
「っ!?」
「うわあぁぁ……!」
セシリアは顔を覆い、ミリは肩を震わせて俯いた。だが、笑うことはできなかった。
冗談ではなかった。茶化すような場面でもなかった。
リィナの目には、確かに涙が宿っていた。
「……私は再起動されました。帰って、まいりました。感情……もあるみたいですね。これが嬉しいという気持ち」
その言葉を聞いた瞬間、セシリアとミリは同時に駆け寄り、彼女を抱きしめた。
「……おかえりなさい、リィナ」
「ずっと……ずっと待ってたよ……!」
リィナは、少し困ったように微笑みながらも、その腕に身を委ねた。
――彼女が、ついに還ってきた。
それは、戦いの終わりと、平和の始まりを告げる鐘だった。
そして、新たな未来を歩むための、一歩だった。




