第202話 ユリウスの演説
ヴァルトハイン城の中庭に設けられた演壇に、ユリウスはゆっくりと歩み出た。正面には、自らの旗のもとに集った兵士たち、そして民衆――ヒューマン、ドワーフ、エルフ、獣人、ありとあらゆる種族が混じり合って、広場を埋め尽くしていた。
「……我らは今、帝国の瓦礫の上に立っています」
ユリウスの第一声に、全ての耳が集中した。
「かつて、この地を支配していた帝国は、皇帝という名のもとに力を奪い、差別し、支配してきた。しかし、もはやその帝国は空洞だ。今の皇帝陛下は、名ばかりの存在として幽閉されている。ならば、誰がこの国の未来を切り開くのか――」
彼は拳を強く握りしめた。
「――我々だ」
空気が震えた。
「今、我らは正統性を得た。皇女セシリアが我が妻となり、血と名を継ぎ、皇帝陛下を救出し、その名に真の意味を与える。もはや我らの行いは反乱ではない。正しき奪還であり、正義の戦いだ!」
周囲にざわめきが起こり、すぐに歓声へと変わった。
「我が志は、ただ一つ!」
ユリウスの声が城壁にこだまする。
「――すべての種族が、笑って生きられる国を作る!」
その言葉に、彼を信じてここまで来た者たちの胸が熱くなった。
「ドワーフだから、エルフだから、魔族だからと蔑まれる時代は終わりだ! 努力した者が報われ、誰もが家族を持ち、子を育て、明日を信じられる――そんな国を、我々の手で創る!」
──演説を聴いた民たちの反応は、それぞれに違っていた。
ドワーフの青年、ハロルドは、かつて帝国で奴隷として酷使された記憶を思い出していた。だが今、彼はヴァルトハインの機械工房で誇りを持って働いている。
「……あの人なら、本当に変えてくれるかもしれねぇ」
彼はふと、肩の油を拭いながら、小さく呟いた。
獣人の少女・フィーリは、演説中にそっと手を握られていた。
隣にいたのはヒューマンの青年。彼女の恋人だった。
「私たちの未来が、ここから始まるんだね」
フィーリは頷いた。彼女の種族が“下等”と蔑まれた時代が、終わりを告げようとしている。ユリウスの言葉が、確かにそれを証明していた。
老エルフの学者・カインは、遠巻きに見ながら、静かに目を細めていた。
「長命の我らにとって、時の流れは一瞬にあらず。だが――」
彼は胸に手を当てた。
「ようやく、風が変わったようだな」
かつて、差別され、閉じこもっていた森の民にとって、それは希望の風だった。
魔族の少年ルアは、まだ幼くて言葉の重みがわからなかったが、隣にいた母が涙を流していた。
「……もう、隠れなくていいのね……」
ユリウスの統治下で、魔族とヒューマンの間に築かれた橋は、確かに心を繋いでいた。
やがてユリウスは言葉を締めくくった。
「誰もが笑える未来を、その手で掴め!」
彼の声に、全員が拳を掲げた。
差別も、苦しみも、失ったものもある。
それでも、希望がある限り。
この時、戦の火蓋は切られたのではなく――
新たな時代の幕が、確かに、上がったのだった。
民衆の歓声が、嵐のように中庭を包み込んでいた。
掲げられた拳の波を前に、ユリウスはただ真っ直ぐに立っていた。
だが胸の奥では、別の重みが圧し掛かっていた。
「本当に……彼らを笑わせられるのか」
言葉を吐き出した瞬間に背負ったのは、あまりに大きな約束だった。
セシリアと結婚し、正統性を得て、皇帝を救う。
それは確かに政治的な大義名分だ。しかし、その裏には必ず血が流れる。
ユリウスは群衆を見渡す。
ドワーフの青年が笑っている。獣人の少女が恋人と手を握り合っている。老エルフが静かに頷き、魔族の母が涙を流している。
その一つひとつが、自分の誓いの重さを突きつけてくる。
「もし約束を果たせなければ……僕はまた、誰かの未来を奪うことになる」
背筋に冷たいものが走った。
しかし、同時に決意が燃え上がる。
これは贖罪の道でもある。
リィナの犠牲も、仲間の流した血も、無駄にはしない。
――敵を倒すためではなく、笑い合える世界を築くために。
ユリウスは深く息を吸い込んだ。
歓声はまだ鳴り止まない。
その響きは重圧であり、同時に彼の心を奮い立たせる炎でもあった。
「必ず……果たす」
誰に聞かせるでもなく、唇が小さく動いた。
そしてその時、ユリウスは悟っていた。
今日という日は、新たな戦いの始まりであると同時に――
自分自身との戦いの幕開けでもあるのだと。
歓声がようやく落ち着き、ユリウスが演壇の裏に引き上げると、セシリアが駆け寄ってきた。
その顔には涙がにじんでいた。
「……立派だったわ、ユリウス。でも、全部一人で背負おうとしないで」
銀の瞳がまっすぐ彼を見つめる。
ユリウスは言葉を失った。彼女には、胸の奥に隠した迷いが見透かされている気がしたからだ。
続いてドワーフの女王として着飾ったミリが、手を腰に当てて言った。
「兄貴、顔に出すなって言っても無理だな。……でもよ、あたしたちも一緒に戦ってきただろ? 全部お前一人の勝ちじゃねぇんだ。忘れんなよ」
その言葉はぶっきらぼうだったが、温かさがあった。
そして、アルが小首をかしげながら口を開いた。
「お兄ちゃん。わたしは敵を倒すことしかできない。でも、それを見て苦しむお兄ちゃんを守ることは……できるよね?」
その無垢な言葉に、ユリウスの胸が詰まった。
アルに人間らしさを教えると誓ったはずの自分が、逆に救われている。
ユリウスは静かに目を閉じ、深く息を吐いた。
仲間の言葉が心の奥で重なり合い、重圧を和らげていく。
「……ありがとう。僕は一人じゃない」
そう呟いた時、ようやく彼の肩から、ほんの少しだけ重荷が下りた気がした。




