第197話 大義名分
会議室の窓から射す柔らかな陽光が、長机に並んだ資料の上を照らしていた。ユリウスはその先頭に座り、静かに息をつく。
政務復帰初日。だが、初手から出された議題は、公私を揺さぶる大きなものであった。
アーベントが立ち上がり、整った声で告げた。
「本日は、セシリア殿下とのご婚約について、報告と提案をいたします」
ユリウスの隣にはセシリア、その斜め後ろにはリルケットが座り、いずれも真剣な面持ちだ。
ミリは腕を組み、やや不満げに座っていたが、何も言わない。
アルは隣で「私もお兄ちゃんと結婚したい」と小声で呟いたが、セシリアにたしなめられて黙った。
アーベントは資料を一枚持ち上げると、会議室全体を見回して言う。
「セシリア殿下は、グランツァール帝国皇家の嫡子たる正統なる皇女です。その事実は、帝国の旧勢力のみならず、現存する有力貴族たちの間でも次第に知られるようになっています。そして、我がヴァルトハイン領がこのまま勢力を拡大すれば、いずれその正統性を帝国再興の旗印とせざるを得ません」
その言葉に、ユリウスの眉が僅かに動いた。
既にセシリアやアーベント、リルケットとは話がついているので、これはその他の部下たちに周知する茶番である。
「つまり、セシリアが帝位を継承すれば、我々の勢力は帝国の正統後継と認められる――そういうことか?」
「はい。現皇帝は形式的な存在であり、帝都で幽閉されているに等しい。貴族連中の傀儡に過ぎません。セシリア殿が帝位を継げば、貴族たちの間でも分裂が起き、味方に引き込める派閥も出てくるでしょう」
リルケットが続けるように口を開く。
「帝国の名に価値がある以上、民も貴族も、正統な皇女に従う大義名分が必要なんです。現体制に不満を持つ者たちにとって、セシリア様は象徴となる」
アーベントはさらに畳み掛ける。
「しかし、問題は女性皇帝の正統性です。帝国法では、基本的には男系継承が優先されている。しかし、セシリア殿がご結婚され、夫に政治を補佐させる形であれば、大きな問題にはなりません。そして、夫が――殿下、あなたであるならば、軍事と内政、両面での安定を内外に示すことができるのです」
ユリウスは一瞬目を伏せ、苦笑のような表情を浮かべた。
「つまり、僕は“皇帝の夫”という名目で、実質の全権を握る――そういう筋書きか」
「左様にございます」
幹部たちも、慎重ながらも否定的な声はなく、誰もがこの話が進むことを当然のように受け止めている様子だった。
ミリは頬を膨らませたまま、
「婚約は勝手に決めるもんじゃないぞ」
とぼそりと呟いたが、それも力なく、心の底ではユリウスが歩む道を受け止めようとしているようだった。
唯一の婚約者という立場が無くなる事への不満はあるが、彼女としてもユリウスが作りたい国については、早く実現してほしいと思っており、個人の感情は控えめにしている。
静かな緊張が流れるなか、セシリアは小さく口を開いた。
「……私も、覚悟はできています。帝国を取り戻すなら、ただの皇女ではなく、女帝として、責任を負う覚悟でいます。……あなたとなら」
その言葉に、ユリウスはまっすぐセシリアを見た。
「――わかった。僕も逃げない。覚悟を決めるよ」
こうして、帝国再興を掲げたヴァルトハイン陣営は、ついに政略結婚を経て、帝国の復興という大義名分を手に入れるという大きな転機を迎えることとなった。




