第2話 魔導錬金術との出会い
10歳になったユリウスは、公爵家の城の広大な書庫に足を踏み入れた。この頃の彼は、城の教師が教える歴史や貴族の作法、剣術といった学問には、どうにも身が入らなかった。前世の記憶が鮮明に残る彼にとって、それらの知識は、時として陳腐に、時として非効率的に映る。彼の知的好奇心は、この世界の根本的な「仕組み」と、自身の前世の知識をどう融合させるかに向かっていた。
書庫は、数世紀にわたるヴァルトハイン公爵家の歴史を物語るかのように、膨大な量の書籍で埋め尽くされていた。整然と並べられた歴史書や軍事戦略書には目もくれず、ユリウスは埃が積もり、ほとんど誰も足を踏み入れないような、奥まった一角へと向かった。そこには、古く、色褪せた背表紙の本がひしめき合っている。
「……何かないか」
彼は独りごちながら、指先で本の背をなぞっていく。騎士物語、宮廷儀礼、薬草学……どれも彼が求めるものではない。物理法則、機械工学、熱力学といった知識を求める彼の渇きは、満たされないままだった。
その時、棚の一番奥、他の本に埋もれるようにして、ひときわ古びた一冊が彼の目に留まった。背表紙には、文字ではなく、奇妙な記号のようなものが刻まれている。表紙は革製で、ところどころ擦り切れているが、その装丁からは、ただならぬ雰囲気が漂っていた。
ユリウスは、慎重にその本を引き抜いた。途端に、舞い上がった埃が彼の鼻をくすぐる。
本のタイトルは、独特の文字でこう記されていた。
『魔導錬金術の基礎と応用:世界の物質を司る理』
ユリウスは、その文字を見た瞬間、心臓が大きく跳ねるのを感じた。
(魔導錬金術……? これは、もしかして……)
彼が知る「科学」や「化学」といった概念は、この世界では魔法の領域に分類される。しかし、「錬金術」という言葉は、前世の彼が学んだ化学、物質の変換、合成といった概念を強く想起させた。
彼は、その場で恐る恐るページを捲った。紙は黄ばみ、インクは薄れているが、そこに描かれている図や数式らしきものは、彼にとって驚くほど既視感のあるものだった。魔素の流動図、元素の結合式、エネルギーの変換効率に関する記述……。
(これだ……! これなら、俺の前世の知識が活かせる……!)
ユリウスの胸に、確かな確信が芽生えた。この世界で、自分が何をするべきか。漠然とした焦燥感と、無為に過ごす時間へのもどかしさが、一気に晴れていくのを感じた。目の前にあるのは、ただの古い本ではない。それは、彼がこの世界で「人のためになるものを作る」ための、まさしく第一歩となり得る、希望の書だった。
彼はその本を大事に抱え、誰にも気づかれぬよう、静かに書庫を後にした。この日から、ユリウスは城の奥深く、自らの部屋にこもり、来る日も来る日も、魔導錬金術の謎を解き明かすことに没頭していくことになる。
「兄さん、またそんな変な図形描いてるの?」
双子の弟、ライナルトが部屋の扉から覗き込む。
「これは魔導錬金術だよ。理論上は魔素からなんでも造ることも可能なんだよ」
「へえ~、それで兄さんはいったい何を“生み出した”の?」
ライナルトは鼻で笑う。
ユリウスの机の上には、焦げた紙、割れたフラスコ、煤で黒ずんだ鉱石のかけら。
「……今はまだ準備段階だよ。でも、これが本当に使えるようになれば、どんなことにでも役立つはずだ」
「ふーん。でも父上は、そんな“夢物語”じゃなくて、現実的な戦術戦略の知識を身につけてほしいって言ってたよ?」
「戦争なんて、なくなればいいのに」
皮肉を言ってみたが、まったく堪えないユリウスに苛立ち、ライナルトは廊下へと去っていった。
残されたユリウスは静かに本を閉じる。だがその瞳は、ほんの少しだけ強く光っていた。
(必ず証明してみせる……僕の“知識”が、現実を変えられるってことを)