第206話 人間爆弾
空は鈍い灰色に染まり、戦場の風が乾いた砂を巻き上げていた。ユリウスは《アテナ》を降り、前線の土嚢陣地から遠くを見つめる。
視線の先――そこにいたのは、粗末な布を身にまとい、ぼろぼろの革靴を履いた獣人やドワーフたち。背筋を伸ばすことも許されず、首には鉄の首輪がはめられていた。
「……これは」
ユリウスの隣で、リルケットが目を細める。
「戦列奴隷……ですな。古い帝国軍が使った戦術。武器を持たせ、命と引き換えに敵陣を崩す。亜人を人と思ってない連中ですから恐らく、爆薬を――」
「アル、確認を頼む」
即座に反応したのは、赤い瞳を光らせたアルだった。耳のようなアンテナが僅かに揺れ、目を閉じてスキャンを開始する。
「検出しました……全員、胸部や腰部に爆薬らしき金属製の装置を装着しています。魔導式の起爆装置が反応しています……起動待機状態」
その言葉に、ユリウスの背筋が冷たくなった。
彼らを撃たねばならない――。
その事実が、胸を締め付ける。
「くそっ……!」
ユリウスは思わず拳を土嚢に叩きつけた。ドワーフの兵士、槍を持った獣人の兵士。彼らが怯えた目でこちらを見ている。だが、放置すれば爆弾が爆発する。そして自分を信じて付き従ってくれた彼らが巻き込まれる。
「……指揮官。決断を」
リルケットの声は冷静だった。だがその声の奥に、怒りと哀しみがにじんでいることをユリウスは感じ取った。
「……防衛線の構築を急げ。魔導砲は……!」
ユリウスが命令を下そうとした、その時――。
ドンッ!!
敵陣の一角が赤く染まった。爆炎が上がり、地響きが走る。
「なっ……」
アーデルハイト陣営。
誰よりも先に動いたのは、最前列にいた一人のドワーフだった。彼は監視の兵士に飛びかかり、抱きついたまま自爆したのだ。
騒然とする前線。続けざまに獣人の少年が叫んだ。
「こんな死に方しかできないなら……せめて、自分の意思で!」
爆炎がまた一つ。
「俺たちを解放してくれると言っている相手に攻撃は出来ない!」
そしてまた一つ。
次々と、亜人たちは爆弾を抱えたまま立ち上がり、アーデルハイト侯爵軍の兵士たちに突撃し、自ら命を絶っていった。
それはユリウスたちからも見てとれた。
「なんてことを……!」
セシリアが声を震わせる。ミリは拳を握りしめ、泣きそうな顔で遠くを見つめていた。
「これが……アーデルハイト侯爵の戦術……?」
アルが言葉を詰まらせる。ユリウスはただ、唇を噛み締めていた。
敵陣は大混乱だった。貴族たちの悲鳴。兵士たちの叫び。指揮系統は失われ、魔導兵器は誤作動し、炎と煙に包まれていた。
ユリウスたちはただ、黙ってその光景を見つめることしかできなかった。
やがて、敵地から戻ったシャドウウィーバの一人が、顔に軽い火傷を負いながらも報告にやってきた。
「――前線に配置されていた亜人奴隷たちが、自爆という手段で反乱を起こしました。監視していた兵士に爆弾を投げつけ、自ら炎に包まれ……。残りの亜人たちも次々に反旗を翻し、混乱が広がっています」
報告を受けた一同は驚愕しつつも、少しの間沈黙する。その重苦しい空気を破ったのは、リルケットだった。
「――これは、好機ですな。前線が崩れた今、敵は指揮系統の再構築に追われるでしょう。反撃の準備すら整っていないはず」
地図を広げたリルケットは、崩壊した敵前線と後方との距離を指差した。
「このまま一気に打って出れば、彼らの中央陣地に楔を打ち込めます。今なら被害も少なく済む」
だが、ユリウスはすぐには頷かなかった。彼の視線は、まだ遠くの戦場を見つめている。
「……それでも、彼らの命を犠牲にした事実は変わらない。僕たちは、ただその結果を利用するだけになる」
「理想を追うのは構いませんが、現実は冷徹ですぞ。彼らが残してくれたこの隙を、見逃してはならない」
リルケットの言葉は冷静で、だがその奥には怒りがあった。使い捨てにされた亜人たちの姿を見た彼が、静かに怒っているのをユリウスは感じていた。
やがて、ユリウスは頷いた。
「……わかった。出撃準備を。敵の中核を撃ち、これ以上犠牲を出さないために、終わらせよう」
その目にはもう迷いはなかった。




